第十話 叔父、バルトル
「エ――エリナっ! 待って……待ってくれっ!」
取り返しのつかないことをしてしまった――。
いくら鈍感な俺だって、それくらいは分かった。
エリナが、彼女が俺の弁護人だとかどうとか、そういう問題はこの際どうでもよかった。彼女の尽力無しでは審問会とやらで無罪を勝ち取ることはできなくなる、そんな事だってもうどうだって――ああ、糞っ。
一人の女の子のココロをどうしようもなく傷つけてしまった。
ただそれだけだ。
「お願いだから止まってくれ! エリナ!」
「……っ!」
元々運動が得意なワケじゃない。それに加えて首と両手首に嵌められた鉄枷と鎖はあまりに重く、あまりに邪魔すぎてふたりの差は広がる一方だった。早くも息も絶え絶えで俺の喉はひりひりと痛むし、脇腹が痙攣して踏み出すたびに電気が走ったように痺れていた。
おまけに今の時刻は夕方の帰宅ラッシュ。
道は人通りが多くて、この世界に不慣れな俺にはすべてがマイナス材料ばっかりで――。
「くっそぉおおおおお! 俺だって言い訳ばっかじゃねえかよっ!」
すべてを振り捨てて、ぐん、と速度を上げる。
あと少し。
あと少しで――。
一軒の木造の建物の前で速度をゆるめたエリナの背中がみるみる近づく。そこに向けて、最後のなけなしの気力を振り絞って手を伸ばした次の瞬間、
「エリ――!」
ばたん――! 目の前で無情にも閉じる木扉。そして、横合いから割って入ってきた人影に胸倉を掴み上げられ俺のカラダは宙を舞った――どすん!
「う……ご……っ!?」
「……どういうつもりだ? なぜエリナは泣いている? 答え次第では、貴様の命は無い」
徐々に暗転していくオレンジ色の視界に映っていたのは、けわしく表情をゆがめた男の姿だった。
――夕焼けに輝く長く青白い髪。同じ輝きを帯びた長い睫毛。細められた意思の強そうな切れ長の瞳。引き締まった筋肉質の身体。そして、耳元から生え出ている羽根飾りのような小さな翼。
(あ……れ……? どこかエリナに似ているような……)
そこまでを思考したあと、とっくに限界点を越していた俺の意識はぷっつりと途切れてしまった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目を開く。
どこだここ?
ヒノキのような独特の香りが鼻をくすぐった。少なくともあの忌々しい牢獄でも城でもないようだ。居心地は――最悪。板張りの硬い床の感触は、背中にまだ残る痛みを嫌でも思い出させてくれた。
この世界の住人は、異世界人に出会ったら必ず投げ飛ばさないと気が済まないのか?
「いっ……つつ……」
ずきずきする痛みと格闘しながら苦心してカラダを起こすと、すぐ横に二本の足が見えた。太さといい靴のサイズといい広めのスタンスといい、エリナではないことだけはピンときた。
「……起きたか、人間」
「あ、あんた……さっきの……!」
「一応手当てはしてやった。感謝するがいい。殺さず手加減してやったことにもな」
横柄な物言いにはかなり腹が立ったが、しかめられた柳眉と鋭く細められた目元に浮かぶ物憂げな表情を見る限り、少しは済まないと思ってくれているらしい。
「あの……」
俺は言い出しかけた言葉を渋々飲み下してから、はぁ、と溜息を吐きつつ尋ねた。
「ええと……エリナはどこにいるんですか? いるんですよね、ここに?」
「ああ、いるとも。だが、今はお前に会わせるワケにはいかない。断じて。一体何を言った?」
「それは――」
こたえようとした言葉は舌先で溶けて消えた。
あとに残ったのは苦い味だけだった。
「……後悔しています。あんなこと言うべきじゃなかったんだ。謝りたいんです、エリナに」
「言葉の刃はたやすく相手を傷つける。そしてその傷は噛み傷よりはるかに治りが遅い――龍族に古くから伝わることわざだ。お前がちっぽけな人間族風情だとしても、理解はできるな?」
「………………はい」
龍族の男は掛けていた椅子から立ち上がると背を向け、わずかに立ち止まって告げた。
「俺の名はバルトル。エリナの叔父だ。ここは俺の自由にできる部屋のひとつ――まあ納戸だが、勇者であり《咎人》である人間のお前には十分だろう。普段は使っていないから好きに使え。飯は持ってきてやる。口に合うかどうかは知ったことじゃないがな。あと……いいか、ひとつだけ誓え」
逃げるな、そう言うだろうと思っていたが違った。
バルトルは振り返り、最後に告げる。
「二度とエリナを哀しませるな。それだけは許さん。断じて。もし誓いを破れば、俺は最大限の苦しみと痛みをもってお前を必ず冥府まで送り届けてやる。理解できたらひとつだけうなずけ」
俺は迷わずうなずいた。
バルトルはそれを見届けると、もう何も言わずに部屋を出て行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……」
雑多に物が置かれた狭い部屋の中で一人、俺は改めて自分の置かれている状況について整理をしてみることにした。正直に言えば、窓もないこの部屋で鬱々と取り留めもない考えを巡らせていると、つい、エリナのことが浮かんで気持ちが沈んでしまう、それが嫌だったからでもある。
まずは、人間族が魔族に敗北したということ。
ただその事実は、それだけを単体で見た限り、大きな問題にはなっていない気がする。
街で他の人間族らしき連中を見かけたが、とりわけ誰も彼も差別も区別もされていなかったように思えたからだった。つまりそれは、『魔族イコール悪』ではないということにもつながる。種を根絶やしにするようなこともなく、家畜や奴隷のように扱うでもない。ただつまらない争いが一つ終わっただけ。そういうことのように感じられたからだった。
次のこれは少しばかり問題がある。
それは、勇者である俺は『戦犯扱い』だということ。
俺は何も好き好んで勇者になったワケじゃない。半ば強引なやり口でハメられた、そう言ってもいいと思う。けれど、そんな幼稚な理屈が通じるものか、まるで見当がつかなかった。ただ、彼ら魔族に対して敵対的な行動を一切取っていないか、と問われると、言葉につまるのも事実だ。実際に俺は、あの《始まりの祠》で一部の魔物と相対し、戦って――殺している。
だが、それには俺側の事情もあったのだ。
死にたくない、その一心だ。
勝手な都合かもしれないけれど、あの《祠》に隠された《勇者の証》を探し出さなければいけないという使命があった。そうしなければきっと、外で帰還を待っていた兵士たちは俺を外へ出してはくれなかっただろう。それがあの横柄で身勝手な王様の勅命だったのだから。
「王様――確か、ユスス・タロッティア五世とか言ったっけ」
あの老王はもう死んでしまったのだろうか。なにせ数多の勇者召喚の儀式を行い、魔族の侵攻に対抗しようとした人物だ。もし仮に生きたまま捕らえられたとしても、その罪は最も重いのだろう。
あんなヤツ、これっぽっちも同情する気にはなれなかったけれど、少なくとも俺に無理な注文と命令を下した証人としての価値くらいはあったかもしれない。そう考えると、死んでいたら困り物だ。
「いやいやいやいや……」
ふるふると首を振り、嫌な想像を頭の中から追い払って次のことを考えることにした。
それは、俺がじきに『裁判』にかけられるであろうこと。
正確に言えば、それが俺が学校の授業などで聞きかじった『裁判』と同じものを意味するのかはまだわかっていない。イェゴール所長やエリナから断片的に聞いた内容から推測すると、検察に相当するのが『糾弾人』ってことらしい。今回はあの厭味ったらしいエルヴァールとかいうイケメンがその役だ。何でも業界一位の、魔法律? 事務所所属の若手エリートだと聞く。
対するのが『弁護人』であるエリナ。
こちらは業界最下位事務所に属する雑用兼見習いである。
実に頼り甲斐があって泣けてくる。
しかも、目下被告人との相性は最悪で絶交状態。まともな会話すらできないし、そもそも弁護人を引き受けたエリナ自身がはなっから負けるつもりであきらめてしまっている。
彼女の叔父と称するバルトル曰く『同じ屋根の下にはいる』ようだが……。
「うーん……まいったな、これ」
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