領主と反動
改めて見ると大きな建物だと感嘆の息が漏れる。玄関口まで伸びる石畳にはゴミひとつ無く、噴水を中心として立ち並ぶ庭木一本に至るまで丹念に剪定が施されて……俗に言えば結構な金持ちだという事が判る。
俺にも何か仕事あったりしないかな。
ノワイエの付添い兼ブリッツの監視役として来たわけではあるが、手持ち無沙汰になる事は大いにある。セバ氏辺りに何か手伝えるような事はないか訊いてみるのも有りだろうか。よし、そうしよう。
「……ところで、随分と静かになったんだが大丈夫か?」
「……今に解ります」
隣を歩くノワイエに、気にかかる事を問いかけてみると、言わんとする事を理解しているのか、歩みを止めずに進んでいく。
俺達の後ろを歩くのは、朝からテンションの高かったブリッツだ。しかし、馬車を降りてから口数は激減、その表情を盗み見ると……
「……どうしたよ?」
「いや、別に」
ばっちり目と目が合ってしまい、冷や汗が背中を伝う。少なくとも、そこにあのウザいテンションのブリッツはいない。
どう見ても機嫌の悪いチンピラがそこにいた。いや、おかしいだろ。なんでだ。
内心で首を傾げるしかない俺だが、いつの間にか玄関口まで到着していたようだ。不思議と緊張はしてない。俺は脇役だからな。ただ、何が起きるか全く予想出来ないのが怖い。
ノワイエがノックするより早く、勝手に左右に押し開かれる。自動ドア、ではないのは左右に立つメイドさんがいたからだ。大丈夫、まだメイドさんくらいなら許容範囲内だ。
……ただ、スカートが膝下なのは予想外だったが。くそっ、そこはミニスカメイドじゃないのかよ……!!
中央が吹き抜けになっているらしいエントランス・ホール。その奥にある階段の前に一人の男性がいた。カジュアルな黒のスーツを着こなすダンディなおじさんだ。
特段おかしな所は今のところない。あの特徴的な焼き畑農業をしてたから警戒していたんだが……
ダンディおじさんが此方に歩み寄ってくる。その表情は決して無表情という訳ではない、が……微笑んでいる、のか?
「ようこそ、ソルス領へ。よく来てくれたね。ノワイエ、ブリッツ……それに」
落ち着いた声色のダンディおじさんが俺の顔を見て言葉を止めた。うん、初対面だからね。お互いに名前は分からないよね。
「そうか、君がキョウヘイくんだね」
「えっと、どうして……?」
「彼女を助けた若くして勇敢な騎士、と一部では既に有名なのでね」
かゆぅっ!! 勇敢な騎士って誰だよ!? 勘弁してくれ!!
もちろん初対面の人にそんな事を口にも表情にも出せない俺は、びくびくと背筋を震わせながらもおじさんからの握手を受ける。
「手袋越しで、すまないね。ここの領主をしているソルス=G=オルゲルトという」
「ど、どうも……佐居 京平です」
がっしりと握手を交わし、これで終わりかと安堵するのも束の間。おじさん、いや領主様は灰色の短く刈り上げた頭を微かに傾げた。な、なんだよぅ。
「あの、領主様。お口に合うか判りませんがお土産を持ってきたので、よろしければ是非」
「気を使わせたようで。だがノワイエ、いつも言わせてもらうのだが私の事は領主様と呼ばなくてもいいんだよ。君は領民ではないのだから……依頼の話を抜きしても、娘の友人として接して構わないんだ」
「……わかりました。オルゲルトさん」
「次に会った時に戻ってない事を祈るよ」
どうにも薄い笑みと抑制に欠ける口調とは組み合わせが悪く、皮肉めいた印象を覚えそうになる。しかしながら、今更になって領主への土産が手作りジャムというのも如何なものだろうかと思わないこともない。
と、そうなれば自然と会話の流れはブリッツの方へと向かう。ここに来て緊張を覚えてしまう。大丈夫か? チンピラしてる場合じゃ――
「領主サマ、アレはいねぇのか?」
俺の不安虚しく、ブリッツもといチンピラ馬鹿は盛大にやらかした。
「あぁ、今朝早くに出たようだ。既に会ってたと思っていたのだがね」
しかし、当人は疎か使用人の一人に至るまで先のブリッツの発言を気に止めた者はいなかった。いいの?
「ふん。どこに行ってんだか……誰もしらねぇのか?」
「妻も不在の今、出来れば誰かが繋いでおいて欲しいものだ。ブリッツ、まだ迎えてはくれないのかい?」
「はぁ? 誰があんなじゃじゃ馬、冗談にしては笑えねぇな。俺なんかには手に負えるか……」
「ふ……相変わらず謙虚なのだな」
はわわ……思わず口からそんな言葉が漏れそうになる俺である。いや、本当にどうしたのコイツ、緊張し過ぎておかしくなったか? それとも領主さんの耳がおかしく?
「お、おい……ブリッツ?」
「なんだ。今はお前に構ってる場合じゃなさそうなんだよ」
「あぁ、すまん」
「で、いつ帰って――」
困惑する俺を余所に再びブリッツは領主へと絡む。いや、端から見たらそうとしか見えない。
と、ノワイエがこちらに小さく手招きしてる。ちょっと可愛いな、それ。もちろん行きます、是非もない。
「京平さん。あれがここでのブリッツの普通です」
「は……?」
「しかも、ある程度まで行くと反動が凄いです」
「反、動……?」
始め、ノワイエまでおかしな事を言い出したかと錯覚したが、その意味を確認する必要はなかった。
「まずは疲れもあるだろう。それぞれに部屋を用意してあるから、夕食までゆっくりするといい」
「京平、話がある」
自由時間的な提案がされたと同時に、低い声でブリッツが俺の手を引く……って、何事!?
「ちょっ、痛っ……手がつぶれるぅっ!?」
「ブリッツ!? ちょっと待って!! オルゲルトさん、失礼します」
ずりずりと引き摺られる俺に、それを追うノワイエ。ようやく少しだけ慌てるメイドの姿を視界の隅に納めながら、ドナドナされていく。
あぁ、空が綺麗だな……あっ、いつの間にか外に連れ出されてら、ハハッ。
「ここならいいか……」
「ったく、いったいどうしたってんだ」
気がつけば屋敷の裏手なんて、初めて来た場所では到底行かない所まで連れられて来てしまった。そこまで重要な案件なんだろう。
「――うんだ……」
「膿んだ?」
そりゃ、大変だ。頭の中となるとこの世界の外科技術じゃ――
「違うんだ。俺は、あんな風に言いたいわけじゃなくて、言いたいわけじゃないのに……」
ハッとした。いや、ギョッとした。どっちでも変わらないか。うん。ブリッツが滝のような涙を流してそんな事を言ったのだ。
「あぁ、うん……」
「くそぉっ、お前となら普通に話せるってのに!! どうして……!!」
「あぁ……うん」
それもなんか嫌だな、言い方が。
呻くように呟き、ブリッツはただただ悔しげに立ち木の幹を叩く。おいおい、幹ドンすんなよ、自分の家のじゃないだぞ。庭師の人が迷惑するだろ。
「京平、俺はどうしたらいいんだ……!!」
「いや、素直になれよ」
「それが出来ないから相談してるんだよぉっ!!」
あっ、これか。反動って。
もしかしたら、手伝いでもして小銭稼ぎしようと思っていた俺は甘かったかもしれない。この状態のブリッツの監視役とか心労がマッハだ。
※ちなみにブリッツはこう言いたかった。
「領主サマ、アレはいねぇのか?」
『オルゲルトさん、娘さんはどこに?』
「あぁ、今朝早くに出たようだ。既に会ってたと思っていたのだがね」
「ふん。どこに行ってんだか……誰もしらねぇのか?」
『今朝早く? 会ってないけど、他に誰か知らないんですか?』
「妻も不在の今、出来れば誰かが繋いでおいて欲しいものだ。ブリッツ、まだ迎えてはくれないのかい?」
「はぁ? 誰があんなじゃじゃ馬、冗談にしては笑えねぇな。俺なんかには手に負えるか」
『なっ……自分に彼女をなんて御冗談を、自分には手に余ります』
……うん、だいたい合ってる←




