竜狩りの剣士
その死闘は三日三晩続いた。
対峙する魔物の王は、遂に膝をつく。
「ここまでのようだな」
相対するは、大きく損傷した鈍色の鎧を纏った剣士。剣士は美しい剣を構え、力強い眼光で魔王を見据えていた。
創生一年となった今日――王国は割れんばかりの歓声に包まれていた。
『勇者一行が魔王を討った』
英雄の凱旋である。
魔物の脅威から解放され、人間の世界がやっと始まった記念すべき日。身なりを整えた英雄達は、豪華な馬に跨り手を振っている。
勇者ハイルーン。圧倒的なカリスマと恐ろしく整った容姿、そして騎士団長を凌駕する剣の腕と宮廷魔法使いを超す魔力量を持つ。
賢者エネリス。全属性に適性を持ち、唯一八階位魔法を行使できる天才魔法使い。
聖女メロイア。女神の生まれ変わりと呼ばれ、癒しの力で万物の傷を癒し、光の精霊王の祝福を受けた美女。
凱旋パレードを遠目で眺める青年がいた。
魔王を討った無名の剣士――セオドールだ。
世界に平和が訪れて一年が経った。
親玉を失った魔物の数は激減し、子供だけでも王国外に出られるまでに危険が取り除かれている――そして王国から東に行ったその果てに、英雄となった勇者一行がいた。
「本当に行くのか? セオ」
勇者ハイルーンは、巨大な扉の前に立つ剣士を引き止める。後ろには賢者エネリスと聖女メロイアの姿もあり、それ以外の人間は居なかった。
剣士は三人へと振り返る。
もみあげの長い、茶色の髪が揺れる。
「この塔は天地創造の頃から存在する、正真正銘〝神の産物〟だ。なぜ〝帰らずの塔〟なのか、その頂に何があるのか、気になるじゃないか」
剣士セオドール。
富や名声には興味が無かった。
勇者だの英雄だのにも興味が無い。
あるのはただ〝自己研磨〟の欲求のみ。
彼の生き様の〝芯〟の部分だった。
三人は知っていた。
この中の誰よりも、この無骨な剣と鈍色の鎧を着た青年が強いことを――魔王と対等に戦えたのは、彼だけだったから。
「セオが居なければ、本当の世界平和とは言えません。魔王を討った力を持つあなたが居てこそ、平和が成り立つんです!」
聖女メロイアは涙ながらに訴える。
彼女は無愛想だが真っ直ぐな彼に惹かれていた。しかし、聖女である彼女は想いを伝える権利を持っていなかった。
彼女は分かっている――ここにいる全員が、セオドールを説得する材料を持っていないことを。
「三人がここに留まるから、俺は塔に挑めるんだ。俺は魔王討伐の際に戦死したことになってるし、天涯孤独だからこんな自分勝手な無茶ができる」
セオドールは雲を貫く塔を見上げる。
一度入ったら二度と戻れない帰らずの塔。
内部に何があるかは謎に包まれている。
「頂に何があったか、土産話を楽しみにな」
じゃあ、と、短い挨拶を残して、セオドールは塔の扉に手をかけた。
塔の扉はまるで彼を待っていたかのように、重い音を響かせ開いてゆく。外から見える塔の内部は、ひたすら続く闇だけだ。
「セオ、セオ聞いて! メロイアは……」
「待ってエネリス。いいの」
何かを訴えようと声を張り上げる賢者エネリスを止める聖女メロイア。
メロイアがセオドールの為にできる唯一のことは、自分の気持ちを押し殺し、彼の門出を邪魔しないこと――セオドールは塔の扉をくぐった後、3人に笑顔を向けた。
「いってくる」
創生二年――幻の四人目の英雄、本当の勇者、魔王を討った剣士セオドールは、人の理から外れた神の産物、天の塔へと入った。
◇◇◇◇
セオドールが次に見たのは、広い草原だった。
驚くべきことに、そこには空があり、雲があり、風があり、温度がある。
視線を動かすと、近くに大きな村があった。
セオドールは村へと足を進めていく。
「塔への挑戦者なんて何十年ぶりだ?」
「こう何百年も生きてるとなぁ……この前死んどった新入りも、思い返せば来たのは50年も前だったからな」
村には300人ほどの老若男女が暮らしており、見るからに異質な格好をしているセオドールを一目で〝新入り〟だと見抜き、珍しい生き物を見つけたかのように取り囲んでいる。
セオドールは村人達から、この塔の世界での常識を聞いた。
この塔は延々と続く層が積み重なってできており、頂に登るとなれば途方もない数の層を踏破しなければならない。
層のどこかには次の層に続く階段と扉、そしてその場所を守護する聖獣が存在する。
この世界で年は取らず、死ぬこともなければ、容姿も身体機能も衰えない。と、村人が語った。
「この村からずっと北に進んだ所に人間達の都市があるが――皆、塔の頂上を夢見て心を折られた脱落者じゃ。誰も信用してはならん」
セオドールは死なない体ならばと鎧と兜を脱ぎ、身軽さを重視した茶色のローブと帽子に着替えた。
彼には剣だけあれば良かった。
闘うほどに強くなる、この剣だけあれば。
都市に着いたが、人々がセオドールに群がることは無かった。彼が見るからに見窄らしい格好をしていたから。
道端には死人のように動かない人ばかり。
村人が言ったように、都市の人間は心が荒んだ者が多かった。
意味もなく殴り付け、斬りつける者。
表情一つ変えずされるがままの者。
地面に不可思議な模様を書く者。
およそ何百何千もの月日をああやって過ごしてきたのだろう。セオドールは、自分もいずれああなってしまうのが恐ろしく感じた。
「できることなら、死のある世界に戻りたい」
美しい娘はそう言った。
他の者と同じように、目の光が無い。
彼女もまた、心を失った者達の被害者。
慰めの相手に追いかけられ、捕まり、飽きられた頃に抜け出し、また別の者に追われる日々を送っていた。
セオドールは彼女に剣を教えた。
沈むことのない太陽。
食事も取らず、水も飲まず。
彼に教えられるものはそれ以外ないから。
時間や疲労に悩まされることのない体はとても便利で、セオドールは自分のためにあるような世界だと笑った。娘も半世紀ぶりに、笑ったという。
「この都市から外れたあの先に村がある。お前はそこで暮した方がいいだろう」
剣を振りながらセオドールが言う。
「あの村は嘘付きの村よ。あなた、信用したんでしょう。身包み剥がされてるものね」
娘はそう言って笑う。
セオドールは愛剣を強く握り、これだけは手放すまいと心に誓った。
娘が暴漢達を圧倒するようになるまで、およそ五年の月日が流れていた。先に進めず諦めた落ちこぼれ達が住むこの都市に、彼女を襲える者は一人としていなかった。
セオドールは上を目指す。
美しい娘は彼を引き留めなかった。
彼といた五年間で、彼を知ったからだ。
「この先が聖獣のいる門よ。聖獣を倒せば、先に進む扉が開くとされているけど、ここにいる人達は誰一人聖獣を倒せていないから、本当のことは倒した人だけしか知らないわ」
重厚な扉の奥に、巨大な獅子が鎮座する。
目深く被った帽子とローブに、不釣り合いな美しい剣を持つ青年が進む。
娘は彼が負けることを願ったが、口には出さなかった。それに、もう二度と会えないことも分かっていた。
彼は強いから。
聖獣を倒すと扉が開く。
扉をくぐると上の階層へとたどり着く。
それからセオドールは聖獣を倒し続けた。
時には水だけの世界に落とされたり、火と氷が入り混じる世界に降り立ったり、聖獣になり変わった人間と戦ったりした。
朝と夜を司る二匹の竜は強かった。
氷の大狼との死闘は確実にセオドールの血となり肉となり、彼を強くした。
セオドールは登り続けた。
塔の頂に至るまで、自分を鍛えた。
「ここは、妙だ」
塔を登ってどれほどの時間が流れたか。
終わりなき塔の頂は未だ見えてこない。
ある階層に出た時、それはあった。
何もない空間。
今までの〝世界〟とは違う、ただの空間。
そして横に大きな穴が空いている。
見下ろすと、どうやら外に繋がっていた。
「元いた世界に何かが降りた、のか」
この階層を司る聖獣が、塔の壁を破壊してセオドールのいた世界に降り立った――そうとしか考えられなかった。
穴から上を見るも、塔の頂は未だ見えず。
セオドールは、道半ばで鍛錬をやめたことはなかった――しかし、かつての戦友に託した世界が再び脅威にさらされている可能性を、セオドールは無視できなかった。
迷わず彼は穴から降りた。
元の世界は時の流れはもちろん、死も付き纏う――けれど、セオドールは先の事まで考えてはいなかった。
落下開始から数年経った。
その間セオドールは老いもせず、腹も減らず、水も要らなかった。ただ、異様な眠気に襲われて、その大半を睡眠で過ごすこととなる。
竜栄105年――天の塔付近にある小さな村付近に、何かが落下した。
森を一直線に破壊して埋まっていたのは人だった。それを見つけた村人、トムは、起き上がったセオドールに話しかけられ腰を抜かす。
「良かった、人に会えた」
「たまげた、言葉を話すのか。お前、どっから落ちてきたんだ?」
「塔の上から」
「じゃあお前は神か何かだな」
トムはセオドールの言葉を信じなかった。
結局トムは、セオドールが木登りしてたら落ちて頭がぐるぐるになった変な人だと決めつけ会話を続けていた。
トムが言うには、かつて英雄三人が魔王を討った後、人々は1400年もの間、人同士の争いこそあったが繁栄してきた。
魔物はほとんど滅ぼされていた。
人々は世界の各地に散らばり、村や町や国を作って住んでいた。
しかし105年前、元号が竜栄へ変わる。
元号が表すように、世界を今度は竜が支配しはじめたから。
「およそ百年前に突然各地で現れた竜に襲われて、王国は竜族に支配されたのか」
「上級種は人の形をとるが、人々はもっぱら奴等の餌だ。竜族は我々の生活に深く干渉してこないが、生贄を欲すること、生贄が足りなければ街を焼き尽くす」
故郷の世界は、かつて魔王がいた頃と同じ世界に戻っていた。
セオドールは、塔から降りた存在は竜だと確信した。
思えば魔王も突然現れた存在。
魔王も塔の聖獣だったのだろうか。
セオドールは、かつての故郷、同胞達の故郷に再び平和をもたらすため、その日より竜狩りの剣士になったのだった。
あらすじ通り、
主人公最強設定に説得力を持たせる一話目
を意識して書きました。
尊敬する作家先生がやっていた試みの真似ですが、設定としては連載用に考えていたものを使いました