ホームレス生活ブーム
この奇妙なブームの始まりは、あの時だったのかもしれない。そう、新聞で『年収五万で幸せに生きる方法』という本の広告を見かけた頃だ。当時はまさかその本がベストセラーになるとは思いもしなかった。著者はさぞ儲けただろう。その後も『路上生活のすすめ』『持たない生き方』『路上の珍説』『家を捨てる』『自由の流儀』といったタイトルの本が次々と本屋に並び、若者たちに飛ぶように売れた。
かつては、『収入を増やし成功を掴むための本』が人気だった。それが、『いかにして少ない収入で生き延びるか』をテーマとする本がベストセラーを飾る時代に変わった。若者の上昇志向も地に落ちたものだ。もっとも、不景気がその一因であることは間違いないが。
しかし、誰が予想できただろうか。ホームレス生活が若者の間でブームになるなんて。
街にカラフルなテントや段ボールの家が現れ始め、やがて、雨上がりのタケノコのように次々と増えていった。外国人観光客はそれを面白がり、まるで新たな観光名所のように写真を撮っていた。国の恥と思いきや、マスコミはこの現象を『ニュー・サステイナブル・ライフ』と名付け、エコロジーの観点から称賛していた。ああ、なんのこっちゃ。
それを見た他の若者たちも感化され「俺も段ボール生活を始めてみようかな……」などと言い出す始末。若者のホームレス化が加速していった。
ホームレスの増加に伴い、治安の悪化が懸念されたが、市長らの迅速な対応で問題は未然に防がれた。彼らの住居の近くにゴミ箱を設置し、銭湯のクーポンを配布したのだ。
若いホームレスたちは怒られることや、他人から不潔に思われたくないがために大人しく従った。マスコミはこれを『自治体の成功例』として美談に仕立て上げた。
あるコメンテーターは「彼らのような若いホームレスの増加は貧困の象徴だ」と政府を非難し、別のコメンテーターは「大量生産・大量消費社会への反発がブームの背景にある」と語った。彼らの行動は『自分らしさ』を求める表現だと。
ある夜、私のお気に入りの公園にも彼らが現れ、テントを張り始めた。ベンチに座って彼らを眺めていると、若者の一人が頭を下げたので、私も軽く会釈を返した。会話はしなかったが、彼らは声が大きかったので、話は筒抜けだった。どうやら彼らのテントは、キャンプブームの際に買ったものらしい。そして彼らは全員で巨大な段ボールハウスを組み立て始めた。集会場にするだとか。ペンキを塗り、まるでサークル活動でもしているように楽しそうだった。
また別の晩、別の公園ではテントを持った若者たちが集まり、公園の中央を陣取った。その連中は数日後には姿を消し、なんだったのか疑問に思っていたが、後日ニュースで、それがテントを借りて数日間の路上生活を楽しむという『ホームレス生活体験ツアー』だったと知った。参加者は「新しい自分を発見した!」と口々に語っていたが、おかしなことにツアー料金が高額だった。安全確保のため警備員が雇われていたせいだろうが、私にはちょっといいホテルに泊まるのと変わらないように思えた。
もはや若者の言うホームレス生活は、かつてのそれとはまったく違っていた。確かに今はジムやネットカフェ、スーパー銭湯など、公園の蛇口以外にも体を洗える場所がある。都市部では無料Wi-Fiがあちこちに飛び、コンビニは二十四時間営業。そこかしこに街灯が立ち、夜も明るい。若者たちは住居を持たなくても、仲間と集まれればそれで満足のようだ。
ただ結局のところ、若者たちが求めているのは『自由』ではなく、『自由な自分を演じること』なのではないだろうか。そして、その演出のためにお金を使っている。ならば、彼らもまた消費社会の一部に過ぎないのではないだろうか。
その後、街にはまるでステータスだと言わんばかりに、高級感のあるテントが並び始め、テントや段ボールには『最新スマホ半額!』『新発売!』といった広告が大きく貼られ、ブームは絶頂を迎えた。
そう、そこが絶頂。そして、それは長くは続かなかったのだ。中年男性が参入し、売春や痴漢などの性犯罪が増えたことで、ホームレス生活ブームはあっけなく終焉を迎えた。
彼ら若者たちにとってホームレス生活は所詮、一時の遊びだった。いつでも元の生活に戻れる安心感があったからこそ楽しめたに過ぎない。
残ったゴミ箱とホームレスは街から排除され、私は収容所に入れられた。
彼らは面白半分に貧乏を玩具にし、私たちからすべてを奪ったのだ。
この社会はまた新たなブームを追い求めるだろう。消費し、飽きたら捨て、また次を探す。
それが人の宿命だというのなら、それでいい。だが、次の火付け役は――
「――さん、おーい」
「ん? ああ、どうしたんだい?」
「おっ、また執筆かい? いやあ、先生だねえ」
「ははは、よしてくれよ。まだまだ完成には程遠い。それに、今書いていたのは息抜きさ」
「そうかい、そうかい。それで、そろそろ会合が始まるよ。今、職員の監視が緩いからさ」
「ああ、すぐ行くよ」
次の火付け役は私たちだ。この牢獄のような施設の中で出会った仲間たちとともに、社会に反撃の狼煙の上げるのだ……。