穴を通せば
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
自分の花押であるセキレイの目に、穴が開いているかどうか。手紙をめぐる問答の際に、このことを話して危機を乗り越えたという伝説は、伊達政宗のものだったかな。
実際のところ、このようなことがあったかどうかは疑わしい。けれども花押が大名のサインとして、出す人出す人によって使い分けされていたのは、確かなようだね。
今でこそ、貨幣などの偽造を防ぐために様々な技術が使われているけど、それらがない昔のことだと、個々人で工夫を凝らさなきゃいけなかったろう。それが紙に穴を開けるようなものであっても。
穴。反対側まで突き抜ける空間のこと。
僕個人としては、驚くべき仕組みだと思う。本来なら、すぐ近くにありながら隔てられていた二つの場所を、一気につなげられる一点なのだから。
便利であり強力で、ゆえに扱いには気をつけなくてはいけないものじゃなかろうか。
僕がそう感じた経験があるんだけど、聞いてみないかい?
小学校で初めてコンパスに触れたとき、僕はそれがもたらす穴に、心惹かれたのを覚えている。
彼らが作るのは、文字通り針の先ほどの小さい穴。けれどもしっかり裏まで突き通し、ひっくり返すと太陽の光すらもしっかり通す。身体も小さいのに、どうしてこのような大仕事ができてしまうのか、幼い僕には不思議でならなかった。
――あちらこちらに穴を開けてみたら、そこはどこにつながるのだろう。
漠然と考える僕は、すぐに実行へ移すことにしたんだ。
自分の身体とかは論外だ。
痛いし、すぐに血があふれて向こう側を見通すことはままならない。血を見るのは苦手な僕だから、他人や生き物に対しても却下した。そうなると相手は無機物ばかりとなる。
コンパス、そしてほぼ同じ針先を持つ画びょうを仲間とし、僕はいろいろなところへ穴を開けてみる。
とはいっても、大半は柔らかめのものが相手だ。黒板とかコンクリートとかは歯あらため針先が立たないんじゃ意味がないからね。壁に刺し、地面に刺し、そこに空くわずかなすき間から向こうをのぞき見た。
――ん? 鍵穴やドアスコープじゃ満足できなかったのか?
もとより、誰かの手によって空けられた場所じゃあ、魅力を感じないんだよねえ。
自分が真っ先に手をつけ、自分がいの一番に見つける。そこに意義があると信じてやまなかったんだよ。
あちらこちらに穴を空けてみたものの、そのほとんどが黒い闇をもって答えてくれるばかり。壁の穴も、地面の穴も。
その中で数少ない例外を見せてくれたのが、自宅の押し入れ。その天井だ。
主に布団を入れるために使う二段の仕切り。その一番上の布団の上に寝そべると、もう目と鼻の先に天井の板がある。
部屋の天井とは違う、木目のない茶色一色の遮り。そこへコンパスの針を刺すと、驚くほど簡単に向こうへ通してくれた。薄いベニヤを相手にしたかのようで、不安を覚える手ごたえのなさだが、穴の向こうで待っていたのは、黒一色の空間じゃなかった。
柄付きのビー玉を、君は見たことがあるだろうか?
ビー玉は溶けたガラスを切り、それを転がして冷やすことで作られる。その際に色をつけたガラスを混ぜ込むことで、あのような様々な柄を生み出すことができるんだ。
僕が押し入れの天井の穴を通して見たのは、そのガラス玉のようだった。光源などないはずの天井裏には、まぶしいばかりの白が満ち、その中空に、かんきつ類が皮をめくっていく瞬間を閉じ込めたかのような、錦柄が浮かんでいた。
ただし、多くの人が考えるような、黄色とかだいだい色じゃなく、赤色だったんだ。
僕の目に、その柄は少しずつ動いているように見えた。ほこりが宙へ舞うように、ゆったりゆったりとだ。それが色づいているものだから、どこか海の波を思わせる。
それを見ているとね、じんわりとだが涙が湧いてくるんだ。
悲しいわけでも、退屈なわけでも、目を開けているのが辛いわけでもないのに、自然と頬を伝っていくものを感じずにはいられない。
全然、不快じゃないんだ。むしろ心が安らぐような感じで……ちょうどいい温度に調節したお風呂かこたつに入っているかのようだった。実際に布団はそこへあれど、くるまっているわけではないのに。
真っ先に心地よさを覚えたものからは、一気に離れがたくなる。
僕はそれから時間を見つけては、何度も押し入れにもぐりこみ、自分の空けた穴の向こうを見つめていた。たたんだ布団の上に寝ころび、目を凝らして見る天井にその穴を確認するとき、たとえようもない幸せを胸に感じていたんだ。
しかし、その日々が半年ほど続いてより後。
僕は下校際、交通事故に巻き込まれた。集団下校の途中、僕たちの歩いていた歩道のガードレールを突き破る勢いで、車が突っ込んできたんだ。
厳密には、かろうじて車のヘッドが破る程度で、タイヤの餌食になってしまった子はいない。それでも車体に突き飛ばされて、数人の児童がけがをした。ちょうど僕と一緒に帰っていた子たち、全員がだ。
ただひとり、僕をのぞいて。
その日、家に帰ってみる天井裏への穴は、光こそあったもののいつもと違う景色があった。
あの錦柄。かんきつ類のむけた表皮を思わせる広がりのうち、一片が見当たらないんだ。
何回も見てきたんだ。数だってしっかり覚えている。確かに、確かに一片だけが足りなかった。時間をおいて見直しても、数が元に戻ることはなかった。
それから今まで、数は減る一方だ。僕が間一髪だったとき、あの柄は少しずつ消え去っていく。
坂道で自転車のブレーキが利かず、交差点に飛び出したとき。
電車が駅に入ってくるタイミングで、不意に後ろから誰かに突き飛ばされたとき。
マンションの前を通りかかって、自分のすぐ後ろに大きなプランターが落ちて砕けたとき。
いずれも命の危険があるたび、柄の皮は一枚ずつなくなっていった。
――いまは何枚残っているかって?
ふふ、いえないよ、それは。誰にもいえないし、いいたくもない。
こんなことなら、穴を作るべきじゃなかったと思うよ。




