償い
単刀直入に言おう。
俺は、侮っていた。
語弊が生じてしまうかもしれないが、確かに彼女の料理していた時の所作は一部を除き、手慣れている人のそれだった。
しかし、出てきた料理を見て……いや、それ以前に周囲の状況を見て、思わずして思っていたのだろう。
まぁ、素朴ながらも、平凡な味なのだろう……と。
弁明するつもりではないが、俺の知る現代社会の台所よりもここにあるのは遥かに古い設備だ。
それこそ流し台なんて水道ではなく、脇に置かれた水瓶から水を利用しているし、レンガで組まれたような釜戸……この場合はオーブンコンロと言うべきか、電気が無いのだから当たり前な訳だが。
よくよく考えれば、その方が旨い物が出来上がるのやも知れない。何だかんだ言って、現代社会に置ける調理器具の殆どは手間を省く為の物なのだから……
「どう、でしたか?」
些か緊張の孕む声で問いかける彼女に、俺はご丁寧にも淹れて貰ったハーブティーを口にして、結論を出す。
「非常に、旨かった……」
そう言わざるを得ない。一口目から今に至るまで、一心不乱と言わんばかりに食していたんだから。聞かずとも判るレベルの食べっぷりだったと思――
「おぅ……」
目の前にいる仮面の彼女を見て、大変な事に気が付いた。いや、これは冗談で済まされるレベルではない。
「それなら良かったんですが……? どうかしましたか?」
「どうしたも何も……」
本人すら気が付いてないのか、このテーブルの惨状を。
パンが入っていたバスケットは空っぽになり、焼き魚があった皿の上は綺麗さっぱり。料理があったという事実は"俺の取り皿だけ"に、その汚れと魚の骨で残されている。
俺の視線を辿ってようやく気が付いたらしい。顔を覆う仮面を外す事のなかった彼女は小さく声を漏らした。
「わたしは京平さんの食べっぷりに胸がいっぱいになったから大丈夫です」
「いや、そんなわけ……本当にごめん!!」
料理を作ってもらっておきながら、独占してしまうとか、それ以上最低な行為を俺は知らない。 料理を作ってもらっておきながら、独占してしまうとか、それ以上最低な行為を俺は知らない。只でさえ彼女もお腹を鳴らしていたというのに!!
「いえ、本当に大丈夫ですから!! 頭を上げて下さい!!」
「いや、これは流石に駄目だと思う。何でもいい、俺に償える事があれば……」
「っ……」
俺の頭上、というより対面で彼女が息を呑む音が聞こえた。
どんな無理難題が科されるか判らないが、俺も男だ。二言は無い。
でも、正直……無茶ぶりは勘弁して欲しい。
「――それでは、三日間……」
長い沈黙に終わりを告げる言葉が紡がれる。
同時に、内心で安堵したのは秘密だ。雑務はもちろんトイレ掃除だって構わない。
「…………」
「……三日間?」
続く言葉が出ないまま、俺は思わず顔を上げる。
丸テーブルの上に灯された燭台が照らす表情は、相変わらず白い仮面で判らないが何らかの迷いがあるという事だけは分かるのだが……
「三日間、わたしといてくれませんか?」
「……うん?」
恐らく、彼女にとっては勇気を出して告げた言葉なのだが……如何せんその白い仮面のせいでトキメキとか甘酸っぱさは皆無で、俺は素で首を傾げる事になった。
シチュエーションがシチュエーションなら、甘いラブロマンスでも突入しそうなのにな。いかん、雑念が入った。
「あ、いえ……京平さんが駄目だというなら――」
「別に駄目ではないけど……どういう事?」
「えっと、三日間丸々つかず離れずという訳ではなくてですね……えっと」
言葉に詰まる彼女に益々首を傾げてしまう。仮にそれが罰するに値しても、何を意図してるのかがまったく判らないのだ。それにこの状況で留まる場所が出来るのは願ってもない事だし。
「ちなみに、三日以降には追い出されるという事で?」
「その時は京平さんのお好きなようになさって下さい。あ、もちろんご飯も作りますよ?」
「……あのさ」
「なんでしょう?」
いや、なんだろう。
俺が呆れてしまうのはおかしい。それは解るんだが、なんなんだ。
良くしてくれるのはありがたいが、線引きくらいはしておくべきだと思う。
「キミ。正直、俺に償わせる気とかないだろ?」
「……いえ、あります」
注意を促そうとする俺に対して、居住まいを正す彼女の姿に思わず面食らってしまう。
同い年の少女から響いた声は、確かな強さのような物があった。覚悟を決めたかのような……それが何に対するような覚悟かは判らないが。
「それと…………ノワイエ、と呼んでくれませんか?」
「え……?」
追求するより早く、強いと思った矢先に出た彼女声は、酷く弱々しく響いた。
そんな、まるでジェットコースターのような緩急に俺はただ困惑するのみで……
「キミ、とかじゃなくて……ノワイエと呼んでくれませんか?」
「……解ったよ」
改めて言われると名前は疎か、思考する時でさえノワイエという言葉を避けていたような気がする。
きっと幼き頃に会ったノワイエと……俺の初恋にも似た気持ちを抱いた彼女への未練、からだったのかも知れない。
それを口に出さなくても他人の彼女、ノワイエにしてみれば失礼以外何者でもないだろう。
「それじゃ、改めて……ノワイエ。言いたい事がある」
「はい、なん――」
――くぅぅ、きゅるるる……
「食べてしまった俺が言うのもなんだが、何か口にしてくれないか? 気になって仕方ないんだ」
「……わかりました」
流石に今度ばかりは折れてくれたらしい。いそいそとオーブンコンロへと歩く彼女……ノワイエに、俺は小さく溜め息を吐いた。