カワラズノセカイ3
いくつかの書類を何も言わずにサインした後、室長は事件の詳細に付いて語り出した。
誘拐事件が始まったのは、およそ、二ヶ月前、一番初めの犠牲者は、新川に住む学生だったらしい、その学生は、“自分の家”で友達と遊んでいる時に急に立ち上がると「ぼく、お家に帰らなきゃ」と言い出して、自分の家を飛び出したとのこと、その後、その少年は家に帰ってこず、それが、この事件の始まりだった。
その後も、似たような謎の行方不明事件は続き、今では、およそ、百数人の人間が行方不明になっているとか、
「目的がわからんな」
「だから、何かを企んでいると言っているだろう? 単純に自分のアナザーを強化しているだけかもしれんがね」
「それにしても、それだけの人数が行方不明になっているのに、世間は騒がないんだな。これも、あんたらの仕業か?」
俺の問いに、室長は首を横に振る。
「いや、違うよ。アナザーが関する事件は、どれもノーマル達には理解できないんだ。それが、どれだけ大きな事件でも「あー、何か起きているな」程度の認識でしかない。たまに、意志が強いノーマルなどは、何かがおかしいと思うけれど、行動に移せるわけでもないからね。そういうノーマルは大物になれる素質があるのかもね」
確かに、俺も、アナザーに目覚めるまでは、この事件に関して無関心だったが、改めて考えると、百数人の行方不明者など大事件である。
「今回の事件、似たような事件が、ある村で起きていたんだけどね。『神隠し症候群』って言って、村の中で病気のように行方不明者が広まっていって、村が一つ無くなっちゃんだけど。村が一つなくなっても、世間はこの異常性には気づいていない。まあ、さすがにその時は多少の騒ぎになったけれどね、周囲の街や村だけと、事件の規模に比べれば、小さな騒ぎだった」
俺も、そんな話は今、初めて聞いた。俺が思っている以上に、アナザーというのは、世界に影響を与え始めているということか、しかも、知らず知らずのうちに。
「まあ、隠蔽の必要がないのは楽だけど、このまま、放っておいたら、本当に大きな問題が起きて、政府は追い詰められるだろうね。この国は無神論者の宝庫だからいいけど、海外じゃ、宗教集団が問題になり始めている。彼らは最も多い、大きな別常識の所持者達の組織だからね、アナザーに目覚める者が多いんだ」
「なるほどな、目的は、神様の復活とかその辺りか」
「そうだろうね、この世に神がいろうといまいと、アナザーの力なら、いるなら降臨させることも、いなくても、彼らの信仰心が本当の神を創り出すだろうさ。うん、放っておいたら、各国の神々が戦い、宇宙人が襲来して、妖怪と友達になれるような世界が生まれかねない」
そんなことになれば世界はただ滅ぶだけだな、と心中でため息を吐く。
「そんないつ起きるかもわからない神災の話はいいんだ。小さな事件の話に戻ろうぜ」
「つれないね、MOTHERの話に戻ると、教師が泥を詰め込んだ事件だが、君はママゴトを知っているかね?」
「……ママゴト?」
どう関係があるのか、と聞き返すと、
「これは、ニュースでは流れていない情報だけど、亡くなった教師だけどね、食べていたのは、泥ではなく、泥団子だったらしい」
「泥団子?」
泥も泥団子も一緒だろう、泥は団子にしても食べられない。
「だから、ママゴトなんだよ、警察は関心を示していないが、実況見分では、食べ残しの泥団子が三つあったという。犯行当時は誰もいなかったが、その前に、誰かが泥団子を作って、彼に与えたんだろ」
「それは何か? グラウンドの中心であいつらはママゴトをしていたと」
「もしくは、MOTHERの力がママゴトを起源にしているのかもね。どのみち、泥を食べたら人は死ぬ、理由は知らないが、MOTHERは教師を殺すつもりだったんだろ」
警察は自殺と判断するだろうね、と室長が付け加える。
「恐らく、MOTHERにご飯をたくさん食べろとでも命令されたんじゃないか? ママゴトのママは母ではなく飯という意味だし」
「アナザーってのは、すごいのか、すごくないのか、わからんな」
「どうだろう、MOTHERに戦う力はないだけかもしれない」
なるほど、確かに、どいつもこいつも甲崎のように戦うことを目的にしているとは限らないか。
「……で? これから、俺はどうすればいい?」
「とりあえず、指示は必要になった時に伝えるよ。それまでは、今まで通りに過ごしてくれて構わない」
「ふん、今まで通りね」
そりゃあ、もう無理だろ、と思ったが口には出さなかった。室長もそのことは理解しているだろうし、セラは、俺を巻き込んだことを後悔しているんだから。
「さて、セラと九条にはまだ仕事がある。カラナは、今日はもう上がっていいから、ついでに、彼を送っていってくれないか?」
言われてみれば、ここまでの道順を俺は知らない。案内が必要だが、
「それなら、私が」
「残念だが、セラには頼みたいことがある」
セラは不満げな顔をするも、渋々従うようだ。
だとしたら、俺を案内するのは、
「カラナ・ガルデラ、よろしく」
この赤い髪の女か、物腰の落ち着いた雰囲気のある奴だが、その手には、杖がある。
「目が見えないのか?」
「ああ、生まれつきな。だが、安心してくれ、他にもう一人、一緒に案内する者がいるから、外で待っていよう」
その言葉に頷き、俺はそのまま事務所を後にした。
外に出ると、久々の日光と新鮮な空気に俺は満足する。
杖を突いたカラナは少し遅れて外に出てくると、
「あっ……」
「なっ……」
カラナが足を踏み外し、その場に倒れ込みそうになる。そして、その転ける軌道の先にいるのは俺だ。
仕方なく、倒れ込むカラナの体を支える、雰囲気は重い女だが、それでも、体は華奢で、軽かったため、支えるのは楽だった。
「す、すまない」
「気を付けろ」
言って、俺は手を離す、だが、カラナがしゃがみ込んだまま動かない。
「どうした?」
「杖が……ない」
見れば、杖はカラナの足下に落ちている。
「下だ」
俺が言うと、カラナはそのまま、立ち上がり様にそれを拾おうとして、
カランッと、杖を蹴り飛ばした。
「……」
「……」
慌てて、その音の方へとカラナが行こうとすると、そこには、通行人がいてぶつかってしまう。
「あ、す、すまない」
その通行人は迷惑そうにカラナを一瞥した後、そのまま、去って行ってしまう。
「……」
何だか、その光景を見てむかついてきた。
初めから俺が杖を拾えばよかった、と思いながら、俺が歩いていくと、カラナがまた誰かとぶつかってしまう。
「す、すまな」
「いてぇな! おい」
だが、先ほどの奴とは違い、今度のぶつかった相手は迷惑そうにカラナに突っかかってくる。
「邪魔だっての!」
「ッ」
そして、通行人はカラナの肩をドンッと叩き、無理矢理にどかして先に進んでいく。
これだから、素材・肉は――
「おい、待て」
その背中に、俺は声を投げかけた。
「あん?」
「見りゃわかんだろ、病気かどうかはわからないにしても、目が見えてないんだ。そこまでする必要があるのか?」
「はぁ? こいつ、お前の連れか?」
男が聞いてくる。連れでないなら「関係ないだろ」、連れだったら「連れならちゃんと見てろ」と文句を言うつもりなのだろうが、
「いや、全然違う。単純に、お前がむかつくんだよ」
俺のどちらでもない言葉に男はたじろいだ、俺は男を睨み付け、一歩、近づく。
「謝れとは言わないさ、俺には関係のないことだからな。だが、このままいけば、俺は不快なお前をミンチにするかもしれない。俺を不快にさせない方法は言わなくてもわかるだろ?」
「ッ、意味わかんね。悪かった、悪かったよ、これで、いいだろ」
面倒になるのを嫌ったか、男は吐き捨てると、人混みに紛れて去って行ってしまう。一発くらいぶん殴っておけばよかったか?
「ったく」
杖を拾い上げ、カラナに手渡すと、
「あ、ありがとう」
「別に、あいつが勝手に謝っただけだろ」
しかし、この女、見た目や雰囲気に反して、呆れるくらいに間が抜けている。
「ほら、こっちこい、そこにいたら、またぶつかる」
「あ、はい」
カラナの手を引くと、促されるままにカラナは付いてくる、そのまま道路の端に来ると、
「ふふ」
カラナが微笑みだした。
「何がおかしい」
「いえ、いい人だな、君は」
「はあっ? ただの気まぐれだ」
一度、助けてやったくらいで何を言っているんだ、こいつは。
「なら、尚更だ。気まぐれで人を救えるのなら、君はすごい人だ」
だが、嫌味もお世辞もなく面と向かってそう言われたため、思わず舌打ちが出る。
「チッ、あんたも、ここのアナザーなんだろ? そんなに鈍くさくて大丈夫なのかよ?」
「すまない、目が見えずとも、人の動きなどは気でわかるのだが、どうも、日常生活にいつまで経っても慣れなくて。よく、間が抜けていると言われる」
少し、眉をひそめる。日常生活に慣れない? それは、前までどこか、普通の環境ではない場所にいたということだ。名前や容姿からも、異国の人間であることはわかるが、無理矢理連れてこられたのではあるまいな?
「まあ、一緒に生活している子がいるから問題はない」
「あの子?」
それが、先ほど言っていたもう一人の案内人だろうか? と、考えていたその時、
「あー! その人が新しいアナザーさん?」
子供特有の高い声を出す一人の少女が、カワラズノセカイの建物から出てきた。
「誰だ?」
「白井ミナ、アナザーだが、戦闘員じゃない。両親も失っていて。私と一緒に暮らしているんだ」
「おいおい、じゃあ、もう一人の案内人って、これか?」
鈍くさい盲目の女に、子供……案内人としてこれほど頼りのないコンビはいるだろうか?
「初めまして、白井ミナです。カワラズノセカイじゃ、雑務をしています。お掃除が得意です」
「……こんなガキに働かせてんのか?」
アナザーとは聞いても、どう見ても、小学生だ。こんな子供に働かせるほどこの組織は人材が不足しているのだろうか?
だが、カラナは首を振ると、
「いや、彼女はこれでも、もう二十歳だよ」
……鈍くさいかと思っていたが、どうやら、天然度級の馬鹿だったようだ。二十歳と言えば、酒やタバコが吸える歳、こんなのが居酒屋に行ったり、タバコを買おうとしたら、止められるに決まっている。
だが、カラナの表情は真剣で、
「冗談だろ?」
俺が白井に視線を向けるが、白井は何のこっちゃ? と首を傾げるだけだった。
「……そういうアナザーなんだ、知識は蓄えられるのに、肉体と精神が成長しない。こうなると、アナザーも病気の一種だと認識させられるよ」
肉体と精神が成長しない? 精神はともかく、肉体が成長しないということは。
「……不老のアナザーってわけか」
アナザーってのは、そこまで可能にするのか、少しだけ、アナザーという単語の恐ろしさというものを知った気がする。
「それだけじゃないけどね」
それだけじゃないということは、まだ、何かあるのか? と首を傾げ、そこで気が付いた。
遠目には見えなかったが、白井は何か、白く、頭が丸い、赤いビー玉のような目をして、白い翼の生えたぬいぐるみを持っていることに。
「何だ、それ?」
と、俺がそれに触れようとすると、
「待て!」
俺がそれに触ろうとする気配を察知したのか、カラナが後ろから声を上げる、しかし、もう遅い。
すでに、俺はそのぬいぐるみに触れていた。
そして、ぬいぐるみが身震いを始め、
……
「何も、起きないぞ?」
何か危険なアナザーだったのだろうか? と一瞬、冷汗が出たが、特に何も起きない。
すると、身震いしただけのぬいぐるみが突然動き出す、そう、ぬいぐるみが動き出した。もぞもぞと、白井の腕から抜け出すと、そのまま、白井の頭の上に乗っかる。
「生きてる、のか?」
「あは、この子は、パクちゃんだよ」
「パク?」
「うん、この子はね、天使なの」
「天使?」
この少女は少女で意味がわからない、天使って……夢見る少女と言えば聞こえは良いが、実は二十歳と思うと複雑になる。
しかし、天使の姿をしたアナザーなのかもしれないと、勝手に判断していると、
「何も起きなかったようだな」
よかった、とカラナが息を吐く。
「あれは、あの子のアナザーなのか?」
「確かに、パクはあの子を守っているが、正確には、彼女のアナザーではない」
「正確には?」
「あの子のアナザー名は『天使を待つ丘』って言うんだ。あの子は、ある理由から天使を待っていて、その力がアナザーになったんだ。でも、この力はね、天使を待つ場所であって、自分で生み出すわけじゃない」
カラナの説明を聞いて、それを思い付いた俺は、馬鹿らしいと思いながらも息を呑む。それは、つまり。
「あの、丸いのが本物の天使だってことか?」
「室長の話だと、ありえない話ではないそうだ。あの子は、白井のアナザーに惹かれてきたみたいで、懐いて離れない。それで、白井にやましい気持ちを持つ者が近づくと、排除しようとする」
それで、ここまで、十数人は病院送りになったとカラナは説明する。だが、そこで、一つの重要な疑問が思い浮かんだ。
「待て、お前が俺を止めたということは、お前は俺があいつにやましい気持ちを持って近づいていると思ったのか?」
「い、いや、違う。ただ、人形好きと聞いたから、あれだ、そっちの趣味もあるかと」
「ふざけんな! 俺にロリコンの趣味はない」
「そ、そうなのか?」
「ああ、まあ、子供ってのは人形好きだから嫌いじゃないが、俺をそっち方面と勘違いするんじゃない」
「あっ、お兄ちゃん、お人形が好きなの?」
と、カラナの誤解を解いていると、白井が話の間に割って入ってくる、まあ、天使が反応しなかったことがその証明なわけだし、気にしなくてもいいか。
「まあな……」
「あたしもいっぱい家にあるよ! ぬいぐるみだけど」
「ぬいぐるみか、家にいくつかあるな。いるならやるよ」
ぬいぐるみは俺の専門ではないのだが、家には、島崎や三宅とゲームセンターに行った時に取ったぬいぐるみがたくさんある。
「本当!?」
「ああ、ただ、大切にしろよ」
「うんうん! あたし、クマさんがいいな」
「テディベアか、ぬいぐるみの基本だな、家に二つくらいあったかな? 素材次第で値段が跳ね上がるし、本場になると、学生じゃ手が出ないからなぁ、家にあるのは、それほどの物じゃないんだが、それでいいか?」
「え、えと……可愛いなら問題ないよ!」
困った風に微笑みながら答える白井に、俺はうんうんと頷く、
「そうだな、値段よりも愛着が大事だな。いいだろう、今度、持ってきてやる」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「よかったな、白井」
抱きつかんばかりの勢いで喜ぶ白井とそれを微笑ましそうに見るカラナ、約束して、ようやく、三人で帰り始めるが、その道中も、カラナはふらふらして危なっかしいので、俺が先導する羽目になった。
そして、ようやく駅に着く頃には、何故か、疲れている俺がいた。
(やれやれだ)
どうもこの二人にペースが乱されてしまったな、と俺は頭を掻きながら、駅に入っていく、
「またね! お兄ちゃん!」
「ああ!」
「お気をつけて!」
「お前がな!」
二人の別れの挨拶に答えて、俺は改札口を通っていく。