112.魔人
時を同じくして、メインホールではルシア・ディクトリス率いる強襲組と魔人達との激しい攻防が続いていた。
右手に【獄炎の魔人】の力を宿したイヴと相対するのは、王家の血筋を持つ冒険者ルシア。
「ユアン様のために!!」
「ぐうっ――魔斧に固有能力を上乗せしても、防ぐのが限界か!!」
彼の特別な武具と“岩”の固有能力を持ってしても、イヴの右手は強力だった。
彼女の強力な攻撃を捌くのと同時に、ルシアはある種の違和感を覚えていた。
(いくらユアンから、無尽蔵に力を分け与えて貰っているとはいえ、これほどの力をなんのデメリットも無しに行使する事は可能なのか?)
そう思い立った彼は、もう一度、注意深くイヴの様子を観察する。
「はああぁっー!」
「くっ!」
咆哮と共に振り上げられた右手を横に飛ぶことで躱し、回し蹴りを横腹に叩きつけるも、それは彼女の左手で受け止められ強引に投げ飛ばされる。
「ぐあっ!!」
壁に激突し、その一部が崩落する。ルシアの身体は血で染まっていた。
だがそれは彼の血ではない。全てイヴから浴びたものだ。
すぐに立ち上がった彼に、イヴが間髪入れず襲いかかる。
「はぁっ!」
「――っ!」
一撃一撃が重い。そして彼女の周りは熱かった。まるでイヴの身体が、灼熱の太陽にでもなっているのかと錯覚する程に。
「ふっ――」
「うっ」
不意によろめき、態勢を崩したイヴの顔面に、魔斧を叩きつける。
「あああぁー!」
「ちぃっ!!」
追撃を試みようとしたルシアの行く手を獄炎が遮る。それは彼女の右手から放たれたものだ。
距離を取ったルシアの元に、イヴが炎の中を突っ切って突撃してくる。
「何度攻撃しても無駄だぁ!」
確かに潰したはずの左目と顔半分が再生しており、元の整った顔立ちに戻っていた。
「そうか……やはりな」
右手を魔斧で受け止めつつ、彼は静かに口角を上げた。
「イヴ・ルナティア。お前の弱点が分かったぞ。その強大な魔人の力は、お前に力を貸し与えてはいるが、その反面、自身の器が【獄炎の魔人】に耐えきれず身体を蝕んでいる。その出血が何よりの証拠だ」
この短時間の戦闘で、彼女の身体は酷く傷つき、幾度となく滅びかけていた。
それは魔人の力が、ひとえにイヴの身体を蝕んでいるからである。
腕を振るうたびに、全身に電気が走ったような痛みが襲い、身体から血が溢れ出す。
その直後、魔人の脅威的な再生能力によって傷が塞がり、また動けば血が噴き出す。そして癒される。
肉体の損傷の痛みと、それが急激にもたらす修復される痛み――イヴは今、その絶え間ない繰り返しの中でルシアと戦い続けているのだ。
ルシアとの戦いに勝とうが負けようが、彼女に待っているのは“死”だった。
イヴは今、自分の命を燃やして戦っているのだ。
「イヴ。その力を使い続ければ、いずれは身体が耐えきれなくなって崩壊する。つまりお前は死ぬんだぞ」
「それがどうした!」
「どうしてそこまでする! 死んだら何も残らないんだぞ!!」
「それでもいい! たとえこの世に私が生きた証が残らなくとも、私はユアン様の記憶の中で生き続ける! 時間制限? はっ、その前に皆殺しだ!!」
「そうか、退いてくれる気はないか……だったら仕方がない! こちらも本気で行くぞっ!!」
魔斧から青炎が噴き出す。
これこそが魔斧の本来の使い方。王家の人間以外使用する事が出来ず、魔を討ち滅ぼす事の出来る神話の武器。
神玉と同時期に作られた神殺しの斧である。
「お前の身体に人の部分はもうない。だからこの青炎は、確実にお前の身体を滅ぼすだろう」
「そんなこと、やってみないとわからないだろう?」
右手から発せられた獄炎がイヴの身体を包み込む。
次に現れた時には頭に魔人のツノが現れ、身体つきもがっしりとした体躯に変わり、背丈はルシアを見下ろすほどになっていた。形態変化だ。
「俺……私には分かる。それ以上はよせ、心まで魔神に持っていかれるぞ」
「私の心はすでにユアン様のものだぁー! それだけは誰にも渡さないー!!」
獄炎に巻かれたイヴが超速のスピードで、ルシアの前に現れ、炎に包まれた両腕を振り下ろす。
「あぁぁぁぁぁー!」
「――すまない、助けられなくて」
「なに……を」
彼女が最期に見たのは、悲しい目をしたルシアの姿で、それがどこか懐かしかった。
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!?」
ルシアの斧が彼女の両腕ごと斬り落とし、そのまま袈裟斬りにする。
「なんだ……なんだこれはー――」
斬られた箇所から青い炎が燃え広がり、やがて一人の魔人は声も上げぬまま灰となって消えた。
「――おやすみ、イヴ・ルナティア。お務めご苦労様」
ユアンの口調を真似て発したその言葉が、彼女に届いたかはルシアには分からなかった。
(ああ、ユアン様……私は貴方様をお助けする事ができましたでしょうか? 私は幼い頃から貴方様のことを……)
彼女の最期を見届けたルシアが、口調を元に戻す。
「イヴ、お前に人としての心が残っていてよかったよ」
その後ろ姿はどこか寂しそうだった。
◇◆◇◆◇
一つの激戦が幕を閉じ、もう片方の魔人フランク・レストンと、ルシアと同じく王家の人間であるカノン・ディスペラーが戦っていた。
左手に【道化の魔人】の力を宿すフランクとカノンの戦いは、終始激しいものであった。
カノンの凍てつくような吹雪と氷柱の連続攻撃。それをフランクは危なげもなく躱し続けていた。
「くっ、当たらない」
「そんなんじゃ俺は倒せないッスよ」
髪色が金髪から銀髪に変化したカノンは、攻撃の手を緩めることなく“氷”の固有能力を発動し続ける。
「げほっ!」
「おりゃ? もう根を上げるんスか?」
ユアンに固有能力を半分以上奪われているため、今出せる力は4割程度だった。
イヴと違って、フランクは自ら攻撃してくる事はなかったが、その代わり彼の身体は崩壊しているようにも見えなかった。
(自然消滅は狙えない。このままじゃいずれ力尽きた所を……)
そんな懸念が頭をよぎり、攻撃の手が少し緩んでしまった。
「隙ありッスよ!」
「くあっ!?」
軽い蹴りを入れられて後ろに下がるも、その攻撃からは殺意を感じなかった。
「貴方どういうこと? 今の蹴りには……」
「そろそろ時間ッスね」
隣に人の気配を感じてそちらを向くと、青炎を纏った魔斧を持つルシアが立っていた。
「遅くなったなカノン。大丈夫だったか?」
「はい。ですが、あと少しで限界という所でした」
「それは悪かったな。ところでフランク。お前は何もせず死ぬつもりか?」
なにも構えず、ただ気怠げな格好で立っていたフランクに声をかけると、彼は元気のよい声で肯定した。
「はいッス! イヴがいないんじゃ、現世にいても意味ないッスから」
「お前は彼女に付き合って、ユアンに従っていたのか?」
「そうッスよ。それ以外ないッス」
さも当然というように、腰に手を当てるフランクの頭からはツノが生え始めていた。
「……お前が魔神の力に呑まれていなかったのは愛ゆえか?」
「それは俺に憑依する奴が、俺と似たような奴だったから本気で力を貸さないだけッスよ。だからこうやってまともに喋れてるんス。でもルシアさんの斧を前にして、本気で消滅することに怯え始めたみたいッスけどね」
「そうみたいだな。だったら早く終わらせようか。心が呑み込まれる前に」
「そうっスね」
「――カノン」
「はい」
名前を呼ばれたカノンが立ち上がり、ルシアから魔斧を預かるとそれを天高く振り上げた。
「フランク・レストンさん。最後に一つ聞きたい事があります」
「なんすか、カノン第ニ王女様」
「イヴ・ルナティアを愛していたなら、どうして助けに行かなかったんですか?」
「ん? そんなの決まってるじゃないスか、彼女の覚悟を邪魔すれば嫌われちゃうし、何よりお別れの邪魔をしたくなかったから」
「お別れ?」
「そうッス。どのみち人の身でありながら、魔人の力を得たその時から死ぬ事は決まっていたッスから。死ぬ時くらい彼女の好きにさせてあげたかったんッスよ」
「それがお別れ……と」
それともう一つと、フランクはルシアを指差す。
「そこにいるルシア君とは、幼少期にイヴと一緒に会ってるんス。俺は覚えていたッスけど、イヴは忘れちゃったみたいッスね。歳はルシア君の方が上だったッスけど、その時はまだ生まれていなかった皇帝ユアン様とよく似ていたのを覚えているッス。だから彼女は大人になって、その面影を追って今の皇帝ユアンの元に辿り着いたんスよね」
「ルシアさん……」
「まぁ、そういう事だ。フランク、結局お前は最後まで告白できないままだったのか」
「男は勇気って教えてくれたのはルシア君ッスよ。一度告白したッスけど、冗談に捉えられて落ち込んだッス」
「日頃の行いのせいだな」
「ッスね」
ツノが完全に伸びきり、フランクの口からは鋭い牙が現れた。肉体も細形から、筋骨隆々な姿へ変化していた。
「これで完全に身体が人ではなくなったっス。暴れる前に頼むっす」
「分かったわ。ありがとうフランクさん」
「お礼を言われる筋合いはないッスよ。カノン第二王女様。ルシア君、来世ではしっかり結ばれてくるっス」
「ああ、是非そうしてくれ」
フランクと最後の言葉を交わし、カノンがスッと魔斧を振り下ろす。
彼の身体は滑らかに一刀両断され、その死に顔は笑っていた。
(今行くッスよ。イヴ……)
彼の身体もイヴと同じく、灰も残らず消滅していった。
魔人との激戦を終え、残す敵はローラ率いる近衛兵達と皇帝ユアンであった。
そしてエトの復讐、魔人との死闘が決着がついた頃、同時刻に別の場所でも強大な怪物との戦いに幕が下ろされていた。
早ければ今日中、遅くて明日、明後日には完結まで投稿する予定です。
どうぞ最後までお付き合いください。




