ドSの恋人が性格の反転する薬を飲んだ結果、めちゃくちゃ甘えてきた
俺・楠木竜樹の恋人は、少し特殊な女の子だ。
特殊と言っても、どこぞの漫画キャラのようにスーパーパワーがあるわけじゃない。並外れた推理力を有しているのわけでもない。
日常生活を送る上では、至極普通の女の子。しかし、俺の彼女――南野楓は、少々サディスティックすぎる部分があるのだ。
楓のドS伝説は、同級生ならば誰もが知っている。
例えば生まれて初めて口にした単語が、「パパ」でも「ママ」でもなく「ピンヒール」らしいとか。例えば世界罵詈雑言大会で初代チャンピオンになったとか(どちらもあくまで噂であり、信憑性はこれっぽっちもない)。
そんな楓と付き合っているわけだから、俺は皆から決まって言われることがある。「えっ、お前ってMなの?」と。
沽券の為に言っておくが、俺は断じてMではない。好きになった人が、たまたまドSだっただけだ。
ドSの楓ではあるけれど、その本質はとても心優しい女の子だ。
不良からカツアゲされていたところを、危険を顧みず救ってくれたその姿に、俺は一目惚れしたのだ。
常に凛としていて、隙なんてこれっぽっちも見せない。
そんな楓が……今日に限っては、顔色を悪くしていた。
「うーっ」と呻きながら、楓は腹部をさする。
あまりに体調が悪そうなので、俺は彼女が心配になった。
「……生理か?」
「ただの胃痛よ。バカ死ねカス」
デリケートなことを直接尋ねた俺も悪かったけど、最後の三単語要らなくない? 体調が悪くても、罵倒は平常運転である。
しかしどうやら胃痛はこちらの思っている以上に酷いらしく、楓は再度「うーっ」とうめき始めた。
「保健室に行った方が良いんじゃないか?」
「……一人じゃ行けない」
はいはい。保健室まで連れてけってことね。
俺は楓の体を支えながら、彼女を保健室まで連れて行った。
保健室には、養護教諭以外誰もいなかった。
「あら、楠木くんじゃありませんか。どこか悪いんですか? 頭?」
この養護教諭も、なかなかのサディストである。それ故に生徒の中には、熱烈なファンがいるだとか。
「俺じゃないですよ。楓が、腹痛いって言ってるんです」
「確かに、南野さんにしては顔色が優れないですね。……取り敢えず、ベッドを使って下さい」
言われた通り、俺は楓をベッドに座らせた。
「先生、胃薬くれませんか?」
「良いですよ。そこの棚に置いてあるから、勝手に使って下さい」
勝手に使えだなんて、テキトーだな。
そう思いながらも、俺は養護教諭の指差した棚をあさる。
棚には似たような瓶がいくつも置かれていて、瓶の中にはこれまた似たような錠剤がいくつも入っていた。
ラベルがあるわけではないので、どれが胃薬なのかわからない。
……仕方ない。一個一個確認していくとするか。
俺は右端に置かれている瓶を手に取った。
「胃薬って、これですか?」
「いいえ。それは風邪薬です」
「これですか?」
「それは酔い止めです」
「じゃあ、これ?」
「それは性格が反転する薬です」
「そうですか……って、何だって!?」
何気なく聞き流したけれど、今とんでもない代物が出てこなかったか!?
「何ですか、その性格が反転する薬って!?」
「その言葉通りですよ。飲んだ人の性格を正反対にする薬です」
さも市販の風邪薬みたいなニュアンスで言っているけど、それって凄い薬なんじゃないのか?
「今は性格反転薬なんて、どうでも良いんじゃないですか? 必要なのは、胃薬でしょう? 胃薬はその隣です」
「あっ、あぁ」
養護教諭の言う通り、今必要としているのは胃薬だ。
性格反転薬なんて大発明かもしれないけど、根掘り葉掘り聞くのは後回しだ。
俺は性格反転薬の隣の瓶から錠剤を一粒取り出すと、楓に手渡した。
「ありがと」
楓が胃薬を飲んだ、その直後だった。
「……あっ!」
養護教諭が、不吉な声を上げる。
おい、今の「あっ!」って何だ!?
「先生?」
「……胃薬と性格反転薬、逆でした」
……逆? それってつまり、今俺が手に取った錠剤が性格反転薬で、隣の瓶に入っているのが胃薬ってこと?
楓が飲んだのは、性格反転薬ってこと?
「先生、どうすんだよ!?」
「落ち着いて下さい! 体に害はありません! ただ性格が逆になるだけで!」
それってかなりの大問題じゃないかな!?
取り敢えず本物の胃薬を飲ませたは良いものの、しかしながら性格反転薬の効果が打ち消されるわけではなくて。
胃薬(或いは性格反転薬)の副作用で眠りについた楓。果たして目覚めた時、彼女はどうなっているのだろうか?
◇
放課後。俺が保健室に行くと、既に楓は目を覚ましていた。
俺と楓の視線が合う。次の瞬間だった。
「竜樹きゅーん!」
普段より数段高い声を出しながら、楓は俺に抱き着いてきた。
最初に思ったのには、「誰だよ、こいつ?」。
しかしすぐに、これは性格の反転した俺の彼女だと理解する。
……おいおい。薬の効果、ばっちり表れちゃってんじゃないの。
俺は養護教諭をジト目で見た。
「先生……」
「大丈夫! 一晩経てば、薬の効果は切れますから! 多分!」
多分じゃねーよ! そこは責任持って、「薬の効果は一晩で切れる」と言い切れ!
一方楓はというと、抱き着いたまま俺の胸に頬擦りをする。
いつもの楓からは、考えられないくらいの甘え方だ。
養護教諭が言うに、性格の反転には個人差があるらしい。例えば元々大人しすぎる人間が性格反転薬を飲んだら、路上で突然一発ギャグをし始める程大胆になる。
楓の元の性格は、超が付くほどのドSだ。だから性格の反転した今の彼女は、超が付くほど俺に甘えるようになる。
試しに頭を撫でてみると、楓はさながら猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。その姿は、なんとも言えないくらい可愛くて。
……ヤバい。甘えてくる楓、癖になりそう。
いつもの言動とはあまりにかけ離れている楓を前にして、俺の中でついある欲望が生まれてしまった。
楓に、「好き」と言わせてみたい。
楓が俺を大切に思ってくれているのはわかっているけど、それでも無性に言葉にして欲しい時があって。ドSな普段は絶対に言ってくれない。今がチャンスだと言えた。
「なぁ、楓」
「なーに、竜樹きゅん?」
「楓はさ、俺のことどう思ってる?」
「私が竜樹きゅんをどう思っているのかだって? そんなの、決まってるじゃん」
そう言うと、楓は俺にキスをしてきた。
「好き好き大好き、愛してる! 凛々しい顔も優しい性格も、竜樹きゅんの全てが大好き!」
「――っ」
「好き」と、そう一言言って貰えたらそれで満足だったのに、まさかの好き以上のオンパレード。
けしかけた俺の方が、顔を真っ赤にしていた。
そんな俺たちのやり取りを、養護教諭は白い目で見ていた。
「……先生、どうかしましたか?」
「いえね。勝手にやってろと思っただけです」
◇
薬を飲んだことで、楓の胃痛は治ったようだった。
性格が反転したことを除けば、楓の体になんら不調はない。
俺は一晩経てば治るという養護教諭の言葉を信じて、楓と共に下校することにした。
『ザワザワザワザワ』
下校中、周りの生徒たちから視線が注がれる。
そりゃあ、そうだ。
ドSで有名な楓が、彼氏たる俺にべったりなのだから。
腕を組んで歩く俺たちの姿なんて、一体何人の生徒が目撃したことがあるだろうか? 手を繋ぐことさえ、たまにしかないというのに。
丁度夕食時だったので、俺たちはファミレスに寄り道することにした。
俺がハンバーグを注文し、楓はパスタを注文する。
二人の注文したメニューが運ばれて、ハンバーグをひと口食べたところで、楓が口を大きく開けて何かを待っていた。
「ハンバーグ、少しちょうだい」
「……別に、構わないけど」
口を開けて待っているということは、食べさせろということか。
俺は楓に食べさせるべく、フォークをもう一つ取ろうとすると、その手をペシンと叩かれた。
「新しいフォークは出さない!」
「でも、これは俺の使ったフォークだぞ?」
「それが良いの!」
「それで良い」ではなく、「それが良い」。……成る程。楓が本当に所望しているのは、ハンバーグではなく俺との間接キスというわけか。
希望通り間接キスをした楓は、それはもう満足そうだった。
夕食を終え、楓を彼女の自宅に送っている最中、俺はふとこんなことを尋ねられた。
「ねぇ、普段の私と今の私、どっちが好き?」
「どっちがなんて、選べないっての。ドSだろうがなかろうが、楓には変わらない。そして俺が好きなのは、楓なんだから」
「だけど」と、俺は続ける。
「たまにで良いから、腕を組んだり「好き」って言ってくれると、嬉しいです」
翌日。
薬の効果は切れたようで、楓はいつも通りドSに戻っていた。
ただ一つ、いつもと違っていたのは――
「竜樹。腕を組んでも良いかしら?」
「腕を? 別に良いけど……急にどうしたんだ?」
「だって……たまには腕を組んで欲しいんでしょ?」
楓のやつ、性格が反転していた時の記憶が残っているのか? それとも、初めから薬が効いていなかったとか?
後者だとすると、俺に甘えたいが故に性格が反転した演技をしていたことになる。
でもまぁ、そんなことどうでも良いよな。
俺は「あぁ」と一つ頷いて、楓と仲睦まじく登校するのだった。