始まりの日 2 (11/3 修正)
結局のところ、家出や一人旅に思うところはあれど、家へと帰って着いてしまっていた。すっかり日が落ちたせいか、寒気に震える身体は感傷に浸るよりも我が家の温もりを求めてしまうという薄情さ、情けないというかなんというか。
「なぁ、キョウ」
玄関先に立つ親父が、吐いた白い息を残しながら振り返る。俺を見る視線は玄関の明かりを背にしているからか、その表情ごと伺い知る事は出来ない。
だけど、なんだか判ってしまった。いつも違う声色だと。
普段なら主に聞き流すしかないおちゃらけた声色と違って、なんだか慎重さでも帯びていたような気がする。
「もし、もしもだぞ? 本当にお前が旅をしたいっていうなら――」
しかし、そんな思いも寄らない言葉が最後まで俺の耳に届くことはなかった。
「だからさ? 旅をして、なんになるのさ……」
反射的に強く出たのは自分の口からで、冷たく響いたのは自分の声で、そんな言葉が出た。だけど、応えた後になってからでも、納得もできる言葉だ。
そう、何にもならない。アイツとは顔を合わせる事はなくなるだろう。だが、あんな言葉を告げたけれど……いや、告げたからには簡単に離れるわけにもいかないのだ。
だって、アイツも――
「お前、確かもう17になったんだよな?」
突然の親父の言葉と大きな手で頭をポンと叩かれて、俺の思考が止まる。すぐに歳の事だと判ったが、なんでそんな確認をするのか。
しかし、肯定も疑問の言葉も俺の口から出る事はなかった。
「京平。世界はな、世界は……広いぞ」
略称ではなく、ちゃんと俺の名を呼んでそう言って笑う親父の姿が、なんだか普段より大きくて、なんだか格好良くて――
「どうして、そんなに旅をさせようとしてるんだよ」
何より、胡散臭かった。
一瞬だけ気持ちが揺れ動いたけど、騙されてはいけない。勢いだけでどうにかなると思っている節があるからな、この親父。
「いや、別に……行くのだ!! 我が子よ!! とかやりたいわけじゃなくてだな……」
「目が泳いでんぞ」
「ほ、ほら、春休みだろ? なのに家で引きこもろうと考えてる息子を思って……」
「待て、なぜなんの予定もない事が確定してるの!? 確かにないけど……」
友達と遊びに行くとか、それこそ旅行に行くとか普通はあるでしょうよ!?
「馬鹿だな。終業式の帰りに河川敷で一人で寝てる奴が友達と遊ぶ予定を建ててるわけないじゃんか」
「…………」
ぐうの音もでないとはこの事か。あまりにも鋭すぎる指摘に、今度は俺の目が泳ぐ番だった。
「え? ちょっ、マジなのか? ジョークのつもりだったんだけど…………水族館でも行くか?」
「いや、そんな同情されても困るけど!?」
「いいんだ。何も言うな……父さん。こうなったら店も休みにするから」
「本当に大丈夫だから。それに勝手に決めたら母さんが――」
「話は聞かせてもらったわ」
親父の後ろから響く聞き慣れた声に、頭が痛くなって来る。親父の腰辺りからひょっこりと出した見慣れた顔は、なぜか自慢げだ。
「夏姫。愛する我が子の危機だ」
そして、親父も腕を組んでしたり顔で頷く。本当に恥ずかしい。
「いいのよ京平。友達のいないあなたのつまらないであろう春休みを彩るかもしれない数少ない思い出作りの為なら、きっとお客さんも判ってくれるわ」
「母さん、優しさを見せるならもう少し言葉を選んでくれ。あと本当に友達がいないわけじゃないからね」
ヤバい、本当に泣きそうだ。感動ではなく、恥ずかし過ぎて。悪意がなければ何をしてもいいってわけじゃないんだぞ。
「ってあれ? 灯衣菜は?」
……と、こんな時は唯一味方をしてくれそうな妹、その姿がいつまで経っても現れない事に疑問を抱くと。親父が不意に天を仰ぎ、母さんが手を口に当てて俯いた。え? なんなの?
「妹は、友達に……カウントされないぞ……!!」
「京平……そんなに辛い思いをさせてたのね……!!」
「…………」
もうヤダこの夫婦。
勝手に嗚咽を漏らし始めた2人の脇を通り過ぎて、俺は無言で玄関に入り、鍵をかけた。
旅に出るのも、本当に考えてしまいそうだ。
精神的疲労を感じながら自室へと入ると、着替えるより先にベッドへと倒れ込こんだ。心地良い弾力に身を任せて考えるのは、やはり今後の事で……
アイツ……鈴音に対して、もっと他に何か方法があったんじゃないか。なんて今更に思ってしまう。
「泣いてたよな……」
思い返せば、胸に刺すような痛みが走る。滅多に見ないアイツの涙、前に見たのは……確か……
思考がゆっくりと沈み、俺の意識もまたうっすらと……
眠りへと落ちる間際、部屋のドアが微かに開いたような音を立てた。