俺の問題
さて、気を取り直してお手伝いである。
「それではまずは洗濯から、先程わたしがやったような感じでお願いします」
「……うん」
分かってはいたけど、どうやればいいのか。まる投げ感は否めないけど、まずは自分なりにやってみよう。最初は水を浮かせて……
「えー……浮け!! 水!!」
両手を水瓶にかざして高らかに叫んでみた。
勿論、水瓶にも水面にも変化はなし。解ってたさ畜生っ!!
「もう少し格好良く言ってみてはいかがでしょう?」
「え"……」
マジかよノワイエさん。それマジで言ってるのかよ。
「厨二術において、格好良さというのは非常に重要な要素……ファクターなんです」
「なんで言い直した」
今更ながら日本語やら英語やらフランス語やらドイツ語やら無節操に異世界で飛び交うってどうなんだか。不思議な力ってヤツかね。
「そして、イメージです。自らの力が世界に影響を与えるという強いイメージを持って力を公使するんです」
ファイトです!! と言わんばかりに両手を握り締めるノワイエ、なかなかにノリノリである。反対に俺の気持ちは下がる一方だけど。
しかし、ここで出来ませんというのも情けない話なのだ。男の子なのだ、俺も。
イメージか。さっきノワイエがしたように、水が重量に逆らって、空へ……飛べ、飛べ、高く、高く、飛べっ!!
水面がゆっくりと、だが確かに盛り上がり始める。イメージしたように重力に逆らって……次はいよいよそれっぽい言葉を言わなければならない。
よし、気をしっかり持て。大丈夫だ。まだ身体に影響はない。意識もちゃんと保てている。
――じゃらり。
「え……」
しかし、異変は直後にとぷん、と音を立てて消えてしまった。何事もなかったかのように、それでも揺れる水面は何かがあった事を残していた。
「惜しいですね。あとは確かな言葉で形を与えてあげれば大丈夫だと思います」
「……なかなか、難しいな」
「イメージが固まっていれば自然と言葉が出て来たりしませんか?」
「……うむ」
不思議そうに首を傾げるノワイエだが、そんな簡単に出来ていたら苦労はしない。実際、やろうとは思ったんだが……
何かが軋んだ音と共にそれは霧散した。なんだったんだろう。
それに恐らくもう打ち止めだろう。もう首の後ろにざわざわとした感触がある。身体はこれ以上刺激を与えるのは危険だと警鐘を鳴らしている。
結構不味い事になった。気安く手伝いを買って出たのが間違いだったのか。
「あの、ノワイエ。真面目な話なんだけど……これ以上は不味い事になるんだ」
情けない話だが、そう中止を提案せざるを得ない事態だ。
「なるほど、もしかして京平さんは術反心を恐れているのですか?」
「リベ……いや、それがよく解らないんだけど――」
「えっと、術反心というのはですね」
違う。そうじゃない。
説明は求めてないんだ。ニュアンス的に察する事は出来るから、もうやめてくれ。やめてください。
「強すぎるイメージを押さえきれずに力が暴走を起こす事です。確かに来訪者の多くは厨二術を生み出す厨二精神に恵まれていると……京平さん? 顔が青いですが大丈夫ですか?」
「……ごめん、ちょっとお手洗いを」
「あ、キッチンを出て右に――」
限界だ。無理。
ノワイエの言葉を聞きながら覚束ない足取りで俺は庭を後にする。うっ、視界が歪む、気持ち悪い……
まったくもって情けない。本当に情けない。
どうやら、この世界は予想以上に――
◇ ◇
「厨二病アレルギー?」
喉の奥に嫌な酸っぱさを残す俺の言葉を、ノワイエはオウム返しに問い返した。
彼女の声に侮蔑の色がない事だけが唯一の救いか、それも今だけかもしれないが。
ちなみに俺が庭に戻った頃には、既に洗濯は終了していた。現在、庭にあるテーブルで優雅にティータイムである。自己嫌悪が捗りすぎて辛い。
「なんて説明したらいいかな。この世界にはアレルギーとかってある?」
「身体が拒絶反応を起こしてしまう……という事でしょうか」
よかった。説明する手間が省けて――
「ドラゴンアレルギーとか、コキュートスアレルギーとか、ダニアレルギーは聞いた事があります」
なにそのラインナップ。ドラゴンとダニが同列とかなんなの。ある意味でそれはトラウマと呼ぶんじゃないの? ダニは違うけど。
「ま、まぁ……通じるなら話は早いかな。俺の場合はその厨二バージョンという感じなんだよ」
簡単に言ってしまえば、格好良い事が出来ない症候群か。
俺の場合、鳥肌や悪寒に始まり、目眩、蕁麻疹、嘔吐、果てには湿疹、呼吸困難など。広く症状が発生する。
条件は自己の言動は勿論、思考。そして、症状こそ軽いが他人からも影響を浮けてしまう。
「そんな、それじゃ京平さんにとってこの世界は――」
「あぁ、思い当たる全ての劇物が蔓延る危険地帯に等しい。この世界の住人のノワイエに言うのも悪いけどさ」
なぜ、そんな話を説明したか。
正直、俺自身もよく解ってはいない。
同情を誘っているつもりはないけど、もう俺自身で考える限り八方塞がりだ。
先程、試しにトイレで『鎮まれ、俺の身体……!!』と呟いた瞬間。気が遠くなった時点で、もう夢も希望も胃液と一緒にトイレの奥底に消えたくらいに八方塞がりだ。
「どうしたもんだろうね。あはは……」
ついでに弱音さえ吐き出せば、気持ちも多少はスッキリした。自棄で、最低で、最悪だ。
気がつけば、俯く視界が滲んでいた。力一杯に握り締めていた拳が震えていた。
「これじゃ、本当に、ダメなヤツだ……」
震える口から零れる言葉が涙のように止まらない。
空回りしてしまう。いつも。
手伝いたくても、手伝えなくて。
――じゃらり。
傷つけたくなくても、傷つけて。
――じゃらり。
助けたかったのに……
――じゃらり。
雁字搦めで、もがいて、足掻いて。
「ダメなヤツなんかじゃ、ありません」
「え……」
ふわりと、優しい音が降りてきた。
「例え、世界の……どんな世界の人がそう思ってたとしても、わたしだけは、貴方をそう思ったりなんかしない、絶対に」
固めた拳に、冷たく感じる白い両手が暖かく包まれる。
視線を向けた先、横からしゃがみ込むように座るノワイエがいた。白い仮面、そこから見える翡翠色の視線は、俺を捉えていた。
「どうして……?」
会ったばかりの、何の役にも立てないタダ飯食らいの居候。理由なんて挙げればキリのない俺にどうしてそんな言葉をかけるのか。
「言葉に出来たなら、京平さんに伝えられたなら……わたしは……」
結局は理由の言葉は出てこなかった。
同情は惨めになるだけだ。しかし、そんな言葉も俺の口から出てこなかった。
交わす視線が離される事なく繋がっているからか。俺は何も言えずに続く言葉を待っていた。
重なる手と手が絡み合って。小指同士だけが繋がる。まるで指切りのように。
「でも、信じてみて貰えますか? わたし、九流実ノワイエはどんな時だって貴方、佐居京平さんを……」
「ダメだよ、ノワイエ」
するり、と小指を抜きながら彼女の視線を受け止める。
まだ微かに滲む視界で、俺は笑ってみせる。不格好で不器用に。
「そんなヒロインみたいな台詞は、主人公に言うべきだ」
「でも……」
少なくとも、俺にそんな資格はない。
「それでも、さ。ありがとう……もう少し、色々頑張ってみようと思えるようになったよ」
厨二だなんて酷い言葉の蔓延る世界で、俺はちっぽけなのかも知れないけど。なにも魔王と戦ったりする訳じゃないんだ。
「でも、改めて。こんな俺を三日間も置いておいていいの? お金もないし、洗濯ひとつ満足に出来ない俺だけど」
不思議な事に、不安はあれども気持ちは前より悪くなかった。なんと簡単に慰められるチョロいヤツか。笑ってしまうよね。
「…………はい。こちらこそ宜しくお願いします」
「今のリアルな間が怖い!? 本当に大丈夫だよね!?」
「勿論ですよ。もう、心配性ですね」
気休めでも空回りでも、今だけは笑っていたい。少しでも、怖くないように。




