31
深い山の中の踏み分け道を下りていく。
途中、肉を焼く匂いがした。俺にとっては、ちょっとしたトラウマ。
あの自分の体を這う炎。自分の体の肉が焼かれる感触。そして、自分の焼かれる体から立ち上るおいしそうな匂い……
ブルッ
匂いのもとをたどると、俺に背を向けて魔族がいる。火をおこし、人間のものとおぼしき肉を焼いている。どうやら、一人だけのようだ。
俺はそっと背後から忍び寄り、無言でその首を刎ねた。
そして、他にも仲間の魔族がいないか周囲の気配を探るが、もう仲間はいないようだ。
元の場所までもどって下り道をたどっていく。
まわりをうっそうとした木々が囲い、下草の茂みが俺の歩く速度を鈍らす。
やがて、沢筋に出た。
小さな清流で、せせらぎの水音は気持ちを落ち着かせ、沢を吹き抜ける風は涼しく心地いい。
片手で水をすくい、口に含む。のどを落ちていく冷たい感触にすこし元気をもらった。
「さて、魔王城はどっちの方角かな?」
あたりを見回し、遠くの気配を探る。
「まあ、あっちだろうな。あっちからの空気の中にピリピリと禍々しいものを感じるし」
というわけで沢の筋に沿って下流へ歩き出したら、すぐに石造りの橋に出くわした。
すぐそばが街道だった。
橋の上にあがり、左右を見回すが、人通りはない。
まあ、こんな時だし、あたりまえか。
ともあれ、禍々しい気配の感じる方角の街道をたどることにする。
山腹に沿ってくねくねと曲がりくねった道。その代わり傾斜は緩やか。平和な時代には結構通行量がおおかったようで、石畳で舗装された道路上に深い轍が四本平行に並んでいる。上りと下りの荷車の通り道ってところか。
いくつものカーブをまがり、のんびりと歩く。
途中、この世界の野生動物を何匹も見かけるが、すぐに左右の藪の中へもぐりこんで、見えなくなった。
祠を出発した時には頭の上にあった太陽がしだいに傾き、ついには山の端にかかるようになったころ、もともと大してなかった傾斜はどんどん緩やかになっていき、ついには道は完全な平坦へと変わっていった。
ようやく山の中から盆地の中へ降りてきたようだ。
これまでは折り重なるような山影であまり見通しがきかなかったが、今では山々の影も遠くの方へのいている。
本来なら、道の左右には人々が耕す畑が広がり、のどかな田園風景を描いていたのだろうが、今はだれも耕す者はなく、ただ荒れ果てるままになっている。背の高さを越える雑草が生い茂っている。
そうこうするうちに、家屋が見えて来た。集落へたどり着いたのだろう。
だが、近寄ってきた家屋は、屋根が落ち、壁が崩れた無残な姿。あきらかに人が住んでいる気配はない。
さらにすこし先にもう何軒か見えるが、同様だ。
この集落は放棄され、もう人は住んでいないのだろう。
しばらく歩いて、集落の中央部まできた。
中央部には大きな井戸が掘られており、人が住んでいたときには、共用の井戸だったのだろう。のぞいてみると、手が届きそうな高い位置まで水位があり、簡単に汲めそうだ。
「とりあえず、今晩は近くの家屋で夜露をしのぐとするか」
周囲にある家屋をいくつか見て回り、まだ屋根が落ちていないのを見つけて、荷物を下ろす。荷物の中から手桶を取り出し井戸まで引き返した。
落ちないように井戸のへりにしっかり捕まりつつ、井戸の中へ身を乗り出して、手桶で中の水を汲む。
「うむ。きれいな水みたいだな。飲めそうだ」
長年放置されていたであろうに、特に気になる匂いもない。さすがに、井戸の中には水生昆虫類が何種類も這ってはいたが、それは毒が混じっていないって証拠でもある。
一口のどへ流し込み、味を確かめてから、ここまでの道中で空になっていた水筒の中へ注ぎ入れる。
水筒がいっぱいになったところで、今度は炊事のために水を汲みなおす。
井戸のへりにしっかりしがみつきつつ、身を乗り出して――
ボロッ――
ヘリの木の部分が腐っていたようだ。しかも、よりにもよって俺が全身でよりかかり握りしめていた部分が壊れた。井戸の中へ身を乗り出した状態で……
「うわっ!?」
頭から真っ逆さまに井戸の中へダイブ――のはずだったのだが。
「おっと、大丈夫か?」
俺の腕が誰かに引っ張られている。井戸に落っこちる寸前にだれかが俺の腕をとって、落ちないように支えてくれている。
「あ、ありがとう。助かった。そのまま引っ張り上げてくれないか?」
「ああ、いいぞ。いくぞ!」
力強い引きを感じたと思ったら、すでに俺の体は井戸の外へ引き戻されていた。
「た、助かった…… 感謝する」
「なんの。危ないところだった」
人がいないはずの集落の中。危険なところを助けてもらったとはいえ、こんな場所で他の人間に遭遇するなんて、今は考えにくい。とすると、このあたりを徘徊しているという魔族かな?
俺が人間だと気付かれたら、そのまま戦闘になるかもしれない。いつでも次の行動に移れるように警戒しつつ。
相手に目をむける。
視界の中に夕日の中に輝く金色のフルフェイスの兜が見えた。そして、全身を覆う金色の鎧。籠手も金色。刀の柄も金色。全身が金色。
金色鎧が腕組みをしたままでそこに立っていた。
「えっと……? 魔族? 人間?」
戸惑う俺の前で金色鎧は兜でくぐもった声をかけてくる。
「お前は人間だな」
「ああ、そうだ」
「なら、私は敵ではない。私も人間だ」
その言葉が本当であるのかどうか、わからない。何しろ、全身を鎧が覆っているのだから、確かめようがない。
だが、少なくとも金色鎧からは殺意や敵愾心のようなものを感じ取ることはできない。
最低限の警戒を緩めることはないが、それでも俺が危ないところを助けてくれた恩もあるわけだし、その言葉を受け入れることにした。