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そうそうない  作者: 碧井 漪
26/43

26 2016年1月4日のこと

いつも通りの生活に戻る。だけど今日はまだ冬休みで幼稚園が始まっていないから、送り迎えもない。



朝起きて、ご飯を作って食べて掃除洗濯してテレビを見てお茶を飲み、何をするでもなく夜になる。



夕飯を食べたらお風呂に入ってお茶を飲み、布団を敷いて、する事も無いので早目に寝る───筈だった。



先に歯磨きを終えた僕が居間に戻った時、丁度、美和のスマートフォンが鳴りながら振動していて、僕が充電台を見た途端すぐ切れた。



「あー、寒いねぇっ!」両手を擦り合わせながら、歯磨きを終え、居間に戻って来た美和は戸を閉めた後、ぽすんと布団の上に膝を折って座った。



「美和、電話鳴ってたよ?」



「誰から?」



「さあ?見る間もなく切れたよ。」



「誰だろ。こんな夜中に。」



夜中と言ってもまだ21時過ぎ。大半の大人は起きている時刻だろう。



「折り返したら?」



「うん。」



布団の上から立ち上がって、美和は充電台の上のスマートフォンを取って着信履歴を確認していた。



僕は掛布団を捲り、両足を突っ込んだ所で、美和が隣に敷いてある布団の中に、僕と同様、足を入れた。



「電話はもう終わったの?出なかった?」



「ううん。大丈夫。」



何が大丈夫だと言うのだろう。



「・・・誰から?」



訊くのはどうかと思ったけれど、逆だったら美和は僕に訊くだろうからと訊いてみると、



「実家。」という答えが返って来た。



実家から電話がかかって来て、折り返してもすぐ出ない状態なら、緊急事態だ。だけど多分、美和の様子から、折り返しの電話はかけていないのではないかと僕は思った。



「電話しないの?」



「うん。」



「何かあったのかもよ?」



考えたくはないが、そういう事も無いとは言い切れない。



「そうだよね。」



僕の言った可能性を否定はしないが、両足を布団に突っ込んで上体を起こしたまま、美和は充電台のスマートフォンを取りに行こうとはしなかった。



実家の誰かと喧嘩でもしたのかな?



あっ!もしかして、今日ショッピングモールに来ていた妹さんと何かあったのか?



余計なお世話だと思いつつ、ここで実家からの電話を無視して後で後悔する事になるのが嫌だった僕は、



「今日、ステージ見に来てた若い女性って、美和の妹さん?」と訊いた。



「えっ?元、妹に会ったの?」



「ううん。ステージ終わった後に見掛けただけ。ほら、アカマツさんのご両親と一緒に。」



それが美和のご両親だと勘違いした事は黙っていた。



「そうだったの。気付かなかった。」



「妹さん、何か言ってた?」



「・・・・・・」美和が黙ったまま俯いた。



「妹さん、何て?」



突っ込んで訊く事でもないと思ったけれど、ここまで話を進めてしまっては、引くに引けなくなった。



「特には何も。」と言って僕に見せた美和の無表情の横顔は、これ以上、詮索されたくないという感じだった。



その時、僕の頭の中に浮かんで来た文字は、ゆうべから忘れていた【結婚】だった。



僕に娘は居ないが、もしも僕が美和の両親なら・・・と考えた時、気にするのはそれしかないだろうから。



もしも仮に僕とわーさんが夫婦で、美和のような年頃の娘が居たら、やはりその事を気にするだろう。



身内の慶弔連絡以外の電話は、健康を気遣う電話に違いない。心身共に。



体は勿論、心の方も。気になるのは恋愛。そういう話があってもなくても親は不安らしいとは、僕の両親が妹に対してそうだった事からも分かる。



妹さんがアカマツとアカマツのご両親に会い、さっきのように美和の妹の前で結婚話を繰り広げて居たら、美和が電話に出たくない理由はそれだと考えられる。



「電気、消して。」



いつもとは違い、先に布団に潜り込んでしまった美和が、僕に背を向けそう言った。



「うん。」



僕は畳の上のリモコンに手を伸ばし、電気を消した。



布団に潜り、常夜灯を見つめると、さっきまではすぐに眠れそうだったのに、今は色々な想いが胸を埋め、ずしりと重く感じるせいか、このまま眠れそうにない。



深呼吸のつもりで、はあーっ、と天井に向けて息を吐き出すと、



「何で溜め息?」と美和の声がして、ふと美和の方を見ると、常夜灯の暗いオレンジ色に包まれた中で僕と美和の目が合った。



幾度となく交わした視線なのに、今夜の美和のそれはどこか僕の気分をおかしくさせるもので、僕の体に美和の体が絡み付くような錯覚に陥らされた。



居た堪れず目を逸らすと、



「実家の電話に折り返さなかったから、薄情だと思って居るの?」と美和が僕に訊いた。



「そんな事、思ってないよ。」



「じゃあ何で溜め息?」



「溜め息じゃないよ。ただ・・・」



「ただ、何?」



「僕が美和に話していない事より、美和が僕に話してくれていない事の方が多いのかなって。」



「え?」



「美和は僕の事をよく知ってる。志歩理から聞かされてなのかもしれないけれど。だけど僕は美和の事をあまり知らない。誰かから聞かされる事もない。」



「そう?話すも何も、私、秘密なんてないよ?」



確かに、美和は裏表のなさそうな人間。しかし女だ。女という生き物は───



『秘密があるに決まってるでしょう?正確に言うと、秘密ではなく、男には言いたくない事かしら』



と志歩理が言っていた。



美和は女。男の僕に"言いたくない"事がある。



それが何なのか、美和に秘密があると覚った僕は、それが何なのか、僕に関係ない事だとしても、どうしても知りたくて堪らなくなってしまった。



「僕の事、信じられるなら話して。」



「何を?」



「美和の秘密。」



「秘密はないって今───」



「美和の好きな人の名前を言って。誰にも言わないから。」



「・・・・・・」



美和は口を噤んで目を閉じた。



また逃げるつもりかと思ったら、もそり、美和が体を起こした。



僕も起き上がり、照明のリモコンに手を伸ばすと、



「灯かり点けないで!」と美和の声が部屋に響いた。



ハッとして美和を見ると、美和は下を向けた顔を両手で覆っていた。



まさか、泣いてるのか?と僕がぎくりとした瞬間、



両手から顔を上げた美和はそのまま僕を見た。



泣いてはいないが、泣いてもおかしくない位の顔をしていた。



「美和・・・」



「その人の名前を言ったら、私はここを出て行かなくちゃならなくなる。」美和の体は震えていた。



どうして?と訊く前に考えた。思い浮かぶのは志歩理の顔以外無い。



「それは、美和の好きな相手が、僕の知っている人だから?」



「そう。」



美和が認めた。



美和の好きな人というのは、今まで、僕の知らない人だと思い込まされていた。



「美和の好きな人って、志歩理なの?」



美和は黙っていた。否定じゃなく、肯定の沈黙。



もしも美和の好きな相手が志歩理だったのなら、確かに志歩理に告白したら会えなくなるし、ここにも住めなくなるだろう。



志歩理の親友でもある僕の傍で暮らせば、志歩理とは僕を通して繋がって居られる。



志歩理は知らないんだな。美和の好きな相手が自分だって事。



いや、知ったとしてもどう反応していいものか困るだけだろう。



志歩理には旦那が居るしな。志歩理を忘れられなくて、一度別の女と結婚したのに離婚してまで志歩理と一緒に居たがった男。



その話を当然美和も知っているだろう。大恋愛と言うのかどうかは知らないが、僕もびっくりする位、二人の絆は固そうなので、美和が入り込む余地はほんの少しもない。



志歩理は美人で頭もキレてきっぷがいい。男に媚びない所も、面倒見の良い所も、実は女らしく涙脆い所も、みんな志歩理の魅力だ。



唯一、僕が長時間一緒に居ても平気な女・・・だった。



今は違う。美和とは長時間、というより一緒に暮らしても大丈夫。



どちらかと暮らせと言われたら、45歳の僕は派手な都会暮らしを好む志歩理より、地味な田舎暮らしを好む美和を選ぶ。



こんな所で志歩理は暮らさない。だからなのか?美和はここへ逃げて来たのか?



実家も近いし、志歩理との連絡も取っているゲイの僕の所なら、安心して暮らせたから?



僕からしたら女は、秘密を抱えてじっと耐えて居るというより、実は計算高くしたたかな生き物だと思えてならなかった。



美和もそうだったんだ。何かが引っ掛かると思っていたけれど、それが今まで僕の心に引っ掛かっていたんだ。



美和の好きな人は志歩理。本人は違うと言い続けているのは、それを僕に知られては、いずれ志歩理に伝わってしまうかもと怖れているからだろう。



僕は口の堅い方だから、美和の気持ちを志歩理に伝えたりしないのに。



信用されていないのかな。



『男は信用しちゃダメ!』とでも、志歩理に言われたか?



『男は利用しなさい。体力では敵わないけれど、知力では男より女の方が上になるよう創られているのだから』なんて言われてそう。



美和は志歩理信者だったのか。まあ、ENT社の業績が良いのは、女性社員の九割以上が志歩理信者だからなんだけど。



ほんと、男にも女にも罪な人だなあ、志歩理は。



志歩理は僕より人から恨みも買う分、多くの人から慕われている。



美和もその内の一人だった。



でも可哀相に。志歩理は美和の気持ちなんて何も気付かず、それを誤解したまま、親友である僕の元へ寄越した。



『大丈夫よ、元啓は。美和ちゃんと同じ同性愛者だから』



もしもだけれど、美和に向かって志歩理はそう言ったのだろうか。



それはよくない。僕が言うならまだいいが、同性愛者ではない志歩理が言うには棘がある。



特に、志歩理を密かに慕う美和からすれば、大層傷付く言葉だったろう。いや、本当に志歩理がそう言ったかは定かではないが。



美和がここへ来るまでの事情は大体察した。



聞かなかった事にしよう。美和が今も志歩理を慕って居るという事は。



美和が誰を好きでもいい。だって、僕には関係のない事なのだから。



美和の想う相手が僕の知らない未婚男性だと言うなら別だが、相手は僕の良く知る親友で既婚女性だから、僕と暮らして行く事に、何の支障も無い。



「もういい。寝よう。」



僕は布団の中に潜り込んで目を閉じた。



これ以上、美和の気持ちには触れない。



その代わり、志歩理を恨みたくなった。



美和の気持ちも知らないで、安易にここへ寄越した志歩理の事、少し嫌いになりそうだ。



どっちから言い出したのかは知らないが、美和の恋愛に僕を巻き込まないで欲しかった。



惚れる方も惚れられる方も等しい罪だ。二人だけで済まされない想いなら。



「ごめんね。私が・・・好きになっちゃったから。」



僕が罪だなんて思ってしまったからか、美和が謝った。目を開けようか迷ったけど、開けなかった。



人を好きになって謝らなくちゃいけない世の中なんて、なんてつまらない。



だけど、僕らの場合はそうなんだ。



同性と言うだけで、もう罪になってしまう。



でも僕が、美和も志歩理も罪作りだと思ったのは、二人だけで想いを共有しているのでは無かったからだ。



僕とわーさんのように、二人で、二人だけでも納得している恋ならば、完全にとは言わないが、罪悪感は減る。



世間を欺いている訳では無い。簡単に公表出来ないだけ。



しかし僕らは構わなかった。世間に僕らの関係を主張出来ず、後ろ指差されようとも、お互い好きな気持ちは変えられなかったから。



それに、相手を選ばず公表してしまったら、僕らをよく知る人達は理解しようと努めてくれるだろうが、僕らをあまり知らない人達からしたら、どうして打ち明けたの?と困惑してしまうだろうから。



そう言う訳で、映画や小説では昔よりも、同性愛に理解ある社会を描くようになって来たと感じてはいるが、実社会ではまだまだ理解度は低いと思う。



仮に志歩理が男だったとしても、美和が想いを告白するのは罪になるかもしれない。



志歩理は半年前に結婚した既婚者。疚しい気持ちが無いとは言え、既婚者への告白は好ましくないとされてしまう。



美和もそう考えたのだろう。それでも忘れられず苦しくて離れる為、ここへ来た。



好きな人の親友、異性だけど恋愛関係に発展しない相手、実家の近くで一人暮らしをしている。



美和にとって好条件の僕だった訳だ。運命と言えば運命的に思えたんだろう。



考えなしに飛び込んで来たのかと思って居た。けれど違った。裏切られたと言うか、欺かれたと言うか・・・とにかく僕の負けだ。



どんな理由であれ、あの日、ここへやって来た美和を、あの日以上に追い出したいという気持ちを持てなくなった僕の負けだった。



ストンと落ちたのは、僕の両肩と胸の痞え。



志歩理を好きだったのかぁ、やっぱりそうだったのかぁ・・・と納得と言うか、どこの誰か分からない女よりは安心と言うか、何だろう、気が抜けたと言った方がしっくり来る。



僕は目を開けた。常夜灯の灯かりがさっきより眩しく感じた。



隣を見ると、布団の中で目を閉じた美和は、すでに寝息を立てて居る。



女はすごい。



昂らせた感情を、スッと引かせる事も容易く出来る。



男は駄目だ。



昂らせた感情を、スッと引かせる事は簡単に出来ない。



どうすれば引くかなんて、理性的になろうとしてあれこれ考えるけど、そうすればするだけ追い詰められて焦る。恰好付かない、だから一気に吐き出そうと怒鳴ったり物に当たったりする連中も居る。



僕は、そうしても簡単に引かない事を知っているから、とことん隠す。沈黙派だ。黙っているから考えていないと言う訳では無く、感情の改善策をとことん考えている。



そうは言っても、感情を昂らせる事など、そうそうない。



ふと、わーさんと暮らしていた頃の事を思い出す。



わーさんが僕より先に眠ると不安になったりしていたのを思い出す。



息もしていないような静かな寝顔。本当に眠っているだけなのかどうか分からない。



病気の事を聞かされてから、僕は心配性になった。



わーさんに言わせれば、僕には昔からそういう所があったという事だったが。



もそり、僕は布団から這い出て、美和との布団の間にある畳の上に右手をついた。そして、伸ばした左手を美和の口の上に翳した。



息は・・・している?あれ?分からないぞ?



まさか、死んだとか───と言う事はないだろうが、僕の胸の奥に不安が増殖し始める。



起きて、起きて美和。せめて寝返り打って。



僕は美和の顔の上に翳した手のひらから、念を送るように祈った。



すると───「ぷっ・・・!」僕の手のひらと美和の口の間に美和の手が挿し込まれ、続けて「ププププッ!」と吹き出す音が聞こえた。



僕はびっくりして手を体の横に下ろした。美和は両手で口を押さえて笑っている。



「美和?えっ?」もしかして、起きてた?



「もー、元ってば何やってんの?」



再び身を起こした美和は、笑いながら僕に訊ねた。



「あ・・・ごめん。ちょっと・・・」



「心配になった?息してないんじゃないかとかって。」



「どうしてそれ───」僕がそう思ったって分かったの?超能力者?



「あるもん。私もたまに。幼稚園でお昼の後、こてんって床に仰向けに倒れたまま眠っちゃう子どもが居てね、初めて見た時はびっくりして、元みたいに呼吸してるか確かめたから。今もびっくりするけどね。遊んでたと思ったら、突然静かになっちゃったりすると。」



「そう・・・ごめん。」変な奴だって思われてるんだろうな。今に始まった事じゃないけどさ。



「心配してくれたんでしょ?ありがと。」



「寝てなかったの?」だから寝息が確認出来なかった?



「寝ようと思ってたよ。でも元が近付いて来るのが分かったから、びっくりして息止めちゃった。」



「そうだったんだ。」



「大丈夫。私はそうそう死なないよ。」



「うん・・・」



「元を残して死なないから、安心して?」



美和は僕の頭に手を伸ばし、撫でた。美和より20歳も年上の僕が園児と同じ扱いをされて、腹を立てたいような恥ずかしいような、だけど変な事をして恥ずかしいという気持ちがあったから、僕はただ俯いたまま黙っていた。



「ちゃんと看取るよ。元の最期。大丈夫だから心配しないで眠って。」



そう言われ、顔を上げた僕に向かって美和はにこりとして、僕の右手を握った。



美和の手はとても温かかった。言われた通り、僕は安心出来た。



「美和の手、熱いね。」



「そうかな?」



「うん。」



「誰かと手を繋ぐと安心するね。」美和が僕の右手を、今度は両手で包んで言った。



「そう?」僕は美和の手の上に左手を乗せた。



「今ね、思った。」



「何を?」



「元を好きになれば良かった・・・なーんて、駄目だよね。わーさんに怒られちゃう。」



「わーさんが怒るだって?誤解するなよ。わーさんは、美和が僕を好きになっても怒ったりしない。寧ろ歓迎すると言って喜びそうだ。」



「え?何それ。」



「ここだけの話だけど、病気が分かってからのわーさんは、僕に家庭を築いて欲しいとか願ってたみたいだ。それも、年下で健康な女性とって。子どもも作れって。」



「年下で健康な女性?それって・・・私の事?」



「まあ、当て嵌まるよね・・・あ、だけど僕にはそんな気はないから安心して。」



「分かってる。」



「僕が一人になって、寂しがる事、わーさんは分かってたんだ。だからって僕に結婚しろって願うなんて・・・」



「でも、望む相手が男性じゃなくて女性ってどうして?」



「さあ?嫉妬なのかな。わーさんは嫉妬したりしなかったけど。もしそうじゃなければ、多分、僕らが出来なかった"結婚"というものを出来る相手を次は選んで欲しいと願ったのかも。それから、子どもも。わーさん、昔冗談で、僕はいい父親になりそうだなんて事も言ってた。」



「それ分かる。わーさん、冗談で言ったんじゃなかったと思うよ。結構本気でそう思ったんだよ。私もね、元が運動会で数喜くんとお弁当食べている時そう思った。いいなあって。元の子どもは元がパパでしあわせだろうなーって思ったよ。」



「一体どこがしあわせだって?ゲイの父親なんて、子どもは嫌だろう。」



「そんな事ない。私、わーさんの気持ちが分かる。」



「適当な事を言うなよ。僕がいくら考えても分からないわーさんの望みを、どうして美和が理解出来るんだよ。」



「そうだね、ごめん。分かったような事を言っちゃって。疲れちゃったから、そろそろ寝よう。明日は屋根の雪下ろししないとならないし。」



そうだった、雪下ろしを忘れていた。



家の軋む音を聞く度不安になるのは嫌だから。



まあ、雪下ろしをしたって家の軋む音は無くならないけど、それでも原因の一つが消えれば少し安心出来るから。



「僕こそ、起こしてごめん。寝よう。」



「おやすみなさい。」



「おやすみ。」



そう返して布団に潜った僕は、胸の中で美和の言った『おやすみなさい』を繰り返していた。



でもまだ眠りたくない、もう少し話していたい───この先ずっと、離れたくない。



そんな夜は、かつて毎日のようにあった。わーさんと一緒に暮らす前。別々の家へ帰らなくてはならない、どんどん寂しさに包まれて行く夜。



今の状態は、その時のわーさんと離れがたかった気持ちに似ているように思えた。



だけど変だな。今、僕と美和は同じ家に一緒に暮らして居るのに、離れても居ないのに、こうして寂しさを募らせているなんて変だ。



美和とはお互い"家族"と思って居るけれど、実は友人でも恋人でも夫婦でもない。明確な繋がりはない。



しかし、今の僕には寂しさを吐き出せる相手は美和しか居ない。



その美和が居なくなったら、僕はまた独りになる。



そうだ、これは恋しさではなく、再び訪れるであろう孤独を怖れた寂しさなのかもしれない。



美和がさっき言っていた、『ここを出て行かなくちゃならない』事態は避けたい。



美和が誰を好きでもいい。ここで暮らしてくれるなら、僕の最期を看取ってくれるなら。



僕はこの家と財産のすべてを美和にあげたっていい。



美和、志歩理を好きなままで居てよ。そうしたら美和はこの家に、志歩理の親友の僕の傍に居てくれるんでしょう?



さっきのように僕の手を握って、僕の最期を看取ると約束してよ、何度でも。



そうでなければ、僕は将来を考える度、途方にくれる。



何故こんなに不安なのだろう。



何故こんなに寂しいのだろう。



まだ美和は僕の傍に居るのに──何故?



美和が、僕が想うより僕を想ってはくれない気がするからかな。



変だな、僕は。



変だ。



どうして美和に、僕を想って欲しいなんて考えたんだろう。



志歩理を想って泣くより、僕を想って笑って欲しいだなんて考えてしまうのだろう。



すごくおかしい。これは恋なんかでは無いのに、まるで美和に恋焦がれているかのような・・・この変な気持ちは、本当に恋?いや、違う。僕はゲイだ。今まで女性に恋した事は一度もない。



隣で眠る美和をそっと窺った。



美和は女。そして僕とは何の関係も無くて、僕を何とも思って居ない人。



その美和が僕から離れたら、とても寂しくなるだろうから嫌だ・・・なんて、どうして僕は考えてしまうのだろう。



もしも、美和がもっと、僕の事を考えてくれるのなら、僕の傍から離れずにここにずっと居てくれる事になったら、僕はもっと安心して暮らせるのに・・・なんて、願ってはいけない事。



ああ・・・疲れ過ぎて、僕の頭はおかしくなったんだ。早く寝よう。



おやすみ、わーさん。



やっぱり僕はわーさんの願いを叶えられそうにないよ。



だって僕は誰かを好きになったり、誰かに好かれたりするのは無理みたいだから。



わーさんが生き返ってくれない限り、僕の愛はどこかで眠ったままなんだよ。忘れそうになってたけど。



寂しいなんて言わなくていいんだ。僕はもう、十分愛したんだ。わーさんの事を愛して居たんだ。



今も・・・と言いたい所だけど、今は少し眠らせて。僕の愛は静かに、静かに眠らせて。



一緒に居たいと思う人が増えると、失った時の寂しさも増す事を思い出した僕は、美和と暮らしたいと思わないようにしようという結論に辿り着いた。






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