中心:多賀谷シンパチ
新川ポートアイランド、北側の橋で本島と繋がった人工島、東には港と倉庫があり、南側には空港へと繋がる橋がある。
一般人の生活において必要な施設は西と中央部に固まっており、俺の通う新川学園は西にある。
俺の住むアパートは、学校から二駅ほど離れており、ギリギリ中央部に入る。
学生用でないため家賃は高いが、面倒ごとや他の住人との関わり合いが少なくて済むため、ここを選んだのだ。
そのアパートの一室で俺は目を覚ました。
「……」
目を覚ました時の感覚は最悪だった。
昨晩の甲崎の最後を思い出してしまい、覚えていないが悪夢でも見ていたのか、着ていたシャツはビショビショだった。
昨晩、甲崎の最後の“足掻き”は人工林を燃やしてしまい、俺はセラに抱えられたまま無事に脱出したが、大きな火事に発展した。だが、セラは淡々と、
「近くに仲間がいます、事後処理は彼らに任せて、私達はこのまま、この場を離れましょう。何も教えられていない警官が来たら厄介ですから」
と、そんなことを述べたのだった。
――昨晩からつきっぱなしのテレビに視線を移すと朝のニュースで、その火事が無事に鎮火されたことが流れている。
そして、あの後、人工林から離れるように走って、走って、ようやく落ち着いたと思ったら、セラはまだしなくてはいけないことがあるらしく、すぐに消えてしまった。
また、会いたい、と告げはしたが、果たして聞こえていただろうか。
――そんなわけで、俺の精神と肉体は満身創痍、肉体はともかく、精神の方も自分が思っていたよりも普通だったようで我ながら安心している。
今日は、学校がある。
どうせ、サボり魔の常連だ、やる気も起きないし、いつもならこのまま眠ってしまうのだが、
「チッ、めんどいな」
と、文句を呟きながらも、俺はベッドから起き上がった。
別に、学業に目覚めたわけではない。とにかく、学校でも何でも良いから、別のことをして、昨晩のことを紛らわしたかった。
「ん、おはよう」
俺はいつものように、人形と朝の会話を交わす。
これは、俺にとって欠かせない日課である、これをしないと俺の朝は始まらない。
そして、人形に触れようとして、ふと、その右腕を止めた。
昨晩のことを思い出す、今は漆黒の籠手は見えないが、あの力はどうなったのだろう。
「……アナザー」
アナザーという単語を聞いたのは、きっと、『NEXT.』で見つけた時が初めてだっただろう。
だが、あの力、あれは、昔から知っていたようにしっくりきた。
胸の奥に隠されていたパズルのピースが、甲崎によって、見つかってしまったような、そんな感覚。
運良くなのか、運悪くなのかは知らないけれど、別段、体に異常があるわけでもないし、そんなに焦って対応はしなくてもよさそうだ、病院に行っても健康体で済まされそうな気がするし、何より、医者に、素材・肉に触れられたくない。
俺は目に入った空のペットボトルを握る、あれが、発動した時の感覚は覚えている、否、忘れられるはずがない。
自分の中の何かが表へと解き放たれるような、むしろ、自分が世界を喰らうようなそんな感覚。
そして、力が発動した。
だが、現れたのは、あの時、俺の腕を包み込んだ漆黒の籠手ではなく、指にシンプルな黒いリングが現れただけだ。
「? これも、あれと同じなのか?」
俺の疑問に答えるように、あの時と同じように壊し方が頭に流れ込んできて、完全に理解した時、
バキッと、ペットボトルが破裂するようにはじけ飛んだ。
「……何だ、こりゃ」
これが、俺のアナザーって力なのか、俺が集中を解くと、指輪はドロリと溶けて消えた。
「……まあいい」
指輪の消えた指を眺め、呟く。今は難しいことは考えたくなかった、俺は登校時間まで嫌なことを忘れるように人形と戯れ、そこで、思い出す。
「セラ」
彼女ともう一度会うことは叶わないのだろうか?
揺れる電車内。
いつもより遅く出たせいで、電車内は学生やサラリーマンでごった返していた。
それだけでストレスが溜まる、ああ、むかつく、人間嫌いの俺から見れば、人間など、素材・肉でしかないと言うに。
と、その時、
「あ、そういや、聞いた? 何か、通り道のあの森、燃えたらしいじゃん」
「はあ? 行方不明の次は、放火魔かよ、新川も終わり何じゃねぇの?」
特に緊張感のない声で、学生が話しているのが聞こえてきた。
だが、それが普通だろう、自分達には関係ない事件、知り合いとの話の話題にしかならない他愛のないニュース。
火事の原因も、昨晩の出来事も知っている俺が異常なのだ。その火事の中で、一人の男が死んだことを知っているのも。
朝のニュースでは火事での死者はなしということになっていた。
考えられるのは、ただ、単に発見されなかったか、セラの仲間の仕業か。
だが、気絶していた他の連中のことも考えると、セラの仲間の仕業と考えるのが妥当だろう。
セラの仲間、あの場で聞いた単語が脳裏をよぎる。
『カワラズノセカイ』と、確かに聞いた。
携帯電話のネットで調べるも、検索結果は当然、0数。
「わからないことだらけだ……」
小さく舌打ちすると、近くにいた学生服の素材・肉が俺を睨むが、当然、無視。
セラ、アンドロイドと言っていたが、あの動きや、温度など、人間でないことは確かだと思う。それとレールガン、原理は二本のレールと電流によって発生する磁場で、レールに挟んだ弾丸がそれこそ雷のような速度で撃ち出される仕組みだと聞いたことがあるが、理論はあれど明確な問題点があり、未だに実現はされていなかったはずだ。
アンドロイドと、レールガン、共に一般では知られていない技術、そこに意味があるのかもしれない。
だが、あんな技術を持っている組織が存在するということが信じられない。
そして、それ以上に不可解なのは、当然、アナザーという力か、そのアンドロイドと、レールガンすらも甲崎は凌駕していた、今でも、あの鉄の巨人を鮮明に思い出せる。
セラがあれを倒せたのは、未知の技術の力ではなく、セラもアナザーの力を使っていたからだ、鉄の巨人が甲崎の意志に反して停止したのはそのためだろう。
思うに、アナザーとは、俺のように“破壊”するという力ではなく、個人差があるのかもしれない、つまり、それぞれが持つ別世界、その別世界の常識を扱う者が、『アナザー』なのだと。
とにかく、セラの組織がアナザーに関わる組織だということはわかっている。
だとしたら、アナザーの情報を流している『NEXT.』というサイトは一体、なんなのか。
駄目だ、情報が少なすぎる。
『NEXT.』には、アナザーが起こした事件に関しても記載されている、『神隠し症候群』、『引きずり魔』、『殺人鬼・エース』どれも実際に起こった、そして、まだ解決していない謎の事件ばかりだった。
そんな事件も、一般人は警察が馬鹿なだけだと笑っているが、アナザーの存在を知ると、現実味をおびてくる、アナザーならば可能なのではないかと思ってしまう。
今、この新川で起きている多数の行方不明事件もそうだ、甲崎に従っていたような感世者Bと呼ばれていた彼らがその行方不明者とも考えられる。
だが、甲崎は死んだ、ならば、新川の事件はここで終わった、甲崎の死で終わったのだ――
『次は〜、新川学園前〜 新川学園前〜』
アナウンスが電車内に響き渡る。
「そんなわけないだろ」
いや、新川学園前であってんじゃん、と隣にいた二人組の素材・肉が皮肉るように言ったが、無視して、俺は電車を降りた。
そう、そんなわけがない、行方不明事件は甲崎が行方不明になる前から起きていたのだから、それに、セラが甲崎が目覚めたのは一週間前だと言っていた。
まだ、何か、起こるかもしれない、まるで、昨日、この世界を知るまでの世界が偽物だったかのようだ。
俺は自分の手が震えていることに気が付いた。
恐がっているのか……なんて、くだらないことを考え、まさか、と思った。
むしろ、にやけてしまうほど、俺の心は今の状況を楽しんでいた。
その喜びの起源はわかっている。
何かすごいものが壊せるという破壊衝動、それ以外にはありえず、この身の震えは武者震いに過ぎない。
それに、何たって、その狂った世界には、彼女がいるのだから。
新川学園、私立の高等学校、場所的な環境は悪いが設備がいいので、ここを希望する学生は多いらしい、俺がここに入学したのは、とりあえずは一人暮らしがしたかったからか。
そんな学校での昼休み。
「いやぁ、しかし、驚いたな。甲崎の野郎、俺達に何も言わずに転校だぜ?」
俺も含め、三人の男が教室の隅で固まって昼飯を食べていた。
今、口を開いたのは、島崎耕介。
「そうだよね、そんな素振りもなかったのに」
答えたのが、三宅琢磨、どちらもとりあえずは、俺の友人ということになっている。
「お前は何か知らなかったのかよ?」
島崎が俺に話を振ってくる、正直に答えたところで信じられはしないだろう。
「いや、何も聞いてないな」
「マジかよ、甲崎は俺達の中で、お前に名前を呼ばせた初めての男だったからな」
「そうそう、シンパチ君、最初の自己紹介でクラスメイト全員のこと、素材・肉って呼んで問題になったもんね」
「今でもこいつは変わらないけどな、赤の他人は素材・肉、必要最低限の関係者は設定・クラスメイトでようやく、名前だからな、甲崎や三宅はよかったが、俺なんて、一年かかったぜ。この人形至高主義者め」
「黙れ、妄想野郎」
「何だと!? 妄想の何が悪い!」
「否定はしないんだね、島崎君」
三宅がため息を吐く。
「妄想なんて触れられない物に依存するお前の思考回路が理解できないな」
「人形だって、しゃべらないじゃないか」
「人形はしゃべるんだよ」
俺の言葉に島崎どころか三宅まで、また出たという顔をする。いつものことなので、慣れたものだ。
「お前なー、マジで精神科の病院に行ってこいよ」
「お前らには聞こえなくても俺には聞こえるんだよ」
そう、ずっと、小さい頃から俺は人形と会話することができた、誰も信じないし、不気味がられたりするが、素材・肉に認められようと認められまいと関係ない。
と、言い合う俺と島崎を交互に見て、三宅が言う。
「ぼくには、どっちもどっちだと思うけどね」
「はぁ? リアルで彼女のできるお前こそ俺には理解できん」
島崎が、本来、恥であることを誇らしげに言う。
「金はかかるし、うるさいし、めんどいじゃんかよ」
まあ、島崎の言うことは理解はできるが、俺の場合、金がかからなくても、うるさくなくても、めんどくさくなくても、素材が肉という時点でアウトだ。
「それって、完全にひがみだね♪」
「うるせー! ってか、お前、また彼女変えたらしいな」
「変えたんじゃないよ、増えたんだよ」
ニコリと笑いながら三宅が言う、こいつの恐ろしさはここだと思う。島崎が吐き捨てる。
「最低だ、お前だって十分に異常だろ」
お前が言うか、と心の中で思いながら、質問。
「なあ、島崎、お前の家族構成は?」
「妹が八人、姉が五人、全員、俺のことが好きなんだぜ〜、あ、母親は三人な」
「……お前は終わってるな」
「うるせー、人形と会話とか言っているお前も十分にやばいだろ、妖精でも見えてるんじゃないか?」
「だから、どっちもどっちだと思うけど、やっぱり、ぼくが君たちを正しい道に導かないといけないね」
「合コンの誘いか? ありえねぇ、素材・肉とそんなことしたら臭くて鼻が腐っちまう。ってか、どうあっても、お前の一人勝ちだろ」
「だよなー、俺達をダシに使うなよ、他にも飾りはいんだろ」
「……はぁ、挑戦すらできないなんて、ダメダメだね、君達の将来が不安だよ」
「将来が不安って、お前な」
島崎が呆れるように言った。
「毎回、テストで最下位のお前に言われたくねぇよ」
「うっ……、いや、二人が良すぎるんだよ!」
成績の話になると三宅は弱い、彼女と遊んでばっかなのかは知らないし、俺は成績で全てを判断する気はないが、最下位というのは問題だと思う。
俺の成績は上の下くらい、島崎に関しては上の上クラスである。
「まあ、俺は美人な家庭教師のお姉様がいるからな」
え? と三宅が声を上げる。
「いやいや! それも妄想でしょ? 自分で自分に教えているようなもんじゃない!」
「甘めぇよ三宅、この妄想野郎は、そのシチュエーションを妄想したいがために、全ての教科書を丸暗記している男だ」
「何その無駄な努力!? 全然、尊敬できないのが逆にすごいんですけど!?」
三宅にしては失礼ともとれる言葉が飛び出した。
「そんな言い方ないだろ! あ、そういや、放課後、飯でも食いにいかね? いい店があんだけど」
三宅の言葉も大したダメージではないのだろう、簡単に流して、島崎が話題を変える。
「あ、ごめん、ぼく無理、新しい彼女と遊ぶからさ」
「チッ、これだからリアルは……シンパチは行くよな?」
「悪いな、俺も今日は新しい彼女が家に来るんでな」
「新しい彼女じゃなくて、どうせ、人形だろ!」
そんな島崎の言葉とチャイムの音が重なると、教師が入ってきて、席に着けと命令を下す、ここで、会話は終了だと島崎と三宅が自分の席へと戻っていった。
――その問題が起こったのは昼休みも終わった五時限目だった。
「おい、多賀谷、多賀谷!」
授業中は睡眠の時間と俺は決めており、今も、思考と幻が入り交じる浅い眠りをしていたのだが、
「起きんか、貴様!」
何かの衝撃に机が揺れ、机に俯せていた俺の頭を揺らす。誰かが、俺の机を蹴ったのだろう。
仕方がなく、起き上がると、目の前にいたのは、瓦のような歪んだ死角の顔をした設定・物理教師の姿。
いつもなら無視しているのに、今日はやけに怒っているようだ。
「チッ」
眠る気も削がれたため、舌打ちし、完全に起き上がった。
だが、
「何だ、その態度はッ!」
あろうことか、物理教師は俺の机を蹴飛ばし、ガシッと、物理教師の手が俺の頭を鷲づかみにした。
瞬間、頭が真っ白になった、恐いのではなく、逆だ。
プチッと、俺の中で何かが切れ、全身に虫酸がはしる。
「俺に触るんじゃねぇ! 素材・肉がぁっ!」
ほぼ殴るように、物理教師の腕を弾き飛ばす、
「貴様! 教師に向かって!」
「ああっ!? 知らねーよ!」
その時、ビキッと、俺の怒りに反応するように、机が軋む音が耳に届く。
そして、
――ドンッ
――その音に、物理教師が驚き、目を丸くした、教室が一瞬、ざわめき、すぐに静まり返る。
全員の視線は、それへと向けられた。
――俺ではなく、教室の中心で座っていた一人の少女に。
「先生、そんなことをしていないで、授業を進めていただけますか?」
はっきりとした黒い瞳に、鴉のように黒く腰の辺りまである長い髪を後ろで結んだ女性生徒、制服をきっちりと着こなし、一つたりとも違反のない真面目そうな少女。
二宮亜里砂、学校内ではお人形委員長と呼ばれている女。
そして、俺の幼馴染みでもあり、俺が一番苦手な女だ。
俺の脳が命令するのだ、あの女に触れてはいけないと。
「あ、ああ、すまない、授業を進めよう」
物理教師が言って、黒板へと戻っていく、それと同時に俺は立ち上がった。
「お、おい、多賀谷」
遠い席から島崎の声が聞こえるが無視。
「てめぇに触られて気分が悪いから保健室に行く」
言い捨て、物理教師を睨んだ後、俺は教室を出て行った。
物理教師が背後から何か怒鳴っていたが追ってはこない。
俺はそのまま、保健室ではなく、屋上に向かった。
この学校、基本的に屋上は開放されているが、自殺防止のためか、フェンスの上部に有刺鉄線がからめられており、まるで、留置所のようである。
と、その時、
「あれ? どうしたの、シンパチ君」
ペントハウスの上から声が落ちてきた。
そちらを振り向くと、そこには、一人の少女の姿。
「小原か……」
「ちぃーす、君もサボりかい?」
小原さくら、確か、隣のクラスの女子生徒で、高校一年の時からの付き合いがある。まあ――
「……まあな」
付き合いと言っても、この屋上でだけだ。
俺はサボると決まってこの屋上へ来ることが多い、小原も見た目は真面目そうだが、頻繁にサボっているようで、ここで鉢合わせすることが多いのだ。
いつも、会話はあっちが一方的に話しかけてくる。
「ねぇねぇ、今日は何かあったの?」
「別に」
「嘘だ、シンパチ君、授業をサボる時は授業の初めからサボってるじゃない、途中で抜け出すような面倒くさいことはしないでしょ」
「お前に俺の何がわかる?」
「だから、わからないから教えてほしいんだよ」
ニコリと小原が微笑む、三宅から聞いた話ではこの小原は学校でも人気がある女子らしい。
そして、こいつは、人のことを知りたがる、何かあっては質問、何かあっては質問ばかりだ。
正直、うざったいが、他に行くところもないので、答える。
「物理教師がウザかったんだよ」
「物理教師? えと、シンパチ君のクラスはあたしと同じ教師だったから、ああ、宮下か、あの人、むかつくよね〜」
そして、答えるとこいつは決まって賛同する、反対するのを聞いたことがない。
こいつはそういうタイプだ、もしも、人と意見が違っても、相手を変えるのではなく、自分が変わって理解しようとするタイプ、俺としては最もどうでもいいタイプだが、あまり好きではない。
「無理に理解しようとするなよ、俺の怒りは俺だけのもんだ」
「うわっ、酷い。人がせっかく慰めてあげようと思ったのに」
「そりゃどうも、お気持ちだけで結構だ」
俺が答えると、小原は時計に目を移した後、よっ、とペントハウスから飛び降りる。
すると、地面に付いた手をゴシゴシと拭いた。
「手を拭くならわざわざ上にあがるなよ」
「あー、上って気持ちいいじゃない? それに、あたしのパパ、潔癖症でさ、あたしにもうるさいんだよ」
「はっ、お前のことなんて、どうでもいいよ」
俺が突き放すと、小原は嫌そうな顔をして、そのまま、ハンカチでドアノブを掴む。
「友達なくすよ?」
「俺は人形だけがあれば、万々歳だ。他のは全て、勝手に付いてきたけりゃ付いてくればいいさ」
「へー、じゃあ、あたしも付いていっていい?」
「お前、人の話、聞いてないだろ」
「えー、気になるじゃん、君に付いていった後は何があるの?」
「……さあな」
ふーん、と呟き、小原は屋上を出て行った、と同時に終業のチャイムが校内に鳴り響く。
俺の行く先にある世界? そんなものは決まっている、いつでも、その世界は俺の脳裏に刻まれていた。
俺は、ポツリと呟く。
「そりゃあ、ただの瓦礫と骸の世界だろうさ」
学校が終わると、俺はとっとと教室を出た。
グラウンドには練習前の設定・野球部員が体操をしたり、話をしたり、と好き勝手にしている。
その横を抜けて、校門を抜ける。いつもならこのまま、電車へ直行だが、今日は予約していたフィギュアを取りに行かなくてはいけない。
「くはっ」
思わずにやけてしまう、やはり、俺にはフィギュアが全てだ、心がこんなに躍るのはフィギュアのことを考えている時だけだ。
今にもスキップし出しそうな足取りで向かったのは、駅の近くにある新川商店街、その中にあるビルの地下一階に、俺の行きつけの店がある。
そこでフィギュアの受け取りを済まして、俺は店を出た。
すぐにでも帰ろうと思ったが、夜飯は弁当や外食で済ませているため、食べる物を買わなくてはいけない。
俺は、とっさに目に映った普段はあまり行くことのないコンビニへと足を運んだ。
「いらっしゃいませー」
やる気のない声、見れば、アルバイトだろう、自分と同じくらいの歳の男がだるそうにレジで立っていた。
俺が弁当を選んでいると、自動ドアが開く音がして、いらっしゃいませー、とまたやる気のない店員の声。
新しい客が来たのだろう、俺は弁当を選び、他にも飲み物などを選んで、レジまで持っていく。
「こちら、温めますか?」
俺は小さく首を振った、店員はそれを確認して、精算を始める。
わずかばかりの暇な時間、俺は何気なく、店内を見渡して、
「……」
つまらないものを目撃してしまった、それは、他の学校の生徒が、自分の鞄の中に精算されていない商品をしまい込んでいる場面、早い話が万引き現場だ。
「……ッ」
少女の顔が苦笑いで固まる、自分とは違う学校の制服に、眼鏡をかけた長髪の女子生徒、髪の色は茶髪、だが、染めているのではなく、先天的なもののように見え、全体的に真面目そうに見える女子生徒だった。
まあ、やっていることは犯罪なのだから真面目もクソもない、そして、俺は。
「……」
無視して、レジに表示された金額を財布から取り出して精算。
そのまま、コンビニを出た。店員に言わなかったのも、注意しなかった理由も明解、誰が何をしようと俺には関係ないからだ。
さあ、早く返ろう、今日は一日中、鑑賞会だ。
思わず、表情がにやついてしまうが、すぐに俺は顔をしかめさせた。
別に周囲の素材・肉に気味悪がられるのが嫌だったからじゃない。
誰かが自分を尾行していることに気が付いたからだ。
パッと後ろを振り向くと、茶色の長い髪が物陰に隠れるのが一瞬だけ見えた。
「何なんだ、あいつは」
何故、跡を付けられているかは知らないが、気分が悪い、俺は物陰へと向かっていった。
「おい」
「ひゃ、す、すみません! すみません!」
再び、顔を出した女子生徒に声をかけると、女子生徒は慌てて、何度も、何度も、頭を下げる。
「何だ? 俺に何か用か?」
「え? 用って言うか、その……」
俺の言葉に意外そうに女子生徒が目を瞬かせる。
「さっき、見ましたよね?」
見た? 万引きのことか?
「ああ、見たな、それが?」
「それがって、えと、こういう時は人として叱ったり、止めたり、するものじゃないでしょうか?」
「はっ?」
待て、どうして俺は万引きをした奴に万引きを注意しなかったことを注意されているのだ? 店員に文句を言われるならまだしろ、この女子生徒に言われる筋合いはない。
というよりも、この言い方だと。
「何だ、叱ってほしかったのか?」
そういう風に捉えろと言っているようなものだ。
「へ? ええと、そんな直球で言われると困っちゃいます。それじゃあ、私が変態さんみたいですし」
「……? 結局、何が言いたいんだ? 叱って欲しいなら、盗った物を店員に見せて、怒ってくださいって尻尾でも振ってろ」
そんなことをすれば確実に変態だがな、と俺は身を翻して、再び、道を歩き出す。
「あ、待ってくださいよ!」
「何だ?」
「店員さんじゃ駄目なんです」
「何で?」
「店員さんが叱るのは、店の売り上げのためでしょ? こっちのことなんてお構いなしです、私が悪いことをしたことを純粋に心配して、心の底から私のために、私を叱ってくれる人がいいんです」
「よくわかった、警察か病院に行け」
もはや、俺はこの少女と関わる気が失せた、元々、そんなものは微塵もなかったはずだったのだが、こんなくだらないことに時間を割くのはもう止めだ。
「じゃあな、もう追ってくるなよ」
いい加減にイライラとしていた、俺は早く家に帰りたいのだ、この一刻が惜しい。
「あー、待ってくださいよ!」
「待たん!」
「うう、私、構ってほしいんです! 暇なんですよ!」
「よけい知らん!」
我ながら変な奴に会ってしまったと、滅多にいかないコンビニに入ったことを後悔しつつ、駆け足で少女を振り切った。
――シンパチの逃げる背中を見送りながら、その女子生徒は薄い笑みを浮かべる。
「あーあ、初めての接触は失敗だね、勝美ちゃん」
女子生徒の周囲に他の人間はいない、なのに、
『そうね、室長の言うとおり、めんどくさい奴みたいね』
返事がどこからともなく返ってきた。
「まあ、まだ、一回目だし、彼がそうと決まったわけじゃないんだよね?」
『……ええ、ところで、知美』
「ん……? 何?」
『接触はいいのだけど、どうして、あんなことをしたの?』
「あんなこと? って、これのこと?」
知美と呼ばれた女子生徒が鞄を開けると、そこには、コンビニの精算されていない商品がびっしりと敷き詰められていた。
『返してきなさい』
「ええ! 嫌だよ! 接触ついでに盗ってきたのに!」
『悪い子は嫌いよ』
「私は良い子が大嫌いだもん、良い事なんてしたら、脳みそが腐っちゃうよ」
周囲の人間が不審げな目で自分を見ていることに気づいていないのか、“誰か”、と言い合いを始める知子、それもそうだろう、知子の会話の相手は、誰がどう見てもどこにもいないのだ。
『怒るわよ』
「え? 叱ってくれるの?」
叱られる、と言う単語に目を輝かせる知子。それに対して、姿の見えない勝美はため息を吐く。
『あんたは……本当にどうしようもない子ね』