期待
もう、アレだ。今日は午後から何にもせずにぐうたらしたい。そんな気持ちになるお風呂でした。
二人は裏庭のテーブルで話とやらをしていたのか。ここは涼しい風が吹くから良いな。
「おかえりなさい。その様子は堪能できたようですね」
「あぁ、良い湯だったよ。それと着替えもありがとう」
いつの間にか脱衣所へ置かれていた薄手のシャツと半ズボン、下着は俺の身体に合わせて作られたらしく、キツ過ぎずゆる過ぎずのフィット感だ。何から何まで申し訳ない。
「ん? その服……ノワイエが?」
「そうだよ。何か変かな? 結構悪くない出来だとは思うけど……」
顎に手をやりながら、ブリッツは何やら難しげな顔付きで近寄って来る。こっち来るなよまた誤解されんだろ。
「俺は良いと思うよ。着心地も良いし、本当に助かるよ」
「いえ、そんな……」
「うーん、まぁ俺も人様の物に口出しできるような腕じゃねぇし……」
「あっ……」
そんなやり取りのなか、小さな発見に思わず口から零れた声に、二人の視線が向く。
「どうしたキョウ、変な顔して」
「ブリッツ、失礼な事言わないで。どうかしたんですか? 京平さん」
あぁ、やっぱり勘違いではなかった。どうでもいいほど小さな事だ。
ノワイエの言葉遣いは丁寧語が常じゃないんだ。
だからなんだというわけじゃないけど、上手く頭のなかで言葉として纏まらない。なんだかな。
「いや、ノワイエもお風呂行ってきたらどうかなって……も、もちろん覗きとかしないから!!」
誤魔化そうとした挙げ句の果てに無駄に慌てふためく。端から見れば明らかに不審です。
ノワイエとブリッツは俺の言葉に、きょとんと目を瞬かせて――
「ぷっ、だそうだぞ? ノワイエ、良かったじゃねぇか、きっちり見張りをしてくれるってよ」
「ブリッツー? いい加減にしないと本当に怒るよ? あ、あの京平さん。すぐ戻りますからちょっとの間だけ待っていてくださいね?」
気になりだしたら、モヤモヤは大きくなる。そりゃこちとら初対面に毛の生えたようなもんだし、ブリッツは幼なじみらしい。それは解るけどさ。
「……京平さん?」
「あ、あぁ……ゆっくりして来てよ」
「その方がじっくりと……はいはい、悪かったからそう睨むなって」
ぺこりとお辞儀をして去っていくノワイエの後ろ姿を見送って、自然と溜め息が出た。出てしまった。
それを聞いていたかは定かではないが、視覚の隅でブリッツが俺を見ているのが判った。
「……何、考えてた?」
「別に、それよりもちょっと離れてくれないか? 悪いけど俺はそっち方面に興味がないんだ」
「はっ、俺だってねぇよ」
どうだか。安心させたところを狙いそうだからまだ話半分で聞くとしよう。
「お前、どうして厨二術が使えないなんて嘘を吐いたんだ?」
どこか軽い口調は、責めているようには聞こえず、裏庭に時折吹く風のように囁かに響く。
「嘘じゃない。自由には使えないって方が正しい」
置いたままになっていた水瓶を見る。まだ中に水が残っているだろうか。試しに浮かせてみるとしよう。
俺の視線に気が付いたブリッツもまた水瓶へと視線を移す。今からコイツの中身を浮かせてみよう。
イメージは今朝方と同じく、水の中身を宙に浮かせる。取り敢えずはそんな感じだろう。
失敗はしたが、一度はやってみた事だ。最初よりもスムーズに水面の隆起が始まる。ここまでは良いんだ。
「……えー、浮け!! 水っ!!」
隣でブリッツがずっこける音と一緒に水は、ちゃぷんと音を立てて元に戻る。
「おいおい……本気でやってんのか、それ」
「遊んでるつもりはない、これが限界だ」
格好いい言葉とか割と普通に無理です。むずむずしちゃう。むずむずならまだ良いけど、かゆかゆは嫌だ。
「はぁ……だけど、お前さっき使ってたじゃないかよ」
「…………」
呆れ混じりの溜め息と視線に対し、俺もなんと返せば良いか解らなかった。
ブリッツの言うとおり、あの時、俺は確かに使ったのだろう。死の淵というのがどういうものなのか解らないけれど。
思い出そうにも、あの記憶と感覚は夢のように霞消えていく、そこにあった事だけを残して。
そして、それはまるで――
「まぁ、なんにせよ……お前には感謝してるぜ?」
思考を遮る言葉に顔を向けると、ブリッツは照れくさそうにそっぽを向く。いちいちそういう仕草を見せるなと思うのは俺だけだろうか。えぇい頬をポリポリ掻くな。
「ほら、あれだ。うっかり殺しなんてやっちまう羽目にならなくて済んだし――」
それはなんだか、誤魔化しや建て前のようで……いや、不服ではあるが、空気を読んで大人しく聞き手に徹しておこうか。
「ノワイエの事、アイツのあんな姿見るのは久しぶりだからよ」
もしかして俺と同じく、ブリッツもまた彼女の反応に対して、感じる所があるのだろうか。
その目が、ギルドにいたお姉さんと同じ色を持っているように見えた。それは喜び、愁い、そして……無力感。
「正直、こうやって家に上がれる事だって出来ないと思ってたしよ」
「……家の前で苛立ってたのって、それと関係が?」
「まぁ、な。今日になってようやく光明が見えたぜ」
あ、これは不味い流れか。
いつの間にか肩を掴まれ、俺は逃げられない。
「キョウ、お前という光明がな」
「…………」
勘弁してくれよ。
溜め息を吐きたくなる展開に、俺の身体はざわざわと肌を這う鳥肌に苛まれ始めた。




