半世紀前からの呼び出し
十八歳の時、お見合いすら経ない形での縁談により私は結婚した。正確に言えば十六歳になった直後に許嫁とかなんとかと言う理由で今の亭主と縁談を結ばされており、高校を卒業と同時に結婚するのがほぼ既定路線になっていた。
それでも三つ上の現亭主が私が高校を卒業するまでに公務員試験に受からないのであれば縁談は取り消しと言う事になっていたが、亭主は見事に一発で役人になった。その時の父のはしゃぎようと来たら、半世紀経った今でもはっきりと覚えているぐらいだ。
そしてとりあえず顔を合わせてからと言う正論のつもりの言葉をぶつけてみたら一瞬ではしゃぐのを止め、心底心配そうな表情で私の顔を見つめた。
「まったく、うちの娘が心配性で仕方がなくて、本当に申し訳ありません」
「まあね、どんな相手なのか事前に知っておかないといろいろ不安ですからね」
そう言いながら今の義父母に向かって頭を下げる父の顔はまったくしょぼくれた物であり、私もまるで自分がこれまでの父の人生を全否定するような事でも言った気分になって顔を上げられなくなってしまった。
「何やってるんだ、見たいと無理強いしたのはお前だろうが」
「どうしろって言うの!」
そうしたらそう頭ごなしに矛盾した理由でどなる物だからついいら立って声を上げたら、あの数日前まで戦前に開かれる予定であった東京オリンピックを狙っていたと日々豪語しその後戦争に駆り出され、帰還後本当に行われた東京オリンピックで聖火ランナーの座を同僚たちと争って見事に勝ち取った、たくましく力強い肉体を持ち威厳たっぷりだった父親が大泣きしてしまった。
ああなんてことをしてくれたんだ、これで何もかもおしまいだ、お前のような行かず後家を育てたつもりはなかったのにと犬か赤ん坊のようにわんわん泣く姿はあまりにもみっともなく、申し訳なさを通り越して呆れてしまった。
「それが何か問題で?」
その父に対し今の亭主が事もなげな様子でそう言ってくれたのを聞いて、私はようやくこの好きでも嫌いでもなかった人間に愛情を持つ事が出来るようになった。
全くみっともないったらありゃしない。
その言葉が私が帰宅した家で飛び交って行た。
言うまでもなく先に発したのは父であり、その有様を聞いた母が同じ文句を父にぶつけた。まったく、二年前に四つ上の姉を同じように見合いをして送り出したのになんで私の時に限ってと文句も言いたくなる。
男女が交互に生まれた五人兄弟の四番目である私、それほど甘えられなかった上に年子の末っ子の面倒を見る役目ばかり押し付けられて来た私自身親に対する潜在的な不満があったのかもしれないが、それでもなぜかあっさりと父親に見切りをつける気分になれてしまった。
ついでにこの時、私は戦争の無意味さを知った気になった。
それからはずっと、放課後は花嫁修業のために費やされた。
母親に付き従いながら家事について本格的な学習を行い、炊事洗濯掃除裁縫と言った家事の手練を叩き込まれて来た。
他にも実家から一キロの距離に嫁いだ長女がたまにやって来ては私の腕前を試して来た事もあった。もちろん先輩様の貫禄を見せつけられていたが、それでもそれほど悔しさはなかった。
盗もう盗もうとして必死になっていたせいか、それともまだ若かったゆえか毎日続いた割に疲れる事も飽きる事もなかった。
そんな中たまたま実家にあった今の家のそれよりちょっと大きい庭に咲いていた、名前も思い出せない様な花を見てなんとなくきれいだと言った途端、母も兄嫁も姉もここぞとばかりに私に花と庭について教え込みにかかった。
ガーデニングなどと言うバタくさい文字が伝播するはるか昔、家の中に四六時中いるのが当たり前の女性の趣味としてはちょうどうってつけだったのかもしれない。
あの庭自体、誰が基礎を作った訳でもなく野ざらしに近い状態であったはずだ。そんな母も兄嫁もまるで手を付けなかった庭に花が増え始めたのはちょうど高校を卒業しようとする間際だったはずで、弟などは姉ちゃんはずいぶん可愛がられてるんだなとかしょっちゅう愚痴をこぼしていた。
でも、まもなく家を去る人間のために何をここまでする理由があったと言うのか。ある意味での嫁入り道具を持たせるためとか言う名目にしてもやりすぎとしか思えない熱の入りように、内心では少し引いてしまっていた記憶もある。
三十歳の時母親の還暦祝いで戻って来たらもう荒れていた事を考えると、あるいは父がこのままでは私が本当に嫁に行けないのではないかと怯え、なんとかして私に女らしく家から離れる必要のない趣味を植え付けようとしたのではないかとも思えて来る。
「孫は元気か」
とその時、いや普段からやたらしつこく聞いて来たのは、今から思うと病弱気味な子どもたちの身を案ずると共に離婚の二文字に対する怯えだったかもしれない。
子はかすがいとか言うが、だからと言って何もあそこまでと思いもした。
「もっと何べんも来た方がいいですかね」
「いやいいよいいよ、キミがうちの娘を大事にしている事はよくわかったから」
確かにその時から私は植物の世話と服とアクセサリー以外変化の少ない生活であり実家への帰省は数少ないリゾートであったが、それでもこの親のまるで威厳のないありさまを見るとだんだんとその気は起きなくなって行った。
しかしもしこれが私に何があっても離婚などしてはいけないぞなんて考えさせるための父の策だとしたら、まったくしたたかな話だ。
「もしもし」
めったに鳴る事のない電話が唸り声を上げた。亭主が役人時代の晩年に必死になって覚えた携帯電話は既に旧型と化し、現在家で幅を利かせているのは二十年前に取り付けた据え置き電話ばかりだった。
居間で横になっていた亭主はその据え置き型電話の真ん前にでかでかと書かれている振り込め詐欺注意とか言う文字の貼り付けられた紙に適当に視線をくれながら、ゆっくりと受話器を握った。
「お前に電話だそうだ」
自分に向けて電話がかかってくる事など、一年に何回あるのかわからない。
そんな貴重な体験をさせてくれたのは一体どこの誰だと、足を弾ませながら亭主から受話器を奪い取った。
「もしもし」
「ああもしもし鈴木さん」
鈴木と言う、全くありふれた姓。だがそのありふれた姓をテレビやラジオ以外で聞いたのは、一体いつ以来だろうかわからない。
なぜか隣近所に鈴木と言う名前はまったくなく、子どもたちが学校に進学しても不思議なほどに縁がなかった。せいぜい同学年に二人ぐらいの物であり、日本一多い名字だなんて嘘だなと常日頃から思っている。
何より、私はもう半世紀以上前から鈴木ではない。
「あの、もしかして浅野さん」
「そうですよ鈴木さん」
要するにそんな呼び方をするのは、私が鈴木だった頃を知る人間しかいない。
あるいはと思って頭の隅っこに思い付いた名前をふと言ってみると、相手のテンションは一気に高揚したようだった。
そしてまた、鈴木と同じくなぜか浅野と言う姓にもここ半世紀ほとんど縁がなかった。一応テレビドラマとかでやっている忠臣蔵とかには浅野内匠頭と言う人間が出て来ていたが、生で会った事は本当に全くなかった。
そんな私にとって浅野とは、ありふれた姓ではなく固有名詞だった。
「いやお久しぶりですね、にしてもずいぶんとしわがれましたね」
「まあこの前古稀になりましたですから、当たり前ですけど」
そして私はその「浅野」の事をよく知っている。
しわが増えた手で受話器を握りながら動きの悪くなった頭を必死に動かし、かつての「浅野」の姿を思い浮かべようとしてすぐにやめた。
半世紀と言う月日は人間を容赦なく変える。若い若いとか言われた所で十代の時の自分と比べれば確実に婆だ、同じだったら逆に恐ろしい。必死になって思い出してあーあとなるぐらいなら予備知識なしの方がよっぽどいい。
「もし都合が付くのであれば明日でもお会いしたいのですが」
「少々お待ちください」
お待ち下さいとか言ってみたが、別にそんな用件はない。心の準備が付かなくてうんぬんとか言うつもりもない。
真っ白なカレンダーになんとなく視線をやりながら、亭主と庭の事を考えてみた。
庭の真ん中で私こそこの庭の主なんだと自称してはばからないスズラン。
今はちょうどほぼ花が散ってしまった時期だが、ひと月前は盛大に咲き誇っていた。人の一生に例えるには毎年毎年起こるせいで見慣れすぎていてそんな感傷を感じる事もなくなってしまったが、それでも自然を感じるには十分だ。
そしてその反対側の建物の中では亭主が何十年前のホームランを見ながら笑ったり泣いたりしている。葉っぱだけになったスズランのように、あれもあれで務めを終えた一種の成功者なのだろう。
一張羅を身に纏う私の姿を、亭主は満足そうに見つめていた。料理がまともにできない亭主を置き去りにするのは一昔前ならば心が痛んだが、今はそうでもない。
どうしてもやる気が起きない時に買って来たコンビニエンスストアのお弁当が、予想外においしかった上に亭主も気に入ってしまった。
二日間の人間ドックの時もどうやらそれですませたらしい、いまさら栄養のバランスうんたらかんたらの問題ではないがあくまでたまに買う程度であって欲しいと思っているし、亭主もその期待に応えている。
歩いて二十分、十年前なら十五分で行けていた駅前の喫茶店。
数年前になんとかかんとかと言う有名な店が入り込んで来た時は少し驚きもしたが、娘に連れられて入った時には結構おいしいじゃないと少し感心した。
もちろんそれ以来である手前何を頼むかなど全くわかっていないが、初めての経験がまたできるなと思うと少しだけ幸運かもしれない。
それにしても我ながら派手な服だと思う。二十年前の服を着られるのは自慢の種だとは思うが、なぜその時の私はこんな物を欲しがったのか一瞬だけためらい、それでもう先は見えているのだから好きな格好をさせろと意気込んでみたが、こうやっていざ本当に若い人たちが集まっている所に紛れ込んでみるとやはり六十九歳のおばあさんが珍妙な若作りをしているだけにしか思えて来ない。
その事に一瞬だけ気恥ずかしさを感じてみてひるんでみると、奥の席に座っていた一人の男性がゆっくりと立ち上がりながら、カーキ色のテンガロンハットを取りつつ頭を下げて来た。
「浅野さん」
「鈴木さんですか、ああ今は」
「鈴木でいいですよ」
亭主より少し黒味が薄くわずかに量の多い髪の毛を見せびらかしながら、人畜無害そのものの裸眼を向けて来た男性。
彼こそ、「浅野」だった。
次回は30日までお待ちください。