初めての夜
世界を救った一団のなかで、ノワイエの母親はリーダーとされる男とは旧知のなかだったらしい。旅をしていく途中で出会った異世界者の男性と恋に落ち、平和になった後。ノワイエが産まれた。
彼女の他に英雄達の子供がいるらしく、この都市と隣の国にもう一人ずついるらしい。所謂幼なじみというやつか。
そういった子供達が再び平和を脅かす敵と戦ったりするんだろうな。大変だろうけど是非とも頑張っていただきたいものだ。
「それとわたしが産まれる前なんですけど、英雄の筆頭である『絶対者』とその奥さん、『緋色の魔女』との子供と結婚させようとしていたらしいです」
「へぇ、という事はノワイエには婚約者がいるんだ」
いつの間にか饒舌に話し出すノワイエに俺は聞き手に徹していた。背筋がムズムズしそうな二つ名を聞き流し、要約した内容に驚きつつ、そういう事もあるかと納得する。
自由に結婚相手も選べないというのは辛そうだけど、そういった悲壮感が見えない辺り、ノワイエも納得する部分があるのだろう。
「ですけど、『絶対者』は奥さんを連れて自分のいた世界へと帰ったみたいなんですけどね。それに――」
「……?」
言葉の続きを聞くより先に、俺の身体に異変が起きつつあった。それはまるで地震の前兆のように静かに、そして確かな体感。
いつの間にか丸テーブルの上に置かれた手は冷えたようにカタカタと震え、感じた事のない圧力に気持ちが落ち着かない。ここにいるのは不味いと全身が訴えかけてた。
「恐らく、いえ。絶対にその人とわたしが一緒になる事はありません」
「ノワイ、エ……?」
対面に座る仮面の少女が告げる。余りにも透明で冷たく、それでいてどんなに熱を帯びた激情を込めたのか解らない拒絶の言葉を。
しかし、それも震える声で名前を呼んだ瞬間。まるで絞められた首を解放されたような空気に自然と安堵の息が漏れた。
「そろそろ眠りませんか? 目覚めたばかりで京平さんもお疲れのようですし」
「あぁ……そうだな。そうしよう」
ノワイエの視線が何かを捉える。気が付けば結構時間が経っていたのか、室内を照らす燭台の蝋燭が短くなっていた。
不自然なまでにぶつ切りされた感はあるが、俺に否はない。言われてみれば倦怠感にも似た疲れもある。
正直、まだまだ不透明な事ばかりだが、一日目から拠点となる住居を得られたのは良かった。俺自身、なにもやってないけど。
「あ……その前に、少しよろしいですか?」
「うん?」
席を立つ俺を追うように、ノワイエの壁際の戸棚から何かを取り出していた。そして白髪を棚引かせながら俺の前に立つ。
こうして間近で見ると頭一つ分身長の低い彼女の容姿は、確かに女性らしい体型をしているのだと無意識に感じさせた。
表情を隠す仮面にも多少見慣れた今だから警戒は薄いが――
「もう少し背筋を伸ばしてもらえますか?」
「……こう?」
言われるままに背筋を伸ばすと、ノワイエは手にしたそれを両手で引き延ばしながら俺の身体に沿わせる。
よく見れば、それは小さなメジャーらしく。小さく呟かれる数字の羅列からどうやら採寸しているようだった。
「服とか、作れるの?」
「勿論、一応ながらシュナイダーの端くれですからね。あ、両手を上げてください」
少しばかり照れるような口振りで出た言葉に、確かに自己紹介でそんな事を言ってたっけ? と思い出す。
シュナイダー。
俺の世界の言葉でもあるそれの意味は『仕立て屋』。つまり衣類の制作に携わる職業なのだろう。
「失礼しますね?」
「うん?」
ふよん。
思考の傍ら、突然の言葉の直後、腹部に当たる柔らかい感触に視線を下げる。
そこにはノワイエの真っ白な髪と、小さく可愛らしい耳ががが――
「はい。終わりました」
時間にしてみれば一瞬の出来事だったが、花のような匂いの残滓がノワイエとの距離を証明していた。
端的に言えば、胴回りを計る際に抱きつかれていたのだ。それ以上でもそれ以下でもない。柔らかな何かが当たった気がしたけど気にしてはいけない。
「お疲れ様でした。お部屋は京平さんが起きたあの部屋を使ってください。ランタンはこれをどうぞ……」
「あ、あぁ……」
テキパキと動くノワイエの姿に、俺の頭はプスプスと煙を上げ始めていた。なぜに思い出してはいけないと思うのに、必死に思い出そうとするのか。
「では……明日から三日間ではありますが、よろしくお願いしますね?」
「あ、うん。こちらこそ」
ノワイエはノワイエで気にした様子もない。気取られても気まずいが。
「それじゃ、おやすみ。ノワイエ」
「あ……」
借り受けたランタンを手に、俺は部屋を後にする。クールダウンが必要だ――
「ま、待ってください」
回れ右と言わんばかりに身体を反転させた直後、後ろから掛けられた声に身体がビクンと反応する。やましいことは何もないのに、フシギデスネ。
「どうかした?」
「あの……もう一度、お願いします。もう一度、おやすみって……」
よく判らないけど。もじもじとしている姿は、やはり仮面のせいかシュールで……でも、可愛らしいと感じてしまうのは気のせいなのか。
「おやすみ。ノワイエ」
「っ……はい。おやすみなさい、京平さん」
どうしてか。取り留めもない挨拶一つに彼女は嬉しそうな声を返すのか。喜んで貰えるなら悪い気はしないけど。
こうして、俺の異世界生活初めての夜は更けていった。




