◆キョウの力
昼下がり、ディスティーネの路地は涼しい風が吹いていた。いつだってお祭り騒ぎのメインストリートの匂いを運ぶこの風が俺は好きだ。
「ブリッツッ!! そっち行ったよ!!」
「あいさっ!!」
と、そんな感慨に耽っている間に聞こえてたノワイエの声に、俺は声を張り上げる。狭い路地裏に響き渡るように強く、強く。
走る影が見える。その素速い動きはコイツの武器であり生命線でもある。
仮にここが広場だったら、俺は簡単に翻弄される自身がある。生憎、機敏だとか繊細なんて言葉が性に合ってないもんでな。
だからこそ、だ。
「シャーッ!!」
威嚇の鳴き声を上げて迫る黄色のまだら模様……ビンゴだ。
「グルァァァァッ!!!!」
温室で飼い慣らされたクレイジーキャット風情の威嚇など歯牙にもかけぬと哮る。
今の俺は、壁だ。堅く、大きな壁。越えられるものなら越えてみせろ!! 砕けるもんなら――
「かかってこいやぁぁぁぁっ!!!!」
「ッ!?」
俺の怒声にビビったのか、ヤツの突進の勢いが急激に落ちていく。ったく、骨がねぇというか……所詮は飼い猫か。それとも俺という存在が圧倒的過ぎるからかね。
案の定、クレイジーキャットは来た道を引き返そうと身を翻す。
だが、そんな事は想定済みだ。
「もう、逃がしませんよ」
「…………」
逃げ場を遮るように立つ二人の姿がそこにあった。色違いの外套に身を包むその姿に、なんだか可笑しくて笑いそうになるが我慢だ、我慢。
まんまと挟み撃ちにあったクレイジーキャットの野郎だが、どうやら諦めるつもりはないらしい――
「フシャーッ!!」
さっきとまるで同じ威嚇の声をその後ろ姿から聴きながら、役目を終えた俺はもう様子見気分ってやつだ。まぁ、そもそもこんな簡単な仕事を手伝うってのも変な話だがよ。
「任せたぜ、キョウッ!!」
その声に、俺が台無しにしちまった物とは違う白い外套に身を包む男が、ゆらり……と、前に出る。それは一見、怪しげにも見える訳だが、"内情を知る俺達"には足取りが重そうだとしか見えない。
ったく……"まだ気にしてんのかよ"。
それでも一応、ノワイエを守ろうとしている気概だけは判るっていうから本気で落ち込んでいる訳でもないだろうがな。
「フゥゥ……シャーッ!!」
「京平さん、危な――」
勢いのままに飛びかかるクレイジーキャット。話に寄れば特徴の一つである爪は切られているらしいが、鋭い牙は健在らしい。
噛み付きの危険を察知したノワイエが声を上げたと同時、キョウは俯く顔を上げる。
「"じゃらり"……」
ほんの微かな低い囁き声と、真横を切って振るわれた右腕に連動するように――
"じゃらり"。
鉄の鳴る音と一緒に赤茶けた細めの鎖が一本、虚空から飛び出し、クレイジーキャットに絡みついた。
「ミ"ャゥッ!?」
まったく予想外の出来事だったのか。身体に巻き付かれた鎖と共に地面へと落ちるクレイジーキャット。鎖から脱出しようと暴れてみせるが、前後に縛られた四肢が解かれる様子はない。
「おっしゃっ!!」
「やりましたね、京平さんっ!!」
まさに、あっという間の捕獲に俺とノワイエも声を上げるが、当の本人は自分の手に視線を落としながら何かを考えてるようだった。
「何を湿気た面してんだよっ、ほらっ、お前の手柄なんだぜ!? 初仕事お疲れさん」
「そうですよ!! わたしも一瞬だけビックリしましたけど、簡単に捕まえちゃったじゃないですか!!」
「あぁ、ありがとう。ノワイエ、ブリッツ」
本当に何を考えてるやら、明らかな作り笑顔で誤魔化そうとしやがって……
「だから気にすんなって、いいじゃねぇか。"他の厨二術がまったく使えない"からって問題なかったじゃねぇか」
「ブリッツ……」
フォローしているつもりなんだが、ノワイエから諫めるような視線が突き刺さる。いや、本当の事だからどうしようもねぇし。
ノワイエから厨二術の説明を聞き、何やら自信ありげに裏庭へと向かっていった。
結論から言うと、キョウは厨二術を"体現させた"。
ただキョウ本人は、また水を浮かせるつもりだったらしい。
起きた事は、突然腕に鎖が巻き付いただけだった。何もない所から腕がぐるぐる巻きになったんだ。
その瞬間のキョウの面は、まさに唖然としているとしか言えなかった。俺とノワイエもただ見ているしか出来なかった。
何がどうしてそうなったのか。
噂程度ではあるけど、『来訪者』のなかには特殊な力を持つ奴がいるらしい。
神極最終世界の人間でも『規格外』や『法外者』といった奴がいるわけだが、少なくとも強大な力を持つ者に使われている言葉だ。
そして、これが『来訪者』の場合だと二つに別れる。
『超越者』
もしくは、
『ガラクタ』
ここまで話すと、俺はもうキョウの面を見ることは出来なかった。アレルギーだなんだといっても男として思う所はある筈で、俺もノワイエも必死でフォローした。
鎖がどれだけ凄いか。あんなに鎖の事を誉めちぎったのは生まれて初めてだ。ノワイエなんてテンパり過ぎて――
『の、伸びますからね!!』
いや、伸びねぇよ。鎖だから。
しかし、そこで笑い出したキョウも真面目に自分の力と向き合おうとし始めたらしく。今のように鎖を何かに巻き付けるまでに至った。
ある意味では、恐ろしいまでの順応速度だ。俺でさえ厨二術を使い始めた頃は時間が掛かったというのに……
それに、だ。
正直、キョウの力が鎖だけだと思うのは早計だと俺は睨んでる。恐らく、キョウ自身も感じているだろう。
少なくとも、一度は厨二術で生き返ったわけだからな。
「んで、コイツをどうするよ。下手に触ると暴れるんだが……流石にこのままってのも可哀想だし」
っと、思考に耽り過ぎたみたいだな。らしくもねぇや、まったく。
「解くわけにもいかないですし……」
「ほらよ。これで吊してこうぜ」
近場に立てかけてあった長めの棒を拝借してキョウへと渡す。なんだよ、その面は……あとでちゃんと返すからいいだろ?
「やっぱり檻かなんかを借りてきた方がいいか……おい、お前、えっと……」
棒を突き返すキョウは……何を思ったかクレイジーキャットの前にしゃがみ込んで話し掛け始めた。本当に何してんだコイツ。
「京平さん、お前じゃなくてタイラント君ですよ」
お前もか、ノワイエ。
「あぁ、そっか、タイラント……タイラントかぁ……うん、タマだな。いいかタマ。これからお前はタマちゃんだ」
「いやいや、なんで名前変えようとしてるんだよ」
「え? だって無駄に名前が格好良いから、呼ぶ度に……ほら、鳥肌出てる」
「知らねぇよ!? そんな理由で名前変える奴初めて見たよ!!」
「ブリッツ、大きな声を出したらタマちゃんが怖がるから静かに」
「……あぁ、そうかい」
駄目だ、コイツら。馬鹿過ぎる。
「でも京平さん、やっぱりタマちゃんの鎖を解いたら危ないんじゃないですか?」
「……タマちゃん。暴れる?」
「フー、ナーウ……」
「ブリッツ、通訳頼む」
「暴れるに決まってるだろ!? 滅茶苦茶威嚇してんの解んないかな!? あと通訳――」
「ブリッツ? 二度も言わせるの?」
「どうしろってんだよぉぉぉっ!?」
もう腹立つって話じゃねぇ。アレか? 殴っていいか? 本当にもぉぉぉ……!!
「ナー……」
「っ、お前……」
いつの間にか、俺を見上げるクレイジーキャット。その眼には怒りも怯えもなく、むしろ憐れみすら感じられる。
「おっ、ブリッツ。もしかしたら懐かれたんじゃないか? ノワイエ、俺の後ろに」
「……は?」
あまりに突然の事に声が漏れた。同時にパリンと鎖が砕けて消え……おいっ!?
横たわっていたクレイジーキャットの身体が、のそりと起き上がる。相変わらず俺を見たままこちらへと歩き――
「ナゥ……」
ぽん、と爪先を前足で叩かれた。
お疲れさん、と言わんばかりにだ。
「おぉ、本当に懐いた……!!」
「ブリッツ、凄いよ!!」
「お前ら……」
震える俺の足に、クレイジーキャット……いや、タイラントだけが優しくすり寄ってくれた。




