第五十九話 代行者ネェロ・ドラゴニス
こたえる必要はない――。
てっきりそう一蹴されると思っていた俺の考えは、見事に覆されることになる。
「……いいだろう。これ以上、余計な邪推をされるのは本意ではないからな――」
《天空の魔王》代行であり、かつての《天空の魔王》であった、ネェロ・ドラゴニスは、浮かべている苦々しげな表情とは裏腹に、俺の一歩も二歩も踏み込んだ質問に即座に頷いてみせた。
が、エリナだけは違った。
「待って! ネェロ――!」
「姫殿下の願いとは言え、その命に従う訳にはいきません。今のこの状況は、貴女にとっても不名誉なはずです。違いますか?」
「……っ!」
いつかと同じく、ネェロはエリナのことを『姫殿下』と呼んだ。
そして俺は、この後に語られる物語のおおよそを、すでに予測できていることを確信する。
元《天空の魔王》、ネェロ・ドラゴニスはひとつ溜息を吐き漏らし、ゆっくりと口を開いた。
「これから語る真実を、すでに《森羅の魔王》、フローラ=リリーブルームめは知っている。だが……他の《魔王》たちは知りもしない。せいぜいが、この俺が不名誉な代行者であり、かつては《天空の魔王》と呼ばれていた、そのつまらない、ありきたりの事実だけだ」
「なぜ隠しておった?」
「そうやって鼻息荒く喰ってかかられるのが鬱陶しかったからだよ、土塗れの爺さん。そもそも、貴様たちにはまるで縁のない話だからな――」
「じゃ――じゃあよぉ!? なんでこの婆は知ってやがるんだ!?」
「おいおい、口を慎めよ、たかがオーク風情が! 七つの昼と夜の間、決して消えることのない漆黒の業火で、その薄汚い身体丸ごと焼き尽くしてやろうか、豚め! ……エルフの連中がとんでもなく長命だってことくらい、その足りない頭でも理解しているはずだ。だろ?」
「ぐ……っ!」
この《七魔王》の中において、もっとも冷静沈着な存在こそが《天空の魔王》代行、ネェロ・ドラゴニスだという俺の判断は、まるで見当違いだったらしい。
ひとたび話すと決めたネェロはあまりに攻撃的で、口汚く、そして血に飢えているようにさえみえた。あのオークの首長、ン・ズ・ヘルグでさえ、二つ名である《憤怒》を不本意ながら引っ込めてしまったくらいだ。
それ以上、不平や不満が出てこない様子を見て、ネェロは不敵に口元を歪めてみせる。
「ははっ! 愉快だ! 俺も、黙っているのは性分じゃなくってな――」
そしてネェロは、壇上から俺をしっかりと見据えた。
「先程のお前の語った話――それには嘘偽りがないと、この俺は知っている。だがな? それがすべてじゃない。だからこそ、フローラ=リリーブルームは警告をした――この俺に向けて」
「……どういう意味ですか?」
「お前にはすでに分かっているはずだ。違うか?」
「……っ!」
これには俺も返す言葉が見つからなかった。
想像以上に頭の切れる男だ。
一瞬だけ、ネェロはエリナの方を見たが、そこで躊躇いを断ち切ったかのように口を開く。
「すでにお前は知ったはずだ、この俺こそが、今の《天空の魔王》以前にそう名乗っていたことを。そして、その俺がいまや代行者となったことを。ならば、お前は……どう読み解く?」
「え――!?」
俺もまた、一瞬だけエリナの方を見て、躊躇いを断ち切ってこたえた。
「あなたがその座を譲らざるを得なかった、強大な力を持った存在が現われた……そう見ます」
「おいおいおい……。もっと分かりやすく言え。ここには馬鹿も大勢いる」
その、当の『馬鹿』な連中は、ネェロの発した皮肉にも気づかなかったらしい。途端に傍聴席がざわめきはじめたが、ネェロの道化じみた、しいっ――! という仕草ひとつで沈黙する。
俺は――迷った。
が、こうこたえた。
「それまで最強の名を欲しいままにしていたあなたを倒した者が現われた、それが勇者だった」
「ご名答。見直したぞ」
ざわっ――!!
先程よりも大きな、そして、激しい驚きの感情の波が、たちまちアリーナ中に広がった。
ネェロは感心したように俺の姿をあらためて瞳に宿し、愉快そうに口元を緩めた。そして、また再びエリナの姿に目を向け――い、いや、違うのか?――たように俺だけには見えた。
気のせいだろうか。
その横顔は、喜びと、それと同等の哀しみを湛えているように見えたのだ。
その光景がまるで幻だったかのように、ネェロは一転厳しい表情を浮かべるとこう補足する。
「あの戦いのことは忘れもしない……。俺は油断していたのだ。たかが人間、たかが勇者なんぞにこの俺が負けるはずなぞない、と。しかし、俺はたしかに敗北した。完膚なきまでに。そこには、実際に手を合わせた者でなければ到底理解しがたい、完全なる力の差があったのだ」
「それは……一体……?」
「想い、だ」
「想い?」
ここに来て、俺の推理の及ばない話に至ったことに気づく。
ただ繰り返しただけの俺の言葉が、散り散りに宙に消えた頃合いで、ネェロはそっと告げる。
「誰かを愛しいと思い、その愛しい誰かを護ろうとする純粋な力の源だ」
「だったら――!!」
俺は、そして、ネェロは、はっとして声のした方へと視線を映した。
声の主は――そう、エリナだった。
「だったら……! どうしてママが死ぬ時、あの人は来なかったの!? おかしいじゃない!」
「仕方が……なかったのです」
「仕方ない――ですって!?」
力なくうなだれたネェロを鞭打つように、エリナは激しい言葉を再び振りかぶる。
「ママが……! その誰よりも護りたかったはずの、ママが……もうじき死んでしまうというのに……仕方がなかった、そのひと言で済ませてしまえるの……!? そんなのって……!!」
怒りに打ち震えるエリナは、今にも自分とネェロを隔てる高い壁を飛び越えてしまいそうだった。その怒りから、その殺意すら感じられる視線から逃げるように、かつて最強と呼ばれし人の姿を模したドラゴンは、ぎこちない仕草で顔を背けてしまった。
そして、そっと呟く。
「あの方には……母上より護りたい存在ができてしまったからです」
「誰よ!?」
「………………あなた、ですよ、エリナ・マギア」
長い、沈黙があった。
「……」
物言わず、脱力してその場に座り込んでしまったエリナの代わりに、ネェロは、物語の続きを語りはじめる。
「俺はな? この俺様は、我らドラゴン族を圧倒的な力と恐怖でねじ伏せ、意のままに従えてきた最強最悪の暴君だった。怒りと憎しみをはらんだ咆哮は曇天を裂き、恐怖と絶望を与えし黒炎は命尽き果てるまで相対する者の身を焼き尽くす。俺が右だと言えば誰もが右を向き、俺が捨てろと命じれば誰もが進んでその命を差し出した。だが……それでも平穏を願う者がいた」
「それは……まさか……!?」
「そうだ。エリナの母となる定めを負った光龍、エリナリーゼ=カリタス=ヅマィだ」
目を伏せ、天を仰ぎ見たネェロの表情は、あたかもその美しかった光龍の姿をまぶたに移しているかのように穏やかで、その口端にはかすかな微笑すら浮かんでいるようだった。
「エリナリーゼは美しく、そして、気高かった。同じ志を持つドラゴンたちの厚い信頼を受け、迷える力なき者たちのため自ら導き手となることを、叛乱の旗印となることを選んだのだ」
そしてネェロは、愛憎入り混じった激しい感情の波に一瞬囚われ、端正な顔を歪めた。
「そこに現れたのだ、あの方が。《はじまりの勇者》が」
「《はじまりの》って……最初に召喚された、ひとり目の勇者、ですか?」
「そうだ。彼の名は、リヒト。リヒト・ゴットフラム」
その名を耳にしたエリナが、びくり、と肩を震わせる。
俺は見なかったフリをして、ネェロに向けて頷いてみせた。
そして告げる――事実を。
「そして、その勇者こそがエリナの父親であり、今の《天空の魔王》なんですね――」
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