百面相
こうして予期せぬ争いに終止符を、ノワイエは台所でジャム作りの真っ最中。俺はと言えば――
「しかし、ここだけは本当に不思議空間だな……」
西洋的建築物に似付かわしくない純和風の室内に、パンイチで佇む俺の呟きが木霊した。
ノワイエ曰わく、九流実家が三大境の一つ『溜め息の楽園』、俺に言わせれば立派な檜風呂だ。そして何をしてるかといえば、最近発見した俺の仕事、風呂掃除である。
とはいえ、檜風呂の手入れが実家の風呂と同じだとは思っていない。木材の浴槽だから傷を付けないように細心の注意が必要なのだ。
勿論、源泉(?)かけ流しタイプの檜風呂の清掃知識なんて俺が知っている筈もなく、ノワイエに頼み込んでようやく教えて貰ったという訳で――
「よいしょ、っと……」
まずは湯船へと流れるお湯の進路を変えるレールを用意する。そして、湯船の栓を抜く。この街の下水設備とかどうなってるのか、さり気なく水洗トイレなのに、飲料用の上水道がないのはなぜなのか。疑問は尽きない。
ノワイエに訊いたが、なかなか要領を得ない答えだった。
曰わく、この檜風呂の正体は古代物質内蔵型浴室で、トイレに関しては浄化厨二術式トイレとの事。上水道は管理費が掛かる為に都市の井戸を使っているらしく、家によっては専属の厨二術師を雇っていると……
つまり、いつも便利な厨二術で大体の答えになってしまう。なんだかな。
「それを言っちゃ、自分達の世界は電気や化石燃料で大体なんとかするわけだけどもさ」
スポンジの代わりにヘチマのような何かで浴室周りと湯船を洗いながらぼやいてみる。
電子レンジとか、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、照明等々。ノワイエがもしも俺のいた世界に来ていたら俺だって説明に困る。電化製品万歳な世界の住人と厨二術万歳な世界の住人にどれだけ差があるだろうか。
ただ、きっとノワイエは驚くんだろうな。ある意味で厨二術よりも複雑怪奇な物が溢れる世界。それこそテレビなんて見たら中に人が入ってると勘違いするのではなかろうか、ひと昔前にあったらしいブラウン管テレビなる物なら判るが時代は薄型液晶テレビ、あんな中に人なんて入れない。
脳裏に浮かぶ、慌てふためくノワイエの姿に思わず口元に笑みが浮かぶ。そうだ、元の世界に帰れるならノワイエに遊びに来て貰うというのはどうだろう。
「……いや、馬鹿か」
次から次へと浮かんだ妄想は急に冷たい熱に変わる。
今のところ、最終神極世界(ラグナレク=エンド)に死の病を蔓延させたかも知れない親父と、死の病で両親を失ったノワイエを会わせる。どうなるかなんて、馬鹿でも判る。
だが、ノワイエは俺が死の病……災害の病魔を引き起こした男、佐居臥威の息子だと知っている筈。この辺りを訊く勇気はまだ俺にはない。
自身の親を殺したかも知れない男の息子とひとつ屋根の下で暮らす。そんな常軌を逸した環境をノワイエはどう思っているのか。
「本当、頼むぜ……馬鹿親父」
いっそのこと、親父が伝染病とは無関係でいるなら、物事は簡単になるんだ。親父はノワイエの両親とただの知り合いで――
『わたしが産まれる前なんですけど、英雄の筆頭である『絶対者』とその奥さん、『緋色の魔女』との子供と結婚させようとしていたらしいです」
「……いやいや、それはそれで」
婚約者とか、ほらまだ俺達はお互いの事知らないし……まったく、本当に困った人達だなぁ!!
「…………あの、京平さん?」
「へ……?」
浴室に置かれた大きめの鏡の向こう、つまり俺の背後、浴室の入り口から顔を覗かせていたノワイエの顔が見えた。
「お掃除は上手く行ってるかなと思って来たんですけど……」
「ノワイエから見て、どうだった? というか、どこから見てました?」
「えっと、楽しそうだったり急に落ち込んだり、それからまた楽しそうだったり……なんといいますか……」
「…………」
「お邪魔したようで、その……すいません。お掃除ついでに一番先にお風呂入っちゃってもいいですから……」
「うん。ありがとう……」
すっと浴室を後にするノワイエに、俺はしばらく室内の隅で体育座りをする事にした。何かあったのか、いや何もなかった。
◇ ◇
「あの、すいませんでした。なんと言いますか……間が悪くて」
「何かあったのかな? ノワイエは何も悪い事なんてしなかったし、俺も何もしてなかったよね?」
風呂掃除を終えると、丁度ノワイエも夕食を作り終えたらしい。仮面は外したままの表情は申し訳なさ全開だけど、俺には皆目見当もつかないと言った体で通す事にして着席。おっ、毎度ながら美味しそうだな。
「あ……そ、そうですね!! はい、何もなかったかとっ!!」
「そこまで必死に肯定しなくても……まぁ、いいや。いただきます」
気持ちが既に食事モードな俺の様子を察したのか、どうぞ、召し上がれ。と笑むノワイエ。ふたりきりの食卓だが不思議と寂しさはない、代わりに未だに見慣れない美少女スマイルにドキドキしてしまうのは悲しい男の性よ。
今夜のメニューは、香草の薫るバケットにチキンレッグ、謎の物体にスープだ。おや、見慣れない料理があるぞ?
「それはペルラ豆のチーズ煮です。今夜の献立はアルテ風にしてみました」
「成る程、判らん」
「あはは……ですよね。まずは一粒どうぞ」
何となくオシャレな感じなのは判ったけど、洋風の煮豆か。箸が欲しくなるけども贅沢は言いません。テーブルマナーに煩くないだけ十分有り難い、フォークでペルラ豆なるものをえいやとひと刺し。未知の料理に興味は尽きぬと、いざ。
「ん……!!」
大豆くらいの粒を口に入れると、たったのひと粒でも強い味が口いっぱいに広がる。芳醇なチーズの香りだ。ペルラ豆自体もふわふわのもちもち、噛み締めればジュッと染み出てくる旨味と甘味が絶妙なバランスを取っている。これはなかなかどうして癖になるかも知れない。
「それと、これも味見してください」
旨さに悶える俺の様子に微笑みながらノワイエが置いたのは琥珀色の液体、恐らくはルビルのジャムだろう。勧められるままに、さっそくパンにひと塗り、いただきます。
「…………おふ」
もう、ね。酷いよ。テロだよ、テロ。
ペルラ豆のチーズ煮の余韻に浸る隙をくれないでやんの。静かに、しかしながら確実な勢いで侵略を開始するのはルビルのジャム。甘さは控え目でさっぱりとした酸味のあるジャムはそれでいてバケットを邪魔せずに共存を可能にしていた。
少し固めに焼かれたバケットは小麦以外にハーブを混ぜたらしい香草パンで、香り豊かでルビルの風味を殺さずに口内を爽やかに浄化していく。
そこで本日のスープを投入。賽の目切りの野菜のコンソメスープだろうか。これがまたパンに染みると味を変える。ホッとするような優しい味わい、旨し。
チキンレッグも、やはり旨し。胡椒が効いてるのは保存事情にも関わる為か、肉や魚はこうして香草や胡椒による処理がされている辺り、冷蔵技術とかはやはりないのかな。
「それにしてもノワイエ。これだけの腕前ならお店とか出来るんじゃない?」
基本的にこっちの世界で外食してないから判らないけど、少なくとも俺のいた世界なら金を取ってもおかしくないレベルだ。尚、俺は貧乏だから払えないとか悲しい自虐があるわけだが。
「……そんな事、でもありがとうございます」
表情は笑顔のまま応えるノワイエだが、その笑顔はどこか軽く違和感を覚える物だった。




