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そうそうない  作者: 碧井 漪
21/43

21 2015年12月30日のこと

早朝、まだ暗い内にトイレに起きた僕は、戻って再び布団に潜った。しかしそのまま眠らずに、ぼんやりと、美和の寝顔とわーさんの遺影を交互に眺めて居た。



暖房を点け、部屋が暖まるまでだと思って居たのに、部屋の中が暖まっても、僕はまだぼんやりしていた。



元々、朝は強い方ではない。



目覚ましを掛けても止めてしまう。だからよく、徹夜明けのわーさんに起こして貰ったりしてた。



僕は美和から、わーさんに視線を移した。



わーさんは時々、僕の為に朝ご飯を用意してくれた。



「簡単な物しかないけど、朝は食べた方がいい。」



そう言って、卵かけご飯とかトーストの日もあった。



だけど気遣ってくれる分、心が満たされて、しあわせで───



ぐすっ・・・



わーさん、会いたい。今度は僕が朝ご飯作るから。



会って、思いっ切り抱き締めたい。キスもしたい。



そうして僕の頭を撫でて、今までの寂しさを消して・・・なんて、無理だって分かる。



僕は美和の顔に視線を戻した。



現実はこれだ。



わーさんが死んで、一人になった僕の所へ、レズビアンの美和が転がり込んで来て、居付いた。



美和との暮らしは、たまにストレスを感じるけれど、それ程、苦では無くなって来ている。



時々、寂しさを忘れて居る事に気付くと、わーさんに対して申し訳なく感じる。



僕だけが笑って居てはいけないのに、そう思うけれど、美和に楽しくない顔ばかりも見せられなくて。



仕方なく・・・かな?



でも、美和がここに居るおかげで、寂しさは薄れた。



その点は感謝すべきなんだろうけれど、って、どうしてぼくが美和に感謝とかそんな・・・



感謝、なのだろうか。



この、美和にまだここに居て欲しいと思ってしまう気持ちは、死後を考えた時に生じる不安を無くしたいから出たものなのだろうか。



行かないで、僕より先に死なないで。



そう思った瞬間、美和の目が静かに開いた。



どきっ!



慌てて顔を背けた僕に、


「おはよ、元。」と少し掠れた声で挨拶する美和。



「おはよう。」



そう言うからには起きなくてはと、僕は掛布団を二つに折りながら身を起こした。



くすっ、と美和の小さな笑い声に、僕は振り向いた。



「何?」



「ううん。」



そう言って首を横に振るくせに、俯く口元はまだ緩んでいる。



「何だよ。」強く言うと、


「・・・寝癖。」言って美和はくすっと笑う。



「あー、寝癖か。」そんな事が面白い?



僕は後ろ頭を一撫でして、ふと気付く。



「美和だって。」



「え?なあに?」



「美和も寝癖。僕よりすごいよ?」



「あー、そうかも。」



はにかむ美和を見て、僕はこの世に寝癖は必要だなんて、何故か思ってしまった。



誰かとこんな風に笑い合えるなら、僕は毎朝、寝癖に感謝してもいい。



朝食を終えると、美和が両手をパンと合わせ、「大掃除しよう!」と言い出した。



「大掃除?」



「そう。私は台所とお風呂とトイレを掃除するから、元は仏壇と居間と、箪笥部屋を掃除して。私の方が終わったら合流するから。」



そう言うと、美和は幼稚園で使っているらしい、ぞうのアップリケの付いた黄色いエプロンを付け、同じく黄色いバンダナを三角にして頭に巻いた。



まるで真夏のひまわりみたいな色のそれらは、美和にとてもよく似合っていた。



「ほら、始めるよ!」



腕を捲った美和は、僕の背中を両手で押し、居間の仏壇の前に移動させた。



「タオル、持って来るね。」



「うん。」



僕は、両手を合わせてから、仏壇の上に並ぶものを一つ一つ丁寧に下ろして行った。




わーさんの遺影を手に取り、一瞬動きを止めたが、すぐに我に返った所で、


「はい、タオル。濡らしたのと乾いたの。」と美和がタオルを僕の肩越しに差し出した。



受け取って振り向くと、「お願いします。」と美和は台所へ行ってしまった。



固く絞られたタオルを開いて、仏壇の端から拭いた。



拭きながら、先にはたきを掛ければ良かったかと考えた。



細かな装飾部には、却って埃を詰まらせてしまう。



考えてみれば、ここまで丁寧に仏壇の掃除をした事が無かった。



僕の実家には仏壇が無かったし、祖父母の家の仏壇には触れる機会が無かった。



美和の実家には仏壇があったのだろう。おばあさんが亡くなった話をしていた。



僕に掃除を促す辺り、美和にとって仏壇は、家の中にある当たり前のものなのだ。



綺麗に拭き上げ、黒光りする仏壇を眺めて僕は、ふぅと息を吐く。



『形だけでもいいから置かせてくれ』



そう言って、生前に自分の仏壇を購入して、この家に遺したわーさん。



自分の為ではなく、僕の為だって今は分かってる。



仏壇や墓を見る度、僕がわーさんを思い出せるようにしてくれたんだよね。



ここに居る、僕の傍に居るよって、思わせてくれようとしたんだよね。



カタン、


わーさんの遺影を戻して僕は、綺麗になった仏壇の前から立ち上がった。



ここを、寂しいとメソメソ泣く為の場所にしてもわーさんは咎めたりしないだろうけれど、今の僕は、それだけでは嫌だと、わーさんに向かって笑ってみた。



メソメソするだけではなく生きてみるよ。



多分、わーさんはそれを一番願っていたと思うから。



僕が僕らしく精一杯生きられるように。



「頑張ろう。」



呟いて、僕は居間の掃除に取り掛かった。



鴨居に(はた)きを掛け、電灯を拭き、窓と網戸を拭き、掃除機を掛けてから畳をと床の間を拭いた。



そうして、いつもより念入りな居間の掃除を終えた僕は、壁の時計を見た。



11時過ぎ。お昼にはまだ早い。



外したカーテンは洗濯機の中だ。そろそろ洗い終えたかな。



洗面所にある洗濯機の中を覗くと、脱水を終えたカーテンがドーナツ状になって、干されるのを待っていた。



取り出して、持ち手付きの大きな籠に入れた僕は、ジャーッと水音のするお風呂場を覗いた。



美和がお風呂の壁にシャワーを浴びせていた。



跳ね返る飛沫が冷たいので、水だと気付いた僕は、赤くなっている美和の足の甲を見ながら「水で洗ってたら風邪を引く。お湯にした方がいい。」と助言するも、



「仕上げは水の方がいいのよ。カビが生えると困るから。」と返された。



「今は寒いから大丈夫だよ。」夏ならともかく。



「元の方、終わったの?」



「いや・・・これからカーテン干して、箪笥部屋がまだだから。」



「そっか。お風呂掃除はこれで終わりだから、どうする?お昼、先に食べる?」



「どうしようか・・・」



「軽く食べて、箪笥部屋、一緒に片付けようか。」



一人になってから、念入りに掃除した事のなかった箪笥部屋。



正しくは、引っ越してから手付かずという物もある。多分、箪笥部屋の押し入れの中には、引っ越した時のままの段ボールもあるだろう。



きっかけが無ければ、このまま開けずに、僕の死後、委託された業者が来て処分するのだろうかなんて考えると、今開けておくべきかもしれないという気持ちになった。



けれど、美和が片付けようと言わなければ、今日の僕はそれをしようとも考えなかったに違いない。



わーさんの死後、触らずに避けて来た部屋の中の荷物。



僕一人では多分、死ぬまで開けられない。



「一緒に、お願いします。」僕は美和に軽く頭を下げた。



一瞬目を丸くした美和は、シャワーの水をビチャビチャと壁に浴びせたまま、



「はい。」と返事をした。



「お昼、何がいい?」



キュッとシャワーを止めた美和は、「んー、あるものでいいよ。あ、そう言えば戸棚に賞味期限切れたインスタントラーメンがあったよ?」と言った。



「期限切れてた?」



「確か。」



「じゃあ、それにする?」



「うん。壁拭いたら行くね。」



「用意しておく。」



台所に立った僕は、鍋にインスタントラーメン二人分を作れる量の水を沸かし、戸棚を覗いた。



五食入りの袋麺、醤油味が、あと三つ残っている。



ガサガサ、取り出して賞味期限を確認すると、確かに、今月半ばで賞味期限が切れていた。



まあ、こういう物は切れても食べられるだろうと、僕は取り出した袋麺を二つ、コンロ横の調理台に置いた。



閉めた戸棚の中には、袋麺があと一つ残っている。



三つ作ったら多いだろう。期限が切れているからなるべく早く食べてしまいたい所だけれど。



沸騰した湯の中に、袋を破って取り出した麺を二つ入れると、その間に冷蔵庫から長葱を取り出して刻んだ。



菜箸で麺を解した後、テーブルの上にどんぶりを二つ並べた。



鍋の火を止めると、添付の粉末スープを入れて軽く混ぜ、完成。



出来上がったインスタントラーメンを鍋からどんぶりに移していると、ようやく美和が台所に入って来た。




「あー、ごめん。手伝えなくて。」



「こんなの、手伝う所なんてないよ。」



「ありがと。」



そう言うと、美和はまな板の上の葱を手で掴んで、パラパラとラーメンの上に散らした。



カシャン、僕が空になった鍋をコンロの上に置くと、美和が箸と白胡椒をテーブルの上に並べた。



水を入れたコップをテーブルの上に置くと美和は、僕に続いて椅子に腰を下ろした。



「食べよう。あー、美味しそう。」



いただきまーす、と手を合わせ、美和はずるずる、美味しそうに僕の用意したインスタントラーメンを啜った。



「久し振りだね。」と美和が言った。



「何が?」と訊くと、


「インスタントラーメン食べるの。たまに食べると美味しいよね。」と言う。



「ああ、そうだね。」



一人の時は結構頻繁に買っていたインスタントラーメン。



わざわざ食事を作りたくない時、それは手軽で不味くない食事。



でも、二人の時は、何だかそれで済ませるのは侘しいので、ご飯を炊いて味噌汁を作る。



それからおかずも何品か。だから常備菜も作り置いたりして。



「こういうの食べると分かるよね。」



「何が分かるって?」



「二人で食べると、全然味が違うって。」



「え?味が違う?」どういう意味だろう。



「一人で啜っていると、何だか侘しくなるでしょう?」



「そう?」



「うん。でも、二人で食べると、何だか楽しいね。」



楽しい?どこが?



「そうかな?」と言って見ると、


「そうだよ。」カタン、箸を置いた美和は、両手でどんぶりを持ち上げ、飲み頃になったスープを飲み干した。



コトンと置いたどんぶりの向こうで、ぷはーっと息を吐いた美和の顔は、確かに楽しそうで、それを見てふっと笑いそうになる口に、僕は慌ててどんぶりを近付けた。






午後、僕と美和は通称箪笥部屋と呼んでいる物置部屋に入った。



時々窓を開け、掃除機はかけていたが、大掃除はした事がない。



押し入れの中には、ここに越して来てから未開封の段ボールもあった。



「どこからやればいいかな?」



恥を忍んで訊くと、


「今使っていない物から始めよう。」と美和が教えてくれた。



「分かった。」



今使っていない物、それは押し入れの中のわーさんの私物。



ここに引っ越すと決めた彼が、僕が会社に行っている間に荷物を詰めた段ボール。



結局、開けないままになったその段ボールの中に、僕は何が入っているのか知らなかった。



それを押し入れから引っ張り出すと、蓋の上に『ワタル宝物』とある。懐かしい彼の字。



自分でデザインしたのか、宝箱を描いた中に取扱注意の文字を入れたシールが貼ってある。



この段ボールの粘着テープを剥がすのは、本来、僕の役目じゃなかったのに。



「元、私が開けようか?」



手で目を覆った僕の背中に、美和が声を掛けた。



「ううん・・・僕が開けるよ。」



僕は蓋に貼り付けられた粘着テープの端を掴んで、ビビーッと一息に剥がした。



丸めたテープを傍らに置き、段ボールの蓋を開けた。



「これ・・・」



入っていたのは、引っ越す前、彼が棚に飾っていた置き物や貯金箱、写真たてにハーモニカ、時計にUSBメモリスティック、それから僕があげたマスコットキーホルダー・・・記憶の中から遠ざかっていた物達は、ここにあったんだ。



どれも一つ一つ手に取るだけで、懐かしさの込み上げる品物が、そこには沢山詰まっていた。



二人で暮らしていた時に何気なく見ていたその物達を、



今は見ているだけで、涙が零れそうになった。



わーさんはどんな気持ちでこれらを箱に閉じ込めたのだろう。



処分するつもりで出来なかったのかな。それとも、ここへ越して来て、開いて並べるつもりだったのかな。



訊いてみたいけれど、それはもう叶わない。



僕にはこれを飾る事も処分する事も出来そうにない。



段ボールの前でへたり込む僕の肩をポンポンと叩いて美和は、「私も見ていい?」と箱の中を覗き込んで来る。



彼と僕だけの想い出を他の人に見せたくない気もしたけれど、隠す理由も無いから、「いいよ。」と言うと、



美和は写真たてを手に取り、


「元、若ーい。わーさんカッコイイ!」と中に閉じ込められている写真を眺めて言った。



黙っている僕に、


「居間に飾ろうよ。」と美和は言う。



「居間のどこに?」



「んー、床の間とか。」



「飾らなくてもいいよ。」そんな古い写真。



付き合い出して二年位のわーさんと僕が海辺で撮った写真。



日に焼けて、サーフボードを抱えた笑顔のわーさんの横に、半袖の白いシャツを着た僕が立っている。写真に映ってはいないが、下は砂浜。サンダルで、その灼熱に耐えながら、カメラのセルフタイマーが切れるのを待った記憶が蘇った。



「飾ろうよ。だって、わーさんの宝物でしょう?」



宝物・・・わーさんは僕との想い出を、宝物だと思って居てくれたの?



僕は、再び込み上げる涙を隠す為、


「じゃあ、飾って来てくれる?」と振り向かず言うと、


「うん。」美和は写真たてを持って、部屋から出て行ったようだ。



また泣いてしまった事に気付かれなかった、と一人になって安心した僕は、袖口で目元を擦った。



しかし、戻って来た美和の手には、ティッシュの箱が握られていた。



あーあ、気付かれていたのか。美和の前で涙を零したのは何回目だろう。本当に恥ずかしい。



人に見せたくない涙が、勝手に溢れて来てしまうようになったのを、齢のせいにしたくもなる。



「元、その箱の中身はそのままにしよう?他の、着ていない服とか出してみようよ。」



「うん。」



しかし、服と言っても、わーさんの服は少なくて、それもやっぱり捨てるに捨てられなくて、僕の服を整理する事にした。



けれど僕は通勤時スーツが多かったから、普段着はあまり持って居なかった。



捨てても二~三着。他に捨てられそうな物は無いから、「スーツ、捨てようかな。全然着ないし。」と言うと、


「スーツは取っておいた方がいいよ!」美和が押し入れ内に設置した突っ張り棒にスーツのハンガーを戻した。



わーさんもそんな事を言っていた。



「でも、着ないから・・・」



「捨てるのはいつでも出来る!」とか何とか美和が言い出して、結局、大して片付かないまま、午後三時を回った頃、


「おやつにしよう。」と美和は押し入れの中に段ボールを戻した後、僕の背中を押して、箪笥部屋を出ると、ピシャリと襖を閉めた。



「あ・・・そう言えば、羊羹貰ったんだ。」



ふと思い出した僕は、居間に置いた鞄の中から、母がくれた栗羊羹を取り出した。



「誰に貰ったの?」



「母に貰った。昔、僕が栗だけ食べて、父に怒られてたからなんて言ってさ。」



「へぇ・・・元、栗だけ食べちゃったの?いるよね、そういう子。可愛い。」



"可愛い"なんて、何だか馬鹿にされたようで恥ずかしかった。



「可愛くないよ。はい、美和。僕は食べないから。」



「お茶淹れるから拗ねないでよ。あ!コーヒーにする?」



「羊羹とコーヒー?合わないだろ。」



「そんな事ないよ。やってみよう?」



「えー?」



そうして、鼻歌交じりにコーヒーを淹れる美和の後ろで、僕は羊羹を切り分けた。



「あ!元、わーさんの分も切って。」



「はいはい。」



わーさんの分、そう言って仏壇にお供えした物の大半を美和が食べていた。



そうされる事は嫌ではなかったが、僕一人だったら、やらなかったかもしれない習慣。



美和は栗羊羹を皿に載せ、「お供えして来るね。」とわーさんの仏壇へ向かった。



一足先に僕は椅子に腰を下ろして、仏壇を振り返った。



コトンと皿を置くと、正座した美和は仏壇に向かって目を瞑り、手を合わせた。



何を思っているのか、いつも考えてしまう。



僕は報告が多い。悩みや愚痴はわーさんの前では吐き出さないようにしている。生前はそればっかりだったのだから、今更おかしいとは思うけど。



カタン、


僕の向かいで音がした。ハッとして正面を向くと、美和が椅子に座って居た。



美和が仏壇を離れたのにも気付かない位、ぼんやりしていた。



美和はそれに触れず、「いただきまーす。」と手を合わせた。



「いただきます。」僕も軽く手を合わせてから、コーヒーを啜った。



「ん!この羊羹、美味しー。甘さが絶妙だよ。元、元も早く食べてみて!」と美和は僕に勧める。



「あ、うん。」



僕はそれ程羊羹は好きではない。会社宛てに届いたお中元の水羊羹を志歩理に勧められても、僕は要らないと断っていた位だ。



母が言っていた、栗だけ食べていたと言うのも頷ける気がした。羊羹が嫌だったんだろう。



子どもの頃は、嫌いな物を無理して食べる習慣なんて無かった。嫌だったら残しても構わなかった。



大人と呼ばれるようになった今、嫌いだからと残すのは通らないので、吐き気を催しそうになる物ではない限り食べてみるというのが僕のルール。



三センチほどの厚さにスライスした栗羊羹の端から1/3の所に、ケーキフォークを入れた。



スーッ、途中、栗に引っ掛かるが、そのまま押し切ると、カチャン、皿にぶつかったフォークが音を立てた。



もう少し硬い栗かと思ったが、そうでもなかった。



栗は羊羹からポロリと離れ、別々になったそれらを、僕はフォークに刺して一緒に口の中に放り込んだ。



もぐ、もぐもぐ・・・



ホロホロと栗が砕けて粒になる。そして、美和の言った通り、羊羹は絶妙な甘さだった。



うん、美味しいかも。



甘過ぎず薄過ぎず、栗とも相性の良い甘さ。



何だか、僕らみたいだと顔を上げて美和を見た。



栗が僕だとしたら、羊羹は美和。



甘いから苦手だと敬遠していたけれど、あっという間に丸め込まれて、同じご飯を食べて、同じ部屋で眠る今、僕らの相性は悪くないんじゃないかと思ってる。



美和も、僕を嫌っていたら、いくらこの家が好きだと言ったって、何も無くて不便なこの場所で、暮らし続けられないだろう。



「美和は・・・好きなの?」僕の事、と続ける勇気が出なかった。




「えっ?好きだよ。もう一切れ、貰っちゃおうかな?」



「どうぞ。」



僕の心臓は、とても速く動いていた。



二切れ目の栗羊羹に手を伸ばす美和が、僕の真意に気付かなくて良かったと、そっと息を吐きながら、



もしも、美和が"僕"の事を"好きだ"と言って居たら、どうなっていたのか───



このバランスが崩れるのは確かだ。



「はい、あげる。」



コロン、と美和は僕の皿に、半分に切られた栗だけを載せて言った。



「栗?」



「うん。元、?栗好きなんでしょう?」



「・・・好きだよ。」



にこにこ笑顔の美和と、こうしてお茶を飲む時間。



いつか終わると知らない訳じゃない。でも今はまだ、ここに居て欲しい。



バランスを崩して、失くすのは嫌だ。



「元のお母さんは元の好みをよく知ってるねぇ。」



「そう?」



「どんなお母さん?やさしい?怖い?」



「どんな、って普通かな。」



「お父さんは?元はどっち似?」



「昔は母似って言われてたけど、今は父に似て来たかな。」



「へぇー。ご兄妹は妹さんが一人だよね?」



「あれ?僕、妹がいる事、美和に話した?」



「えっ?確か・・・」



美和は、外した視線を膝の上に落とした。



「志歩理から聞いたの?」



「うん・・・」



竦めた肩を上下させて頷いた美和に向かって、


「志歩理のやつ、何でも美和に話したんだな・・・」僕が小さく吐き出すと、


「社長は悪くないので───」と。美和は志歩理を庇う。



「悪いなんて言ってないよ。ただ、美和は僕の事を色々知っているのに、僕が美和の事を知らないなんて、不公平だと思ってさ。」



「あ・・・じゃあ、何でも訊いて!」



「何でもって言っても・・・それじゃあ───」僕も美和の家族について訊こうかと思った時、ふと、あのバス停で見かけた親戚の親戚だという男を思い出した。



「美和の実家に迎えに行った時、バス停に居た男って、親しいの?」



「バス停にいた男・・・?」ん?と美和は黒目を上に向けた。思い出そうとしているようだ。



そんなに存在感の薄い男なら、親密な間柄ではないなと、僕の気が少し落ち着いた時、



「赤松さんの事?」と思い出したように美和が男の名前を口にした。



「分からないけど。」



「青い車に乗った人なら、いとこのいとこ。」



「"電話する"とか何とか言ってたよね?」



「ああ・・・それは───」と言った所で、美和はニヤリとして、



「気になる?」なんて言い出した。



気になるから訊いたんじゃないか。



美和の言い方にムッとした僕は、「別に。」と返した。



「あれ?元、電話鳴ってる気がする。」



「電話?」



「携帯。」



「聞こえないけど。」



「でも確かに・・・」



ガタン、僕は椅子から立ち上がると、居間の鞄の中を探って、スマーとフォンを取り出した。



【着信履歴 妹携帯】



「何の用だろう?」呟いて、電話をかける。



呼び出し中に、カタッ・・・音がして、振り向くと美和が硝子戸の陰から様子を窺っていた。



ほーら、美和だって、電話する相手が気になるくせに。



あ、志歩理だと思ってるのかな?代わって欲しいとかだったら、生憎だけど。



『はい、もちもち』



ぶっ・・・!思わず吹き出した。



妹だと思ってかけたら、電話に出たのは日葵だった。



「もしもし、日葵?」



『おじちゃん、今どこ?いつかえってくるの?』



「え?帰って来るって、それはおじいちゃんちにって事?」



『みつあみふわふわしてくれないのー?』



「え、あー・・・ごめん、日葵。それはママに頼んで。」



『まま、だめってゆうもん!』



「じゃあ、おばあちゃんに言って。」



『おばあちゃんも、ママがいいっていったらねってゆうもん!だからねおじちゃんじゃないとだめなの!』



「え、えー・・・?」困った僕は、「おじいちゃんに頼んだら?」父さんなら三つ編み出来るかもしれない。娘が居るんだし。



『おじちゃんがいーい!』



「そう言われても・・・ママに代わって?」



『ママ、トイレ』



「じゃあ、日葵、勝手にママの携帯使ったのか?」



『ちがうよ。おじちゃんにひみつのおはなしあるっていったらかけてくれたの』



「そっか。そっか。ママに秘密なんだ。」



『うん』



「それならね、日葵。自分で出来るように練習してごらん。おじちゃんも最初は三つ編み出来なかったよ。」



『えー?じぶんでー?むりだよー』



「大丈夫。ママに教えて貰いなさい。」



『えー・・・?』



「ごめんね、僕はそっちに行けないけれど、また今度会おうね。その時は、日葵、自分で三つ編み出来るようになっててね。」



『わかった。バイバイ、おじちゃん』



「バイバイ、日葵。」



ブツッ、電話が切れた。



今時の幼稚園児は、すごいと思った。スマホ発着信操作が一人で出来るなんて。



日葵にお別れを言わずに発ってしまったから、日葵は僕が実家に戻って来るのをずっと待って居たのかな。



それなら、悪い事をしたな。



手紙でも置いて来れば良かったか。



スマホを手に台所に戻ると、美和がコーヒーを飲んでいた。



ゴトッ、テーブルの上にスマホを置くと、



「電話、終わったの?」と美和に訊かれた。



「うん。」



「ひまりちゃんって名前の子、うちの幼稚園にも居るよ。」



やっぱり、電話を聞いていたのか。



「ふーん。」と素っ気なく返すと、


「・・・・・・」美和が黙り込んだ。



先に意地悪したのは、美和の方だろう?



美和の表情が落ち込んだように見えるのは、電話の相手が志歩理ではなかったからか?



「志歩理にかけようか?」



「えっ?何で志歩理社長?」



「志歩理と話したかったから落ち込んでるじゃないの?」



「そんな、違います!」



志歩理の話をする時だけ丁寧な言葉遣いになる美和。



かなり志歩理を意識している事が筒抜けだ。



「美和の好きな人って、本当に志歩理じゃないの?」



「はい、違います。」



「名前だけでも教えて。」



「それは───」



「名前だけなんだから、いいでしょ?」



「ごめんなさい。」



テーブルに両手をついた美和は頭を下げ、額をつけた。



「分かったよ。いいよもう。」



僕は膨れた。不公平だよ。自分だけ、わーさんの事を根掘り葉掘り訊いたくせに。



「ごめんね、元・・・」



ぐすっ、ぐすっ・・・美和が顔を上げずに泣いていると判ったのは、しずくがポタポタ落ちて、テーブルの上に広がったからだった。



そんなに嫌な事を訊いてしまったのかと反省した僕は、



「もう訊かないよ。それから、電話の相手は日葵。妹の子で、今幼稚園に通ってる。寝る前に三つ編みをねだられて、一度してあげたんだけど上手く行かなくて。そうこうしている内に、日葵が寝ちゃったから、三つ編みを解いて布団に寝かせたんだ。翌朝僕が帰ったのを知らない日葵が、僕にいつ実家に戻って来るのかと電話を寄越した次第。」今の電話の内容を、美和に包み隠さず話して聞かせた。



頬に涙の筋を残したまま美和はクスッと笑い、


「元、モテモテだね。三つ編み、役に立って良かったぁ!」と目元を指で擦った。



「出来なかったら、出来ないと断れたけどな。」



美和が笑った事で安心出来た僕の口元も緩んだ。



「ところで、アカマツって人は、どうして美和に"電話する"と言ったの?」



もう一人の気になる相手の事なら訊いてもいいだろうと考えた。



「あー・・・何かね、あの人バンド組んでるらしくて、それで私に手伝って欲しいって頼まれたの。」



「バンド?美和が?」



「断ったんだけど、どうしてもって。キーボードの人がスノボで足怪我しちゃったんだって。一月三日にN駅のショッピングモールの広場で演奏するからって。」



「え?キーボード?・・・それで、練習はどうするの?」



「一日と二日に赤松さんの自宅の離れに集まって練習するって。」



「何それ・・・どうやって、そのアカマツって人の家に行くの?」



「住所は聞いた。でも、どうやって行くかは、まだ決めてない。」



また僕に車で送れって言うのか?と思って居た。



「もしかしたら、赤松さんが迎えに来てくれるかもって・・・」



「迎えにって、ここに?うちの住所教えたの?」



「ううん、教えてない。あの日も、ここまで送ってくれるって言われたけど、元がバス停に迎えに来るからって、断ったんだ。」



「僕との関係って、家族に話したの?」



美和は何と言ったのだろう。



友人?恋人?大家?



「元の事は───」



少しドキドキしながら美和の答えを待った。



「何も話してないよ。」



「え?」



「赤松さんには話したけど。」



「何て?」



「一緒に暮らして居る人です、って。」



それはそうだけど、異性同士暮らしていると聞かされた場合、変に勘繰るものではないか?



「それで彼は何て?」



「そうですか、って。」



「ええと、彼は美和がレズビアンだって事を知ってるの?」



「知らない。」



「じゃあ、僕がゲイだって事も?」



「言ってない。」



「それじゃあ、誤解されたんじゃないの?」



「何の誤解?」



「同居じゃなくて同棲みたいに・・・」



「同居と同棲って同じじゃないの?」



「同じ意味だけど、同棲と言うと、結婚前提の男女が一緒に暮らす事を言う感じになる。」



「ふーん。私達は同居でしょ?赤松さんも分かってると思うけど。」



「まあ、僕は齢が離れてるから、美和とどうこうなるとは思われなかったかもしれないけど・・・」



でも、彼の僕を見る目は鋭かった。だから、少しは警戒されていたのではないかと思うのだけど。



「元と暮らして居る事、誰にも言わないでくれるって言ってたから、大丈夫だよ。」



「本当に?信用出来る人なの?」



「多分・・・」



「多分って、何。」



「この前、初めて会った人だから。」




「あれっ?親戚って言ってなかった?」



「うん。いとこのいとこ。私が実家に戻ってると聞き付けたいとこが、自分のいとこ、つまり赤松さんをうちの実家に初めて連れて来たって訳。」



「彼は独身?」



「赤松さんは独身だよ。赤松さんと同い年のいとこは昨年結婚した。」



「そう・・・何か言われなかった?」



「何かって何を?」



「結婚したら?とか。」



「あー、まぁ・・・何で分かったの?もしかして元も言われた?」



「言われるのはいつもの事だよ。うちは家族が僕の事を分かってて、結婚させるのを諦めてくれた分、楽だけど。美和は家族に明かしてないんでしょう?」



「うん・・・言おうかなとは思ったけど、言えなかった。」



「まあ・・・まだ二十代だから、家族に明かすのはもう少し先でもいいかもしれないね。」



「元は?いくつの時に言ったの?」



「いくつだっけ・・・三十代になってからかな。期待されるのが嫌になって打ち明けた。」



「ご家族は何て?」



「うん・・・まあ、そりゃ、受け入れられないよね。母さん泣き出すし、父さんは口利かなくなるし。妹は、別にって感じだった。」



「そっか・・・」



「救いは、妹が結婚して、子どもが生まれた事だった。僕の重圧も半分以下になったから、その点は妹に感謝してる。」



「ひまりちゃん?」



「他に上に男二人。遥翔(はると)透真(とうま)。やんちゃ盛りで、妹もすっかりおっかない母ちゃんになっていたな。」



思い出すと笑える。妹の必死な形相。



だけどそれは決して醜い物ではなく、自分の事ばかりだった妹が、家族の為に頑張っている姿は微笑ましく、羨ましくもあった。



大切な人と暮らせる喜び。今はまだ浸る余裕もないだろうけれど、その大変な日々こそが、妹にとってのしあわせだって事、僕は知っている。



妹も分かっているだろうとは思うけれど。



結婚して子どもを設け、家庭を築く事がしあわせなんじゃない。



自分の大切な人と、同じ気持ちで一緒に居られる事がしあわせなんだ。



僕は大切なわーさんと死に別れ、一人になってしまったから、しあわせではないのかもしれない。



それでも、そのしあわせとやらを手に入れる為に、わーさん以外の誰かと結婚しようとは考えられない。



例えば、寂しいからと言って、葬儀の日、知り合った女性と仮に結婚したとしても、僕はしあわせになれるとは思えないからだ。



大切に思える相手には、そうそう出逢えるものではない。



美和がいい例だ。



美和は僕以上に、恋愛に関して人見知りで、初めて好きになってしまった女性以外の人間とは、共に歩む人生を考えられないでいると言っても過言ではなさそう。



僕はいいよ?45だから。でも美和はまだ25歳。その事実を知った家族は驚き、焦るかもしれない。



ただでさえ、同性愛者は異端者扱いされてしまう。しかも、その異端者の相手、もう一人の異端者を知った周囲は、その相手さえ居なければ、同性愛者にならなかったのではないかなんて考えてしまったりもするから、親しい人達にカミングアウト、自分と相手の事を明かす時は、慎重にならなくてはならない。



美和は、関係のない僕にさえ明かせなかったんだ。家族にはもっと言えなかったに違いない。



コトン、その音にハッと顔を上げると、僕の湯呑みが目の前に置いてあった。



立ち昇る白い湯気の向こうで、



「コーヒー冷めちゃったから、お茶にしたの。」美和が自分の湯呑みを持って、椅子に腰を下ろす所だった。



「ああ、ありがとう。」



「どういたしまして。」



台所の窓の外に目を遣ると、また雪がチラついていた。



今夜も冷えそうだ。



「今夜、鍋にする?」



「あ、そうだね。冷蔵庫に食材、あんまりないし。」



「冷凍の魚介と乾物がある。乾麺も確か・・・」



「あったね。明日の朝は今夜の残りにカレー入れると、カレー鍋になるよ。」



「えー、やだ。それならシンプルに雑炊がいい。卵ないんだっけ?」



「一個あったかな。じゃあ、今夜は魚介鍋で、明日の朝は玉子雑炊ね。」



「うん。」



もう冷めたかなと、ふーふー、ずずっ、お茶を啜ったら、舌の先を火傷した。



美和を見ると、べーっと舌を出している。



「どうした?」



「ひた、やへどひた。」



舌を出しながら喋る美和の様子に、僕はぷっと吹き出した。



「僕も火傷した。」



一緒に暮らすと、似て来るのかな。わーさんと暮らして居る時も、こんな風に感じた事があった。



「ごめーん。お湯、熱かったね。」



「まったくだよ。」



ふふっ、ふふふっ、ふふふふっ・・・!



つられて僕も笑いながら、



さっきのように、涙を零してしまう程、つらい想いを手離せないのはどうしてなのだろうと思う。






僕も美和も、大切にしたかった人を忘れられたら、もっとしあわせで、もっと笑えたかもしれないのにと思う。





それでも、僕はわーさんを、美和は僕の知らない彼女の事を、死ぬまで忘れられずに生きて行くのだろうけれど。




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