あの日のお願い
ノワイエの頼みを受け入れ、俺達は外へと踏み出す。快晴な空模様に対して、俺の心中が同じかといえば、そんな事はまったくなかった。
未だにしつこく脳裏にこびり付いているのは、昨夜のブリッツと嫌な記憶達。
そして、ノワイエが何を考えているのか。どうしても悪い予感が浮かび上がってきてしまうのだ。
例えば自分の親を殺した仇、その息子である自分に対しての復讐。おそらくは、ノワイエは知っている……そんな気がする。
だが、それでもそんな奴に衣食住を施すのか、その辺りがどうしても解らない。あたかも何も知らないように振る舞っている理由は……それとも本当に知らないのか。
少なくとも、最悪のケースも考えておいて損はないだろう。自分勝手な希望に縋る事は、目隠しをしながらの綱渡りにすぎない。
まぁ、目隠しせずに高所で綱渡りというのもまた怖い所なんだけどさ。
「…………」
そんな益体もない事を考えながら見るのは、街の路地を歩くノワイエの後ろ姿。昨日とは違い、そこから話される言葉はなく、ただ黙々と歩く様子は俺に余計な不安を掻き立てさせる。
そういえば、ノワイエの監視とやらは出て来ないのだろうか。勿論、ひと欠片も望んではいない……だけど、ノワイエがこのまま逃亡を謀ったりする事を懸念したりするものではないのか?
さり気なく視線を背後へと向けるが、怪しげな奴はいないよう――
「……どうかしたんですか? 京平さん」
「いや、なんでもない」
俺へと振り向こうとするノワイエを制し、足を少しだけ早める。
何かいた。明らかに不審な人影が。
ひと毛ない路地の一角に、誰かは判らないが明らかに俺達を見ていた気がする。気のせいならいいけど、自然を装って視線をちらりと……やはり、いる。
「勘弁してくれよな……」
「あの、やはり駄目でしたか?」
「え? いや、そうじゃなくて……」
問題が山積みなんだって。少しは解決を待ってから来てほしいんだよ。
路地を出た先に広がるのは、少し背の高い草原。果たしてどこまで行くのか、もしかしてまだまだ先か?
「ここから少し歩きにくいですけど……もう少しで着きますよ」
あまり人の入るような場所ではないのだろう、それでも人ひとりが通れる程度に掻き分けられた道を俺達は歩く。
「ここから少し道が複雑になりますから気をつけてくださいね?」
天然の迷路のように入り組んだ道、一本道だけではなく、時には二手に分かれたり下り坂だったりと――
「あ、れ……?」
右へ左へと、既に方角が判らなくなっている筈なのに……
掻き分けて進む道。
――ま、待ってよ。
生い茂る草花の匂い。
――こっちだよ。
追い掛けた、誰かの背中。
「ノワイエ。"その道"、左じゃなかった……?」
「え……?」
こんな事、本当にあるのだろうか。
「ごめん。ちょっと先に行かせてくれ」
「ですけど、迷ったら――」
いてもたってもいられなかった。
知らない道。知らない場所。
だけど、俺の足は止まらない。歩く速度は次第に早くなり、その景色へと辿り着いた。
◆ ◆
「見せたいけしき?」
「うん。わたしのお気に入りのばしょ。キョウ君もきっと気に入るかなって……どう、かな?」
昔、俺の家族と鈴音の家族で出掛けた旅行先。そこで出会った女の子からの問いかけ。
「でも、もうすぐかえらなきゃ……」
「だいじょうぶ。すぐそばだから……おわかれするまえに、ね?」
今にも泣き出しそうな彼女に、俺の答えは決まっていた。
「わかった。でもそのまえに――」
「ありがとう!! それじゃはやく行こっ!!」
誰かに言ってかなきゃ。それさえも許さない勢いで彼女は俺の手を引いて走り出した。小さな手の平を、ぎゅっとつなぎ合わせて――
「なんか、すごいね。ここ……」
「うん。わたしのひみつきちっ!! だからパパもママもブリッツも、だれもしらないんだよ?」
身の丈を軽く越える草花の道を、彼女は走っていく。無邪気に笑いながら時折俺へと振り返る。
俺はといえば、鈴音も灯衣菜も誰もいないなか、彼女と二人きりという事にドキドキしていたかといえば、そうではなかった。
「かえれなかったら、どうしよ……」
「どうかしたのキョウ君?」
「いや、なんでもない」
正直、かなりビビっていた。それを彼女に悟られまいと強がってみせていた。
道のりは長かった気がする。すぐそばだなんて嘘っぱちだったんじゃないかと思った。
それも着くまでの話で、彼女の秘密基地と呼んだ場所に辿り着いた俺は……
「すごい……」
「そうでしょ? ここがわたしの――」
白いリボンと亜麻色の髪をなびかせ、彼女は……ノワイエは花の咲いたような微笑みを浮かべた。
◆ ◆
乱れた息を整えながら、俺はその景色を前にゆっくりと歩いていく。
左から右へ流れる清流の安らかな音はあの時と変わらない。遠くに見える橋なんてあったかは覚えていないけど、それより目に付く物が残っていた。
「本当に、よく残ってるよ……」
ひときわ目立つ一本の木に触れる。思い出よりも育った筈のそれは、なぜか少しだけ小さく見えた。
根元に散らばるガラクタみたいな古ぼけた何かは、きっとひとつひとつが宝物で――
「……よく、わかりましたね」
懐かしむ俺に、追いついてきたノワイエが声をかける。俺だってよくこんな都合よく思い出せたもんだと思うよ。
「そりゃここは、俺が――」
「そうです。ここは――」
俺の言葉を遮り、ノワイエは言った。
「二日前、京平さんとわたしが"初めて"出会った川です」
俺にとっての否定の言葉を。




