避けて通れぬ道ならば
着替えを済ませて階段を降りる。麻色のシャツとスラックスに近いズボンの肌触りは意外にも良かった。こういうのって、もう少しごわごわしているのかと思ったけど、あまり気にならない。
ただ、まさかパンツまで作られてるとは思わなかった。当たり前といえば当たり前だけど。
この世界の製糸技術や加工技術ってどれほどなのだろうか。洗濯物とかに関しても色々分からない事が多過ぎる。
謎の多い世界だが、ふわりと鼻腔を擽る朝食の匂いに腹の音も、くぅ……と鳴く。
――どうしたもんかね。
ノワイエから貸し与えられた部屋で、俺は自分の置かれた状況を考えていた。
帰る手段も結局のところ定かではない。こことは違う世界から来た人達が鍵らしいのだが、三日後にスムーズに帰られる保証なんてない。
ノワイエなら帰るまで何日でも居ていいと言うかもしれないだろう。
その間、俺は何もしないでいるのか? 同い年のノワイエに食事と寝泊まりする場所を与えられ、甘えに甘えて帰ります。
最低だな。最低過ぎる。
では、どうするか?
働く? この世界の常識がない俺を雇う人がいるだろうか。
つまり、そういう事だ。
悲観的な想定をするならば、動ける内に動く、常識を身につける事から始めるのだ。
「それすら出来るか怪しいんだけどさ……」
考えるだけで気が重い。なにも考えずに腹が減れば鳴くだけの腹の音になれたらどれだけ幸せだろうか。
ひとまず、重い気持ちに蓋をして台所へと足を踏み入れる。そこには何時から作り、出来たのか判らない朝食と真っ白なノワイエが俺を待っていた。
「ごめん。遅くなった」
「いえ、大丈夫です。あ、洗濯物ですか?一緒にやっちゃいますからこちらにください」
片手に抱えた昨日の服を見つけるが早く、部屋の片隅にあるタオルの掛けられた少し大きめな籠を両手で抱えてやってきた。
「せめて自分の下着は洗おうと思うんだけど……手洗いなのかな?」
「そ、そうですね。洗い方は簡単なんでご飯が終わったら教えますね」
簡単ならば今後は俺の仕事としてしまおう。勿論ノワイエの下着は洗えないけど、流石に嫌だろうしさ。
まずは言われた通りに、俺は蓋の代わりであろう籠のタオルを取り払って――
「あっ!! それは取っちゃ――」
「え?」
ダメです。と言いたかったのか悲鳴にも似たノワイエの叫びは既に遅し。それが何故なのかは、直後に理解できた。
タオルの下には、籠の中身があったからだ。
こんにちは、縞パン先生。こんな所でお会いするとは思いませんでした。
……これは、あれだ。
俺のは、タオルの上に置いてという事だったんだね。よし、次は間違えないぞ!!
……土下座ですかね。
「ご、ごめんなさい」
「うぅ、ちゃんと言わなかったわたしも悪いですけど……」
籠を俺から遠ざけながら、ぶつぶつと呟くノワイエの言葉が胸を刺す。
どうせならば思いっきり罵倒してくれた方が、まだ気持ちが楽なのに……いや、そういう性癖とかではない。誰に弁解しているか解らないけど。
いきなりのハプニングではあったが、ノワイエからの許しを得られた俺は、ようやく朝食の席に座る事ができた。
「えと、いただきます……」
「は、はい。どうぞ」
「「…………」」
対面に座るノワイエの表情は仮面に遮られているが、耳が赤い事だけが判れば充分だ。余計にこの沈黙が気まずいわ。
「……ん?」
と、昨日と同じ小さな丸テーブルの上にあった物に視線がいった。ガラス瓶に入れられたオレンジ色の……ジャム? もしかしてマーマレードのような物なのか。
「これですか? これはサンオレンジを使った、その名も『太陽の恵み(サンライズ=ギフト)』。ちなみにわたしの好きな味の手作りジャムです」
「サンライ……あぁ、そうなんだ。少し貰ってもいい?」
伸ばした手が、大仰な名前に引っ込みかける。オレンジの手作りジャムでいいじゃんかよ。
「勿論です。それにわたしはもう済ませてますから独り占めして大丈夫ですよ?」
「うっ……ノワイエって結構、意地悪い所があると見た」
「ふふっ、それはどうでしょう?」
確かに冗談めかしてくれた方が、気持ちもまだ楽だけど。もしかすると、気まずかった空気を払拭する為という事もあるか。