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そうそうない  作者: 碧井 漪
30/43

30 2016年1月9日のこと

翌朝起きると、頭がガンガンする僕に向かって、


「元啓、ゆうべの事、憶えてる?」と母が訊いた。



「え?ゆうべ?」



「あなたもお父さんもそのまま寝ちゃって、だから二人、古い布団に寝かせたわ。私と美和ちゃんは新しいふかふかの布団で寝たのよねー?」



"ねー?"と首を傾けた母に付き合って、美和も首を傾けた。



新しい布団とやらは、見当たらない。すでに押し入れに入れたのだろうか。



「まったく、元啓。酒弱くなったんだなぁ。台所来たら、テーブルの上で寝ながら、美和ちゃんの手をギューッて握ったまま離さなくて、布団まで運ぶの大変だったんだぞ?」



「お父さんもね。あの後、0時近くまでくだ巻いてうるさいったら。ねぇ、美和ちゃん。いい迷惑よね?」



美和は少し笑って、「お布団片付けて、ご飯にしましょうか。」と言った。



母が僕を睨むように見ているので、



「え、あ・・・布団は僕が片付けるから。」と言って立ち上がった。



ズキン、そんなに飲んだ憶えはないのに、二日酔いなんて情けない。



日本酒だったからかな。



父も昨日のの恰好のまま、畳の上に胡坐を掻いてぼんやりしているが、頭は痛まないようだった。普段飲んでいる人間と飲まない人間の差かもしれない。



布団を片付けた僕は、父に言われた言葉をふと思い出した。



『美和ちゃんの手をギューッて握ったまま離さなくて』・・・だって?



ああ・・・僕は、両親の前で何をしているんだ、まったく。恥ずかしい。



火照る顔を何とかしたくて、洗面所へ急いだ。



冷たい水でバシャバシャ顔を洗い、シェーバーで髭を剃って歯を磨いた。



濡れた前髪を櫛で梳かして、後ろに流してみたりする。



会社に行っていた頃の僕のスタイル。



でも、美和は僕にこの髪型は似合わないと思っているようだから、いつもの状態にしておこう。



両親の前だからきちんとしようかとも思ったけれど、昨日もいつもの状態だったから、別にもういいか。



カタン、洗面台に櫛を置いて、僕が居間に戻ると、エプロン姿の母と美和が、テーブルの上に朝食を並べていた。



ご飯に味噌汁、干物に漬物、玉子焼きに海苔、ゆうべの残りのひじきと肉じゃが・・・それらは、二人では大き過ぎるな、とわーさんと話した事のあった居間のテーブルをいっぱいにしていた。



こんなに食べられないよと思いながら、朝から賑やかな食卓を囲むのは、家ではない、どこか別の場所に泊まった朝のようで、どこか浮かれてしまった僕は、つい食べ過ぎてしまった。



二日酔いに加えて食べ過ぎ。胃薬を飲んで、居間でぼんやりする僕と父を横目に、母と美和は台所やら風呂場やら、忙しなく掃除して回った。



普段、そんなに手を抜いてる訳では無かったが、母の手に掛かったら、古い台所も風呂場も、見違えるように綺麗になっていた。



お昼前、エプロンを外して、居間に座り込んだ母の背後に回り、肩を揉み始めると、


「あら、いいわよ。私より美和ちゃんの肩を揉んであげなさい。」と言われ、


同じく居間の入口付近に座って居た美和を見ると、ぶんぶんと首を横に振るので、僕は母の肩を揉み続けた。



「お茶、淹れますね。」



立ち上がった美和が台所へ行くと、


「元啓、あなた美和ちゃんの事、どう思って居るの?」と母に訊かれた。



「どうって、何が?」咄嗟に惚けたが、すぐに後悔した。



母の言いたい事は分かっている。



『どう思って居るの?』とはつまり、【結婚は考えて居るの?】という意味だろう。



次の攻撃が来ると身構えて居ると、母は溜め息を吐いた。



少しの間、母は黙って僕に肩を揉まれていた。僕も黙っていた。



「いい子じゃないの。」そしてぽつりと言った。それは美和の事だろう。



「うん。」と返事をすると、


「まあ、なるようにしかならないわよねぇ。」と母が諦めたように言った。



それでこの話は終わったのだと僕が考えて居ると、今度は父が口を開いた。



「確か、昔お前に母さん孝行しろと言った事があったろうが、それは結婚して子どもを作れって意味じゃないからな。元啓が毎日、しあわせを感じながら生きて居てさえくれれば、それが一番の親孝行だから。」



それは僕が生涯ゲイで、誰とも結婚せず子どもを作らなくてもいいと言ってくれた事になる。



こういう両親の考えがあったからこそ、僕ら親子の絆は途切れず、今日まで繋がって来られたのだと今になって分かる。



両親二人が、今までもこれからも僕の事を想ってくれている事がひしひしと伝わって来た。



だからこそ僕は、二人を自分の親だと思いたくなる。この父と母の子どもに生まれて来て良かったと感謝した。



「ありがとう、父さん。母さんも。」



「今、元啓が寂しくなくて良かったよ。亡くなった彼もあの世で安心してるんじゃないか?」



「うん。」



「美和ちゃんのおかげね。私達も安心だわ。」



「うん。」



そうか・・・僕が独りで寂しくなってないか、父さんと母さんはこの家まで見に来たんだな。



そしてこの家には僕一人ではなく、美和が一緒に暮らして居た事により、両親の心にあった不安は払拭された。



僕が、ではなく美和の存在が親孝行になったと言える。



確かに僕だって、父さんか母さんのどちらかが亡くなって、実家に独りで暮らして居たら、やはり心配になっただろう。



誰か傍に居てくれたら、そう心配になるのは家族だから。



僕がゲイで、生涯誰とも結婚しなくても、しあわせに暮らして居るならいいと両親は思ってくれていたんだ。



そうか・・・そうだったんだ。



わーさん、ありがとう。美和もありがとう。



実は僕は、とてもしあわせな人間だった。



寂しくないんだ、僕は。



そう思えた時、美和が台所からお盆に急須と湯呑みを載せて戻って来た。



「あらあら、ありがとう。」



母が美和から受け取ったお盆をテーブルの上に載せ、急須を手にした。



美和も僕もお互い結婚は出来ない人間同士だけど、だからこそ、上手くやれているのかもなと思った。



都合が良いかもしれないけれど、僕と両親とのように、美和もいつか、美和の両親と分かり合える日がくればいいと、そう思った。



僕は、子どもの頃に戻ったような、久し振りに何のしがらみも感じない、清々しい気持ちになっていた。



美和と顔を見合わせて笑う。



ありがとう。



あとで言いたい。いっぱい、美和に。



この家に来てくれた事、今は感謝している。



僕がわーさんを愛して居た事を思い出させ、そしてその行き場の無くなっていた気持ちの居場所を、美和が作ってくれた。



ここに居ていいと、わーさんを愛して居た僕のまま。



もしも僕が以前の僕のままだったら、孤独の中、わーさんを愛して居た気持ちもやがて忘れ、ただ寂しさの中で毎日苦しいと足掻き続ける人生を送る事になって居ただろうと思う。



土曜日の朝。今日はのんびり出来る・・・と思って居たけれど、実家から訪ねて来ている両親が「出掛けましょう。」「このショッピングモールがいいそうだ。」とスマートフォン画面を僕に見せ、車を出せと催促して来た。



「このショッピングモールって、えっと、この前美和が演奏した所?」



僕が美和に父のスマートフォン画面を見せて訊ねると、「そうだね。この辺ではあそこが一番大きいかな?」と言われた。



しかし、買い物?



正直、ここのショッピングモールより、両親の暮らす都会のデパートの方が、どんなブランドにしても品揃えがいいと思う。



「ほんとに行くの?何買う気?」母に訊ねると、



「何だっていいでしょう?美和ちゃんも一緒に行ってくれる?」と母が美和に訊ねた。



「はい。お邪魔でなければ。」



「お邪魔だなんてとんでもない。私、美和ちゃんとお買い物したいの。」



まるで母娘のノリで言う母に呆れながらも、



「分かった。何時に出る?」と訊いた。



「支度が終わり次第。」



「支度って、そんなに掛かる?」



「私は着替えてお化粧するだけ。お父さんも着替えて。」



「ほいほい。」



「着替えるって、このままでいいんじゃないの?」



「だーめ。元啓、あなたも着替えて。スーツ持ってるでしょう?」



「はあ?スーツ?何で・・・」まさか、また葬式とか?



「美和ちゃん、ワンピースとか持ってる?」



「ごめんなさい。私、スカートは持って居なくて。」



「まあ、そうなの。それならそのままで大丈夫。」



「大丈夫って、どうするの?」僕が母に訊ねると、



「いいから。あなたは早く着替えて、髪も何とかして。」と背中を押された。



何だろう。スーツで出掛けるのって、ドレスコードのあるレストランで食事位しか思い付かない。



けれど、あのショッピングモールのレストラン街に、服装で入店拒否する店なんて無かったと思う。



両親は何を企んで居るのか。



まさか美和に恥を掻かせるつもり・・・じゃないとは思うけど、注意しよう。



疑似夫婦の嫁いびりのようなものだとしたら、僕はすぐさま両親を追い返す。



そうして、しばらくして、みんなの支度が出来上がった。



父はスーツ。母はワンピース。僕もスーツ、美和は・・・黒のパンツスーツ。



「ごめんなさい。礼装用はこれしか無くて・・・」



恥ずかしそうに俯いてモジモジする美和に、気にしないよう何か言おうと口を開いたけれど、出て来た言葉は、


「就職活動中の学生みたい。」よくよく考えたら、気の利かないものになっていて、


「元啓!あなた酷いわ。」母に叱られた。



そういうつもりじゃなかったんだけど・・・難しいな、誉め言葉って。



ショッピングモールには11時前に着いた。



まだ開店したばかりのようだけれど、駐車場は結構一杯になっていて、早目にレストランに入らないと混みそうだなと思った。



しかし、ただ食事をする為にわざわざここへ来たとは思えない。



駐車場からエレベーターホールへ移動した時、



「母さん、買い物って何階でするの?」と訊ねると、



「何階かしら?婦人服って。」と訊かれ、エレベーター横に設置された案内板を見て、


「二階じゃないかな?」と僕が答えると、


「じゃあ二階。」と母は美和と手を繋ぎ、エレベーターに乗り込んだ。



僕と父もそれに続いた。他にも乗り込む客が居て、エレベーターはギュウギュウになった。



僕の背後に居る母は大丈夫だとして、その隣の美和は大丈夫かなと丁度僕の左側を見ると、美和が僕を見上げていて、目が合った。



しかし、美和はサッと目を逸らす。何だろう、何か怒ってる?



エレベーターが二階に到着して、僕ら四人を含む何人かの客が降りた。



皆、散り散りに、お目当ての店へと歩き出す。



母に手を引かれた美和も歩き出し、僕と父は黙ってその後について行った。



「二人、親子みたいだな。嫁姑?」と、父が何気なく僕に言った。周囲の音で、母と美和には聞こえていないだろうが、"嫁姑"って───言われて僕はハッとした。



母は美和を気に入って、確かに"嫁"の如く連れ回しているが、美和はそれを快く思って居ないのではないかと。



だからさっき、僕と視線を合わせなかったんだ。



僕が母さんの暴走を止めないから、美和は内心怒ってるんだ。



そうだったのか・・・僕はショックを受けながら、二人の背中を追う足を速めた。



あと少しで母に手が届く所で、


「あっ、ここがいいんじゃないかしら。」母が美和を連れて、婦人服専門店へ入ってしまった。



母を止めそびれた僕と、退屈を持て余した父は、ショップ前の通路にあるベンチに座り、店奥へ行ったきり、中々出て来ない二人をぼんやりとして待って居た。



「喉、乾いたなぁ。」と父が言うので、


「お茶か何か買って来るよ。」と腰を上げると、


「いや、いい。トイレ行きたくなるから。」と言われ、僕はまたベンチに腰を下ろした。



特に父と話すような話題も見付からず、しばらく黙って居ると、父が口を開いた。



「なぁ、あ、いや・・・」



「何?言い掛けてやめるのは良くないって、父さんが昔怒ったんじゃないか。」



「いや、まあそうだが・・・」



歯切れの悪い父。



「言いたい事があるなら言ってよ。」



次があるかなんて分からないんだから。



不満でも何でもいいから、父が思って居る事を今知っておきたいと思った。



明日、両親が帰ったら、次に会えるのはいつになるか分からない。



それまでの間に、僕ら家族の内、誰かの命が尽きてしまう事もある。



それは父かもしれないし、母かもしれない、僕かもしれない。



「気を悪くするなよ?」



「何?」



「まだ、男が好きなのか?」



「え?」



「いや、だからほら、お前、女性を好きになれないって言ってたから。だけどほら、美和ちゃんと住んでて、それはそうでもなくなったのかなと。」



「えっと、父さんの言いたい事がはっきり分からないんだけど。」



「いや・・・びっくりしたのはさ、女性と暮らせないと思ってたお前が、美和ちゃんと暮らしていたからさ、どうしたのかと思ってさ。」



「それは、話した通り、美和が押し掛けて来て、仕方なくだよ。」



「その割に、上手く行ってるような気がしてさ。いや、良かったと思うけど、ただ美和ちゃんの気持ちが気になってさ・・・」



「美和の気持ちって、何が?」



「んー、美和ちゃんはお前がゲイだって分かってて一緒に暮らしてるだろ?」



「うん。」



「だから言い出せないのかもしれない。」



「言い出せない?何を?」僕がゲイだから美和が言い出せない事って何?



「お前と結婚したいって事をさ。」



「・・・結婚?何を言ってるの?どうして美和が僕と結婚したいと思ってるだなんて考えたの?」



「美和ちゃん見てれば分かるよ。あの子はお前に惚れてるな。」



「ば、馬鹿な事言わないでよ。違うよ美和はレ・・・いや、あの・・・美和には好きな人が居るんだよ。」



「そうなのか?好きな人って、それはお前の知ってる人?」



「それが、言わないんだよ。だけど僕でない事は確かだ。」



「けど、好きな人が居るのに、お前と暮らすのっておかしくないか?」



「失恋したんだ。だからだよ。」



「よく分からないけど、そうか。勘違いだったか。美和ちゃん、絶対お前に惚れてると思ったんだけどなぁ。」



「どういう根拠があって、そんな事言うんだよ。」



「だってさぁ、ほら、今朝、出掛けるってスーツに着替えたお前の事、まともに見れずに美和ちゃん顔真っ赤にしてさぁ。昔の母さんもあんなだったなぁ。初めてデートした時も、まともに目も合わせてくれなくて、嫌われたのかと焦ったものさ。」



いや、父さんと母さんの昔話は何回か聞いて知ってるからいいけど、それより、美和が顔真っ赤にしたのって、急に出掛けたいって言い出した母さんに不満があるからじゃないの?



「美和の顔が赤かったのって、出掛けたくなかったからだと思ってた。」



「はぁ?出掛けたくないからって顔は赤くならないだろう。お前も隅に置けないな。」



「いや父さん、だからそれは───」「お待たせー!」



母が美和を連れて店から出て来た。



・・・と思ったけど、あれ?美和は?



「ほら、美和ちゃん。」



母に促され、母の背後から僕と父さんの前に出て来たのは、雪みたいに白いワンピースを纏った姿の美和だった。



「どうしたの、それ・・・」と僕が訊くと、


「買ったのよ。似合うでしょ、いいでしょ、素敵でしょ?」母は嬉しそうに微笑み、得意気に言った。



「うん、似合うな。」と言ったのは父さんだった。



「靴も売ってて良かったわー。」見ると、美和は黒ではなく、白いヒール靴を履いていた。



「あ、あの・・・代金、お支払いします。」



「いいのいいの。これはプレゼントなんだから。」



「だけど・・・」



「いいって言うからいいんじゃないの?」僕が言うと、


「それでも・・・」と美和が気にしている。



「"似合う"とか"可愛い"って言ってやれよ。気が利かないなぁ。」僕の背中を肘でつついた父が小声で言った。



「に・・・似合ってるんじゃない?」



「えっ?そ、そうかな・・・」美和が恥ずかしそうに俯いた。



「さあ、じゃあ、次は化粧品ね。どこにあるかしら。」



「化粧?いいんじゃないか?そのままで。」



「だめよう。」



「日葵だって、撮る前派手に化粧して貰っただろう。頼めるんじゃないか?」



「そうねぇ。訊いてみましょうか。」



「日葵?とるって、何の話?」



「今何時?」



「もうすぐ12時。」



「あら大変。予約してた時間じゃないの。」



「服選びに時間掛けてるから。」



「そうね、とにかく行きましょ。お父さん、お店、一階だったわよね?」



「ああ。」



予約?店?一階?



レストランなら三階の筈。



「何、どこ行くの?」



僕と美和は両親から何も話を聞かされないまま、エスカレーターで一階のその店とやらに連れて来られた。



「何、ここ・・・」



大型おもちゃ店の隣にある店に、父さんと母さんは入って行き、フロントらしきカウンターでスマホ画面を見せている。



店頭には、日葵が喜びそうな、幼児向けのドレスを何枚もハンガーラックに掛けて置いてある。



フロントの後ろの壁には、様々な衣装をまとって仮装した子ども達の額装写真が飾られていた。



「子ども専用、写真館?」僕が美和を振り向き訊ねると、



「多分・・・」と美和は丸めた右手を唇に当てて答えた。



「何でこんな所に来たんだ?」と呟いた僕に、フロント前で振り向いた母が手招きした。



「えっ?」



訳が分からない僕は、美和と顔を見合わせて、内心オロオロしていた。



「呼ばれたから、行きましょう。」



美和が僕の腕を掴んで店の中に足を踏み入れた。



幼稚園教諭の美和は、こういう子ども向けのカラフルなお店に入る事は抵抗ないのかもしれないが、40半ばの独身ゲイである僕にはとても抵抗があった。



お店のスタッフも女性ばかりだし、それを言ったら父もだが、一番場違いなのは紛れもなく僕だろう。



「では、木村さま四名さま、お履き物を脱いで、お支度が終わるまでこちらでお待ち下さい。」



スリッパに履き替え、絨毯張りの待ち合いのソファーに座ったのは僕と父。



母と美和は、何やら奥の部屋に入って行った。



「父さん、何ここ。」口に手を当て、小声で訊くと、


「何って、写真館だ。」父は普段通りの声の大きさで返した。



「いや、それは分かるけど、なんで子ども向けの写真館なの?」



「大人だけでも大丈夫だそうだ。日葵の七五三の時、同じチェーン店で撮ったんだけど、七五三関係なくいつでも撮れるんだって。知らなかっただろう?」



そんな事、僕が知る訳ない。いや、知っていても別にこの店には来たりしない。



何故今日、ここに来たのかって事を知りたいのに。



まさか?と考え始めた時、母と美和が戻って来た。



二人共、やけに紅い唇になって戻って来た。美和の頬も朱色に塗られてる。



「ではお支度整(ととの)いましたので、皆さま、こちらにお願い致します。」



言われるまま連れて来られたのは、大きなスクリーンとしっかりした撮影機材との間。ここは床張りだった。



さっき脱いだ靴を今度は履けと指示されて、スリッパから履き替えると、「お父さまとお母さまはこちらの長椅子に腰を下ろして頂いて、ご主人さまはこちらに、奥さまはそのお隣に並んでお立ち頂けますか?」とスタッフの女性に袖を引っ張られながら、僕ら四人は待ち構えるカメラのレンズ前に据えられた。



"奥さま"って、何?



ちらと僕は、左隣に並んで立つ美和を見た。



気付いた美和も僕を上目で見た。



僕の前には母さんが座り、美和の前には父さんが座って居る。



「ご主人さま、もう少し左に、奥さまに寄って下さい。奥さま、左を前に、そう、お体もう少し斜めにお願いします。はい、結構です。それでは皆さま、こちらのお印をご覧下さい。」



カメラの機材に付けられた、バツ印に視線の先を合わせた瞬間、バシャッ、大きなシャッター音が聞こえ、辺りが一瞬真っ白になった。



目がパチパチ、クラクラ。



「はい、続けて撮りまーす。」



ええっ?まだ?



パシャッ、バシャッ、数回のシャッター音を聞かされた後、



「では今度は、ご夫婦お二人ずつ。」と両親だけ残されて、僕らはカメラの後ろに回って、二人が撮影される様子を眺めていた。



僕がまだ小学生の頃、家族で押し入れの整理をしていた時に見たアルバム類の中に、父と母の結婚写真もあった。



封筒の中、写真台紙に収められたその写真には、結婚したばかりのまだ二十代で若い父と母が写っていた。



何だか気恥ずかしくてすぐに閉じたが、艶やかな色打掛を纏った初々しい母と、紋付き袴姿で貫禄の無い分真剣な顔つきの父が並んで立つ様を、僕はまだ憶えていた。



齢を重ね、あの頃の姿とは随分変わってしまった父と母。



それでも、気持ちはあの頃のままなのだとしたら───「素敵だね。」と美和が呟いた。



僕もそう思った、とは言わず、


「そう?」と返すと、


「うん、とっても素敵なご両親。」と撮影される両親を見ながら美和が言った。



「ありがとう。それと、ごめんね、付き合わせて。」



「ううん。でも私、お邪魔じゃないかな?」



「美和が居なくて僕一人だったら、写真館に入って居ないよ。」母に手招きされた時に拒否して居たと思う。



「お疲れさまでしたー。」



カメラマンの女性が言うと、助手のスタッフがスリッパを持って両親の元へ向かった。



やれやれ、終わった。父さんと母さんの気まぐれにも困ったものだ。



美和まで付き合わせて申し訳なかったな、と思って居た時、



「はい、それではお待たせ致しました。ご主人さま、奥さま、スタジオにお願いします。」と助手のスタッフ、並びにカメラマンの女性に促され、



何故か僕と美和は再びカメラの前に立つ事となってしまった。



「母さん、僕らは別に写真を撮らなくても───」



「いいじゃない。ついでよ。いいわよね、美和ちゃん。」



「あ、はい。私は・・・」



「だけど───」



困ったようにスタッフ達に見守られる中、僕は抗う勇気もなく、


「すみません。お願いします。」ついでの撮影を受け容れる事にした。



「はい、それでは、お二人もう少し笑顔で、寄り添って頂けますか?」



寄り添うって、全く・・・何で僕らまで写真を撮られる事になってるんだ?



それにしても、結婚指輪をしている訳でもないのに、夫婦に見られるって何で?



齢の離れた兄妹かもしれないじゃないか。或いは娘とか。



ああ、そうか。僕らの顔が似てないからかな。



カメラに向かって照れたように笑う美和の横顔。



僕らは、傍から見たら夫婦に見えるのかな。



「ご主人、お顔、こちらに。」



「元?」



美和に手を掴まれ、ハッと我に返った。



「あ、ごめん。」そう言って、僕はカメラ機材の印を見た。



「ぼんやりさん。何を考えていたの?」



美和に正直にぶつけてみようか迷って、結局


「僕ら、夫婦に見えるのかな?」ぽつりと訊いた僕の声に、その時シャッター音が被った。



そのせいで、美和が聞こえず、答えられなかったのかどうかは分からない。



宙ぶらりな気持ちのまま、撮影は終わった。またスリッパに履き替える。



母と美和は奥の部屋で化粧を直し、戻って来た。さっきの派手な顔より、こちらの方が安心する。



撮影後の説明では、撮った写真画像の中からプリントしたいものだけを選び、注文するというシステムらしかったが、


「今日ですと、午後4時以降でしたらお写真お選び頂けます。明日以降でしたら、お時間のご予約が可能です。」と言われ、


「今何時だ?」父が僕を振り返る。



「今、午後1時過ぎだけど。」腕時計を見て答えた。あと三時間後か。



「食事してから戻って来る?」父が言った。



「そうね。別の日に来ないでしょう?あなた達。」と母が僕と美和に向かって言った。



どうして僕らが、希望した訳でもない家族写真の画像選びにわざわざ休日にこのショッピングモールまで来なければならないのか、と考えると、


「あとで来るしかないよね。」僕はそう言った。



だって困るよ、そんな。僕ら二人で、後日両親の写真をどれがいいかと選べだなんて。



「それじゃあ、4時にまた来ます。」



母はそう言うと、美和を促し、並んで歩き出した。



僕と父は先を行く二人を急ぎ足で追い掛けた。



「お父さん、早く早く。」



エスカレーターに乗ってから振り返った母が手招きする。



母の隣に立つ美和も振り返り、僕を見たけれど、目が合った瞬間、ふいっ、美和が前を向いてしまう。



これは・・・母の態度に怒っている訳では無いとしたら、父の言うように、昔の母と同じで、僕をまともに見られないから?いや、知り合った頃なら分かるが、一緒に五か月も暮らして今更おかしいよな。



僕は気にしないようにして、父とエスカレーターに歩を進めた。



上りエスカレーターを降りる美和のスカートの裾がひらり。



カツン、コツン、美和がヒール靴を履くのを見るのは初めてだ。



普段はスニーカーか長靴。黒のヒール靴を持って居た事も今日初めて知った。



あんな風に化粧を濃くした顔も、見た事ない。



改めて、美和が女性だった事を認識させられた。



美和が男だったら良かったのに───ふと考えた。



そうしたら、異性となる志歩理の事を美和が好きで居てもいい・・・とは言えないけれど、まあ、何と言うか、同性を好きで居るよりマシと言うか。



仮に美和が男だったら、僕は美和を恋愛対象者として見てしまっただろうか。



好きになっては困ると警戒し、あの日、早々に追い出していたのではないだろうか。



そう、多分美和が男だったら、一緒に暮らして居なかった。だってわーさんに誤解されたら困るから───って、それは僕に美和を好きになってしまうかもしれないって気持ちがあったって事?



ううん、そんな事はない。僕は年下は好きじゃない。甘えられるのは嫌な方だから───って、美和は僕に甘えず、どちらかと言えば僕の方が美和に甘えてるじゃないか。



では、美和が"年下の男"だったら、僕は美和に"恋"してしまったかもしれないって事?



"年下の女"だから"恋"してないだけで、もし、美和に好きな人が居なくて"男"だったら僕は・・・・・・



「元啓、足!」



さっきから父の声が煩わしい。何?と父を見ると、


「さっきからずっとぼんやりして、どうしたんだ?エスカレーターに足、巻き込まれるぞ?」いつの間にか僕は三階のフロアに降り立って居た。父が二度も注意して、無意識の僕の足を上げさせてくれていたらしい事が分かった。



「ごめん。ちょっと考え事。」



「美和ちゃんの事か?」にやりと笑う父に「違うよ。」と誤魔化した。



「もう昼だからな、腹減ったんだろ。」



それも違うけど、美和の事を考えて居たと父に思われてしまうのが嫌で「まあ・・・」と言うと、


「母さん達、あの店がいいみたいだぞ?」と、レストラン街の中の一店を父さんが指さした。



一目で洋風と分かる海外の家の外観を模した店の前で足を止めている女性二人は、ショーウィンドーの中の食品サンプルをあっちは?こっちは?と眺めて居た。



ちらり見える美和の横顔は笑っていた。母の事が嫌じゃないのだろうか。そうだとしたら少しホッとする。



美和の隣に居る母も、僕と話している時より楽しそうだった。



振り返った母は、手招きしながら、



「お父さん、このお店でいい?」と訊いた。



「うん。」大きく返事をした父と共に、店に向かって歩いた。



美和と、ふっと合わせた視線を、またふっと外される。美和は笑って居た。僕が嫌いではなさそう・・・だからと言って"好き"という訳でもない。



僕だって、美和が男だったら、なんて考えた時は、もしかして"好き"になってしまう存在になって居たかもとはさっき一瞬考えてしまったけれど、美和は女だから違う───この気持ちは、なんて言うかその・・・・・・



「元、元。こっちだって。」ツンツン、と引っ張られる袖の方を見ると、すぐ傍に美和の顔が迫っていて驚いた。



やっぱり少し恥ずかしそうに僕を見上げる美和の顔に、僕はどきりとさらせれた。



ある訳ない事だが、


もしも、万が一、仮に、


父の言ったように、美和が僕に"惚れて"いるのだとしたら、僕はどうしたらいい?



だって僕はゲイだから、女性を好きになった事がない。だから、どうやって女性を好きになったらいいのかも分からない。



美和が男だったら───もしも他の男に失恋して、僕と暮らす内、僕を好きになってくれたとしたら、僕は・・・いや、駄目だ。僕にはわーさんという大切な人が居る。



美和が男でも女でも好きになっては駄目なんだ。



父母と美和と僕。傍から家族に見えたとしても、家族にはなれないんだ。



父母と僕は家族だけど、美和とは家族じゃない。



父も母も美和を気に入って仲良くしたとしても他人のまま。



美和が父母の前でニコニコしているだけで、僕の胸はチクチク痛み出した。



もしも、美和が僕を好きで居てくれたら、嬉しくない事はない。



ただ、僕の心に生まれたその気持ちは、僕を責め続ける。



わーさんを、わーさんだけを好きで居るのではなかったのかと。



誰にとは言わず、誓ったくせに───わーさんが僕の生涯ただ一人の人だと。



それなのに、彼が亡くなったら裏切るような事を僕は考えてしまうのか。



もしも美和が僕に好意を寄せてくれているのなら、このまま美和と安穏と暮らして行こうだなんて考えてはいけないと思った。



だけど、お互いそういう感情を挟まないのならば、僕はわーさんを、美和は彼女を好きなまま───暮らして行けるのか?



僕の背中を押す美和の両手。



嫌われてはいない、好かれてはいそうだけれど、その"好き"と恋愛の"好き"とは違う。



どう違う?



僕自身も分からなくなって来た。



もしも、目の前に生き返ったわーさんが現れ『美和ちゃんを追い出して』と、わーさんなら言わないだろうが、もしもそう言われたら僕は・・・わーさんの言う通りにするだろう。



美和も、もしもわーさんが生き返ったら、自ら出て行くような気がする。



美和があの家で遠慮せず暮らすのは、僕が独りで暮らして居たからだと、両親の突然の訪問で何となく分かった。



すなわち美和は、僕がわーさんを亡くして寂しい事を志歩理から聞かされ、あの家にやって来た。



僕の事が"好き"だからとかじゃない。お互い"寂しい"者同士、行き場を失くした愛を持ったまま暮らせるのがあの家だった・・・と言うだけ。



そうだよな。好きな相手に会えなくなっても、僕も美和も、その気持ちは変わらない、変えてはいけない。



窓際のソファー席、向かって右奥に母、僕の前に父が、テーブルの上にメニューを広げて覗き込んで居た。



美和は父の向かいの椅子を引き、僕を促した。



すると、それに気付いた父が「元啓。」と窘めるような声を出したので、僕はハッとし、


「美和、どうぞ。」美和を椅子の横に立たせ、母の向かいの椅子を引いた。



「えっ、あ・・・はい。ありがとうございます。」



美和は恥ずかしいのか少し俯いて、僕の引いた椅子の前に立った。僕がスッと前に椅子を押すと、美和が腰を下ろした。



僕も美和の左隣に腰を下ろすと、


「あなた達、何にする?」と母がメニューを僕らに向けて訊ねた。



「母さん達、決まったの?」



「父さん、ビーフカレー。」



「私はハンバーグステーキ、パンのセットで。」



「そうか、じゃあ僕はどうしよう・・・美和は?」



「私はホワイトシチューにしようかな。」



「美和ちゃんもパンのセット付けるでしょう?」



「あ、はい、それじゃあ。」



みんなそれぞれ決まってしまった。僕だけ取り残された気持ちになる。



そんな僕に「元啓は?」と母が追い打ちをかけた。



僕も父さんと同じく"カレー"と言えば簡単だったが、カレーはやっぱりうちのカレーが一番で、正月から連日カレーだった事もあり、選びたくなかった。



うーん・・・蕎麦とかうどんとか定食だったら選びやすかったが、洋食だからなぁ。



「元、これは?」美和がメニューを指差した。



「これ・・・って、オムライス?」



「うん。どう?」



メニューを見ると、洋食おかずとパンのセットが売りの店のようだ。母と美和はパンのセットを付けられるメニューを選び、父はパンは要らないカレーライスにした。



オムライスならパンは要らない。母のようにハンバーグステーキとパンのセットを選んだとしても、今はそんなに食べられないと思うから、オムライスは丁度良い。



「じゃあ、これにする。」僕がメニューを指差しながら美和を見ると、


「うん。」美和はにっこり笑った。



「スープはどうする?」



「僕はいいかな。」



「父さん、食後コーヒー。」



「じゃあ僕も。」



「美和ちゃん、私達はどうする?デザート頼んじゃう?」



母さん、随分燥(はしゃ)いでる。美和、困ってない?



「そうですねぇ、パンもありますから、食べられたらにします。」後で注文するような事を言い、ウエイターを呼んだ。



取り敢えず全員分の注文を終え、母と美和は、ウエイターの運んで来た白い皿を片手に席を立った。



どうもこの店は、好きなパンを選んで持って来て食べられる形式の店らしい。



だからなのか、女性客の方が多い。



美味しいパンは好きだけど、パンばかり何個も食べられない。



五、六個のパンを皿に盛り、戻って来た母と美和。



母が美和と同じ位の量のパンを取って来ていた事に驚いた。



「母さん、そんなに食べられるの?」美和なら余裕だろうけど。



「お父さんと元啓も食べて。」



「え、だけど・・・」父と僕は注文して居ないのに、こういうのっていいの?



「はい、お父さん。」母がパンを手で掴み、父の前に差し出した。



「あ、うん・・・」父が受け取ると、次は僕に向けて母の手が伸ばされた。



「あ、えっと・・・」まだ手を洗って居なかった僕に、美和がテーブルの上のおしぼりの袋を破り、開いて渡してくれた。



「ありがとう。」



急いで手を拭き、母の手からパンを受け取ると、手近にあった紙ナプキンの上に置いた。



しかし、このパン。白パンと言うのか、丸く白っぽい、おそらく味無しのパン。



"食べて"と言われたけれど・・・「母さん、このパン、味無いと思うよ?」



「あら、そう?」



父さんはカレーを頼んだから、カレーを付けて食べればそれなりだろうけれど、僕はオムライス。



どうやって食べろと言うのか。



考える僕に、「バターとイチゴジャム、ブルーベリージャムもありました。」と美和がテーブルの真ん中に、それら小さなパックを三つ置いた。



「おお、さすが美和ちゃん。」



「あら、そう言えばあったわ。忘れて来ちゃった。」



「だけど美和の分は?」



「大丈夫。持って来る。」



そう言って、さっと立ち上がった美和は、スカートの裾をひらりと翻し、パンの並べられた一角へ向かった。



「ほんとう、いい子よね。よく気が付いて。お嫁さんにするなら美和ちゃんみたいな人がいいわよ。お父さんもそう思うでしょう?」



昨日は"結婚しなくてもいい"ような事を言って居たのに、何故───「やめなさいよ、母さん。」父さんが窘めた。



「分かってるわ。でもねぇ、つい考えてしまうのよ。このまま、元啓と一緒に暮らして行ってくれたらって思ってしまうのよ。」



「それは───」ちらりと美和を窺う。まだ戻って来なそうだと僕は早口で続けた。



「結婚しなくても一緒に暮らすよ。美和が飽きたと出て行くまで。」



「"飽きたと出て行くまで"?あなたそんな風に考えて居たの?」



美和がこちらに向かって歩いて来た。



「とにかく母さん、この話はしないで。」



「・・・・・・」



母さんは黙って、ブルーベリージャムのパックを開けた。



僕もそれが良かったなと思って居ると、席に着いた美和が、僕の前にそっとブルーベリージャムを置いた。



思わず美和の顔を見ると、「イチゴジャムの方が良かった?」と訊かれ、



「ううん、これで・・・ありがとう。」と言うと、「どういたしまして。」美和は小さく頷いた。



ブルーベリージャムの甘さは丁度良かった。手のひらに載る大きさのパンは、あっと言う間に食べ切れた。クリームチーズとも合いそうだな、と思わずうんうん頷いてハッと美和を見ると、美和もパンを頬張りながら僕を見て頷いた。



美和の前には、ブルーベリージャムのパッケージ。同じ事を考えたのかもしれない。



───もしも僕が誰かと婚姻を結ばなくてはならない制度があったら、美和さえ良ければ僕は美和と結婚してもいいと考えた。



美和は、僕の考えて居た"女"とは"いい意味"で、かけ離れて居て、だからこそ、意識せず暮らせて居る。



そして何より、僕がわーさんを好きで居ても顔色を変えない美和と、美和が他の女性を想って居ても関係ない僕は、利害が一致して良いのではないかと───「元、お料理来たよ?」



トントン、僕の腿を手で軽く叩き、小さな声で美和が教えてくれた。



「あ、うん。」



またぼんやりしていると言われてしまう。



ほぼ同時にみんなの料理がテーブルの上に揃ったので、僕はスプーンを手に、食べる事に集中した。



しかし、父と母、美和が楽しそうに会話しながら食事をして居る間、僕はどんどん居た堪れなくなって行った。



父と母は、美和と僕が結婚する事を期待してしまっているらしい。さっき撮った写真の事を考えると、確信に変えられる。



そして僕は50%位、両親の期待に応えて、美和と結婚してもいいとは思ってしまったけれど、それはわーさんへの裏切り、そして、美和の気持ちを100%無視する事になる。



【利害が一致するから結婚しないか?】と仮に美和に持ち掛けたとして、美和にとっての【利】が僕の頭の中には思い浮かばない。



だから言えない。



仮に、本当に仮に、僕が美和に惚れてしまったとして、結婚したいと思ったとして、求婚する。



だけど美和には思っても見なかった事で、20歳も年上の僕なんかとは結婚を考えられないだろう。



僕が80歳まで長生きしてしまったとして、その時美和は60歳。介護をさせる為の結婚と誤解され兼ねない。



仮に、本当に仮に、美和が僕を好きになって結婚してくれると言ったとしても、駄目だ。



だって、どうしたって僕が先に死ぬ。



愛する人の最期を看取る事は本当に辛いんだ。



今からの結婚では、そんなに長く夫婦生活が送れない確率が高い。



かと言って、僕が美和の最期を看取るなんて絶対に嫌だ。それなら僕が先に死ぬ。



美和を残して自分一人先に死のうと考えるなんて───やっぱり無理だ。こんな人間の僕に結婚は無理だ。



独りは寂しい。だけど、結婚したからと言って、寂しさを完全に消す事は出来ないだろう。



寂しさはやがて不安に形を変え、結局僕の心の隅にこびり付いたまま。



喜怒哀楽、人ひとりの心の中に元から持って居る感情の割合はきっと大きく変わらないんだ。



二人の心は一つにはならない。それぞれの悩み、寂しさ、悲しみ、喜び、分かち合えるとは言っても、感じる度合いは、それぞれきっと異なる。



結婚にしあわせを求めた人も、結婚出来たからと言って、毎日ただしあわせなだけの人生とはならないだろう。



結婚=しあわせではない事は、長年結婚生活を送って来た父と母だからこそ分かっている筈。



それなのに、僕が美和と結婚したらと両親が夢見てしまうのは何故なのか。



知りたいけれど、それはきっと僕の望む答えではない気がして、訊いても無駄だと、僕は【期待】と【結婚】の文字を胸の奥に隠した。






お昼を食べ終えた後も、レストランで少しのんびりしたけれど、写真館の約束の時刻まではまだ時間があった。



レストランを出て、ブラブラすると言っても、僕も美和も、勿論両親も、これと言って買いたい物は無かった。



「あ!そうだわ。ここって、お土産売ってるかしら?」唐突に母が言った。



「お土産?さぁ?」僕が首を傾げると、



「多分、一階に少しあると思います。」美和が答えた。



「今買って持って帰るのか?帰りの駅で買えばいいんじゃないか?」父が言うと、



「忘れない内に買って、宅配便で送ってしまおうかと思ってるの。一階に行って見ましょう。」と母は美和と手を繋ぎ、下りエスカレーターに乗った。



「勝手だなぁ・・・」ぼそり、零してしまうと、


「まぁ、いいんじゃないか?」父が僕の肩をポンと叩いた。



それからエスカレーターに乗った僕と父は、母達とは離れた距離を保ちつつ、一階へ下りて行く。



少し疲れたような父の横顔は、それでも笑っているように見えた。



父と僕が一階に到着すると、母と美和は、丁度スーパー店頭に設けられた土産物コーナーへ向かって広い通路を歩いている所だった。



特産物から銘菓まで、お年賀は終わったから、寒中見舞いか。僕も志歩理に送ろうかとも思ったけれど、送るとまた志歩理から返されるの繰り返しになってしまうからやめた。



母は、美和に選んで貰った銘菓をいくつか買ったのち、宅配便で送る手続きにと父と二人でサービスカウンターに向かった。



ようやく解放された美和に近付いた僕は「ごめんね。ありがとう。」と言った。



他に掛ける言葉が見つから無かっただけの安っぽい謝罪とお礼になってしまったと美和の思われたら嫌だなとも考えたけれど、



「お役に立てて良かった。」と美和は僕を見て笑った。



母の言った"いい子"という言葉が僕の頭の中を横切った所で、


「あ!みわせんせーだ!」と、男の子の大きな声がどこからか聞こえて来た。



辺りを見回した僕の隣で、「きゃっ!」屈んだ美和が小さな悲鳴を上げた。



下を見ると、美和のスカートに顔を埋めた男の子の頭が見えた。



「せんせぇー!」顔を上げた男の子の顔に見憶えがあった。



「数喜くん、お買い物?」



「うん。パパとママといもーといるよ?」



「一緒なんだね。」



美和が顔を上げた先に、抱っこ紐で赤ちゃんを抱っこするカズキくんのパパとママらしき女性が立って居た。



美和が頭を下げると、ママが頭を下げ、パパは、美和と手を繋いで離れようとしないカズキくんに向かって歩いて来た。



カズキくんのパパは僕に軽く頭を下げてから、美和に向かって「先生、すみません。いつも数喜がお世話になってます。ほら、数喜、行くぞ。」と言って美和から引き剥がそうとすると、



「おじちゃん、きょうなんでかみのけちがうの?かつら?」突然カズキくんが僕を指差して言った。



「え?」と声を上げたのは僕ではなく、カズキくんのパパだった。



そしてパパは僕をじっと見て、パッと笑顔を浮かべると「あー、運動会の。あの時はどうもありがとうございました。お弁当、とても美味しく頂きました。」と言った。



何だか恥ずかしくなった僕は、「あ、いいえ。」と手を振るだけで精一杯。



「せんせー、もしかしてケッコンするの?これ、ドレスー?」



「えっ?」と上擦った声を出したのは美和だった。



「あのおじちゃんとするの?なんで?おべんとおいしいから?」



カズキくんの考えた美和の結婚相手を選ぶ基準に、思わず笑ってしまった。



そんな理由で女性が結婚相手を選ぶなら、名のあるレストランの料理人は引く手数多だろう。



「違うよー。先生、結婚しないから。」



その言葉を聞いた時、僕はホッとしたような、それではいけないような、おかしな気分になった。



「じゃあ、でえとちゅう?」



「こら、数喜。そろそろ行くぞ。すみませんでした先生、えっと、彼氏さんも・・・」



僕の名前を知らないから"彼氏"と言ったらしいカズキくんのパパは、ペコペコしながらカズキくんを連れてママと一緒に人波の中へ消えて行った。



手を振り終えた美和と、視線が合った。



無言で俯く美和に、何か言わなくてはと思った僕は「誤解されて、大丈夫?」と訊ねた。



「誤解って?」



「あ、だから、カズキくんに僕が恋人みたいに思われたみたいだから。」



「別に、大丈夫でしょ。何か問題が?」



訊かれて考えると、美和が大丈夫と言うなら問題ない気がして来た。



園児やその親達に僕との中を誤解されたとしたって、疚しい事は何も無いし、噂になったって美和さえ"大丈夫"だって言うなら。



母さん達、遅いな───と僕が辺りを見回すと、少し離れた場所で立ち止まり、僕と美和を窺う両親の姿を発見した。



どうやら、両親は僕達とカズキくん家族とのやり取りを見ていた模様。



「な・・・!」何でそんな所で見てるの。早く戻って来てよ。僕の顔が火照るのが分かった。



僕はくるりと背を向けた。



「元、お母さん達、戻って来たよ?」



美和が僕の袖を引っ張って教えてくれたが、分かっている。何だか恥ずかしいんだ。



「ごめんなさいね、待たせちゃって。」



「書くのに手間取って。パソコンでキーボード打つ方が楽だなぁ。」



パソコン?父さん"理系だけど苦手だ"って言ってたのに?



くるりと向きを変えると、母が僕の思った事に気付いたかのように話し始めた。



「お父さん、今結構、パソコンやってるのよ。ブロック?・・・じゃなくて何とかの日記をね、書いてみたりして。この前は私の撮った写真を載せてくれたのよ。」



「母さん、ブロックじゃなくてブログだよ。」



「そう、それ。すごいわよねぇ。」



両親はそんな事をしていたのか。パソコンもそうだけど、ブログ開設したなんて知らなかった。



「元啓はやってないの?」



「僕はそういうのはやらないよ。」



書いた日記を他人に公開するなんて。もしも悪用されたら防犯上危険だ。



「父さん、母さん、写真の位置情報、ブログに掲載する前に消してる?」



「イチジョウホウって何?お父さん。」



「一応消してるさ。それが"オススメ"だと"ブログ開設の説明書"にもあったぞ。」



それならまぁ・・・だけど絶対に個人を特定されないとは限らない。



「あと、あんまり個人的な内容も詳しく書いたら駄目だよ?訪問する人が少ないからと言って、過激な事を書くのも駄目。どこで誰が見ているか分からないし、中には知っている人が見ている可能性だったあるんだから。」



まさか、この齢になった両親がブログを書くとは・・・しかも全世界から個人情報を見られる状態にしてあるなんて知らなかった。



近しい人も近しくない人も閲覧可能な両親のブログ。



「ブログのURL教えて。」



「今?分からないよ。帰ってからにして。」



「父さん、スマホ持ってるでしょ?」



「これでブログ書かないから分からない。」



「え・・・」書かないにしてもスマホでブログを見る位はあるでしょう?と思ったけれど、父さんの口振りでは、本当に自宅のパソコンからしかブログを操作出来ないらしい事が窺えた。



「私、お手洗い行って来るわね。あら?どっちかしら?」と母が言い出した。



「トイレなら───」「私も一緒に行きます。元、写真館の前で待ち合わせしよう?」僕が説明する前に、美和が母の背中に腕を回し、そう言った。



確かに、母一人で行かせるより、美和と一緒の方が安心だった。



「分かった。あ───」ありがとう、と続ける前に、美和は母と歩き出していたので、言いそびれた。



その後、父もトイレに行きたいと言うので、僕らもトイレへ行き、出ると丁度、女子トイレから出て来た美和と母を見付けた。



それから四人で写真館へ行き、約束の時間より少し早かったので、中のソファーで待っていた。



ここで撮影したのだろう子ども達の写真が見本として棚に飾られている。テーブルの上のモニターにも同じ画像がスライドショーの如く、繰り返し流されていた。



「日葵達も写真撮ったの?」



「そう。遥翔の七五三の時ね。あっち着せてこっち着せてってするんだけど、じっとしてなくて大変。元啓はおとなしかったから楽だったけれどね。」



「そうだった?」僕の子どもの頃の事はあまり憶えてないが、そんなに静かでもなかったと自分では思う。



ふーん?と言いたげな顔で、僕の顔を覗き込む美和を見た母は、美和に向かって


「元啓は外で遊ぶより本を読むのが好きな子だった。だけど昆虫が好きで、夏にお父さんと森に行って虫かご一杯捕まえて来た時はびっくりしたわ。」とか話し出した。



虫かご一杯のカブトムシ?そんな事、あったかな?



「一生懸命お世話してね、でも昆虫って死んじゃうでしょう?」



少し、思い出したような・・・



「小さな庭の隅に穴を掘って、埋めてあげてね、手を合わせている時に泣いてたのよ。それを見て、ああ、元啓はやさしい子で良かったわと思ったものよ。」



もうやめてくれ、恥ずかしい。



ごほん、と咳払いした僕を、父がニヤリとした顔で見ている。



「元啓さんはやさしいですよ。とても。」美和まで何を言い出すんだ。



もう駄目だ。僕の顔は限界だ。熱いし、父のようにニヤケてしまいそうだ。



再び僕がごほ、ごほと咳をすると、


「木村様、お待たせ致しました。」とお店のスタッフがノートパソコンを抱え、僕らの前の席に座った。

テーブルの上、僕らの前にあった液晶モニターに【木村様 お写真】とタイトルが表示されると、



「それでは始めさせて頂きます。」とスタッフの女性が言い、僕らを撮影した画像が次々と流された。



かなりの枚数の画像があったが、半数は、誰かが目を瞑っている物だった。



そして、僕ら四人の写真と父さん母さん二人の写真はいいとして、僕と美和、二人の写真は選ぶ必要ないのではないかと思いつつも、二度目の画像チェック。



目を瞑っていた物を省いて、プリントしたい写真を選ぶ作業。結構大変だ。間違い探しのようでもある。



「では、こちらとこちら、どちらを残されますか?」これの繰り返し。



「え、うーん。お父さんどうしよう。こっち?」



「そっちの方がいいんじゃないか?」



はぁ・・・もう帰りたい。



そして、最後の写真選びは、僕と美和、二人で撮った写真だった。



美和を見ると、両親の手前、一応真剣にモニターを見つめているが、おそらく、こんな写真必要ないのにと思って居る事だろう。



今日一日、いや昨日もだけど、美和を振り回してしまった事に僕は申し訳なさを感じていた。



そして両親が帰った後、美和に借りを返さなくてはならなくなった事を考えて、突然やって来て僕らを振り回す両親を恨みたくもなっていた。



「この写真は要らないだろう?おまけで撮った物だし。」



要らない写真をプリントするのに6000円とか、高過ぎる。



「いいじゃない。折角なんだから。」



悪びれず言う母の声に、僕の我慢はどこかへ吹き飛んでしまった。



「母さん、こんな写真、プリントしてどうするって言うの?必要ないでしょ。僕への嫌味?当てつけ?それならそれでいいけど。」



「・・・・・・」



画面を覗き込んだまま、母は表情を硬くした。



言い過ぎたのは分かっていた。だけどやりたい放題に見える母に、少し腹を立てていた。



「元!」



美和は、僕が腿の上で握っている右手を両手で揺すった。



母を気遣い、僕を責めるような目を向けられて、居た堪れなくなった僕は、「ちょっと電話して来る。」と席を立った。



勿論、電話する相手なんかいない事は、父も母も美和も知っている。



恥ずかしくて惨めだった。



今すぐわーさんの胸へ逃げ込んで、わーさんに頭を撫でて貰いたかった。



そんな事は叶わない。



気付くと僕はエスカレーターに乗っていた。



そうして三階で降りると、以前、アカマツと話したテラスへ向かって歩いた。



こうなってしまったのは僕が悪いのか?ゲイだから?それなら分かってる。僕が悪い。ゲイだから。



普通に生きて、普通に結婚して、普通に家庭を築いて、普通に親孝行出来ない僕だから悪い。



ぼんやりした視界が移り変わる中、ようやく僕は、母さんにあんな顔をさせてしまった事を後悔した。



馬鹿だな。親孝行出来ないならせめて、悲しい顔をさせないようにしなくてはならないのに。



何をやってるんだ。この齢になってまで。思う通り運ばないから、恰好悪いからと逃げ出して。



とにかく外に出て深呼吸しようと、硝子扉に手を掛けた時「元啓!」後ろから、父の声に制された。



追い掛けて来たのが父だったことに僕は少しホッとしながら振り向くと、


「どうした。何が気に入らない?」と言われ、


「ごめん。」ただそう吐き出すと、父は細かく追及しなかった。



「母さんも謝ってた。似てるな、お前達は。」



そう言って父は笑った。昔より沢山の皺を顔全体に浮かべて。



「何で母さんが謝るの?悪いのは───」僕だよ。なのに父さんは、


「我々の事、大目に見て、許してくれないか?」と言い出した。



ううん、謝らなくてはならないのは僕の方だよ。



取り成しに来てくれた父さんと、酷く当たってしまった母さんと、付き合わせてしまった美和にも。



ふと、わーさんが僕の隣に立ち、僕の頭に手を置いてくれているような気がした。



分かってる、わーさん。母さんにもちゃんと謝るから。



その事を父にも伝えようと顔を上げた瞬間、


「だけど、元気になって良かったよ。」父がぼそりと言った。



「え?何が?」僕の事かと思っていたら違った。



「母さん。言ったろ?日葵達が帰ってから寂しくなったって。」



「ああ、うん。」



「年取った夫婦二人じゃ、毎日何の面白味もない。そうすると考えるのは子どもや孫達の事。そうやって考え過ぎる位考えて、母さんこの前夜中に突然『怖い夢見た』って起き出したりしてな。だから心配になってお前に電話したんだろう。その時、毛利さんが亡くなった事を聞かされて、ああ、生きて居る内に彼に会っておけば良かったなと後悔したんだ。それでな、昨日思い切って母さんをこっちに連れて来たんだ。」



「え?父さんが行こうって誘ったの?」



「そう。家に居たって沈み込むばっかりで、お前と美和ちゃんには迷惑だったろうが、我々は来て良かったよ。母さん笑ってて、とても楽しそうだ。」



そんな事があったなんて、何も知らなかったよ。



僕が女性と暮らして居る事を知った母が浮かれて、結婚結婚とただ騒いで居るだけだけだと思ってしまった。



母も寂しかったから、僕に結婚を勧めたのかな。



僕が独りじゃ寂しいと思って。



だけどそうそう簡単な事ではない。お互い恋愛感情は無いから一緒に暮らして行けるんだ。もしも僕と美和の間に恋愛感情があったら、今のように暮らして行けないと思うから。



それを話しても、あの調子の母には理解して貰えないかもしれない。



「楽しいんなら良かった。」素っ気ない声で確かめると、


「ああ。来て良かったよ。」目を細めて頷いた父を見て、僕の胸の奥が少しだけじわりと熱くなった。



「一つ、訊いてもいいかな。」



「何だ?」



「もし、彼が生きて居たらこっちに来なかった?」



「分からない・・・でも、今は会っておきたかったなと思うよ。」



「一緒に、酒を飲む為?」あの家で、父とわーさんが酒を酌み交わす姿を想像してしまったら、涙が込み上げた。わーさんが生きて居る内に叶えられなかった夢のような話。奥歯を噛んで堪えたけれど、目尻をそっと指で拭った。



「んー・・・お礼を言いたいなと思って。」



「お礼って、彼に?」



「うん。元啓と一緒に居てくれてありがとう、って。言われても困るだろうが。」



「そんな、事、ないよ・・・」もう限界だった。下を向いた僕の目からボロボロと涙が零れて、床を濡らした。そんな僕に、父は黙って自分のハンカチを差し出した。



「ありがとう・・・」受け取ったハンカチの事だけじゃなく、わーさんにお礼を言いたいと考えてくれていた事。



僕の父と母から感謝の言葉を聞いたら、わーさんは喜んだだろう。すごくすごく。



それで父と母が帰った後、わーさんは少しだけ後悔するんだ。僕と出逢って一緒に暮らした事を。「愛してごめんな」って、僕の事を本当に愛おしそうに見つめて言うんだ。



それから僕に「申し訳ない」と謝るだろう。わーさんの家族が未だに僕とわーさんの仲を認められないで居る事を。



僕には全部分かる。想像した事があったから。



"ありがとう"と言われないまでも、わーさんのパートナーとしてわーさんの家族に認めて貰える日が来る時の事。



結局、それは叶わなかった。僕の両親は認めてくれていたけれど、それを知ったのは今、わーさんが亡くなってからで、結局、遣る瀬無さは変わらない。



だけど良かったのかもと思う事は、わーさんが僕と出逢った事を後悔して謝らない(くだり)かな。



後悔なんてしなくていい。僕もしていない。ゲイが悪いと言われて認めたって、心に罪の意識なんて持たない。ゲイで良かったって思う。わーさんの隣に居られた時は。



「母さんの気持ち、分かってやってくれないか?お前が独りで無かった事、美和ちゃんが傍に居てくれた事、本当に嬉しかったんだと思う。お前にも家族を作って欲しくて、それでずっと美和ちゃんに一緒に居て貰う為に"お嫁さんに"なんて、つい言ってしまったんだよ。お前の気持ちを否定したかったんじゃない。ただ安心したかったんだ。悪かったな。結婚の話は本当に、二人がそれでいいなら、無理にしなくていいんだから。」



「うん・・・ありがとう。」



さっきのあの写真を前にしたら、僕の考えの方が間違っているような気もして来るかもしれないけれど、でも、人は人、僕は僕、美和は美和だ。



例えばもしも僕が美和と結婚したいと思ったとしても、美和はそうは思わないだろうから、僕らが結婚する確率は0以下だ。



片方だけでは駄目。双方想っての両想い。



ある意味、奇跡的だと思う。



改めて、僕とわーさんは、その奇跡の中で暮らして居たんだ。



だから、しあわせだった。ずっと、あの日を迎えるまで。



握っていたハンカチを、父が僕の手から取って、


「二人、待ってるよ。戻ろう。」と促した。



「うん。」



下りのエスカレーターに立つ父の背中に向かって「父さん、ごめんね。」と言ってみたが返事は無かった。



周囲の音で聞こえなかったのか、それとも僕同様恥ずかしかったのかは分からない。



この後、母さんにも言わなくてはならないな。



だけど、お店の人に見られている中で言うのは嫌だな。



この時、僕は思った。いくつになっても、父と母の前では子どもなのだと。



だから敵わない。父と母には、いくつになっても。



そう考えたら、少し肩の力が抜けて楽になった。



いくら体が大きくなっても、僕は、父と母にとっては子どもなのだと、自分の中で繰り返した。



そうして一階に着くと、写真館へ向かって歩く途中で、写真館前のベンチに腰を下ろして居る母と美和を見付けた。



「あっ!お父さん、元啓・・・」母は、その手にハンカチを握り締めたまま、ベンチから立ち上がって、僕らの方を向いた。



僕と父を見付けた美和も立ち上がり、母に寄り添った。



美和の目を見ると、僕を責めるというよりは、心配しているような表情で、僕は美和に対して"ありがとう"と"ごめんね"をずっと心の中で繰り返してしまった。



そして、母と向き合うと、一瞬言葉を失った。



僕を見上げる母の瞳が潤んでいたから。



「ごめんなさい。あなたの気を悪くして。」



先に母に謝られてしまい、どうしようと思った。



「違うよ、ごめん、母さん。何だか恥ずかしくてついあんな事───」



「ううん、私がいけなかったのよ。」



「二人共、もうそれ位で。写真、注文済んだのか?」



こくり、ハンカチで目頭を押さえた母が頷くと、


「じゃあ、さっき土産物買った食品スーパーで夕飯買って帰ろう。」と父は母の背中に手を回した。



テレビで熟年離婚が増えているという話を聞くけれど、うちの両親はその心配はなさそうだと、少し安心した。それで腑に落ちた。母が美和とくっつけたがっていた訳が分かった。



結婚したら、つまり入籍したら、簡単に離れられないと思ったのだろう。そして何より、僕の望む死後の手続きを僕の妻となる人に託せる。



孤独死して無縁仏として埋葬されるより、家族に看取られ、自分の家のお墓に埋葬された方がいいと考えてしまうのだろう。確かに、それは僕もそうされたい。わーさんと同じお墓に入りたい。



「元、私達も行こう?」



「あ、うん・・・」



「元のお父さんとお母さん、素敵だね。」



寄り添って前を歩く父と母の後姿を見つめながら美和が小さな声で言った。



いい齢して恥ずかしいな、と息子として思う僕は、黙ったまま少し俯いて歩いた。



今となっては、愛ではなく情で繋がれている父と母のような熟年夫婦になら、僕は美和さえ良ければなれるのではないかと思えた。だからって本当に結婚する訳では無いけれど。



老夫婦のような暮らしなら、僕は美和と、送れると思った。



わーさんに"愛"、美和に"情"を感じたまま暮らして行けたら、僕はいい。



わーさんと、美和と、結婚は出来なくたって、僕にとって二人は家族だと思える存在には違いない。



決めたよ、わーさん。



僕は、わーさんと美和を僕の家族だと思う事にする。血が繋がってなくても、戸籍が同じでは無くても、家族なんだ。



「あっ!」



美和が右前からやって来た人とぶつかり、よろけて僕の右腕にぶつかった。



「ご、ごめんなさい、元。」立ち止まって鼻を押さえる美和の前に、僕は右手を差し出した。



「・・・何?」



「手繋ごうか?歩き難そうだから。」美和は慣れないヒールで靴擦れしたのか、時々踵を気にしていた。



「えっ?あ──────うん。」素直に頷いた美和は、差し出している僕の右手を左手で握った。



立ち止まり、振り向いた両親に見られているとは知らず、僕は美和と手を繋いで歩き出した。



耳まで真っ赤にした美和の顔を見たら、何だか僕もすごく照れくさくなった。



でも、美和の手を離す気は無かった。



このまま、僕と一緒にあの家で暮らして欲しい。



その表れだったのかもしれない。



このまま、僕と一緒に──────




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