第三十一話 コボルディッシュ
「コボルディッシュを習得することは可能か、だと?」
「はい」
次の日、オフィスに出社――俺は社員でも所員でもないんだけれど――した俺は、事務所に入るなり吸血鬼のハールマン副所長のいるうす暗い資料室へ突撃して、開口一番尋ねた。
が、ハールマンさんは迷惑そうに渋い表情を浮かべて、首を何度も左右に振った。
「奴らの言語を理解することができるかどうかと言えば、おそらくできるだろう。だが、君が知りたいのは、次のルゥナの日までに習得できるかどうかだろう? それはさすがに無謀だ」
「ですよね……」
「それに、な?」
ハールマンさんは資料室の内側にかけられたブラインドシャッターを指先でこじ開け、所員たちが集まりはじめた事務所の中を眺めながら続けた。
「そもそも尋ね先を間違えているぞ、勇者A。俺は――いいや、俺たちは異言語には疎いんだ。なにせ吸血鬼だからな、俺から一方的に命じることはあっても、眷属たちの言語を覚えて話すだなんて発想や習慣がまるでない」
「な、なるほど」
「同じ聞くにしても、もっとマシな奴を選びたまえ。たとえば、だ……」
ハールマンさんはそこでセリフをしばらく宙に漂わせたままその人物を探していたようだったが、結局見つからなかったらしい。しゃっ、とブラインドを閉じ、俺の方へと向き直った。
「……今は出かけているようだが、カネラの方がはるかに適任だろう。あいつはサテュロスだからな、獣人と精霊の、両方の特性を持っている。それに、耳もいい」
「獣人ってだけでもアリなんですか?」
「ああ。獣人は昔から他種族との交流が多いからな。多言語を操れる者が多いんだ」
と、そこでハールマンさんは俺の質問の意図を読んだらしい。苦笑を浮かべた。
「……っと、いやいや、もしフーチーのことを考えているのならやめておけ。あいつが得意なのは……肉体言語の方だからな」
「あ、あははは……たしかに」
あのヤンキー熱血俺っ子お姉さんなら、四の五の言う前に拳でカタをつけるんだろう。
「頼るのなら、ラピスがいいだろう。あいつの知識量は、この事務所内でも相当なものだ。ただし、あいつ自身は極めて保守派で頭が固い。実際に行動する時にはアテにはならないからな」
「はい、ありがとうございます」
「では、そろそろ俺はひと眠りする。ドアはしっかり閉めておいてくれ――」
そう言ってハールマンさんはデスクの上に足を投げ出し、黒い帽子の鍔を引き下げて安楽椅子に埋もれるように身を預けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あ、あの……ちょっとだけ、お時間よろしいでしょうか?」
資料室を出た俺は、早速ラピスさんのデスクへ近づいておそるおそる尋ねた。ラピスさんは目の前の大量な資料の山の一番上に、読みかけの資料を置き、俺の方へ向き直る。
「よろしくてよ、勇者A。ただし……わたくし、次の審問会に向けての準備がありますの。あなたに許される時間は……五分。いいですわね?」
「は、はい!」
悪魔リリスであるラピス・タルムードさんを目の前にすると、高校で一番苦手だったオールド――いやいやいや! ハイミスの数学教師を思い出してしまって、ついつい背筋が伸びてしまう。ちゃきり、とアンダーリムの眼鏡の位置を直しながら俺を見つめる姿に緊張しつつ言う。
「ええと……ラピスさんは、コボルディッシュについてどの程度お詳しいのでしょうか!」
「……そこまで堅苦しい態度で接していただく必要はないのだけれど――」
スーツの右肩にとまる、フクロウの翼を模したブローチに触れながらラピスさんは続けた。
「詳しいのか、という質問の意図が読めませんけれど、ええ、ある程度は他の所員より詳しいのでしょうね。彼らの言語は比較的単純な音で構成されていますの。ご存知だったかしら?」
「い、いえ……し、知りませんでした……」
「一方で、まともな文字体系はありません」
若干話題が、知りたかった内容とはズレている気もするのだが、それを言い出す勇気がなかなか出てこない。もどかしい気持ちでラピスさんの言葉に耳を傾ける俺である。
「……ですので、彼らについての、彼ら自身の手による資料は一切存在していませんわ。口伝で受け継がれ、残されているものを、ごく一部の研究者が資料化した物があるのみです」
「は、はぁ」
「……っ」
そこでラピスさんは、目を閉じ、ため息をつく。
それから俺を睨みつけるようにしてこう告げた。
「……いいですこと、勇者A? お聞きになりたいことは、そういう内容のことではないのでしょう? そうやっていらぬ気をつかわれて、居心地悪そうにされたら傷つきますわよ?」
「す――すみません! 図星です!」
「ふふっ」
俺のリアクションがあまりに直球すぎたのか、ラピスさんは怒りもせず、むしろ笑みを溢してふんわりと表情を和らげた。はじめて見たその穏やかな笑顔はとてもチャーミングだった。
「わたくしね? こういう話しぶりでしょう? いつも誤解をされてしまいますの」
「えっと……」
「勇者A? もっと砕けた会話でよろしくてよ? お聞きになりたいことを、ほら、どうぞ?」
「は、はい!」
まだガチガチな印象の残る返事に、お道化た仕草で顔をしかめるラピスさんを見て、俺は唾を呑みこんでから意を決して口を開いた。
「俺、コボルディッシュを習得する方法を知りたいんです。次の審問会できっと役に立つから」
「ふふふ。とりあえずは及第点をあげますわね」
ラピスさんは笑い、表情を引き締めてこたえる。
「……けれど、その発想はあまりよろしくなくてよ? あなたが異世界召喚の対価として得た|《贈り物》が、言語系に特化したものであるならば別ですけれど。いかがかしら?」
「違いますね。残念ながら」
そう応じながらも、俺自身が持つ『授けられしチカラ』がなんなのかすっかり忘れてしまっていることに気づく。ええと……たしかベリストンさんが言ってたんだけどな……うーん。
難しい顔をしている俺に、ラピスさんはこうアドバイスをする。
「むしろそうなさるより、コボルディッシュを習得済みの通訳を探した方がよろしいかと存じますわ。それも……審問会であなたを助けてくれる確証の持てる、信頼できる味方を、ね?」
「なるほど……!」
たしかにそうだ。
しかし、どうやって探せば――。
そこでラピスさんはこう言った。
「実は、わたくしにはアテがありますの。ただし……味方になってくれるかどうかは、勇者A、あなた次第ですわよ?」
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