かゆいかゆい
災害の病魔の真相。
それを解明しなければ、いつかまたノワイエに無辜なる責が及ぶ事になる。
手掛かりとなるのは、俺の親父だ。噂のひとつでは親父が原因だとするものもあるようで、一応息子としてはその無罪も晴らさねばならない。ノワイエから彼女の両親を奪い去った出来事の原因が、俺の親父なんて考えたくもない。
帰界、つまりは俺が元の世界へと戻って話を聞きに行きたいところなんだが……
あの日、ノワイエを救い出した日の夜。どういう因果か、彼女を処刑しようとした聖騎士が言うには、現状は非常に厄介な事になっているとの事。
ノワイエに対する大衆の意識は混沌の一言に尽きるらしい。
曰わく、世界を絶望の淵に叩き落とした存在を一国の聖騎士程度がどうにか出来るべくもなかった。あの黒衣の者達は魔女の手先であり、特に黒鎖の蛇遣いは新たなる魔王候補かもしれない。
これを聞いた時、俺は吐いた。嘘偽りなく、吐瀉物を駆け込んだトイレに流した。
また、一方では、あらゆる罪を裁く正義の剣が折れたのだから、それは聖女である彼女に罪などなかった事の証明である。黒衣の者達は聖女の従者であり、なかでも黒鎖の蛇を従えし者は、『聖女の守護者(サント=ガルディアン)』と呼ぶに相応しい。
吐いた後に聞いた俺は、軽い失神により意識を失った。ほんの数分くらいだと思うが、頭痛が収まらない。
酷いものだ。アレルギーもそうなのだが、あまりに極端過ぎる。
そして、混沌の渦中にあるノワイエについてだが、広場で素顔を見せてしまった為に都市の現状に措いて表に出る際には変装が必須となった。
彼女の家や元々彼女を知る人物は後者に似た考えの者が多いらしく、現時点では被害といえる被害はないのが救いか。現時点では、だ。
そんな不安定な状況で俺が帰界できるかといえば、現実的ではない。俺がいない間に何かが起きないとはいえない。
まぁ、あっちはあっちで、ちょっとしたいざこざを起こしてるから帰れないのもある。緋衣菜は心配だが、みんないるからな……鈴音も、親父もいる。俺がいなくても、大丈夫――
「あっ……」
「どうしました?」
思考に耽る俺だが、不意に思い至ったとある事に声が出てしまったようだ。今更になって悩みというべき悩みが出来たけど……それは、いいや……
「いや、なんでもないよ……ちょっと面倒な事がね」
「相談になら乗りますけど……」
「大丈夫。それほど重要な事じゃないし」
「そう、ですか……」
仮面の奥からのしょげ込むような声に、ちょっとした罪悪感を覚えてしまう。
でも、答えは出ている。割と直ぐに出た。
ただ、実行に移す覚悟が足りないだけで。今までの悩みに比べたら小さい方に入る。
異世界に来て一週間。
時の流れが元の世界と同じならば……
一週間後に始業式がある。
……手紙にでも書いとくか。緋衣菜とか激怒しないよな。大丈夫だよな。
「あの、京平さん」
うん? 感慨深く窓の向こうを見る俺にかかる声。いつもの台所の丸テーブルの向こう側に、ノワイエは"真剣な表情"で俺を見ていた。
テーブルの上に置かれていたのは、彼女を隠し、守ってもいた仮面。素顔のノワイエは、いつかの面影を残したまま美しく成長を遂げて……俺は直ぐに視線を逸らした。
「京平さんに、わたしは助けて頂きました。あの場で死を望んだわたしですが、京平さんは、京平さん達は……ノワイエを助けてくれました」
胸に手を当てながら語るノワイエに、俺は言葉の意図を辿ろうとした。助けて欲しくなかった、とはならないだろうけど。しかし、ノワイエが自分の事を名前呼びするなんて珍しい……初めてか?
「ですが、わたしは助けてくれた京平さん達に――」
「なにも返せない、とか力になれない……そういう事?」
失礼ながら、途中から読めた会話のオチに俺は少し……いや、普通に呆れた。たまにノワイエは面倒な部分がある、遠慮がちというか、他人行儀というか、他人だけどさ。
無言で頷く彼女に対して、なんというべきか……可能な限りかゆくならない言葉選びに苦闘する俺を翡翠の瞳がじっと見つめる。
「京平さん達は気にするなと言うでしょうけど……わたしが気にするんです」
「頑固だよね。ノワイエって」
「え……?」
おっと、つい口が滑った。セーフ? アウトだな。呟き程度だったけどバッチリ聞こえたのか、ノワイエの表情には雲が差し混んでいた。
「ゴホン……えっと、俺は自分がしたいようにした。これまでもこれからも、そうしたいからする。だから、ノワイエから気にされる謂われはない」
「自分勝手ですよね、それって……」
「ノワイエだって、これまで衣食住の見返りを求めてこなかったじゃないか」
「それを言われると……でも京平さん、もう少し優しい言い方にはなりません?」
言葉付きは険を感じるかもしれないけど、視界の隅の彼女は少しだけ笑っているようだった。なぜか、俺も少し楽しいかもしれなかった。
「あいにく、そういうのは駄目なんでね」
「わかってますよ……でも、お陰で少しだけ気が楽になりました」
「そっ、か……」
「はい。そうなんですよ」
テーブルの上に置かれた腕には、既にポツポツと浮かぶいつもの症状が出ていた。まったく、かゆいかゆい。




