あれから◎(10/17改稿)
『拝啓。
遠い世界の母さん、灯衣菜へ。
特に灯衣菜へ。
兄さんがいなくなって寂しい思いをしていないか?
お前の兄さんは元気だ、今のところは元気だ。
それだけは保障する。
お前ひとりにアホな親父と母さんの相手を任せてしまうのは心苦しいが、どうか頑張って欲しいと思う。 切実に。
訳あって直ぐには帰れないけれど、必ず帰るからそれまで頑張れ。
追伸。
アイツにもとりあえず元気でやってると伝えてくれると助かる。
あと親父、帰ったら話がある。 首を洗って待ってろ。
敬具。 佐居 京平より』
◆ ◆
窓から吹き抜ける風がカーテンを揺らし、頬を撫でる。ディスティーネの昼下がりにしては少し冷たく、俺は机の上から視線を外へと向けた。
「あれからもう一週間、か……」
灰色の薄暗い雲が広がる街並み、一週間前には愕然とさせられたこの雑多な街並みも少しだけ見慣れてきたと思う。
この一週間で、俺の環境は激変ともいっていいくらい色々な出来事が起こった。遠い世界にいる家族に宛てた手紙を書きながら、思いを馳せる。
一週間前。
昼寝から起きたらまったく知らない部屋で起きたという、そんなあまりに突然の事には酷く脅かされた。そりゃ誰だって驚くだろう。
それだけならまだしも……拉致とさえ思える事態をそんな風に思えるほど、知らされた事実は驚愕に値した。
知らない部屋、窓から見えるのは俺の知らない街並み……それはある意味当然、しかし予想以上な答えだ。そもそもここは俺の産まれ育った世界ですらなかったのだから。
『最終神極世界(ラグナレク=エンド)』
そんな大層な名前の世界で目が覚めた俺だが、悲観する事ばかりではなかったのがせめてもの救いか。
「京平さん、入ってもいいですか?」
感慨に耽る俺の耳に届いたのは、控え目なノックと女の子らしい声。思わず身動ぎと胸の鼓動が速くなるなか、俺は深呼吸と共に声を返した。
ゆっくりと開かれたドアの向こう、最初に目に付いたのは、真っ白な髪。同じく透き通るような白い肌に清潔感溢れる白のワンピース。
「実は少しお話が――」
俺の前に現れたのは……白い仮面を付けた徹頭徹尾、白尽くめの少女だった。
常軌を逸脱している、違和感溢れると言わんばかり様相だが、しかしながら俺はほんの少しの安堵を覚える。少なくとも、素顔より見慣れているこちらの方が俺も助かる。
「どうしたの、ノワイエ。もしかして買い物? それにしてはちょっと天気が悪いみたいだけど」
「いえ、買い物に行かなければならないのは確かなんですが……」
どうにも歯切れの悪い仮面の少女、ノワイエに俺は首を傾げながら言葉の先を待つ。
なんだろうか、荷物持ちなら一昨日もやったから遠慮する訳でもないだろうし。
九流実 ノワイエ。
それが目の前にいる彼女の名前だ。そして異世界へと迷い込む羽目になった俺の恩人である。無一文で放り込まれた俺に衣食住を提供してくれる女神のような存在。
諸事情があって、彼女ひとりで住んでいるこの家、九流実家に居候させて貰う形となった俺だ。荷物持ちなんかよりひとりでお使いだってこなしてみせよう。
「実は、今日から少しだけ仕事で家を留守にしようと思うんですけど」
「うん? どこに行くの? 今日から、って事は日を跨ぐんだろうけど、遠いの?」
「あ、いえ。馬車で半日もあれば着く距離なので……その事で、ご相談が」
初耳だ。思えば朝飯の時には何か考えるかな? ってくらいには感じていたけど。その時は聞いてもはぐらかされたし……まぁ、大抵のことなら大丈夫だろう。どんと来い。
「わたしが家を空けている間、京平さんのお世話が出来ないので。ブリッツの所で過ごして頂けないかと」
「なんだそんな事……え?」
なんて言ったの? 声は仮面越しでも聞き取れたんだが、その上でよく判らん。
「すいません。ブリッツの家の方には言わなくてもだいたい大丈夫だと思います。台所にジャムがまだあったので手土産に――」
「ストップノワイエ、少し落ち着く時間をくれないか」
「え、あ……はい」
なになに、どういう事なの? 俺にブリッツの家へ泊まりに行けと言うことなの? それはどうだろう。アイツの事だ、なんだかんだ言っても警戒すべき相手だ。
いや、きっと大丈夫。彼は快く迎えてくれるさ。唐突に心のなかの天使がそう囁く。ノワイエには劣るが慈悲深い声色は俺の警戒心をほぐして――
おい、待てよ。肉食系男子のブリッツさんだぜ? 危ないに決まってる。同じくして現れた心のなかの悪魔が腕組みしながら警告でもって天使を押し返す。
危なくないさ。大丈夫、彼なら優しく迎えてくれるよ。
ほら、想像してごらん? 天使は悪魔の警告を杞憂と、俺にブリッツの声マネで伝えてくる。
『悪いな、キョウ。このベッド……一人用なんだ』
『そうか。悪いなブリッツ、床に寝かせちまう事になるなんて。お前はなんて客想いなんだろうな』
うむ。お前のモノは俺のモノ。昔の人は良い言葉を残したものだ。天使の囁きに、俺も一安心――
『いや、気にするなよキョウ』
『え、いいの? 遠慮しないぞ?』
『あぁ、俺だって"遠慮しない"からな』
脳裏に展開されるのは、ベッドに押し倒される俺と、俺の上に覆い被さるブリッツの姿。
『ほら、こうすれば……大丈夫だろ?』
『馬鹿、やめ……このっ!?』
あ、これあかん奴や。
この天使、腐ってる。
「ノワイエ、俺を見捨てないでくれ……!!」
「え!? どうしたんですか京平さん!!」
無理。どう考えても危険過ぎる。
土下座に半泣きで俺はノワイエの前でそう懇願した。
別の所で思い当たる人もいるが、あんな部屋での生活もまた勘弁願いたかった。




