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バースデイ  作者: 牛タン
3/3

ウィークデイ


 

 聞き慣れているはずなのに、未だほどよい不快さを演出するアラーム音をいち早く消すため、俺は布団から手を伸ばしその使いふるされたウサギ型の目覚まし時計を切る。

 大きな時計を持つタキシード姿のウサギの表情は、常に時間と何かに追われるように慌てており、落ち着きのなさと同時に何故か親近感が沸いた。

 ウサギが言っている。「はやくしなくちゃ20代終わるよー」

 だから何をしろ?と思うと、昨日の硯をふと思い出して、このウサギとアイツが似ているような気もしなくもなくて、あれは現実だったのか、と些か寝ぼけながらにもそう思った。

 布団から出るとキッチンに向かい、ティファールのスイッチを入れる。

 袋から取り出した食パンに、一人暮らし用の小型冷蔵庫から取り出したマーガリンを塗りたくる。

 最近はモーニングルーティンと称し、起き抜けから出勤までを自撮りしたものを投稿し、人気と収入を得る連中が跋扈しているようだが、俺のこの質素かつアナログな朝食は絵になることも再生数が伸びることもなく、数多の情報の渦に飲み込まれては消えていくだろう。

 現実も同じ。街に出れば平凡な会社は渦に飲み込まれて流され、搾り取られて帰って寝る。その繰り返し。

 20代のはじめはそんなこと認めたくはなかった。

 だが、結果は一緒。若気の至りで息巻いたとしても、開き直って酒を煽っても、現実は何一つ変わらず、どの路線に乗っても終着点ははじめから決まっていた。

 俺にその切符はなかったか

 インスタントでも味わいの深さを求めたいユーザーのためのドリップのコーヒーを流し込みながら本棚に目を向けた。

 ダイニングの壁一面に敷き詰められた本を眺める。

 キャパオーバーの度精査し、泣く泣く売ってはきたが、それでもこの量だ。

 20代になった春。転職でこの街に来た。

 万一、床抜けを心配し借りた1階の1DK。

 大好きな本に潰されて死ぬなら本望だ。

 とも流石に嘯けず、寝室を別に確保するための最小限の間取りだった。

 だんだん手狭になり引っ越しも考えたが、この本棚が鎮座しているせいでいままで頓挫してきた。

 おかげでトースターやソファー、テレビといった生活に不可欠でない物を、半ば強制的にも手放すことができたわけで、追加の圧迫感は排除できていた。

 だがやはり一般的に見るとこの本棚は圧迫感の何物でもないだろう。

 本の背表紙を隠したくない俺にとっては、どうしても縦と横幅に進出するしかなかったのだ。

 おかげでダイニングテーブルからの視界の9割近くは本が占めるようにレイアウトできた。

 いわゆる俺にとっての書斎だった。

 そして今視界一面を埋めている本が、俺の10年間そのものといっても過言ではなかった。

 そう物思いに耽っていると、ある表紙が目が入った。

 『20代のシナリオ作り』

 一気にむせた。

 「アチッ」

 熱いコーヒーの雫が指を伝い、テーブルに堕ちる。

 まさか昨日の唖然の正体がここだったとは。

 その2冊の共通の著者は多数の自己啓発本を執筆し、内何冊かはミリオンセラーになっている、いわゆる勝ち組作家だった。

 たしか肩書きは〇〇コンサルタント、投資家、起業家、講演家…

 そもそも講演家ってなんだ?芸能のジャンルか、名乗ったもん勝ちなのか?

 それならば電車内で不特定の乗客に政府へのクレームを滔々と聴かせているじい様方も立派な講演家と言えるのではないか?

 …と思考列車の脱線を修正し、本棚に目を戻す。

 そうだ。俺はこの著者の本は好きではなかった。

 自らの圧倒的有利な生い立ちやバックボーンを棚上げし、読書にはノーハンディよろしく、一律に通ずるかのようだが実はレベルの高い課題をサラッと論じる。

 売れているほとんどの自己啓発本はそうであるように、ノウハウ云々よりも励まし、説得の仕方が上手いのだ。

 豚は煽てりゃ木には登るかもしれないが、木はどこまでも伸びているし、豚はどこまでもいっても豚のままだ。すぐに墜ちる。

 ようは彼らの肩書きは木登りコンサルタントだ。

 そしてこの『20代のシナリオ作り』に関してもそうだった。

 たしかシナリオ作り、いわゆる20代の質を決める演出を年齢に習い20ばかし挙げていくのだが、その中に「メンター(最優秀助演賞)を見つけなさい」とある。

 メンタルにおける、人生における師を10年以内に見つけろ。というものだ。

 それから俺はがむしゃらにメンターを探した。

 前職、前前職、アドレス帳を引っ張りだしたりもした。

 時にはふと入ったバーで話しかけた隣のおじさまに延々と武勇伝を説かれた挙げ句ビールの一杯も奢らずに去られたり、君に是非会わせたいと言われあったら成金スーツの風貌の胡散臭いお兄さんに早々にビジネスの話をされたりもした。

 この10年自分なりの自分の想像の範囲外くらいまでは足を伸ばしたつもりだったが、とうとうメンターは見つけることができなかった。

 いや待てよ?

 俺はふと色褪せたレザージャケットを思い出す。

 上質なスーツ。整えられた髪。磨き上げられた靴。

 それがいわゆる成功者の身だしなみと言うなら真逆の風貌だが、

 用意されたものではなく心の底から発する言葉。

 目線から体幹まで一切ぶれずに立つ姿から漲るパワー。

 アイツはどうだ?

 俺のメンターになりうるか?

 いや、待て。メンターってそういうものか?

 人の立ち読みを遮ってまでただ講釈を垂れたかっただけの只の非常識者だったんじゃないか。

 俺には判断がつかなかった。

 ただ、初めて出会ったタイプだったのは間違いない。それが何タイプなのか判然としなかったが、その仕分け行為さえも彼に指摘される気がして、ふと我に返り時計を見る。

 こんな時間!髪も整えていない。

 昨日の数分の会話の影響で今日の業務に影響が出ては一期一会にならないじゃいか。

 俺は慌ててコーヒーの雫を拭き取ると洗面所へ向かった。

 



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