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そうそうない  作者: 碧井 漪
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13 2015年11月3日のこと

枯れたひまわりすらなくなった畑を見ていると、大切な人を失ったあの日の事も、全て幻だったのかもしれないと考えてしまったりもするようになった。



11月3日、火曜日だけど祝日、文化の日。



今日は幼稚園が休みの日だから、送り迎えもない。



お昼前の、ゆったりした時間。チャンスだった。美和と話すには丁度良い機会。



僕の死後、どうするか、どうして欲しいかという事を纏めたものを、まだ美和に見せられずにいた僕は、幼稚園で使っているらしいノートに何か書き込んでいる美和に、



「お茶淹れるね。」と立ち上がり、台所でお湯を沸かす間、仏壇の引き出しに入れておいた資料を取り出した。



クリアファイルに挟んであるそれを一旦、台所のテーブルの上に置き、僕は急須の蓋を開けた。



「死後事務委任契約って何?」



不意にすぐ後ろで美和の声がした。



驚いた僕は、やかんのお湯を、急須ではなく自分の足元に注ぎそうになって、慌てて避けた。



「美和、何でここに!」



「え?元がお茶煎れるって言うから手伝いに来たの。」



「い、いいよ。僕一人で平気だから。」



「それより、これ、何?」



美和はテーブルの上に置いたクリアファイルを、トントンと人差し指で叩いた。



「何って、これから必要になる書類。」



「死後何とかってあるけど、誰の?」



「僕の。」



「えっ・・・元、死ぬの?」



「うん。」



「駄目だよ!そんな事!生きていればいい事があるから!」



「美和。」



「何?」



「僕が今すぐ死ぬとでも考えた?」



「え・・・?」



「今すぐじゃないけど、いずれ死ぬ時の為に考えておこうと思って。」



「なーんだ。びっくりした。」



「美和にも聞いておいて貰いたいと思って。いい?」



「いいけど・・・元、体の調子が悪いとかなの?だったらまず病院に───」



「違うって。元気だよ。あ、お茶お茶。」



忘れていたお茶を二人分煎れ、買っておいた栗どら焼きを戸棚から出して、居間に戻るつもりだったけれど、美和も台所に来ているので、台所のテーブルで話す事にした。



「僕が死んだ後、遺体の火葬と埋葬、遺品整理、財産の処分、その他手続きなんかを、弁護士か司法書士か行政書士と委託契約出来るんだけど、それを美和にも言っておかないと、いざという時、何だ何だという事になるだろ?」



「委託契約?それをすると、弁護士さんとかが元の死後の手続きを一切引き受けてくれるって事?」



「そう。」



「へぇー、いいね。そういうのがあるんだ。」



僕は拍子抜けした。美和は『死後の事を話すなんてまだまだ先だよ!』って言い出して、僕の話を聞いてくれないかと思っていたから。



「あるんだよ。」



「それで?契約したの?」



「それがまだ。ちゃんとした所を選ばないと、履行されない場合もあるらしくて・・・」



「それって詐欺だね。」



「それと、頼む所によって、費用もバラバラだから。」



「最低いくら位から?」



「僕が調べたのだと、最低五十万位かな。家の処分なんかも含めてだから。」



「処分って、この家、どうするの?」



「まあ、売りに出すか壊すか、そこはまだ相談前だから・・・」



「壊しちゃうの?」



「それはまあ・・・僕が死んだら住む人居ないし。」



「・・・そっか。」



美和は『私が住むから、この家頂戴!』と言うかな、なんて思ったりもしたけれど、そうは言わなかった。



この家が好きだと言ってたけれど、この家が無くなると知っても、あっさり納得する程度だった。



「いつ、契約するの?」



美和から訊かれた僕は、「いつにしようかな。まだ考えてる。」と答えた。



自分から切り出しておいて、まだ考え中とは、何とも恰好が付かない。



「分かった。また何か話が進んだら、私にも教えて。」



「うん。」



「あっ、栗どらだー。美味しいよね、これ。お茶もいいけど、牛乳にも合うよ。栗と牛乳でモンブラン風味になるの。知ってた?」



「知らない。」



「えー?今度やってみてよ。」



「だったら最初からモンブラン買うから。」



「あ、そっか。その方がいいね。」



栗どら焼きを見た途端、美和のテンションは一気に上がった。



そんなに栗どら焼きが好きだとは知らなかった。



「そんなに好きなら、もう一個食べる?」



僕は自分の分を美和に差し出した。



「いいよー。元も食べて。甘いの食べるとね。元気出るんだよ?」



そう言われて考えた。



美和は、僕に気を遣ってわざと明るくしているのかもと。



僕が、わーさんを偲び過ぎて、死にたくなって、死後の始末の事を考え出したとでも思ったのかもしれない。



そうじゃないんだけどな。



まあ、遠くないか。



とにかく、美和に僕の死後の事は心配要らないよという事を伝えられただけでも良かったか。



早く、契約先を見付けないとな。



僕は、僕の中に肩を落とす自分が居る事に気付いていた。



本当は期待していたのだろう。美和に託せるかもしれないと。



『元の死後の事は、私が引き受けるから、安心して』そう美和に言って貰いたかったんだ。



しかし、冷静になって考えたら、僕と美和は何の関係もない。



恋人でも友人でも夫婦でもない。ただの同居人。



しかも20歳も離れている。20代の美和にとって死は、まだ考えられないものだろう。



それなのに、僕が考えた死後のプランを分かってくれなんて、唐突過ぎた。



仮に分かってくれたとしても、僕についての面倒ごと一切を美和に託すのは間違っているのに。



どうして僕は、この期に及んで美和に甘えようだなんて考えを持ってしまったのだろう。



わーさんだって、僕に甘えようとしなかったのに。



どうしてもと思うなら、この場合、数か月一緒に暮らした美和よりも、20年来の友人の志歩理に頼む方が自然だ───なんて、僕は駄目だな。人に甘えたくなってしまうこの性格を直さないといけない。



家族、親戚、友人、誰かに頼むのだって、タダでなんてそんなの悪いから、やっぱり仕事としてお金を払って、全然知らない人に頼む方が、僕の気も楽だ。



うん・・・そうしよう。知り合いには頼まない。もしも、美和が引き受けてくれると言ったとしても、断ろう。



肩に入っていた力を抜いた僕は、ふーっと息を吐いた。



「はい、元。」



「───え?」



「半分こ。栗の入ってる方は元にあげる。私、一個食べたから。」



美和は、フイルムを剥がし、僕の前に半分に割った栗どら焼きを右手で差し出していた。



「ありがとう。」深く考えず受け取った後で、食べる気分じゃないから、美和にあげた事を思い出した。



ぱく、栗のないどら焼きの半分にかぶり付いた美和に倣って僕もぱくり、手にした栗どら焼きを口にすると、ほんのり甘いカステラ生地と、すごく甘い粒あんの味が、舌から脳にぱあっと伝わり、僕の頭を重くしていた物質は一瞬で隅に追いやられた。



あまーい。



これはこれで悪くないけど、と僕はお茶を啜った。温めの渋さも脳に沁みる。



「”シュウカツ”って言うんだってね。」



そう言って美和は、親指と人差し指で抓んだ最後の一切れを口に放り込んだ。



【シュウカツ】───と言っても就職活動ではなく、人生を終える為の活動を【終活】と言うらしい。



就職活動をした人は沢山いると思うけれど、終末活動をした人は少ないと思う。わーさんのように死期が近付いていると分かっている人は多くない。



「終活・・・って程でもないけど。」



わーさんに比べたら、まだ死期も確定していない僕が本格的に始めるのは、可笑しい事なのかもしれない、と少し迷いもある僕は、美和に『そうだよ。その終活だ』とはっきり言う事が出来なかった。



この時点で思う。まだ僕の気持ちが固まっていないじゃないか。それなのに美和に話すなんて僕は順番を間違えたんだ、と恥ずかしくなった。



「私に協力出来る事はするけれど、あんまり役に立たなそうだから期待しないで。」



「え・・・?」



美和の一言で、僕の前に道が拓けた気がした。



否定されたら折れていたかもしれない気持ちが、少し軽くなっていた。



「そう言ってくれて、ありがとう・・・」



嬉しくなった僕は美和を見れず、手にしている、栗の落ちそうなどら焼きを見つめていた。




あっ、落ちる。



ぐらついた栗を、顔を傾けて開けた口で受け止めた。



ぱくん、もぐもぐもぐ・・・昔、お正月に食べた栗きんとんを思い出す。



栗だ。



その後僕は残った甘いのを一気に食べ、ぐーっとお茶を飲み干した。



いつの間に沸かしたのか、美和は新たなお湯を急須に入れ、熱いお茶を淹れてくれた。



「ありがとう。」改めて言った僕に、美和は、にこりと微笑んだ。







その夜、眠る前にわーさんの仏壇の前に座り、手を合わせた。



昼間、美和に見せた終活についての資料一切は仏壇の引き出しにしまってある。



急ぐのはやめよう、と僕は一度立ち止まって考える事を、わーさんに報告した。



不安が焦りを生んでいたのだと思う。



いつ死ぬか分からない。



仮にもし、明日突然死んでしまったら、美和が何とかしてくれる。大変な事には変わりないが、僕が美和だったらそうすると思うから。



美和は僕を見捨てて逃げる人ではない。



一応、信頼している。



僕の死後を今の状態で美和に全部託す事は出来ないけれど、ほんの少しも甘えられないって訳ではないみたいだから。



僕に出来る事は、今死なないようにする事。万病の元である風邪も引かないように努力しよう。



わーさん、見守ってて。僕はまだそちらに行けそうにない。ここでの決着をちゃんとつけて、それから僕はわーさんの許へ寄り道せずに向かうから、もう少し待ってて。



うん、と僕は頷いた後、いつも仏壇の前に据えてある座布団から立ち上がった。



歯を磨いてトイレを済ませ、灯かりを消して布団に潜る。



パチッ。



先に布団に潜って目を閉じていた美和は、やっぱり起きていた。



「わーさんと、何を話していたの?」



「んー、ちょっと。」



「秘密の話?」



「違うよ。終活の話。少し焦り過ぎていたみたいだ。」



「そうなの?」



そうなの?とは意外だ。僕の考えを理解してくれていたのなら、もう少し引き受けてくれても・・・って、これは違うか。



恋人なら、引き受けてくれたのだろうか。



気になって聞いていた。この時の僕は立ち止まると決めたばかりで、まだ完全には止まっていなかった。



「もしもの話だけど、もしも、僕が美和の恋人かなんかだったら、美和は僕の最期を看取ってくれる?」



「何それ。」



「仮に、の話だよ。」



「それは、そういうものでしょ。逆に訊くけど、元が私の恋人だったら、元は私が死にそうだったらどうする?追い出す?」



「追い出すって、何。僕が死にかけている人を追い出しそうに見えるの?」



「さあ?」



「さあ?って酷いな。自分で言い出しておいて。」



「どうしてそんなに死んだ後の事が気になるの?」



「今、僕が死んだら美和が困るかなと思って。」



「ああ、それは確かに困るね。」



「だろ?家の事、墓の事、財産の事、託せる相手のいない僕は、今の内にちゃんとしておかなくちゃなと思ったんだ。」



「そうだったんだ。それって私の為?」



「美和の為、というか僕の為だよね。家や財産はいいんだ、どうなったって。だけどお墓だけはそのままにして貰いたい。わーさんと僕が最期に辿り着いた唯一の場所だから。」



唯一、誰からも後ろ指を指されない場所。二人で静かに眠れる場所。



僕とわーさんが愛し合った証なんて、後世に何も残せない。残したい訳じゃないけれど、少し寂しかった。



誰からも忘れられた方がいい記憶に分類されるであろう僕らの関係。



男女なら美談になっても、男同士では殆どならない。



同性婚が認められたとしても、子孫は残せない。



そうなると、結婚って、子を成せないと意味がないみたいに世間一般から思われているものなのだろうか。



「元、もしもの話だけど、結婚する気はないの?」



「結婚はしない。一生一人でいい。」



「そっか。じゃあ、考えないとね。」



終活中に結婚する事を【終末婚】と言うそうだ。



お互いに最期を看取る約束も含まれた結婚。



結婚は契約だという人がいるという。



僕はわーさん以外と結婚したいと思っていない。今までもこれからも。



僕の死を看取ってくれる契約は魅力的だが、その為に結婚しようとは思わない。



「美和は───」言い掛けた僕の耳に、


すーすー、すーすー、美和の寝息が聞こえた。



「結婚・・・するだろうな、美和は。」



いつかここを出て行く美和に、僕の最期は頼めないのは分かっているのに。



何だか変な感じがした。胸の端っこに何かが痞えているような───




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