第1話 不条理な女神
ドン
それが、俺が最期に聞いた、この世の音だった。
ホームに走り込む電車の真ん前に落ちる。茫然と見上げたそこには、涙を浮かべた社長がいた。俺を線路に突き落としたであろう腕は、わずかに震えている。
会社の不正を暴き、単身社長室に乗り込んだのが先刻。別に社長をいじめたかったわけじゃない。筋が通らないことに我慢が出来なかっただけだ。
俺の足にすがりつき、「この件は内密に」と懇願してきた。保身もあっただろうが、家族や社員を護る為だったかもしれない。身にまとわりつくような憐憫を文字通り振り払って、俺は会社を出た。
俺の身体が電車に轢かれる刹那、不思議と社長の口がゆっくりと動くのが見えた。「許してくれ」と。
それが、俺が最期に見た、この世の景色となった。
ーーーーーー
一体、どれだけの時間が経ったのか。
俺という意識が有るようで無い。無いようで有る。あえて言葉にするとすれば、そんな感覚が身体を支配している。
きっと俺は死んだのだろう。何とも呆気ない幕切れだった。社長が俺の背中を押す力はどれほどのものだったろうか。
そんな僅かな力で一つの命は容易く消えた。俺の命なんて、この世界からすれば大した価値はないことを暗示しているかのように。
とにかく我武者羅に生きてきたつもりだ。筋が通らず、曲がったことが大嫌いな俺は、上司と上手くいった試しがない。全ての物事に合理性が無いと、落ち着かない。
「自分なりの哲学を押し通した結果が、これか」
これまでの頑張りは無駄だったのか。宇宙からすれば、塵芥のようなつまらない物だったのか。全ては自己満足に過ぎなかったのか。社長の泣き顔が、ちらついて離れない。
人生の全てを捧げた結果、誰も幸せに出来ていなかったことに気づいた俺の心に、絶望の帳が降りた、その時。
「いらっしゃーい」
甘ったるい、どこか気の抜けたような声がした。声の主は、誰だ?
俺はゆっくりと目を開く。いや、今までも開いていたのかもしれないが、急に視界が開けてきたのだ。パルテノン神殿のような柱がいくつもある、白い部屋が見える。
屋上は吹き抜けであり、満天の夜空にオーロラがゆらめく。部屋中には麝香の香りが充満する。
床の一部は庭のような作りになっていて、小川も流れている。砂金のように小さな煌めきが、清流の中に見え隠れする。
混乱した俺の思考がまとまる暇もなく、十二単とドレスが合わさったような服を来た、虹色の髪の女が突如現れた。
「お前は、誰だ?」
「エリアスティーゼ」
うん、日本人ではないな。小学生でも解りそうな結論にたどり着くと、エリアス何とかの姿をしげしげと眺めてみた。
肌の色は透き通るように白い。外見は人間だが、なぜか、人外の雰囲気を醸している。
「お前は一体何者なんだ? そして、ここはどこだ?」
「あなたにやってもらいたいことがある」
俺の話を聞かずに女は喋る。俺が出会ってきた多くの女がそうであったように。
「私の世界を救って欲しい」
「まるで、女神のような口振りだな」
「そうよ。私は女神。私自身の世界のね」
「証拠はあるのか? 人ではなく神だという証を見せてみろ」
「疑り深いわね……でも、その疑り深さを見込んであなたの命を救ってあげたのよ。病的なまでに合理性を追及するあなたの性格で、私の世界を正してほしいの」
女神(仮)は、ふふふと微笑んでいる。何というか、その余裕ぶった態度が気にいらない。まるで、自分が女神であるかのような振る舞いだ。証拠もないのに。
「俺はさっき電車に轢かれて死んだばかりだ。それが、死んだと思ったら生きていて、驚く間も無いままに女神(仮)が現れて、世界を救って欲しいと来たもんだ。ちょっとは俺の気持ちも考えたらどうなんだ。慈悲深さすなわち、神の定義たりえるだろう」
「定義だなんて、理屈っぽい人ですねえ。女性に嫌われますよ……」
女神(仮)はふわふわと、その身を宙に浮かべる。
「ほら、私は空を飛んでいます。あなたの世界の物理法則を無視しているでしょう。法則や定義なんて人が作った仮のものさし。このように、あっという間に覆るものです」
「神であるのなら、世界のルールを書き換えることなんて、いとも容易いことだ」
「それでは、私を神だと認めることになってしまいますよ?」
「それは早計だ。全知全能でない神などいない。お前自身の世界を救えていない時点で、お前は神たりえない。女神(仮)と呼ばせてもらおう」
「仮……なんて不遜な」
女神(仮)はぷくっと頬を膨らませた。
「私だって、出来ることと出来ないことがあるんですっ!」
「そんなのは神じゃない。もっと確かな証拠を出せ」
「自分自身で決めたルールだから、破れないんですっ! 何より、神は人の進化を尊ぶ。楽ばかりさせたら、人は堕落する一方。だから、この世界には喜びや楽しみ、そして悲しみも怒りもあるのです。ありとあらゆる方向で、人の魂が成長出来るように」
女神は手を宙に浮かべる。掌に、虹色に輝く球体が現れた。
「これは、人の魂。数多の試練を乗り越え、多様性を身につけた魂はこのように綺麗な色をしているのよ。それに引き換え、あなたの魂はというと……」
女神(仮)は掌を俺に向けた。俺の胸から、強く青い光が発する。
「一途さはあるけど、それだけね。なんと偏った魂なのでしょう。でも、あなたには見込みがあります。たとえ偏ってはいても、それだけ強い光の持ち主は珍しい。多くの人に影響を与えることが出来るでしょう」
「言ってることがよく分からん。お前が神であるという証拠にはならないな。だが同時に、神ではないという証拠も無い。お前は神かどうか、よく分からん存在。それが合理的な答えだ。ゆえに、女神(仮)と呼ばせてもらう」
「めんどくさっ! かわいくない人ですねえ……」
女神はため息をついて、さらに高く飛びあがった。
「まあいいわ。あなたももっと色々な経験を積めば、私を神だと認めることになるでしょう。早速生まれ変わってもらいますよ。あなたの嫌いな不条理を、たくさん味わうことでしょう」
「待て、女神(仮)。お前は俺に何をさせる気なんだ? 世界を救う? どうやって? 俺にそんな力などないぜ」
「力なら、授けます。チート能力というやつです」
随分と流行に詳しい女神だこと。
「私の世界ではスキルと言います。いわゆる超能力みたいなものですね。スキルが授かること自体大変稀ですが、あなたには特別に強力なスキルを授けましょう」
「スキルとやらは、どうやって使うんだ?」
「私を媒介として、神秘的な能力を行使できる力です。スキルを使いたい時は、必ず私を思い浮かべること。そして、私の真名を唱えれば、力はさらに倍加します。魔法を使う場合でも同じこと。わかりましたか?」
「そのスキルや魔法を使って、俺にどうしろと? 世界征服でもしろと言うのか?」
「悪を残さず滅ぼして欲しい。けれど、善は悪という概念があって初めて成り立つもの。だから……善も悪も、全てを無くして欲しいの」
「意味不明だな」
「ええ、そうよね。でも、私が言っていることが次第に解るはず。私の世界で生きていくうちに」
女神(仮)の言いなりになるのは癪だが、このまま死ぬのも惜しい。せっかくだから、そのチート能力とやらを使って好きに生きてみよう。
前世では為し得なかったが、俺がこの世に生きたという痕跡を、爪痕でもいいから残したい。しかし、その為には少しでも良い条件で生まれ変わりたいものだ。
「待て。お前が女神で、本当に俺を生まれ変わらせることが出来ると仮定しよう。俺はお前に三つの要求をする。一つ、上流階級に生まれること。上流階級の定義とは、財産、地位、教育に恵まれている環境を有することだ。財産の定義だがもちろん有価物とする。流通している貨幣に置き換えられないなら話にならん。地位の定義は、相対的に……」
「ええーい、うるさい! 定義オバケ! 生まれ変われー! ほれー」
「ちょっと待て! くそ女神(仮)~!!」
「そうそう。私の真名は『創光神』よ。他言無用でお願いね」
俺は空間に吸い込まれていった。女神はふ〜とため息をつく。
「まあ、あれ位でないと、私の世界は救えないわね。可愛げがないけど、そのうち、きっと私のことを信じざるを得なくなるわ。信心深くなるように、特別なスキルをあげましょう。あなたの性格からして、大っ嫌いなスキルだと思うけどね」
女神はいたずらっぽい微笑を浮かべて、水晶珠を覗き込んだ。そこには、優しそうな両親に抱かれる赤ん坊が映っていた。
「そして、その大っ嫌いなスキルで、大っ嫌いな私を、いつか殺しにきてね」
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