体現
ノートが見せたのは、色褪せた光景だった。
色褪せた空の下、色褪せたブランコ、色褪せた滑り台、色褪せた砂場、全てがセピア色に染まる世界。
一人の幼い少女が俺の前にいた。
「にーちゃ、ずるいよ……」
拗ねたような声で、つぶらな瞳は今にも感情の雨が降り出してもおかしくない。
幼き日の灯衣菜がそこにいた。 いつも元気に揺れる二つくくりにした髪は、なんだか不機嫌そうに垂れ下がっている。
「は? なにがだよ?」
自然と返した声は幼き俺の声。 灯衣菜からの謂われ無き非難に、少し不機嫌そうに返した声。
「むてきとか、ズルい。 『えいきゅーばりあ』とか、ズルい。あと『むげんさいせい』とかも、ズルい……」
俺の返事を皮切りに吐き出される文句。幼い子供特有ともいえるように次第にうねりを上げる波に似て、感情が高ぶっていく。
「それじゃ、ひいな……かてないよ」
「いいんだよ。 だって、むてきだからなっ!! ひいなは、かつひつようがないっ!!」
「むぅっ、ずるいずるいずーるーいーっ!! ひいなだって、ひいなだってかちたいのにぃっ!! ふぇ……うぅぁぁ……」
結局我慢出来なかった感情のお天気は大荒れ、地団駄を踏んで泣き喚く妹に、俺がいつものように折れるのだ。
「じ、じゃあ1回だけ、なっ!? いいだろ!? 1回だけ1回だけ!!」
そう……いつも、負けるのは俺だった。
「ぐす……いいよ? 1かいだけだからね? やくそくやぶったらひどいからね?」
この辺りだけを聞けば、いったい兄妹で何をしてるんだと思ってしまう辺り、俺も大人になったんだろうな。
鳴いたカラスがなんとやら。初めから全てが計算し尽くされたように泣き止んで笑う灯衣菜は、ごほんと偉そうに咳払いを一つ――
「それではにいさん。 さいしょでさいごのふっかつです。 もうつぎにしんだらおわりだからね」
「はいはい」
機嫌を取り戻してくれた妹の笑顔は、見ていて気持ちがいい。 兄としての贔屓目無しに、灯衣菜は昔から可愛いと思う。
これはまだ俺の事をにいさんと呼び始めたばかりで、感情的になるとにーちゃ呼びになるという貴重かつ絶妙な時期だ。
「えっと、ふっかつのじゅもんは……あった、なになに」
そして俺の視線は、1冊のノートへ落とされた。セピアに色褪せた世界で唯一、古ぼけたままで色の抜けないノートだ。
「いま、まさにきえんとするいのちよ」
「だめだよ、にいさん。 ちゃんとかんじょうこめなくちゃ、あそびだからってふざけちゃダメだってパパが――」
あぁ、この頃から何かにつけてうるさかったな。これが将来、自分に甘く、俺に厳しく、世間に優しい灯衣菜になるんだ。
大切な家族。たった1人の妹だから、俺もキチンとした兄でいようとしたし、この時はいることが出来ていたと思う。
色褪せたが世界が終わりを見せる。
少しずつ、少しずつ消えていく。
消えていくなかで、灯衣菜のリクエストに答える声だけが残された。
今、まさに消えんとする生命よ。
漆黒たる闇に消えんとする焔火よ。
冷たき底へ朽ち果てんとする我が身よ。
廻る陽の輝きが如く、輝き賜え。
不死たる鳥が如く、燃え賜え。
世の理を覆す力で以て、蘇り賜え。
――"体現せよ"。
『輝死廻世』




