第四十八話 不穏な気配と暗躍する影
「あのさ……。お前にだけ、皆に内緒で、絶対に秘密で、言っておきたいことがあるんだ――」
「………………へ?」
なぜか、ぼんっ、と音まで聴こえるくらい唐突に、エリナは顔じゅうを真っ赤に染めた。そして、俺の真っ直ぐな視線と交差しないように、ふらふらあちこちへと視線を彷徨わせる。
「な――なに……よ、きゅ、急に改まっちゃって。怖いんです……ケド」
「茶化すなよ。こっちだって真剣で、余裕がないんだ」
「そ、そう、なんだ……ふーん」
唇を尖らせたエリナは、左肩にわずかに垂れ下がった青白い透き通った海の色をした髪の毛をいじいじと弄りはじめた。
なんだか良く分からないけれど、思い違いがあるような気がする。
「ほら……もっと近づいてくれ」
「!? そそそそんなこと言われても!」
「じれったいな。近づかないとできないだろ?」
「………………だって」
俺はエリナの両肩をがっちりと掴んだ。エリナは慌てて逃げようと抵抗したが、さらに力を込めるとやけにあっさり抵抗が消え失せた。ぽすっ、とエリナの身体が俺の胸の中に飛び込む。
「ご、強引なんだから、瑛は」
「……悪い。でも、こうしないと、さ? ………………ん?」
んちゅー!
さっきまで潤んだ瞳で俺を見つめていたかと思うと、目をきつく閉じ、エリナは必死に唇を突き出してきた。顔どころか首筋、鎖骨あたりまで真っ赤だし、流行り病のように震えている。
……酷く誤解されている気がする。
「……おい」
「んぅー! ………………まだ?」
「……おいって」
「わ――分かったわ! これ、とことん焦らす作戦ってことなのね! 《咎人》のくせに!」
「……おい、このアホ娘。妄想の世界から帰って来い」
「………………はい?」
それでもエリナの表情は、まだ希望と期待を秘めのぼせ上ったように紅潮していた。エリナは自分がとんでもない勘違いをしているとは気づいていないらしい。なので、きっぱりと言う。
「俺はな? エリナだけに話したいことがある、って言ってるだけだぞ?」
「わわわ分かってるわよ! だーかーらー、あたしに遂に愛の告白を――」
「どうしてそうなる」
「……え?」
「え、じゃねえよぉおおおおお!」
俺は頭を抱えた。
急にどうしたんだ、こいつの脳内回路は。
俺は、まだいくぶん、ぽーっ、とうわの空でふわついたエリナの身体を引き剥がした。
「俺・は・! 超極秘の内緒話をしたいの! それだけだ! この事務所の中に、この審問会を邪魔しようとしている奴が潜んでいる、そう思ったからだ! 何を勘違いしてんだよっ!!」
ぽーっ、が。
かーっ、になった。
そして、全身に震えが走り、さっきまでキス待ち顔をしていた顔は羞恥のあまり赤みを増して、ぎゅっと拳が握りしめられる。その時、俺は悟ったのだ。今、エリナに必要なのは――。
「よし! 来い!」
――すぱぱぱ!
――すぱぁん!
「ぐっ……落ち……着いたか……?」
「……ふーっ………………うん」
ひと呼吸で五連蹴りかよ。
しかも右足一本だけで。お前は格ゲーの強キャラか。
だいぶマシになった顔付きのエリナは、言い訳のように荒い息の合間を縫ってこう告げた。
「こ、これは絶っ対に! あの巨乳地味眼鏡サキュバスの、さ、《催淫》スキルのせいよっ!」
「……はぁ?」
「だって!」
エリナは急に、ぶるり、と身を震わせると、さっきまでの自分の行いを嫌悪するかのように、目を剥いて怒りの感情をあらわにした。
「だって、おかしいと思わないの!? ななななんであたしが! このエリナ・マギアともあろう者が! たかが人間の、それも《咎人》のあんたにうっとりしないといけないのよ!?」
「……偏見と人種差別」
「そ・れ・に・! あたしは公正な立場であるはずの、弁護人なのよ!? そ、そりゃあ、依頼人のために全力は尽くすけども! だからって、間違ってもあんたみたいな――みたいな!」
「言いすぎだろ……」
「そ、そりゃあね? 優しいところもあるし? 意外と頭もいいし? 顔だってそこまで悪くないわよ――オークと比べたら!」
「オークと比べたらマシ、って、それ、褒め言葉なのか?」
「けど……けどっ! 絶っ対にこんなの、あり得ない!!」
「まあ……だよな」
俺はまだ痛む尻を擦りながら、いつもの調子を取り戻しつつある、エリナの言葉を肯定した。
「尻を蹴られるのはアレだけど、エリナは超の付く美人だし、俺なんかとは住む世界が違うもんな。あいつに姫殿下、って呼ばれてたくらいだし、本当はお嬢様なんだろ? 尻は蹴るけど」
「あ……そ、それは……」
「あ! 大丈夫だって! 誰かに言ったりはしてないからさ。約束だもんな」
「そ、そうじゃなくて――あ、あの……」
「なんだよ、信用しろって。俺は口が堅い、ってあっちの世界でも折り紙付きだったんだぜ? ま、普段の交友関係が少なかったから、言いたくても言う相手がいなかっただけだけどな」
「……っ」
なぜだかエリナは俯き、暗い顔をしている。
励ますにしても、もっといい言葉を選べば良かった、と俺は後悔していた。
これだから、俺って奴は駄目なんだよなぁ。まったく。
「で……さ?」
重々しい空気が嫌で、俺はさっき言いかけた話題に戻すことにした。
「そ、相談したかったのはだな……? 俺は、この事務所の中に審問会を邪魔しようとしている奴が潜んでいる、と感じたってことなんだ。具体的に『誰なのか』は分からないけれどな」
エリナは目を閉じ――。
深く息を吸って吐いてから、静かに尋ねる。
「それって……スパイ、ってこと?」
「うーん……たぶん、ちょっと意味が違う気がするんだ。スパイってことは、エルヴァールの息のかかった奴、ってことだろ? そうじゃなくって……うーん、何かうまく言えないけど」
「まさか……《七魔王》に繋がっている人がいるって言いたいの?」
「その可能性は、充分あると思ってるよ」
「狙いは?」
「俺を有罪にすること。可能であれば、死刑にすること、かな?」
「どうして!?」
「そこが読めないんだよなぁ……」
俺がこの審問会で、最初から気になっていたのは、エルヴァールの言動だった。
《黄金色の裁き》魔法律事務所の若きエース、エルヴァール=グッドフェローが、どれほどの実力の持ち主で、どれだけ糾弾に長けているのかについて、俺はほとんど知らない。だが、それにしてもお粗末すぎるという気がしていたのだ。そして、妙なところで賢しくもある。
具体的に言うと、ひとつ目の糾弾『コボルド殺し』に関しては、俺を有罪に追い込むための材料があまりに少なく、頼りなかったことが挙げられるだろう。どれが凶器なのか、どの傷口がそれを証明するのかなどといった普通に考えれば順当なやりとりなぞひとつもなく、あの偽者の未亡人の訴えを真に受けて、その証言のみでどうにかしようとしたフシがある。
だが、逆に策士な一面として、被害者および証人を『コボルド』にしたことで、この世界ではまだ微妙でデリケートな問題とされる『精霊は正市民と言えるのか』を審問会に持ち込み、論じる選択肢を狭めて反論そのものを困難にした。
今回の『ユスス・タロッティア五世暗殺未遂』に関しても似たようなことが言えるだろう。
詳しい疑問点や指摘箇所は、次回の『弁護の日』の進み方次第で明らかになるだろうが、やはり薄弱で脆い部分と、容易に踏み込めないデリケートな問題がつきまとうのだった。
(裏で手を引いているのは、一体誰なんだ……? まさか、とは思うけれど――)
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