8話 『現実逃避はお得意で』
「よいしょっと!」
階段を一段一段降りるのを一々面倒臭いと感じた渚は、残りの数段の段差を華麗にジャンプして降りる。
ちなみに数段と言うのは、正確に言えば二段だ。
それ以上の段差から跳ぶような真似は、流石の渚でも怖気付いて出来ない。これが限界だ。
「ふっ」
地面に足が着いたと同時に、渚は後ろにいる紗月に向けて、ドヤ顔を魅せつつ、渾身の決めポーズを披露する。
嘸かし、紗月は良い反応を見せてくれるだろう。
渚はそういった魂胆で、期待に胸を踊らせながら後ろを振り向いた。だが───、
「へ?」
「───え?どうしたの?」
渚の素晴らしい動きを見せ付けるはずだった紗月は、鞄を前に持ってきて、視線を落として中身を漁っていたのだ。
当然、鞄に視線を向けていたので、紗月は渚の事など見ているはずもない。
「ね、ねぇ、今の見てたよね?ね?」
それでも、渚は小さな望みに賭け、縋り付くかのようにして、紗月にそんな問い掛けを投げる。
だが、現実は決してそうは甘くない。問い掛けを受けた紗月は、「え、あ」と困惑した様子を見せたあと、小さく首を振って、
「いや、ごめん。鞄の中見てたから、見てないかな」
「ガーン」
と、分かりやす過ぎる渚の落胆具合に、紗月は更に困惑を極めた。が、その失望は直ぐに払拭される。何故なら───、
「あぁ、新刊が見えたぞー!よっしゃぁ!気合い入れて行くぞぉぉぉ!」
落胆して顔を俯かせていた渚の視界に映ったのは、台の上にズラリと並べられている新刊の数々だった。
そう、続いて渚たちがやって来たのは、ゲーマーズ三階の書籍コーナーだ。
漫画、ライトノベルが大量に並べられており、オタクにとっては言わずと知れた、正に天国と言っても相応しい場所である。
早速、渚は新刊が並べられている場所に向けて猛ダッシュ。近くにいた店員に白い目で見られているが、今の渚は全く周りの状況が見えていなかった。
渚は目を煌びやかにしながら、次々と新刊を手に取っていく。
その尋常じゃない速さの手捌きは、オタクを極めし者しか得られない賜物である。
渚は新刊を数巻手に取ると、表紙に描かれた可愛いイラストを見て、思わず目をうっとりさせる。
「うわぁ、凄い可愛いな…」
「ほんとだ。すっごく可愛い。これ表紙表にして本棚に飾っておこ」
後からやってきた紗月も、表紙に目を奪われながらそう言って、イラストの可愛さに賛同する。
漫画やライトノベルにとって、表紙というのは特に重要なものだ。
本の表紙は人の顔と同じもので、一目見ただけで惚れることもある。
現に、渚は本の表紙の美しさに惚れて、今までに何度も表紙買いをしてきている。興味のない分野でも、表紙が良ければ買ってしまう。
そして、その本を読むことにより、やがて興味のない分野にも興味を持って、段々とオタクの沼にへとハマっていく。
それが表紙買いの良さであり、逆に言えば恐ろしさでもある。
興味のある分野が増えてしまえば、その分の支出が増えてしまうわけだ。
あぁ、なんでこんなにも世界は残酷なんだろうか。
「世界は残酷だー!それでも、君を愛すよ!何を犠牲にしてもー!それでも、君を守るよ!」
この本は渚の物だ。だから、決して本を汚されてはならない。渚が大切に守ってあげなければならない。
そんな使命感に駆られた渚は、手に取った新刊を優しく抱擁したあと、キョロキョロと周囲を見回した。
そして、渚はある物を発見すると、その場所にへと駆け足で向かった。
「あったあった。やっぱりこれは絶対に欠かせないねぇ」
渚が手に取ったのは、透明なブックカバーだった。
ブックカバーは必需品だ。が、普通の物ではなく、透明なブックカバーだ。
綺麗な本に汚れが付くのを防ぐために付けるのだが、表紙に描かれた可愛いキャラを拝めなくなるのは、流石に耐え難い。
故に、渚は必ず透明の物を買うようにしている。
「最近、数がだいぶん減ってきちゃってるんだよねぇ。だから買い足して置かないと」
「確かに、一応百枚入ってるけど…結構直ぐに無くなっちゃう気がする」
表紙買いや大人買いを続けて入れば、自然と本が山積みになってしまう。
その度に渚は店に足を運んで、ブックカバーを購入しているが、財布の中身が地味に減るのが痛いところだ。
その点については、大切な本を守るためだと割り切っている。
「なんか他にいいやつあるかなぁ…」
「探そ探そ」
そう言いながら、渚たちは店の奥へと進んでいくと、周囲を煌びやかな目で眺めていた。
周囲は色鮮やかな本で囲まれており、本棚の隅々まで大量の本がびっしりと埋め尽くされている。
こうして本を眺めていると、凄く心が落ち着いていくような感覚がする。まるで実家にいるような感覚。否───、
「ここが、我が実家」
「いや、確かに気持ちはちょっと分かるけど…違うよ?」
渚は周囲を見ながらそう呟くと、少しばかり共感を覚えつつも、紗月はそう言って否定する。
案の定、そんな紗月の声を華麗に無視して、渚は本棚に並べられている本を次々と見漁っていく。
「なんかいいのないかなぁ」
新たな本を見つける上で、大切なのは本の表紙とタイトルだ。
先述した通り、本の表紙は非常に大切であるが、その次に大切、もしくはそれと同様に大切なのは本のタイトルだ。
表紙買いと同じく、タイトルに惹かれて購入した本も少なくない。
例えば、『探偵はもう、死んでいる』はタイトルを見た際、名前の意味は全く分からなかっが、何故か惹かれるものがあり、直ぐに本を手に取り、作品の情報を隈無く調べた覚えがある。
このように、タイトルは人を惹きつけ、目を奪わせる能力がある。
故に、本のタイトルは非常に重要なものであるのだ。
今話題の漫画作品『推しの子』のタイトルが、仮に渚が即興で考えた『アイドルの子供に転生しちゃいました。えへへ』と言う、クソみたいなタイトルであったら、どちらの方が良いタイトルかと言ったら、殆どの人が先述した方を、良いとタイトルだと認識するだろう。
勿論、感性は人それぞれなので、一概にそれとは言えないが、少なくとも渚はそう感じる。
本のタイトルは長すぎても良くない。逆に短すぎても良くない。簡単で覚えやすくしなければならない。消費者に印象を持たれるものでなければならない。
そうでないと、誰も興味を示してはくれないのだ。
そう言った意味でも『推しの子』と言うタイトルは、簡単で、語呂がよく、一目見ただけでとても印象に残るものなので、非常に良いタイトルだと思っている。
内容も良いものであるため、あんなに売れたのにも十分納得が出来る。
と、本棚を眺めていた渚の視界に、とある本が目に付く。渚はその場に座り込むと、目に付いた本を興味深げに手に取った。
「お、これ初めて見たけど、表紙もタイトルもなんかいいな」
「確かに、あんまり言葉には言い表せれないけど、なんか好きだな」
「どうしよっかな、今三巻だけ出てるみたいだけど…どうしよ。少ないから全部買っちゃってもいいんだけどな」
「ちゃんと後先の事考えておかないといけないよ?出なきゃ、さっきの四万円のタペストリー買った時の二の舞になっちゃうよ?」
「ぐぁぁ…き、貴様…嫌な事思い出させてくれるな」
先ほど、ラジオ会館に行った際に購入した物が入っている袋を覗きながら、 そう意地悪げに口出ししてくる紗月に、思わず渚は呻き声を漏らした。
そんな渚の様子を見て、紗月は「ふふ」と含み笑いをするのに対し、渚は現実の苦しみから逃げるべく、袋からタペストリーを手に取ると、それを眺めて必死に気持ちを落ち着かせようとする。
「──────」
そんな奇行に走った渚を、紗月は引き攣った顔をしながら見ていた。
しばらく経って、渚の気持ちが落ち着いてくると、タペストリーを袋にしまい、再度本を手に取った。
そして、本の裏側に書かれている値段をチラりと見ると───、
「どうしよっかな。見た感じこれなんか面白そうだし、全部買っちゃってもいいんだけどな。けど、後のこと考えるとなぁ…」
「じゃあ、一巻だけ買えばいいんじゃない?それで面白かったらまた今度買えばいいんだし」
「はっ!?確かに、その手があったか!」
「私はこれよくやってるよ。興味あるやつはとりあえず一巻だけ買って、それが面白かったらその後一気買いしちゃうかな。まぁ、お金があればの話だけど」
「だぁがぁぁらぁぁ………お金があればとか嫌な事思い出させてぐるなぁぁぁ」
「───あ、あ…ご、ごめんね」
紗月の最後の一言が、渚の心臓に直接爪を立ててくる。
再度現実の苦しみを突き付けられ、胸を押さえて苦しみ悶える渚に、紗月は苦笑いしながら小さく謝罪。
そしてまた、渚は袋からタペストリーを手に取ると、それを眺めて気分を落ち着かせる。今の渚にとって、タペストリーは言わば精神安定剤のようなものだ。
そこに描かれている可愛いキャラたちの姿を見て、可愛さ成分を吸収する。
枯渇しきった心の器が満たされていくような感覚がして、渚は途方もない幸せを全身に感じていた。
「──────」
紗月が引き攣った顔をしているのは説明せずとも、ある程度察しがつくだろう。
しばらく時間が経つと、段々と渚の顔に元気が戻ってくる。
そんな様子を見て、紗月は安堵したような笑顔を見せた。
「よし、とりあえずこれ一巻だけ買うとして……紗月はもう大丈夫?」
「えっ…あ、うん。私はこれだけでいいかな。他にもいっぱい行きたい場所あるから、ちょっとでもお金残しておこうかなって」
「そっか、ならどうする?もう行く?」
「うん、行こっか」
そんな紗月の返事を受け、二人はレジで会計を済ませると、名残惜しい気持ちを感じながらも、三階を後にした。




