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07

 呆然として、その場にへたり込んでいた。

 もう何時間も扉を叩いていたせいで、こぶしはジンジンいたむ。すでにのどは()れ、のどの奥がヒリヒリといたむ。

 だが、一向(いっこう)にだれも様子を見に来ない。


「なんだっていうんだ」


 しばらくの間、へたり込み休んでいたおかげで、すこしだけ疲れがとれた気がする。もう一度、扉をたたいて、今度こそ誰かを呼びよせなければ! そして、俺が無実だってことを説明しなければ!

 でも、体は鉛のように重い、足に力を入れて体を起こそうとするのも大変だ。それでも、なんとか気力だけで体を持ち上げて。

 扉に向かってこぶしを振り上げようとして、バランスをくずした。

 疲労のため足がもつれ踏ん張れない、そのまま、背中からそばの壁へ向けて(かし)いでいく。受け身をとる気力もなく、ゆっくりと倒れていった。

 どうせ、背中で壁にもたれるだけだ。せいぜい、そのまま下にずり落ちて尻もちをつくだけだろう。

 そんなことを考えながら、重力のなすがままになっていた。

 だが、意外と長い瞬間がすぎても、俺の背中は壁にぶち当たらない。永遠とも思える間も落下の感覚がつづく。

 一瞬かすめる恐怖。そして、


 ドサッ!


 俺の背中は硬く冷たい壁の感覚をとらえなかった。代わりに、最初に感じたのは、尻に生じた痛みだった。


 ああ、尻もちをついたのか。しかし予想以上の痛みだな。壁に背を預けてずり落ちただけのはずなのに……

 ……

 ……?

 ん? いや、俺、背中に壁の感触なんか感じなかったよな? すぐそばの壁にもたれかかったはずなのに、全然壁を感じなかった。でも、俺は尻もちをついていて、今その痛みを感じている。これって……?


 緩慢(かんまん)な動作で立ち上がろうとし、尻をさすりながら周囲を見回す。

 直後、俺の目に飛び込んできたのはレンガ造りの殺風景(さっぷうけい)は牢の内部で――はなく。


「な、なんじゃこりゃ!」




「あら? 意外と早かったわね。こないだの囚人のときはここへ来れることを発見するまでに一週間以上もかかったっていうのに…… もっともここへ来れたときには、すっかり精神を病んじゃってて使い物にならなかったけどね」


 足元には毛足の長い敷物が敷き詰められ、そよ風にかすかに揺れる上品なレースのカーテンを通して差し込む柔らかな光があふれている。

 花の香りのような芳香が鼻をくすぐり、温かく優しい空気があたりに漂っている。

 どこを見渡してみても高価そうな調度品が目に入る。とても洗練された身分の高い人のための部屋という風情(ふぜい)だった。

 だが、そんな中で、隅にあるピカピカに磨き上げられた姿見の中には、今のボロボロの格好をした俺が映りこんでいるのが、まったくの場違いで。


「なんだ、ここは?」


 部屋の中央では、優雅な仕草でカップを口に傾けている少女がいる。

 清潔でレースのついた真っ白なテーブルクロスのかかったテーブルにつき、いくつものスイーツが並べられたケーキスタンド越しに、俺を面白そうに眺めている。

 たくさんのフリルのついたパステルカラーのドレスを着て、微笑む姿は絵のように美しく気品にあふれ……

 って、少女自身も非常に整った顔立ちをしているじゃないか!

 大きな瞳、高い鼻。鼻筋は通り、唇はバラの花びらを含んだよう。その姿は、まるで、まるで……


「くちづけ姫……」




 俺たちの世界ヨックォ・ハルマでは、生まれて間もないころに一度は地元の神殿へ(まい)る習慣がある。洗礼式と呼ばれるそれは、俺たち庶民だけなく、王族や貴族といった人々も同様に行われる儀式なのだ。

 その洗礼式、単に神殿の神様へ無事に生まれたことの感謝を伝えにいく儀式ってだけじゃない。神官から洗礼を受けたあと、だれもが神々からの神託(しんたく)をくだされるのだ。

 神の像へ祈った後、神官たちから告げられるのは、その子供がこれから先どのような人生を送るのかという予言。

 もちろん、俺たち庶民が行くような町中の神殿で下される神託なんて、大した内容のものではないし、結構いい加減なものが多く、当てになんかならない。だが、身分が高い人たち、特に王族や大貴族の子供たちが参詣する王都の中央大神殿を預かる高位の大神官たちから下される神託は、さすがのものなのだ。かなりの精度でその子供の将来を予見するのだ。

 将来、国の運営を担うであろう王族や大貴族たち。そんな人たちに与えられる神託なのだ。二十年後、三十年後の世界の様相を占う上で、とても重視されるのは必然的な話だろう。

 そのため、新しく生まれた王族や大貴族の子供が洗礼式を行ったときには、与えられた神託が国中に公開されるのが慣例となっている。

 そして、今から十三年前。ウエスト王国国王ヨーゼフ三世と王妃レティシア姫との間の娘として生まれたミレッタ王女が洗礼式を行ったとき、国中に公表された神託の内容というのが、


『この者は聖女なり。そして、この者と最初に口づけを交わした者がその夫とならん』


 たったこれだけだった。

 通常、王族なら少年期はどうのこうの、青年期は、壮年期は―― みたいに年代に応じてなにかしらの言及があるというのに、このミレッタ王女の場合は、それが一切なかった。

 だから、公表された神託の内容を人々が知ったとき、だれもがこう思った。


 ――普通にあるはずの各年代でのエピソードがないのは、そこまでこの王女は成長することはない。生きてはいない。そう短命が定められた王女だと。


 人々はこの薄幸(はっこう)の王女を憐れみ、その残酷な運命を我がことのように呪った。しかも、ミレッタ王女は長じるにしたがって、その可憐さを増し、だれもが認める美少女へと成長していった。

 国中の人々がミレッタ王女を愛した。そして、その町のあちこちに肖像画を飾った。

 だれもがその少女の運命に涙をし、その時が来るまでその身にすこしでも多くの幸せが訪れるように祈った。

 そう、国中の誰もが知り誰もが愛する美少女。それがミレッタ王女だった。

 そして、いつしか人々はその少女のことを敬愛の念を込めてこう呼ぶようになった。


『くちづけ姫』


 と。




「くちづけ姫……」


 俺のつぶやきに、少女のカップを持つ手がとまった。

 急に眉を逆立て鋭い視線を向けて来る。


「私の前で二度とその名前を口にしてはいけない。でないと――」


 一瞬、カップを持たない方の手が動いた気がしたのだが、そんなことより、俺の左耳すぐそばを飛びぬけていったものはなんだろうか?

 なにか金属光沢のある細長い……

 さっきまでテーブルの上に並んでいたナイフが一本消えている気がするのだが……き、気のせいだよな? 俺の左ほおから血が流れだしているのが姿見の中に見えるような気がするのも……

 ……


「ひっ!」





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