◆あれから
本日二本目
兄さんがいなくなって一週間。
長くもあり、短くもある時間。兄さんがいなくても過ぎていく毎日。兄さんがいなくても日は昇り、沈むし、お腹は変わらない感覚で空腹を伝える。
当たり前のそれに、しかし私はどこか気味の悪さを感じてしまっていた。
兄離れが出来ていないだけなのだろうか。いや、所在の知れない家族に不安を覚えるのは自然な事だろう。
「今、キョウは何をしているのだろうな……」
穏やかさすら感じる声に、私は一向に捗る気配のない宿題から顔を上げる。
透明なガラステーブルの向かい側、片手に握るペンを真っ白なノートに乗せるだけで一向に動きを止める人、鈴音姉だ。
柔らかい春の陽を受ける黒く伸びた髪は一週間前よりも少しだけ艶を失い、物鬱げに窓を見つめている姿はなぜだろう……いつかテレビドラマで見た病床に伏しているヒロインを思わせた。
だけど、不治の病の末に世を去るヒロインよりも鈴音姉の今の姿の方が、私には断然痛々しい。
いつまでも反応のない私に、鈴音姉は何かに気が付いたように薄く笑ってみせる。
「あぁ、いや……違うんだ。何事も悲観していてはキリがないからな。単純な興味さ。キョウは今、何をやっているのか、とね」
どこか寂しげな頬笑み。私に不安を移さないようにと精一杯に気丈を装ってくれている、それくらい解る程度には一緒に過ごしてきた。だから……だけど、私に出来る事は決して多くない。
「とんでもない場所じゃなきゃいいけどね。例えば……」
言いながらも考える。いっそのこと現実味のないくらい大袈裟な場所、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせるくらいが今の空気には丁度良く思えた。
でも、私がそれを見つけるより先に鈴音姉の口から漏れた言葉があった。
「異国の地、前人未到の……異世界?」
「え……?」
「あ、いや……すまない。いつか読んだ本に影響されたようだ。私とした事が……」
腕をさすりながら、どこか落ち着かない様子の鈴音姉に私は考える。
異世界。確かに有り得ない、父さん達の与太話じゃあるまいし、でも……
「唐突に目の前に広がる見たことも聞いたこともない世界……時代錯誤な街並みに、科学とは違う発展を遂げた文明――」
「……灯衣菜?」
「人々は魔法を使って生活をして日々を暮らしている。そんな世界にある日突然、右も左も判らない兄さんは迷い込むの」
うん? 意外に面白そうかもしれない。
「だとするなら、眉目秀麗なヒロインが出てきてしまうのが定番だな」
「兄さん面食いだから簡単に釣られちゃうよ。それに鈴音姉さんを差し置いてそういうのは妹として認めないよ」
「私はその言葉にどう反応したらいいんだ? 好意はあるがあくまでも家族みたいなものだという自覚くらいはあるのだが」
「大丈夫、鈴音姉さんをお嫁さんにするのは私だから……!!」
「うむ、灯衣菜。少し落ち着こうか」
はっ、私とした事が……いけない、いけない。
「だが灯衣菜。そういった展開になったとして、キョウでも……まず"ダメ"だろう」
「まぁ、よくある展開なら兄さん……アレだからね。やっぱり異世界は無しだね」
「あぁ、私とて想像しただけで寒くなるんだ。いくらなんでも、な」
まるで漫画やゲームの物語というのは、兄さん"達"の持病的にアウトだ。
厨二病アレルギー。
あの日を境に兄さんと鈴音姉さんを変えてしまった正体不明の難病。当時と比べて随分と快方へと向かってはいるけど――
「っ……」
不意に走る胸の痛みに、背中を丸める。随分と久しい痛みの正体、それを知って鈴音姉さんは私の後ろへと回ってゆっくりと背中をさすってくれた。
「迂闊だったな。あまりこういった話題はまだ控えるべきだよ。お互いの為に」
「うん、ごめんね」
この痛みは、きっと思い出しそうになった私への戒めだろう。兄さんと鈴音姉さんに"守らせてあげられなかった"私への――
「っ、くぅっ……!!」
「灯衣菜っ!? 大丈夫だから、もう大丈夫だから……!!」
痛い、痛い……!! 胸をナイフで裂くような……ナイフ? ダメだ。怖い、怖いよ兄さん……!!
「灯衣――っ!! ――っ!! ――……」
涙で滲む世界が暗くなっていく。私を捕まえようと暗い世界が――




