日々の世界
次の日、新川学園体育館。
「えー、今回の件では皆様の心に大きな傷を――」
髪はあれど威厳はないまだ若き校長が、壇上に立って昨日起こった事件に関して話をしている。
周囲を見渡しても、生徒の数がいつもよりは少ない、ショックかどうかは知らないが、休んでいる生徒がいるんだろう。
今朝起きた時、俺の携帯は壊れたままだったので、いつから学校が始まるのはわからない。
確認するのも面倒なので俺も登校する気はなかったのだが、しかし、律儀にも島崎の野郎が家まで迎えに来やがったため、こうして、登校する羽目になった。
と、そこで、壇上に変化が起きる。
「そこで、我が校にカウンセリングの先生をお招きすることにしました。若原先生です」
そう紹介されると、壇上へと上がる謎の男。
まだ若い男だ、服装はスーツでやり手の社長のような風貌があり、その表情には人を安心させるような笑みが張り付けてある。
「若原です。先日の件は生徒の皆様の心に多大な影響を与えてしまったと思います。私も少しでも、皆様の助けになればと思いやってきました。どんな些細なことでも構いません、不安があったり、心がつらいと思ったら、私のところに来てください。死力を尽くさせてもらいます」
そう言って、頭を下げる若原。と、後ろに立っていた三宅が俺の背中を叩く。
「何だ?」
「あの若原先生って、カウンセラーとしては結構、有名な先生らしいよ」
「へぇ、そうなのか」
「うん、大手の社長さんに専属で雇われているくらいだって」
「何で、そんな奴が、この学校に?」
「さあ? でも、あの人、ボランティア精神は満点みたいだよ? カウンセリングで儲けたお金で、国内、海外問わずに、募金しているみたいだし。ほら、ここの中心で新しいメディカルタワーが建設されてるじゃない、あれにも、多大な資金を投資しているらしいし。これも、それの一環じゃない?」
「ああ、あの変な形の建物か」
そのメディカルタワー建設の話なら聞いたことがある、数ヶ月前からハイペースで造られていっているあの建物、完成図を何かのニュースで見た気がするが、かなり特異な形だったのを覚えている。
「しかし、よく知っているな」
「朝に、女の子達から聞いたんだよ。結構、女性からの人気も高いんだってさ」
「ふん、ライバル登場か?」
「まさか、この学校の女子は全てぼくの物だよ」
しれっと笑顔でそんなたわ言を漏らした三宅が、その更に後ろにいた島崎によってバックチョークをされたのは、まあ、自業自得だろう。
三時限目が終了した後、俺は何となく、屋上に来ていた。
事件後ということで、今日の授業は昼までには終わるらしいが、屋上の風を受けていると次の授業を受ける気が起きない、このまま、サボってしまおうか。
そんなことを考えていると、
「あー! 見つけた!」
どこか、ムスッとした表情の小原さくらが屋上の入り口からこちらを見て声を上げる。
「何だ? 何か用か?」
「何か用か? じゃないよ! 携帯に連絡いれたのに、どうして、無視するの?」
携帯、どうやら、小原は連絡をしてきたようだが、俺の携帯は、
「携帯? ああ、逆パカしちまってな」
「逆パカ?」
何故、そんなことに? と、小原が首を傾げている。
さすがに自分でしたと言うわけにもいかず、ただ、別のことを言おうにも、逆パカになる状況が思い付かない。
そのまま、黙っていると、
「もしかして、いじめられてるとか?」
変な誤解をした様子の小原が訊いてきた。
「俺が?」
「うん、ほら、多賀谷君が人形好きでオタクなのは、結構、広まってるし。いじめられてるのかなーって」
まあ、確かに、学校内でからまれたことなら何度かあるが、昔は甲崎と一緒に返り討ちにしてやったのを覚えている。これでも、多少は腕に覚えがある。
どこをどうすれば、人間が壊れるか、肉体的にも、精神的にも、それをコツとして掴んでいるため、力はないが圧倒的に実力差がない限りはそこそこどうにかなる。
「ふん、まさか。それに、俺がいじめられていたらどうなんだよ?」
助けてでもくれるのか? と俺は笑った。
島崎や三宅のように男子間で元々孤立している奴ならともかく、普通の奴は俺のように孤立して疎んじられている奴とは関わらない、何故なら、それが原因で自分も孤立してしまうからだ。
それが、女子ともなれば、さらに、その傾向が強くなる、俺への女子の評判は空気のような扱いだろうが、俺に関わる女子がいれば、他の女子連中はその女子を同じく変人扱いするだろう。
なのに、
「助けるよ! 助けるに決まってるじゃん!」
小原は真剣な表情で肯定する。
ここまでくるとお人好しというよりも馬鹿だな。こいつは屋上でよくサボっているから真面目な委員長って感じでもない。
友達がいない風には見えないし、校舎内で他の女子生徒と話しているのを見かけたこともある、こいつからすれば、俺との関わり合いは人が来るのが少ない屋上くらいにしておくのがいいのだ。
「はいはい、お気持ちだけ受け取っておくよ。それに、いじめられてなんかないって言ってるだろ」
「へぇ、じゃあ、どうして、携帯がそんなことに?」
「それは、開いたままポケットに入れていて、うっかり座っちまったんだよ」
あまりに胡散臭い言い訳に、心の中で自分を罵倒する。こんなバレバレな嘘なら、出来心でやってみたくなったと言った方がまだよかった。
「ああ、あるよね〜」
だが、それに同意する小原、いや、今のはさすがにないだろう。こいつは、もしかしたら、いや、もしかしなくても馬鹿なんじゃ。
俺がそんなことを考えているとはつゆ知らず、小原が質問の眼差しをこちらに向ける。
「じゃあ、今は携帯電話がないんだ?」
「あん? まあな。また、買いに行かないと」
あっても使わないように思えて、ないと不便なのが携帯電話だ。しかし、面倒だな、と頭を掻いていると、
「そ、それならさ、今日一緒に行かない? 授業も途中までで終わるんだしさ」
「今日?」
急だな、それに、
「何で、お前と一緒に行かなきゃいけないんだよ」
「え? その、私も買いたい物があるし、もののついでだよ、いいでしょ?」
「まあ、別にいいけどよ」
「ほ、ホント?」
「はぁ? 嘘言ってどうするんだよ」
「あはは、そうだね。じゃあ、約束、約束だからね」
「わかったよ」
俺が答えると、小原は嬉しそうに微笑んだ。別に喜ばれるようなことをした覚えはないのだが、と何気なく、屋上から下を覗くと、
「うん? ありゃあ」
ここからでも見える中庭、黒髪の女子生徒、二宮亜里砂の姿。いつものようにその表情に感情の色はない。
と、その隣に、誰かいる。若い教師のようにも見えるが、誰だったか?
「あ、若原先生だね」
「ああ、そうだ。そいつだ。それにしても、意外だな。二宮が真っ先に若原に相談するとは思わなかった」
人形委員長なんて言われても、悩みはあるのかね? と思っていると、
「ああ、あの二人、知り合いみたいだよ?」
「そう、なのか?」
「うん、二宮さんって、孤児院の出身なんだけど、そこの孤児院の経営を手助けしていたのが若原さんなんだよ」
そう言えば、三宅が多額の資金を色々と募金していると言っていたな。それも、その一つというわけか。
「そんなことよく知っているな」
「ふふん、何を隠そう、私はその孤児院でアルバイトをしているのだ」
「アルバイト?」
「うん、将来、そういう仕事に就きたいなって。一週間に一回くらいのペースだけど、千葉だから電車で通わなきゃいけないからね、で、偶然、そこの出身者に二宮さんがいるって知ったんだ」
「ふぅん、そっか……」
二宮は孤児出身だったのか……幼馴染みなのに、よく知らない、いや、覚えていない。
ズキッと脳が痛み、俺は片手で頭を押さえた。昔の記憶を思い出そうとするといつもこうだ。
俺には、親戚に預けられるよりも前の記憶がない、かすかに覚えてはいるが、完全には思い出せない。
しかし、あの二人、何を話しているのか、二宮の方は相も変わらずの無表情だが、若原の方は微笑んでいる。
「うわわ、あの二人、何か怪しくない?」
そういう話はよくわからない、そのまま、ぼんやりと二人を眺めていると、ふいに、二宮の方がこちらを振り向いた。
目が合う、何か気まずい。二宮はこちらを見て、しばし、固まっていたが、やがて、立ち上がって中庭から出ていった。
話の最中だったのか、若原は首を傾げて、その後を追っていく。
「どうしたんだろ?」
「さあ?」
言って、俺もそのまま、校舎内へと向かっていく。
「あれ? 授業、サボらないの?」
「そのつもりだったけど、気が変わった」
「ふーん、約束、忘れないでね!」
わかってるよ、と手をひらひら振りながら答えて、俺は屋上を後にする。
ズキッと、また、頭が痛む。
おかしい、アナザーに目覚めてからはやけに痛みが激しい。