身体の危険◎ (10/14改稿)
ようやく戻ってこれた。床にへたり込みたくなる身体は、どうやら自身が思っている以上に疲弊している事を示していた。実際にへたり込んだら血で汚れるからへたり込めないけどさ。
なんとか無事に……というには色々と語弊があるけど、収穫としては決して悪くはなかった外出だったといえよう。
ひとまずの安堵とそんな感慨に耽る俺とは対照的に、家に辿り着いたノワイエの動きは速かった。
「すぐにお風呂の支度をしますから、京平さんは裏庭で待っててくださいっ!!」
どのくらい速かったといえば、言葉の途中からその姿が見えなくなる勢いだ。
というか、この家ってお風呂あるんだ。そういうのってお金持ちの貴族や王族とか上流階級にしかないパターンじゃないのか? と思いかけ、豪邸ではないにしろ英雄の住んでいた家なのだから上流階級なんだろうか、と新たな疑問がシフトしてきた。
「ほら、とりあえずそれ脱いで行くぞ?」
「あ、あぁ……いやいや、なんでお前は普通にここにいるんだよ」
勝手知ったる人の家とはこの事か、淀みのない足取りで店内スペースの奥へと進むブリッツの手を、咄嗟の判断で掴んで止める。え? 間違ってないよね?
「俺がここにいちゃいけない理由があるのか?」
「え、あ、いや……でも」
男が首を傾げても可愛くなんかないのだが、何の疑問も抱いていないブリッツの問いに俺も迷う。
いかんな、こういう時は迷ったら駄目だ。
「家主の許可――」
「んなもん幼なじみにいるか?」
「……幼なじみ?」
瞬殺とはこの事か。ついオウム返しに問い返す俺だが、端から見れば余程おかしな顔をしていたのだろうか。そして何を思ったのかブリッツは、いやらしく笑む。
「あぁ、もしかしてアレか? 心配すんなって、俺とノワイエはそんなんじゃないからよ」
アレってなんだ。その非常に癪に障る顔を殴ってしまっても良いだろうか。正直に言えば、まだ俺の方は消化不良なんだけど――
「あ、ブリッツ!! 用がないなら帰って!!」
一瞬だけ仮面を覗かせたノワイエの言葉に、ちょっとだけ気分が晴れる。家主の言葉だ、仕方ないからお引き取り願おうか。
「待て待て押すな押すな……つまり、用があったら帰らなくていいんだな。よし、京平……ん? 京平?」
「な、なんだよ」
お引き取り願うべく背中を押す俺の顔を、ブリッツは訝しげな顔を向けて近付く。不細工ではない、寧ろ鼻筋の通った体育会系なイケメン気味だからといって、この距離は勘弁願いたい。
同時に、俺の脳裏に過ぎった何か。言葉には出来ない感情のざわめきが――
「お前、名前は? 名前はなんていうんだ?」
先程までのふざけた様子とは一転、真剣な眼差しが俺を貫く。なんなの、もしかして口説かれてるんじゃなかろうか。いや、ないな。勘弁願いたい。本気で。
そして、何よりも次第に詰められる距離に恐怖を覚える。ちょっ、近い近い。名前言えば解放してくれるのか。
「……佐居 京平だ」
「サイ キョウヘイ……」
応えないことにはこの窮地は脱出不可能と、しかしブリッツは獲物を飲み込む蛇のように俺の名前をじっくりと呟く。さぁ、俺を解放しろ!! 俺はノンケだぞ!!
後退りする俺に磁石よろしくなブリッツ、いよいよ壁に追い詰められ――
「さっき言った筈だけど、俺はブリッツ、緋元ブリッツってんだ。緋色の緋に、元気の元にカタカナでブリッツだ」
これ以上逃げ場のない俺にトドメを差すようにブリッツの腕が顔の横を通り、壁に付く。
そう、壁ドンの完成である。
「そ、そうか……よろしくブリッツ」
本音を言えば、まったくよろしくしたくない。でも仕方ないじゃないか。ガチで怖いんだから。
死んだ魚のような目にならぬよう、必死に笑おうとする。笑えてますかね? もうやだ、お家帰りたい。
「……あぁ、よろしくな。キョウ」
「…………」
目を見開いて数瞬だけの沈黙、不意にブリッツは笑う、どこか悲しげに。なんだよその笑い方。ちゃっかり渾名で呼ぶな。
「京平さん、準備が出来……」
ガランと堅い何かが落ちる音に驚き、向いた先、そこには俺達を見て固まるノワイエの姿があった。
「よし、そんじゃ一緒に風呂でも入るか?」
「全力で断る」
肩を叩いて笑うブリッツの顔には、もう陰りなんてなかった。それよりも、俺にとっては停止したノワイエを――
「あの、あのあの二人は今今なにを……」
「ノワイエ、これは違う。違うからね」
再起動はしたけれど、重大な勘違い(バグ)を抱えるノワイエに歩み寄りながら俺は心中で溜め息を吐いた。




