すれ違い
「初めて……?」
ノワイエの言葉に、俺は呆然としていた。なぜ、なぜ……そんな言葉が出て来たのか。
「はい、言ったじゃないですか。川沿いにいた時に京平さんが流れてきた、と……」
「それは、でも……!!」
表情の見えない仮面と、ごく自然な声色に呆然は混乱へと変わる。それを証明する為だけのために、ここへ俺を連れてきたというのか?
覚えていないのか? 幼き頃に会ったということは、もはや揺るぎようのない事実だというのに。
「ノワイエ。俺は昔、君と――」
「京平さん」
思わず口から漏れた言葉を遮って、ノワイエは歩き始めた。俺の前を通って、川辺へとしゃがみ込む。その視線は川の向こう岸、俺を向いてはいなかった。
「京平さんとわたしは、二日前に……ここで出会ったんです。それが、初めて……なんですよ」
温かくも冷たくもない言葉が、いつの間にか熱を持つ頭を冷やした。
ノワイエは、最初から全部知っていたのか。
俺が幼き頃に会った人であり、両親同士が勝手に婚約させようとしていた人であり、何よりも両親を殺したであろう男の息子である事を。
『恐らく、いえ。絶対にその人とわたしが一緒になる事はありません』
初めて会った日の夜。
あの時に感じた冷たさの理由、それが今になって判った。
「ノワイエは……俺を憎んでたり、しないの?」
「……わたしを初めて会った人を憎むような人だと思ってるんですか?」
「それは、見えないけど……」
どこまでも誤魔化すような言葉にしか聞こえない。しかし、ノワイエにとってはそうなのだろう。
佐居京平と九流実ノワイエは、二日前に初めて会った。
そう決めているのだろう、彼女は。
「そっ、か……俺達は初対面、か」
「そうなんです」
それは俺を自分を取り巻く人間関係とは無関係な安全な場所に置く。そういう事だ。
あくまでも初対面。浮浪者に恩情を与えただけ。なんと気楽にさせてくれるのか。
「実は、さ。俺……初恋の人がいたんだ」
「え……?」
なぜ、こんな事を言っているのか。
なぜ、こんなに胸が痛いのか。
「彼女とは、ここに来た事があるんだ。こうやって二人きりで、彼女しか知らない、彼女が作った秘密基地であるここに――」
当て付けといえば、当て付けか。
悔しいし、虚しいし、腹立たしい。
「なんで忘れてたのやら。自分が情けなくなっちまうよ……彼女の事を好きだったのにさ」
天の邪鬼といえば、天の邪鬼だろう。
自意識過剰というわけではない。ただ、ノワイエの反応が欲しかった。誤魔化したりしない彼女の反応が――
ようやく、しゃがんで背を向けていたノワイエが立ち上がり、振り返る。俺を見てくれた。
「彼女が知ったら、喜ぶと思います。凄く、凄く……喜ぶと思います」
その声は、酷く震えていた。仮面の奥から伝って落ちる涙と共に。
「っ……!!」
激情。大声を張り上げなかったのが不思議なくらいの感情の高ぶりに身体が熱くなった。
「そこまでにしてもらおうか?」
何か行動に移さなかったのは、それより早く第三者の声が耳に届いたからだ。
反射的に視線を向けた先、俺達が来た草藪に白い鎧を纏う男がいた。
「魔女よ。貴様を連行する」
「そんな……!! 明日という約束じゃ……」
男は俺を一瞥もせずに、逃げるように後退りするノワイエへと一直線に歩み寄る。
「おい、おっさん」
身体は自然に動いた。他に選択肢なんて存在しないような滑らかさで。
「なんだ貴様――」
「邪魔するな」
熱くもあり、冷たくもある思考のままに虚空へと振った腕。同時に鎖は俺の意志に沿うように『体現』した。
じゃらりじゃらりと、金属の響き渡る音を立てて白い鎧の男に振われるのは……"鎖の鞭"だ。
「むっ……!?」
ただし、太さ15センチくらいの特大サイズだけどな。
鞭と鎧が盛大に音を立てて間もなく、鎖は男の身体を草藪の奥へと吹き飛ばした。




