火をつけて
黒々とした門扉は錠前が外れており、あっさりと僕を受け入れた。松の大木が一際目立つ庭を抜けると、重厚な木の扉が立ちはだかる。
木の扉の前に、折よく男が立っている。
「五郎」
伊東の目が僕の抱えているものを捉える。
「……入れ」
伊東は何が起きたのか問い質そうともせず、僕達を招き入れた。
◇ ◇ ◇
彼女が目を覚ましたのは明くる日の早朝だった。
カーテンの隙間から差し込む光に、眩しそうに眇められた目を縁取る睫毛の長さが、僕の目線を釘付けにする。
「な……んで」
彼女は弱々しい声を発した。
「どういうことだか説明してほしいのはこっちもだ。君が僕に太平を与えてくれればよかったのに」
僕が肩を竦めると、彼女は一瞬の逡巡の後、僕を睨むような目で見上げた。
「勿論私はそのつもりだったわ! でも、邪魔が入った」
「あの手榴弾はカフェー・ブリュムに投下されたものと同じような臭いで、同じような煙だったな」
その発言から僕の言わんとする事を察した彼女は不満気に反論を繰り広げた。
「だけど、それだけじゃ同じ奴がやったとは決めつけられない。どこにでもある黒色火薬だもの。それに貴方は色々な方面から狙われてるとしても不思議じゃあない――」
「僕を狙ったものかはわからんだろう」
少々呆れ気味に指摘してやると、
「え」
と虚を衝かれたように黙り込む。
「爆弾を投げ込まれたのは2回。どちらの場所にも、僕と君が居た」
「狙われたのが私かもしれないって言うの? そんな馬鹿な」
彼女は芯から驚いたような顔をした。白々しい素振りには見えなかった。
「おや、自分が狙われる訳がないとでも? 殺し屋なんぞ恨まれる職業の筆頭だと思うがね。ああ、僕を殺しても、恨みを買う心配はないよ。僕の家族は寧ろ喜ぶだけだから」
「喜ぶですって?」
眉を顰める彼女に、僕は自嘲気味に告げる。
「厄介払いができて幸いだとね」
「……上林五郎。ご立派なお家の、ご立派じゃない五男坊」
手厳しい評だが、その通りである。僕は少し肩を竦める。
「阿片絡みで恨みを買ったんだろうって聞いたわ」
「それはどうかな」
「女の影がないから、男のなりで近づけ、なんて命じられたけど……貴方、そんな趣味がありそうには見えないわね」
「それも……どうかな」
含みを持たせるような言い方をして、君の興味を引けるならそれで構わない。彼女は訝し気に僕を見上げ、いずれ暴いてやろうというような挑戦的な表情に変わった。僕の作戦は概ね首尾よくいっているらしい。
「君を殺そうとしている奴が誰か、探ってこよう」
◇ ◇ ◇
そのままうつらうつらしているうち、日が高くなった。
ふと目を開けると、この堂々たる家の主――伊東が私をじっと見つめていた。
私が目覚めたことに気付いた彼は、だしぬけに
「五郎が死んだら、俺があんたを殺す」
と言った。
「貴方、殺し屋なの?」
私がとてもそうは見えない、と眉を顰めると、果たして彼は
「まさか。俺は五郎を失ったら、きっと狂ってしまう」
と応じた。
「あんたを甚振って殺さずにはいられないくらいに」
それはつまり、そういう意味、であろうか。
「貴方が彼の想い人なの?」
「そう見えるか?」
「いいえ」
「じゃあ、違うんだろう」
「何よ、それ」
私はふんと鼻を鳴らす。
その日の夜遅くに戻って来た上林は何やら擦り傷だらけになっていた。
「君を殺そうとしているのは落合らしい」
「そう」
私は努めて冷静に答えた。
「ならば、私はオチアイを殺さなければならないわね」
立ち上がって部屋を出てゆこうとする私の腕を、上林は掴んだ。
「行かないでくれ」
「私が貴方を殺す理由はもうなくなったのに、なぜ引き止めるの」
「僕は君に殺されたいんだ」
妙に切実な願望をぶつけられ、私は狼狽えた。本当に奇妙な人。
「……死にたがっている人を殺しても面白味がないわ」
「嘘をつくのはよしてくれ、君は快楽殺人者には見えない」
「どうかしら」
「僕が快楽殺人者なら爆殺なんかしないね。悶え苦しむ様をとっくりと見てやりたいよ」
「あら、怖い人ですこと」
私は、少し面白くなり、約束をすることにした。
「またお会いできたなら、殺してあげてもいいわよ」