失望
思考が止まる。音が聞こえるのではないかというほど脈動する心臓、反して流れる血は氷水に代わってしまったかのように冷たく、感覚が遠退いていく。
「どうやら……勘違いじゃねぇ、みたいなだな」
目眩さえしそうな現実のなか、ブリッツは呟く。どこか苦しげに、そうであって欲しくなかったかのように。
俺も、何か言わないといけない。何を? 不器用な呼吸しか通ってくれない喉は、声を言葉ごと失わせていた。
「初めて名前を聞いた時にピンと来たんだがよ。どうしてノワイエがお前を置いてるのか、どうにもそこだけが解せなくてよ」
あぁ、仮にも両親を死なせた人物の息子と一緒にいられるのか。食事を振る舞い、住む場所さえ提供して……
「ノ、ノワイエは……知らないのか?」
耳に届いたのは、あまりに弱い声で、あまりにも情けない言葉。それが自身から出た物だと判ったのは、ブリッツに睨まれてから。
つい先ほどまで誰より頼りになりそうな面影は、恐怖で塗りつぶされてしまっていた。
「知ってなかったら、お前は救われるってか? 知らずに、昔に会った懐かしい人だから、ノワイエは優しくしてくれるってか? 情けねぇ面しやがって……」
「そんな事……」
『失望』
温度のない視線を切って、ブリッツは背を向けて歩き出した。俺を置き去りに、興味を無くしたかのように――
「期待はずれだよ。お前なら、って思ったんだがな……ぶっ飛ばす価値もねぇ」
「っ……!!」
その言葉に込み上げる感情の名前は、解らない。ただ、力の入らなくなった身体は、地面に膝を付いたまま動く事を忘れてしまう。
「あ、あぁ……ああぁぁぁぁっ!!」
一人残された俺はただ、行き場のない感情を意味のない叫びとして吐き出すしかなかった。
どうしようもなく、どうかなってしまいたかった。ただ、どうしようもなく、どうかなってしまいたかった。
◆ ◆
それからの記憶はない。
ただ、俺の視線に映るのは、壊れた店構えの建物だ。どうして、戻って来てしまったのか。どうして、ここに来てしまったのか。
「あ……」
「っ……!!」
そこに立つ人の姿を見た瞬間に、竦んだ足は駆け寄ろうとしたのか、逃げ出そうとしたのか、何も果たすことが出来なかった。
「京平、さん?」
「…………」
数時間前と同じ様に、店の前で佇んでいたノワイエに、俺の心だけが変わっていた。安堵さえ覚えた彼女の声さえ、今は怖いのだ、怖くて仕方がない。
「どうかしたんですか? 部屋にいないので驚きましたよ?」
「……ごめん、なさい」
責めるつもりなど欠片もない優しい声色が、胸を裂く。
いっそのこと怒って欲しかった。待ってなんかいないで、このまま忘れて欲しかった。
「なにか、あったんですか?」
「…………」
俺はこれまで自分でも情けない、情けないと思っていた。しかし、今この時ほど強く思った事はない。
彼女の優しさに漬け込みたくない癖に、彼女の両親を殺した男の息子だと明かす事も出来ない。中途半端に覚悟を決めたつもりの自分が、滑稽以外の何者でもない。
「ここにいても仕方ありませんから……なかに入りましょう? ね?」
「…………」
優しさなんて向けないで欲しい。
主人公になれない俺は、結局脇役ですらなく、キミの仇とも呼べる存在なのだから。
「……約束しましたよね?」
「え……?」
唐突の問いに、枯れた声で返してしまった。仮面で唯一見る事の叶う瞳が悲しげに揺れているような気がした。
「まだ、私と一緒にいてくれますよね?」
懇願だった、紛れもないそれは。罪滅ぼしに交わした約束を口にする彼女が何を考えているのか、俺には判らない。
「……それで、いいのか?」
この後に及んでまだ弱い自分に、ノワイエは頷く。まさか、知らないのか。
傍に置こうとしている俺が、キミにとって何者なのかを、知らないのだろうか。
「もちろんですよ。京平さん」
「……わかった」
その姿はなんだか眩しくて、胸の痛みが消えてしまいそうだった。
弱さを溶かし、隠してくれる。そんな無償の優しさに報いる事を、彼女に従うより他に、頼るより他に俺にはなかった。
ただそれが、ノワイエへの罪滅ぼしになるならば、俺はこの罪悪感という痛みを抱えたままでいるべきなのか。
弱さ故の迷いは晴れぬまま、俺はノワイエと店へと足を踏み入れた。




