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若い若いと言うけれど古稀

「ずいぶんとまあ長かったもんだ、ちょっと惜しかったかもな。まあノーカウントって奴でもいいかな、いいって事にしておくからよ」


 たかが二日間の話なのに、亭主の物言いと来たらずいぶんと長い旅の帰りをして来たみたいだ。


 亭主にとっての自慢の一つを、私はこの二日間で奪い去ってしまった。


 特段どこが悪いと言う訳でもないけど、まあ年も年だしと言う程度の動機で受けた人間ドック。俺は豪華客船じゃあるまいしとか言う減らず口を叩いて一度もそんな事をして来なかった亭主を置き去りにして、二日間ほどの入院生活なんて物をしてみた。


 五十代後半の体力、視力はやや悪いがそれとて年相応レベル。


 何か秘訣でもあるんですかと聞かれる度に別に何もありませんけどと言いながら首を横に振る物だから首が疲れてしまいましてねなんていうつまらないジョークを飛ばしては看護師さんたちの顔をほころばせもした。なんとも楽しい二日間だった。




 考えてみれば生まれてこの方、とんと病気と言う物に縁がない。もちろん完全無欠の無縁と言う訳ではないにせよ、熱が38℃を超えた事は人生で二度しかないし、風邪で学校を休んだのも高校生までの12年間でたったの三度である。


 もちろん骨折その他の経験もなく、せいぜいが肩こりなどの時にこう薬を貼り付けていたぐらいだ。



 そしてそれは、亭主も変わらなかった。


 お役人様ってのは本当に楽な稼業なんですねとか嫌味を叩かれまくっていたのはよーく記憶に残っているが、もし仮に本当に楽な稼業だったのならば最低いっぺんは病気で倒れていただろう。


「どうして俺の息子たちは俺にもお前にも似なかったんだろうな」

「私たちが全部持ってったんじゃありませんこと」


 何百回目だかわからないやりとりだ。


 私たちが健康を気取っているのに対し私がこれまでの三回の入院生活でこさえた子どもたちの内長男と末っ子の男子はやたらに体が弱く、年間に二けたは学校を休み太っていたわけでもないのに体育の成績は下位だった。

 一応間に生まれた娘だけは比較的壮健だったものの、それでも先月の自分たちの金婚式の時には熱を出して顔を見せる事はできなかった。

 四十五歳にして四人の子どもをこさえるほど頑張ったのだから仕方がないか、なんて言う言い訳を封じ込めてしまっている事を考えると健康も良し悪しだなと思えて来るから厄介である。


「まあ飲めよ」

「あらどうも……まあ、昔からこれだけはものすごくおいしかったですからね」

「まあな」


 幾十年の小役人生活で身に付けた最大の芸だと自負する亭主が入れた緑茶をすすりながら自分なりに人生を振り返ってみると、これと言って不満がない事に気付く。


 築四十年、末っ子と同い年の家。あちこち古びてこそいるものの夫婦二人の終の棲家としては悪くはない家。

 三人の子どものために使った部屋はそのほとんどが物置となっている。


 自分たちの内片方でも健康で残っている内はこの家は生かしておくように三人の子どもたちに言いつけてある。

 勢い込んで土地まで買って、小役人のたかがしれた給料で今から思うとずいぶん思い切った事をやってくれたと思う。

 そのせいで、ローンがなくなるまでも二十年間、旅行なんてまともにやった事がない。いや五十路になりローンからも子育てからも解放されたところで、さしてどこかに行こうとは思わなかった。それが不満と言えば不満なのだろうが、その代わりと言う訳でもないだろうけど服とアクセサリーについてはほぼこちらの要求を呑んでくれた。


 そのせいか、私は何らかの集まりで近所の主婦と言う名の同業者と集まるたびに存在感を発揮する事ができていた。そしてそのたびにこの前入院した時と同じように、ありもしない健康の秘訣を聞かれた。

 肌に関しては、人並み以上の事は何もしていなかった。今だって、来年古稀を迎える人間相応にきれいであれば十分だと思っている。現在のように少子化の波が押し寄せ続ける昨今と違い、自分のような三児の母も珍しくない時代になぜ自分がそんな風に言われるのか、いくら鏡を見てもわからなかった。


「やはりあれですか、奥様はずっとお庭でお花を育ててらっしゃいますから」


 太陽に当たり土に触れ風を感じ、植物と言う生き物と触れているから元気になれる。自分勝手にそんな理屈を作られては勝手に納得される事も多かった。

 確かにまだ持ち家もない頃から鉢植えで植物を育てていたし、庭付きの家を持つようになってからもずっと植物にべったりだった。

 でもそれだけが健康でいられるのならば世の園芸家はみんな病気知らずだろう。実際、自分と同じように植物に触れていたはずの長男と次男の事を考えればそんなのはでたらめだとすぐわかる話で、まったくとんだおべんちゃらだ。

 自分だって別においしくもなかった奥様の手作りクッキーをもっともっととねだるような真似をしてみた手前大きなことは言えないが、もう少し考えてから発言して欲しかったと思わない訳でもない。




 もし自分たちを健康足らしめている物があるとすれば、それはおそらく粗食であるという事だろう。二人して好き嫌いがまるでなく、出された物は何でも食べていた。最近になり味の濃い物を受け付けなくなり始めた物の、それまでは何でも食べていた。

 独立した子らから送られて来た見た事のなかったいろいろな食べ物も、好物とまではならないにせよほどほどにおいしく食べられていた。


 もちろん子どもたちにうまい物を食わせてやろうと思いはした。

 でも自分にも亭主にもその類の欲がまるでない物だからお前たちだけ食べなさいとなり、最初は喜んでいた子供たちもやがて申し訳なさが先立ったのかだんだんと求めなくなった。

 とくに何か意識していた訳ではなく、ただ自分たちの思う通りにしていただけ。狙ってやっているのならば息子たちがこんなに病弱に育つはずなどない。もちろん三人の子どもの欲求は食べ物以外にもあらゆる方向に及んだ。

 その際にもおおむね似たような調子で接し、そして同じように離れて行った。その結果三人とも勝手に自立して勝手に結婚し、勝手に所帯を持った。姑として辣腕を振るうような機会もなく、ずっとこの家で老いるのを待っている。

 一番近くに住んでいる長女でも歩いて三十分かかる。それも向こうの足での話であり、こちらの足ならばもう十分は余計にかかるだろう。

 そして二人の息子の家はそれこそ電車を使っても何時間もかかる所にあり、そのせいか知らないがもう五年以上二人の家に行った事はない。そしてたまに息子たちがこちらに来た所で、何も変わってないですねから話が広がる事もない。


「またその文句なの」

「だってそうですもん」


 なんとも中途半端な場所。

 地元の事をどう思いますかと言われれば、そうとしか言いようがなかった。過疎地と言うには人口が減らないし、かと言ってこれと言った産業があると言う訳でもない。

 適当に山があり、適当に海に近く、適当にビルが建っている。大都会に出ようとすれば新幹線など使わず普通の電車だけで二時間ほどで行ける。


「おばあちゃんって若いよね」


 孫たちが言うセリフもまたいつも同じだ。

 もう一人祖母がいるのに自分の父の母ばかりほめてどうするんだと言うのは年寄りの揚げ足取りであり難癖であろうが、もう少し他に言う事もないのだろうか。

 長男がこさえた二人の子どもと次男が作った一人の子どもは会えば会うだけ図体が大きくなっていると言うのに、三人ともそんな事ばかり言う物だから毎度毎度同じ事しか言えないのかいと言ってやったら大変わかりやすく首をかしげてしまった。

 若いと言うのは、噓偽りのまるでない本音なのだろう。わざわざその本音の揚げ足を取ってやる必要もなかったなと今では口をつぐんでいる。




「俺もいよいよもって爺だよな、あの野郎こんなもんを寄越して来やがって」

「嫌ですねえ、お互い二十年以上前から爺であり婆でしょう」


 今年の正月、いつも若い若いしか言わなかった初孫が私たちのとこに一通の年賀状を寄越して来た。そこには初孫が腹の膨れた女性と一緒に横たわっている写真がでかでかと写っている。

 そして二ヶ月前、その中にいた二人の男女は外界に飛び出し、私たちに曾祖父と曾祖母と言う肩書きを投げてよこした。


 茶をすすりながら横になり、たまに効き目があるのかないのかわからない簡単な体操を行っては当てもなく散歩をする。熱中症うんたらかんたらと言う訳で飲み物だけは買って来るようだがタバコも酒も現役時代からまともにしなかったような、道楽と言えばスポーツをするか見るかしかない人間が今更たがが外れた様に遊びほうける訳でもない。

 四角四面と言う訳でもなく若い時には深夜まで酒を呑んで千鳥足で帰って来た事もあったが、それでもそれはあくまでも若い時だけで自分の財布が痛まないように飲む程度には狡猾であり倹約家な夫であった。

 酒をやめるとテレビを見るようになり、レンタルビデオ屋に行っては昔のスポーツの映像を見漁っている事もある。一万数千円の安いDVDプレイヤーにディスクを突っ込んでは笑ったり泣いたりしているその姿は、ある意味正しい隠居生活の姿なのかもしれない。


 もっとも私には、そんな物を見る時間はない。定年になりようやく人並みに家事をやり始めた亭主だが、掃除洗濯ばかりで料理はまるでしない。

 いや私が二十年ほど前にやらせてひどい目にあったのを覚えて止めているのだが、もうひとつの大事な任務について少しは構ってくれてもよいと思う。


「さすが俺の女房だなんてでかい事を抜かしてもいいだろ、なあ」

「私は全然そう思ってませんけどね」


 毎年であり毎日の事だ。少なくともこの家と土地を手に入れてからは極力欠かさずにやって来た庭の手入れ。

 そのおかげで夏になると近所の人たちがやって来た写真を撮りたがるぐらいには咲き誇る花たち。雑草を数に入れれば二けたに届くだろう植物が踊る庭に、私の人生は支配されていた。


「俺も人の事は言えないけど、誰も関心を示さないとはな」

「いいんですよ、私がそう仕向けて来た面もありますし」


 亭主を含む男子たちはもちろんの事、娘もこの庭にはさほどこだわりはなかった。

 趣味の少ない母親のただ二つの楽しみの内の一つにわざわざ干渉する必要もあるまいという事か、よくできた娘とも言えるがどこか機械的と言えなくもない。


 三人とも花の事などびた一文知らなくても喰える職業に就いた事を知った時には、面白い事になった物だと二人して大笑いした。

 それでも亭主も子どもたちも私がそれなりに熱を上げていたせいか生半な知識だけは持っている。それがいいのか悪いのかはわからないし、実際どうでもいい話だ。



 昔から着て来た白い木綿のシャツにジーンズ。


 タンスの肥やしに成り下がっている訳でもない服はきちんとあるのだが、それでも庭いじりの時はどうしてもこの格好になる。土産物でも何でもない安物の麦わら帽子、それでも十何年と使っている内に奇妙な味が出て来て今ではパートナーのようになっている。

 スコップやバケツ、じょうろやホースだってしかりだ。

 別に古い物を好んでいる訳でもなく、なんとなくで使い続けているだけにすぎない代物。

 変わった物と言えば肥料ぐらいだろう、昔はなんとなく避けていた化学肥料も今ではほとんどそれしか使っていないぐらいになっている。

 まあ天然の肥料が手に入らなくなったと言う現実の方が重いのだが、無理矢理に変化を求めるつもりはない。

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