プロローグ
始めは自分で組み立てるロボットのおもちゃだった。
そのおもちゃを組み立てるまではよかった、だが、それで遊ぼうとして地面に落としてしまい、それを壊してしまった時、それは彼の身に起きた。
彼の体や心を喩えようのない歓喜が襲い、彼の身を震わせたのだ。
次は、公園の砂場で山とトンネルを知らない子供が作っているのを踏みつけて壊した時、また、ゾクゾクと体が喜びに支配された。
破壊することに、喜びを覚え、目に付く物は何でも壊すようになった。
きっと、自分に壊せない物など何もないのだと彼は思っていた。
そんな時、彼は、公園でそれを見つける。
ギシギシ、と揺れるブランコの上に捨てられたお姫様のようなお人形。
彼は、どうしても、その人形が気になって、近づいた。
人形が顔を上げる。
そこで、どんなことを話したのかは覚えていない、でも、その日からだった、彼に人形の声が聞こえるようになったのは。
最後のその人形が放った言葉は、
『ねぇ、私をもらってくれませんか』
彼はどう答えたのか、そもそも、これは記憶なのか夢なのか。
だが、どちらにせよ、意味はない。
破壊に支配された子供も、その人形も。
夢だろうと、記憶だろうと。
とっくの昔にぶっ壊れてしまった。
「……めんど」
携帯電話の画面をしばらく睨んで数秒、俺は携帯電話をベッドの上に投げ捨てた。
着信音が鳴っていたので確認したのだが、それは、甲崎という友人からの呼び出しメールだった。
ちなみに現在時刻は深夜の二時を過ぎている。
多賀谷シンパチ、それが、俺の名前。
ここは、俺の住んでいるアパートで、家賃は月二万五千の1DKの部屋。
床にはゴミを詰め込んだコンビニ袋が散乱し、掃除機はいつかけたかもわからなず、パソコンを置いてあるテーブルは雑誌や漫画だらけと散らかった部屋、まあ、男の部屋なんてこんなもんだ。
だが、一角のみ、汚れなど微塵もない箇所がある。
「くはっ」
それを見て、思わず、にやけてしまう。もしも、この状況をテレビで流したら、一般視聴者の約五割は気持ちが悪い、と答えたかもしれない。
俺の視線の先、そこにあるのは、綺麗に磨かれた棚に陳列された、フィギュア・ドールコレクションの数々。
趣味? 違う、これは、俺の人生そのものだ。
今日も、鑑賞と会話をしているうちに五時間も経ってしまっていた。
「ん〜? そうそう、どうしようかなってね……え? 行きなよって?」
人形に言われ、俺は仕方なく、ベッドを立ち上がる。
入居当時から付いていた洗面台の鏡に自分の顔が映る。
前髪が長すぎて片目が隠れてしまっている、目つきは恐いのではなく幽霊的な意味を込めて怖いとよく言われる。
鬱陶しい髪だが、どうでもいい、この髪だと、目つきの悪さと合わさって、赤の他人、もとい、素材・肉共も不気味がって俺に寄ってこないから楽だ。
しかし、服装はそうもいかない、季節は四月に入ったが、外はまだ寒い。今の寝る前の薄着の状態では死んでしまう。
そこいらにかけていたコートを着ると、俺は、コレクション棚に手を振る。
「じゃあ、行ってくるね。あはは、すぐに帰ってくるよ」
そして、俺は家を出た。
甲崎信吾、それが、俺を呼び出した男のフルネーム。
あいつの部屋で覚えているのは、ショーケースに飾られたエアガンやモデルガン、それと工具が多く、全体的に灰色を思わせる部屋だった。
所謂、ガンマニアで、正直、俺には全く理解できない世界だが、何となく、通じるところがあって、俺の数少ない友人関係の中では、最も、関わっている人物かもしれない。
だからといって、こんな夜遅くに呼び出しされるのは、滅多にない、こういう時は大抵、断るのだが……
ただ、気になることがあった、最近、甲崎は音信不通で、行方不明に近い状態にあった。
学校にも一日も来ていない。甲崎はサボることが多いが、出席日数は最低限クリアしている、それに、学校をサボっても音信不通というのは初めてのことだ。
甲崎は自宅通いだが、あいつの家族は、どこか諦めている節があり、あいつが引き籠もっていても無視しているらしい、飯も金が置いてあるので、それを使っていたとか、家を出ても、親は気づいていないらしく、あいつが数日いなくても、親は不審にも思っていないだろう。
金があるとは思えない、だが、共通の友人の話では、誰かの家に泊まっているわけでもない。
だとしたら、あいつはどこにいるのか、正直、見当も付かないので無視していたが、連絡があった以上、仕方なく、家を出てきた。それに、最近は、謎の行方不明事件が多発していることもある。
正直、明日から面倒な学校もあるから勘弁してほしいところだ。
そして、小一時間歩いてやってきたのは、俺が通う学校の北側にある人工林、人工にしては規模が大きく、よくここでサバイバルゲームをしたことがある。
だが、そんな遊び場だった林も夜だと当然、暗いし、不気味だ。
「……」
正直、入ろうかどうか迷ったが、明日にでも死体になられてでてきたら後味が悪い、生憎と、俺は恐怖とかそこらへんの感覚がぶっ壊れているため、入ろうと思えば入れる。
俺は一歩、林に足を踏み入れた、
「ん……っ?」
だが、その瞬間、何か違和感を覚えて、入ってきた林の入り口を振り返るが、特に何もない、おかしい、林に入る瞬間、薄い膜のような何かがぶつかったような気がしたのだが。
「気のせいか?」
何となく、蜘蛛の巣にぶつかった時のように気持ちが悪い、全身に何かがまとわりついているような気がしてならない。
「チッ、さっさと済ませるか」
林が育ちやすいようにするためか、ここだけ土壌の質が違う、ふわふわとして水をよく吸収しそうな、スポンジの感触。
さて、と、俺は周囲を見渡す、林の木々には、ここで遊ぶ時利用していた、いつもの待ち合わせ場所までの道順が刻まれている。
俺は記憶と、携帯電話のライトで、印を確認しながら進んでいくと、月の光が漏れて明るくなっている場所に辿り着いた。
ここが待ち合わせ場所だ、サバイバルみたいなことがしたくて、ここで、キャンプを張ったのを覚えている。
だが、そこに甲崎の姿はない。
「いねーじゃねぇか」
苛立ちから頭を掻き、身近にあった木に寄りかかろうとして、
「こちら、チームB、目標を捕捉!」
そんな大声と共に、近寄ってくる数人の足音。
「何だ? 目標……?」
呆然と立ち止まっていた俺を置いて、事態は進展する。
目の前に現れたのは、随分と安い軍人だ、と言いたくなるような、迷彩服に、深緑メット、そして、その手に握られているのは、見覚えのあるアサルトライフル、甲崎の部屋で見せられたことがあるエアガンと似ている。
そいつらは、一斉に俺を取り囲むと、ライフルの銃口をこちらに突きつけた。
月の光で、姿が露わになる、見れば、軍人などでないことは一目瞭然、太った男に、女、老人までいる始末。
だが、本物でないとわかったところで、状況は変わらない。
こいつらが、甲崎の友達で、今はサバイバルゲームをしていたと仮定するのも馬鹿馬鹿しい、誰が、好きこのんでこんな時間帯にこんなことをするか。
「動くな!」
「くそっ、何だってんだ」
俺が動こうとするのを、軍人コスプレ男が銃口を押しつけ制しようとする、どうせ、エアガンだろうが、撃たれれば痛い。
その時、林の奥から周りの連中と似たような服装の男が現れる。
だが、その顔には見覚えがあった。
「甲崎……ッ」
「よう、多賀谷」
俺の友人にして、ガンマニアの甲崎、その手には、他の連中とは違う小銃が握られている。
「こりゃあ、何の冗談だ、甲崎? こいつらは一体、何なんだよ?」
「……多賀谷、お前、この林に入ってから、何か変わったことはないか?」
変わったこと? あの違和感くらいしか思い付くことがない。
だが、その時に気が付いた、甲崎からも、林に入った時と同じような、違和感を覚える。
そんな俺の様子は眼中にないのか、甲崎は顎に手をやって、何かを呟いている。
「……そうか、お前も、確かに、お前ならばありえるかもしれんな」
「おい、何のことだ! とにかく、こいつらをどうにかしろ! ゲームならお前らだけでしてくれ!」
「ゲームではない、これは実戦だ」
「はぁ! ついに頭がいかれたか、甲崎!」
瞬間――パンッと、乾いた音が林の闇に響き渡った。
音の発生源は甲崎の手に握られた小銃、小銃の銃口からは硝煙が漏れている。
一瞬、何が起きているのか、理解できなかった。
本物……、本物だ、林の中に響いた銃声も、漏れる硝煙も、それを証明している、銃口から放たれたのは、BB弾なんかじゃない。
「次は当てる、多賀谷、お前を捕縛する、大人しくしていれば殺すことはないさ、お前を呼んだのは、お前ならば仲間にしてやってもいいと思ったからだ」
「仲間? 何のだ?」
「戦争のだ」
だから、それだけじゃ意味がわからないって! と叫ぼうとした瞬間、俺の脳がグラリと揺れた。
「……多賀谷、『アナザー』という単語に心当たりは?」
「アナ、ザー?」
アナザー、その単語は聞き覚えがあった、何かのサイトで見たことがあるはずだ、だが、こんな状況で冷静に思い出せるかよ。
「知らないのか、まあいい、おい、捕縛しろ」
「イエッサー」
甲崎の命令に従って、一番近くにいた男が近づいてくる。
くそっ、何なんだ、と苛立つも、苛立ちとは裏腹に、自分のものではないかのように体が動かない、動いてくれない。
男の手が伸びてくる、この先、どうなるのか、仲間にするとか言っていた、薬漬けとか、洗脳なんて単語が脳裏を過ぎる。
ああ、こいつは俺の世界を支配しようとしている。
そう考えた瞬間、頭が真っ白になった、そして、その真っ白な中に、浮かび上がってきたのは、
「うぜぇ」
純粋な怒りと憎悪。
「? 多賀谷?」
俺の中で、何かが蠢く、そいつは暴れていて、
「俺を、変えようと……支配しようとすんじゃねぇよ!」
俺の叫びに呼応するように、
「ッ、何だ?」
それは、起きた。
「た、隊長、これは!」
地震でも起きたかのように、地面が猛々しく揺れ、その場にいた全員がバランスを崩す。
だが、どう考えても、それは地震などではなかった、何故なら、
(揺れているのは、甲崎達だけだ)
そう、俺の立っている場所は揺れてなどいない、甲崎達の立っている場所だけが、古い橋のように揺れているのだ。
何が起きているのかなどわからないが、これは、チャンスだ。
「なっ、隊長! 捕虜が逃げます!」
「多賀谷……ッ、そうか、これが、お前の――」
甲崎が何かを言いかけていたが、俺は最後まで聞かずに、林の入り口へと向かって、走り出した。
走る、走る、走る、もたつく足がもどかしい、こんなに走るのは、小学校の頃のマラソンくらいだ、それからは、マラソンは全てサボってきた。
「ッ、はっ、はっ」
木々が前に立ち塞がり、それを避けるのが煩わしい、こんなことをしていたら、
「いたぞっ、こっちだ!」
ほれ見ろ、追いつかれた。
だが、林の外に出れば、何とかなる、だが、そんな俺の考えを嘲るように、林の闇は深く、出口なんて見えてきやしない。
「止まれ! さもなくば――」
「くそっ」
後ろを振り返ると、二、三人の人影が闇の中に見えた。
ここまでか、そう思った時だ。
目の前に、人を見つけたのは、一瞬だけ喜び、すぐに終わった、と思った。こんな林の中にいるのは甲崎の仲間だけだ、挟み撃ちにされたのだと、だが、よく見れば、そいつはヘルメットもなければ、迷彩服も着ていない。
焦っているため、暗いこともあり、女ということしかわからない。
その女が口を開く、
「『感世者B』を発見、これより、アナザー殲滅作戦に移行する」
感世者B? 俺のことか? それとも、後ろの奴らのことか?
女は腰に装着したフォルダーから二丁の銃を引き抜くと、構え、こちらへと向ける。
やっぱり、感世者Bってのは、俺のことなのか!?
「待て、俺は!」
「伏せて!」
女が叫ぶ。
夜闇の中でも輝いていた女の瞳と、目が合った。
俺は気づけば、指示に従い、転がるようにして地面に倒れ込む。
ゴゥンッ、ゴゥンッ、と銃声が響き渡る。
死んだ、マジで、そう思った。
だが、悲鳴が上がったのは、俺の背後からだ。
その時、ザッと、伏せた俺の頭の前に誰かが立つ。
「立てる?」
さっきの女の声だ、俺は恐る恐る顔を上げ、
「ッ」
思わず、息を呑んだ、女の顔が俺の顔の間近にあったからだ。女はしゃがみ込み、そして、手を差し伸べ、少し微笑んでさえいる。
月の光を反射する銀色の髪、瞳は洗練された宝石のようで、顔の輪郭、バランスも、計算されたように美しさを追求していた。
何というか、俺の好みだったのだ、だが、それはフィギュアの話であって。
ありえない、ありえない、俺が、人間を美しいと思うなど……
「どうしました?」
「別に」
俺は少女の手には触れずに、立ち上がる。
ただ、そこで気が付いた。
この少女、何の冗談か、着ている物が、服などではなく、軽装の甲冑に近く、腰のベルトには、四角い小さな箱が四つぶら下がっている。
「あなた、こんなところで、何をしているんですか?」
言われて、自分が逃げていることを思い出す、しかし、その追っ手は、この女が……えっ?
と、後ろを振り返ると、そこには、俺を追ってきた奴らが腕や足を押さえて身悶えているではないか。
そうだ、俺は、助かったのか?
「とにかく、ここは危険です、あなたは、逃げてください」
「言われなくても――って、あんたは?」
思わず、口に出すと、少女はポカンッと口をほうけさせると、ニッと微笑み、
「? 心配してくれるんですか?」
「ッ」
しくじった、何を心配しているんだ俺は、見知らぬ人間など、素材・肉がどうなろうと俺には関係のないことだ、だが、それ以上に、この少女が微笑んだ瞬間、ドキッとしたことも失敗だ。
だが、最大の失敗は――
「追いついたぞ」
ここで、立ち止まったことだ。
「甲崎……ッ」
「隊長! 敵です! 『カワラズノセカイ』の奴が!」
「わかっている」
甲崎は、俺は見ずに、突然現れた女の方を見る、何だ、やっぱり、こいつも甲崎のゲームの仲間――いや、ゲームではなくこれが本当に実戦だとしたら、この女は――?
「甲崎信吾、大人しく投降しなさい」
「それは聞けぬな、お前ら、カワラズノセカイは我々の初めの敵に認定された」
何だ? 何なんだ、こいつらは――俺を置いて、話を進めるんじゃねぇよ。
そんなことを考えていると、甲崎と目があった、赤い充血した目で、甲崎は俺を見下ろす。
「多賀谷、俺の仲間になれ、俺と一緒にそいつを倒そう、俺とお前ならできる」
口の端をつり上げ甲崎がせせら笑う、その姿に俺は自分の背筋が寒くなるのを感じていた。
そして、理解する、こいつはもう甲崎ではない、甲崎だが、俺の知っている甲崎ではないのだ。
そして、この元甲崎、もとい、馬鹿は、まだわからないらしい。
「俺に、命令すんじゃねぇ」
甲崎の目元がピクッと反応した、甲崎の悪魔のような眼孔を、俺は平然と睨み付ける。
「多賀谷ぁ、死亡フラグが立ったぞ?」
「笑わせんな、そんなことも忘れたのか、お前は?」
「何?」
俺の声に、わずかに、甲崎が後ずさる。こんな優位に立っている状況で、気圧される、それが、甲崎の器か、思わず、笑みを浮かべてしまう。
「死亡フラグ? 最高じゃねぇか、くはは、俺が一番、好きなエンディングはハッピーエンドなんかじゃない、主人公も、ヒロインも、グチャグチャになって、世界がぶっ壊れるエンディングが俺は大好きなんだよッ!」
別に、状況に付いていけず脳がイカれたわけじゃない。これが、多賀谷シンパチの性質というだけのこと。
興味を持てば、興味を持つほど、好きになれば、好きになるほど、
それをぶっ壊したいと望む、破壊衝動、それが多賀谷シンパチではないか、この程度の脅迫で多賀谷シンパチは従わない。
「そうか、残念だよ、多賀谷」
甲崎はいっそ、清々しいほどの笑みを浮かべ、
「殺せ」
容赦なく、友人に対して、死刑宣告を行った。
闇に染まっていた視界が、光に染まり、いくつもの銃火器の射撃音が重なり、もはや、音の暴力となって耳をつんざく。
そして、俺の体は無数の弾丸に蜂の巣にされ、その穴からは蜂蜜よろしく、赤い血液が噴き出す。
――はずだったのだろう。
視界が光に埋もれた時、思わず、俺は目を閉じていた。だからこそ、誰かが自分の手を握ったのが感触で分かった。
そして、思いっきり、引っ張られ、その衝撃で目を開いた俺の目に映ったのは、あの女の体で、驚くべきは、下を見れば、あれだけ鬱陶しかった林の木のてっぺんが見えていたことだ。
早い話、この女は俺を抱え、木よりも高く、飛び上がったということだ。
俺は人間に触れられるのが嫌いだ、人間の持つあの生ぬるい温度が嫌いでしょうがない。
だが、その少女は、
「お前は……」
そう、この少女は――
だが、その先を告げる前に、
「逃がすと思うか!」
「……ッ!」
少女が空で俺を抱き込んだ、瞬間、破裂音と熱気が空を支配する。
(何だ?)
音の正体も、この身を包む熱風の正体もわからずに、困惑していると、浮遊感のあった体に衝撃、どうやら、少女が地面に着地したようだ。
だが、その時、ズシッと、地面が揺れた。
少女が俺を下ろす、そして、
「何だ、ありゃ」
思わず、俺は言葉を漏らした。
先ほどの衝撃は、爆撃でもされたのだと俺は思っていた、少女を見ればケロッとしているが、まだ薄く残る焦げ臭さがそれを証明している。
だが、手榴弾や、ランチャーならまだよかったかもしれない。
俺は、俺の目に映ったものがリアルだと判断できなかった、だって、今、目の前にいるのは、
「さあ、戦いを始めよう」
鉄の巨人、いや、ゲームなどで出てくる人型の兵器に近い物体、その中から、甲崎の声が聞こえてくる。
「はぁっ……? ちょっと、待てって!」
鉄の巨人が動く、石像のように固そうなその体、しかし、それは柔軟なゴムのようにしなやかに動き、人間の動きも同然、そして、鉄柱だろうと片手で握りつぶせそうなほど大きな手腕をこちらへと向けた。
「こちらへッ!」
呆然とそれを眺めていた俺に向かって、少女が叱咤する。
鉄の巨人の前腕が変形、ズドドッと掘削機が地面を抉るような轟音をまき散らし、その前腕が火を噴いた。
放たれたのは、一発、一発に殺意が込められた弾丸の群れ、弾丸の群れはそれでこそ、嵐のように、俺との間にあった木々を抉り、弾き飛ばし、俺へと向かってきた。
俺の肉など、一秒、一発と持たずに消し炭となるだろう、だが。
「お前」
あの少女が、盾になるようにして、俺の前に立った。
当然、それは、弾丸の嵐にさらされることを示す。
弾丸が少女の身に襲いかかる、少女は手の平を前につき出したが、そんなもので防げるのなら防弾チョッキや防弾ガラスはこの世に必要ない。
だが。
「無駄です、そんな攻撃では触れることすらできませんよ」
ピタリと、全ての弾丸がまるで見えない壁に突き刺さったかのように、空中で停止、
「落ちなさい」
少女の一言で、バラバラと一斉に地面へと落ちた。
「……防ぐのではなく、止めたか、なるほど」
守られた俺でさえ、驚いている少女の力、だが、敵である甲崎はさも、防がれるのが当然であるような言葉を放つ。
そんな言葉には耳も貸さず、少女は再び、フォルダーから二丁の拳銃を引き抜く、あの時は焦っていたからよく見えなかったが、今はよく見える。
俺は甲崎の部屋でモデルガンだが、いくつか拳銃を見たことがあった。だが、少女の拳銃は、そのどれにも該当しない、というよりも、おもちゃじゃないのか? と疑ってしまう。
しかし、本物か偽物かは別にして、拳銃で、戦車のような外装をしたあの鉄の巨人に対抗できるとは到底、思えなかった。
だが、一発、ただの一発が、そんな俺の甘い考えを簡単に打ち崩す。
いや、一発だったかも俺にはわからなかった。
気づいた時には、光の一閃が空間を裂いていた、見えたのは一瞬、いや、見えたように錯覚しただけかもしれない、そして、鉄の巨人の肩部が消し飛び、後から遅れて耳を貫く轟音、先ほどの一瞬、本当に空間が停止していたのではないかと思うほど、空間が一斉に動き出す。
「これは」
あまりの轟音にいかれかけた耳に届いたのは小さく聞こえる愕然とした甲崎の声。
少女を見れば、握られた拳銃から、硝煙と言うよりも焦げたような白い煙が銃口だけでなく、銃身、さらには、グリップからも漏れている。
バスッと、少女の腰から何かが落ちた、それは、ベルトにぶら下がっていた四角い箱の一つだ、それが、ジジッと青白い光と拳銃と同じように白い煙を纏っている。
少女の銀色の髪は輝いており、髪と髪が接触するたび、バチッと青白い火花が散った。
先ほどの甲崎の攻撃が弾丸の嵐だったならば、少女の一撃は嵐を突き抜けるまさに雷の一撃、事実、少女の拳銃から放たれた一撃は、軽々と鉄の巨人の腕を肩から根こそぎ奪い去ってしまった。
「次は、本体に当てます」
少女の瞳が鉄の巨人を睨む、今の一撃を見せられた後ではその言葉は絶大な脅し文句になりえるだろう。
対し、
「ふはは、そうか、レールガンか、お前といい、アナザーの力を感じなかったゆえに驚いたが、実用されていたとはな」
初めこそ驚いていたが、甲崎は笑っていた、まるで、花火を初めて見た子供のように、喜んでいるようにさえ聞こえる。
「だが、それも、アナザーの前では対して意味を持たない」
先ほどから甲崎の口から出るアナザーという単語、聞くたびに、何か心の奥底で燻っている何かが雄叫びを上げている。
それと共に、どこで、その単語を聞いた気がするのか、思い出し始めた。
そうだ、その単語は、掲示板で有名になっている『NEXT.』と言う名のサイトで見たことがあるのだ。
その時、鉄の巨人の腕が肩口から生えてくるように、腕が元通りになった。
「馬鹿な、あなたはアナザーに目覚めてからまだ一週間足らずのはず、どうやって、そこまでの技術を」
「何、軍事演習というやつさ、一週間とはいえ、訓練に訓練を積んだ、この程度は序の口だよ、こいつの設計には多少、時間を食ったがね」
鉄の巨人の腕から次は大きな剣が三本、爪のように突き出た。
「お前の世界など理解する気にもなれんから原理はわからんが、放たれた弾丸は何らかの理由で止めたようだな、だが、身につけているものならばどうだ?」
鉄の巨人が疾走する、俺はもはや眼中にないらしく、甲崎は少女に向かって直進、近づけば近づくほど、小柄の少女と、鉄の巨人の体格差は歴然だった。
だが、少女には、あれがある。
少女は、甲崎が自分へと目標を変えたと悟り、俺から離れるべく、体を動かした。
甲崎も当然、それを追い、少女はそれを放った。
レールガンの一撃を。
鉄と鉄がぶつかり合う轟音、鉄の巨人がよろめく、しかし、
「残念だな、それが、アナザーによる代物でないのなら、こちらにも干渉させる余地がある、アナザーとしての経験はそちらが上でも、力は同等のようだからな!」
雷の一撃は鉄の巨人を貫くには至らなかった、少女のベルトから、また四角い箱が地面に落ちる、もしかしたら、アレは、レールガンの電源なのかもしれない、だとしたら、
「残りは、二発か、さあ、どうする? 近距離では貫けぬ、遠距離ではどれだけ速くとも、直撃を避けることなど造作もない、連発すらできぬのだからな!」
鉄の巨人の爪が、少女の横を通り抜け、木を軽々となぎ倒す。
「くっ……」
少女が、レールガンではない、普通の弾丸を発砲するも、
「無意味!」
そんなものでは、鉄の巨人にかすり傷すら負わせられない。
鉄の巨人の爪が少女の眼前に迫る、しかし、少女はニッと微笑んだ。
「いいえ、無意味などではありません、私にとっては、レールガンよりも、こちらが本命」
「な、に」
鉄の巨人の爪が少女の眼前で止まる。
ギシギシと鉄の巨人が悲鳴を上げ、鉄の巨人に異変が生じた。
「油断しましたね、レールガンから放たれる弾丸はもはや、“物”ではありませんが、普通の銃弾ならば“物”として処理できます、そして、あなたの纏ったそれもまた“物”に過ぎません」
少女が鉄の巨人を指差す。
「確かに、近距離や遠距離では仕留められないかもしれません、ですが」
ピタリと、少女は鉄の巨人の一箇所に拳銃の銃口を吸い付けた。
「あなたの頭部への零距離ならば、どうでしょう、例え防げても、あなたの頭は確実に潰れます」
「馬鹿な! 何故だ! 何故、動かん!」
鉄の巨人は甲崎の悲鳴に共鳴するようにギシギシと音を立てるだけで全く動かない。
「あなたを守るはずの鎧が、あなたを閉じ込める檻となりました、恨むなら、あなたと私の相性の悪さを恨みなさい、純粋な物理武器に頼る以上、未熟なあなたの勝利はありえなかった」
少女は悠然と、もう一丁の拳銃も構える。
「さあ、終わりです」
ガンッと、一発目で、轟音をまき散らし鉄の巨人が大きく揺れる、もはや、それだけで中にいた甲崎の鼓膜は破れ、肉は潰れたかもしれない。
だが、もう一発、容赦なく、少女は鉄の巨人へとレールガンを放つ。
ズドンッと、その衝撃で鉄の巨人は崩れ去った、でかい図体が地面に屈し、ズンッと地面が大きく揺れる。
殺戮機械だった鉄の巨人はもはや、ただのガラクタと化していた。
(ああ、惜しい)
少女の勝利、だが、俺の胸の中では何かが引っかかった、そう、何というか、あれは、
(俺が壊したかった)
あの無茶苦茶な物体を、甲崎の世界を、自分でぶっ壊してやれなかったことに、俺は落胆していた。
そこで、自分で自分に驚いた、今、まさに、自分を殺そうとしたとはいえ友人だった者が殺されたというのに、自分はそんなことを考え、口をつり上げ、笑ってさえいた。
これが、己の本性だとでもいうように、だが、それは不快ではなく、むしろ、心地よささえ感じる。
後一歩、甲崎に背中を押されていたら、自分も、甲崎や、この少女のいる場所に踏み込んでいたかもしれない。
惜しかったのか、別にどうでもよかったのか、『NEXT.』に関することも、必要なくなったため、途中までで思い出すのをやめかけていた。
「怪我はありませんか?」
少女がこちらへと駆け寄ってくる、そうだ、彼女には聞かねばならないことがあった。
「き――」
口を開きかけ、俺はその場で停止した、彼女は決定的なミスを犯した、それは――
「ぁ、アアアアアアア!」
甲崎の生死を確認しなかったことだ。
驚きに目を見開き、少女が背後を振り向くのと、甲崎の伸ばした腕が彼女の首を捉えたのはほぼ同時だった、
「そんな! あの攻撃を防げるはずが……」
地面に叩きつけられ、少女が驚きの声を上げるが、甲崎の姿を見て、目を見開いた。
俺も息を呑む。
奴の体の半分は鉄でコーティングされていた、それは、腕や腹部、そして、頭部にまでいたる。
「愚かな、潰れた部位やパーツを鉄やコードで修復したようですが、所詮は付け焼き刃、あなたは時期に死ぬ、諦めなさい!」
「まだだ! まだ、俺は死なない!」
甲崎は錯乱したような大声を上げる。
「諦めてなるものか」
そして、その機械に覆われた目が、俺をギロリと睨んだ。
「あっ」
俺は思わず声を漏らした、体を電気のようなものが駆け巡り、ゾクッと、体の奥底が疼く。
裂けて血まみれになった口で甲崎が笑む、
「逃げてぇっ!」
少女が焦り、叫び散らす、だが、逃げても無駄だ。
何故なら、一瞬で、甲崎は俺との距離を詰めやがった。
やばい、やばい、やばい。
甲崎の鉄に塗れた手が俺の頭を鷲づかみにしようとする。
「お前を、感世者Bにすれば、オレに、従エ、多賀谷ぁ」
寒気にも似た何かが頂点に達した時、俺は『NEXT.』に書かれてあった内容を思い出す。
アナザーとは、一般常識と言う名のリミッターを外し、〈別世界〉の〈常識〉を扱う者達のこと、そして、それによって、世界を創り変えていく者達のこと。
そして、アナザーがアナザーの世界を浸食しようとする時、
アナザーの世界は、
“反発する!”
甲崎の腕が弾かれた。
「なっ、にが!?」
何が起きたのか、わからないのか、甲崎が鉄の表情を歪ませる。
簡単なことだ、こいつは今、トリガーを引いたのだ。
寸前で踏みとどまっていた俺の背中を押してしまったのだ。
俺を、そちら側、アナザー側へと押し出してしまった、いや、引き込んだと言うべきか、ただ、それだけのこと。
そして、俺は瞬時に右腕を動かし、甲崎の鉄の腕を掴む、瞬間、
「馬鹿な、これは――」
甲崎の腕のパーツと化していた鉄がぶっ壊れ、ボロボロと鉄の腕が崩れ去る。
「アナザー! 目覚めたというのか!」
その時、俺の脳裏に何か、怪物のような生物が映り、そいつは、俺の背後に〈ビジョン〉として浮かび上がった。
「それが、貴様のアナザー」
甲崎が忌々しげに呟く、見れば、甲崎にも、テントウ虫のような、鉄の怪物がこびり付いているのが見えた。
俺は背後にいるそいつを見た、黒き炎の鎧を纏った姿の見えぬ怪物、だが、何を恐れる必要がある? 俺はこいつを知っている、こいつは俺の世界であり、俺の常識。
「『破壊神O』」
「笑わせるな! 目覚めたばかりのアナザーなど!」
甲崎の腕から小銃が飛び出す、俺はそれを人目見た瞬間、ニィと口の端をつり上げた。
分かる、分かるのだ、それの壊し方が、それを壊す方法が。
俺の背後に浮かんでいた『破壊神O』のビジョンが俺の腕に溶け込んでいくと、俺の腕を黒い籠手が覆っていた。
甲崎が引き金を引くよりも速く、俺はその腕で、小銃の銃口を塞いだ、瞬間、小銃を何かが駆け巡り、リンゴの皮むきのようにバラバラに解体される。
「なっ、馬鹿な、触れただけで、壊れただと!」
甲崎の体を見る、人と鉄が混ざり合った穢れた体、そんな甲崎を、俺は、
「くっ、ハ、ハハ、やべぇ」
ぶっ壊したい、体が熱い、興奮で呼吸が上手くできない、甲崎、こいつは俺を支配しようとした、俺の世界を、自分の世界で変えようとした。
許さない、許さない、お前のようないかれた世界で、俺を支配しようとした。
「壊す」
そのいかれた世界、俺がぶっ壊してやる。
甲崎を破壊すべく、漆黒の腕を上げる。
だが、俺が何かをする前に終わってしまった。
その結末はあまりにも呆気なかった。
甲崎の肉体も、精神も、世界さえも、すでにこいつは限界だった、それだけのこと。
人はそれを崩壊と呼ぶのかもしれない、別に誰がどうしたわけでもない、甲崎自身が、勝手に、崩れ始める。
「ァ、ァアアア」
もはや、止まらない。狂った世界の末路とでも言うかのように、甲崎はただ、崩れていく、体を保っていた鉄のコーティングは乾いた絵の具のようにパラパラと崩れ始め、灰のようになっていく、精神はもう、何を考えているのか自分でもわかっていないだろう。
待機させられていた周囲の感世者Bと呼ばれた者達も、甲崎の崩壊と共にバタバタと倒れていく。
それを俺は、興味なさげに見つめていたと思う。
まただ、いつも、それを感じてしまう、壊してしまった後、それが壊れた後、楽しかった気持ちが一瞬で薄れ、この身を支配するのは忘失感ただ一つ、胸にポカリと穴が空いたようで、寒くなる。
「……つまんね」
そう呟くと、風が吹いた、崩れていく甲崎の灰が周囲に流されていき、
「オレは――」
「ッ!」
むせ返るようなガソリンと火薬の悪臭。
「死なない」
片目を失った甲崎と目が合った。もう片方の目は、崩れていきながらも笑っている。
そこで、気づく、周囲に散らばっているのは灰ではなく火薬、そして、このガソリンの臭いは、甲崎の血だ、見れば、まるで壊れた噴水のように甲崎の体中から、必要以上の血が周囲にまき散らされていた、そもそも、その量が人間一人にある量を並外れている。そして、ゴロッと地面を転がるボコボコの卵のような何か。
それが、ピンの抜かれた手榴弾だと気づいた時にはすでに遅く。
俺の視界は、真っ赤に染まり上がった。
――だが、俺はすっかり彼女のことを忘れていた。
迫る炎、それを目前にした俺を抱え上げる何か、それは、一気に空へと舞い上がり、視界に迫っていた爆発と炎がどんどん離れていく。
そして、顔を上げた俺の目に、月を背後にした彼女の顔があった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
俺は人間が嫌いだ、そこいらにいる無関係な人間など素材・肉にしか見えないし、多少知り合っても、覚えるのは設定だけ、俺が人としての名前を呼ぶ相手は本当に限られている。
人形が人生の全てだからそうなのか、それとも、人間が嫌いだったから、人形を好きになったのかはわからない。
だが、何よりも、人の持つ、心の冷たさを誤魔化すあの肌の生ぬるさは触れていて嫌気が指す。
だが、彼女に触れた俺の肌が感じる彼女の温度はひんやりと冷たかった、この肌触りや、冷たさを俺はよく知っている、それは、いつも指でしか触れたことがないのだけれど。
そう、初めて触れた瞬間から感じていた違和感の正体を、俺は彼女に訊いていた。
「君は、人形なのか?」
その言葉に、少女は目を丸くする。
「正確には、人形よりもアンドロイドと呼ばれる部類に入ります、トップダウン方式を応用したナノマシンによって生まれた素材で造られた、対アナザー用戦闘兵器の一つです。この世界でも表では知られていない分、アナザーに対する抵抗力が強いため選ばれました。通常時は人と同じ温度を再現できますが、戦闘時はどうしても、冷却装置を作動させなくてはいけませんから、冷たくなってしまいますが」
そう言った彼女の瞳は本当に宝石を加工して埋め込んだように美しく、彼女は人間ではないことがわかる、だが、不思議なことに時折、彼女は人間以上に人間らしく見えてしまうのは、何故だろうか。
人間と人形が混ざり合ったような、そんな違和感すら彼女に覚えてしまう。
だが、そんなことは関係ない。
「すごい」
「え?」
彼女が目を丸くする、色々と聞きたいことはあった、先ほどまで胸を支配していた喪失感は消え去っている、今、その胸を占めるのは興奮と喜び、まるで、初めて手品を見た子供のように俺は目を輝かせていたかもしれない。
だが、聞いておきたいのは、
「君の名前は」
名前、と呼ばれ、彼女はしばし、考え、
「正式名称は長いので、仲間は『セラ』と私のことを呼びます」
下の赤い炎と頭上の月に照らされ、燦然と輝く銀色の髪を揺らし、彼女は答えた。
セラ、素晴らしい名前だ。と言っても、恐らく、どんな名前でも俺は素晴らしいと思っていただろう、冷静な判断ができなくなるほど、俺の胸は焦がれていたから。
これは、ある意味で運命だったのかもしれない。
アナザー、破壊神O、狂った甲崎、これから調べなくてはいけない単語がいくつか思い浮かぶが、今はそんなことはどうでもいい。
「セラ、俺は――」
きっと、ただの人間相手には死んでも言わないであろう言葉。いや、普通はこんなことは言わないのかもしれないが、俺はその言葉をセラに向けていた。
「君が欲しい」
それが、俺とセラとの出会いだった。
そして、その出会いは、俺の世界が動き出すきっかけとなる。