未知との遭遇
視界が開かれる。
目を細てしまう程に光輝く太陽と心地良く広がる青空の下、澄んだ空気に思わず深呼吸を一つ。
勝手口の向こうには小さな庭があった。
四方を壁で囲まれたそれは、ちょっとした広場と呼んでも語弊はないくらいのスペースはある。芝生のなかで、石畳の小道が続く先は丸く区切られていた。
「ようこそ、九流実家が三大境の一つ『忘却されし箱庭』へ」
「っ……」
キョロキョロと辺りを見回す俺の背後から、どこか満足げなノワイエの声が聞こえた。背筋にざわりと走る感触に水瓶を落としそうになったよ、まったく……そういうのは勘弁してほしい。
物干し台の傍らに水瓶を置き、改めて辺りを見回してみる。
「わたしのお気に入りの場所のひとつです。ここは楽しかった思い出ばかりありますから……」
洗濯籠を下ろし、四角く切り抜かれた青を見上げるノワイエの紡ぎきれない言葉に、俺がかけられる言葉はない。
ただ、一言。たった一言。
「俺も良い場所だと思うよ」
「……はい」
微かに迷い込んだ風に白髪とスカートの端をなびかせるノワイエは、まるで何かの絵のようで――
「……うん?」
彼女の後ろに動く物体を見つけた。バスケットボールくらいのまん丸い何かが、ころころと芝生を転がっている。
なにあれ。
ゆっくりとした速度ながら前後左右、自由気ままに転がる毛玉。どうみても生き物には見えないのだが、明らかにその動きは生き物のような意志を感じられ……あ、跳ねた。
「……?」
ノワイエも硬直している俺に異変を感じ取ったのか、振り返って動く毛玉を見た。
しかし、俺とは違い。驚いた様子もなく毛玉へと歩み寄っていく、なんなのそれ。
「どこから入り込んだんですかね、まったく……」
「ウー……?」
「鳴いた……?」
臆する事なく毛玉を両手で持ち上げると、そのままポイッと壁の向こうへと投げた……って投げた!?
「えっ、と……ノワイエ? なんなの、あれ」
「あれは、一応……モンスターです、かね?」
「あ、あぁ……モンスターね。モンスターかぁ……」
そっか、モンスターがいるなんて流石異世界だな。カルチャーショックってヤツだね。色んな意味で。
「……マジで?」
「はい。人に直接危害を加えてくる事はありませんが、一応モンスターの部類に入るらしいです」
「ちなみにだけど、なんて名前の……」
「正式な名前は判りませんが、ユトリーっていってますね。いつからか人のいる場所に生息していて、食べ物の残りなんかを貰ったり、基本的に自分から狩りに行こうとしない種族だと云われています」
「ユトリーというか、ゆとりか」
「それが由来でもあるらしいですよ? 見た目を可愛らしくする事でおねだりを成功させやすくする為に、あのような体になったらしいですが……」
なるほど、打算的な考えがあってあんなまん丸ボディなのか。ちょっと触ってみたかったかもな。
そんな俺の願いを誰かが聞き入れてくれたのか。いつの間にか、俺の足元に毛玉が一つ転がってきていた。
「ウー?」
「…………」
よくよく見ると小さな三角形をした耳をピコピコ動かしている。目は無いようだが、何となく俺を見上げているような気がしてくる。
やだ、なにこの可愛い生き物。
「ね、ねぇノワイエ――」
「ダメです。ユトリーは一度餌を上げると味を占めて付きまとってくるんですから、それも他のユトリーを引き連れて」
「それはそれで、悪くないと思うんだが……」
「ウー……」
だってモフモフしてるんだぜ? 超柔らかくて温かいんだぜ? ちゃんと面倒見るから少しだけなら――
「では、見ていてくださいね?」
やれやれ、と溜め息を吐きながら。ノワイエは俺の足元にすり寄るユトリーの前にしゃがみ込む。
「ごめんなさい。あなたにあげられるのはパンの耳くらいしかないのだけど、それで良かったら――」
「……ぺッ」
……え?
ユトリーはノワイエの言葉に……石畳の地面に唾を吐いて、コロコロと転がり、壁を跳び越えていった。
「……ご理解いただけたでしょうか」
「十二分に判ったし、掃除させて頂きます。本当に浅はかでした」
多分、恐らく怒っているノワイエに、なんだか、非常に悪い事をした気持ちになった。俺も次からユトリーに遭遇したら放っておこう。