◆不安
※視点変更回
いったい何おかしな事を言っているのか、理解出来なかった。
「悪いけど、もう一度言ってくれる?」
いつもとは違う静かなリビングで、冷たい声が響いた。それが自分から出たのか一瞬だけ判らなくなるくらいには、感情がストレートに出ていたらしい。
「あ、いや……落ち着いて話を聞こうじゃないか。ほら、唐揚げ好きだろ? まずはご飯でも食べて――」
狼狽する声を遮るように、机を激しく叩いた音。同じくして手のひらに痛みが走って、初めて私は気持ちを落ち着けようと息を吐く。
今の衝撃で、皿に乗った唐揚げの山からその一つが転がり落ちた。いけない、唐揚げに罪はない。
「お母さん? 私、お父さんの言ってる意味がさっぱり理解出来ない」
「言葉通りよ。京平は既にここにはいない、残念だったわね」
「…………」
なぜか誇らしげに頷いて見せるお母さんに、お父さん以上の落胆を覚えてしまった。普段であれば、キチンと説明してくれるのに……こういう時は似たもの夫婦なのだ。まったく質が悪い。
「いつ帰ってくるの?」
「時が来れば、その時に」
「……実際は?」
「俺も知らん」
まったく使い物にならなくなってしまったお母さんをスルーして、視線を移せば、ようやく返って来たのがそんな言葉。全く持って無責任じゃないか。
「…………」
「そう睨むな灯衣菜。俺だって辛い。どのくらい辛いかと言われると……そうだな。初めてお前が、俺の下着と一緒の洗濯を拒んで来た時くらい辛い」
「……で?」
「灯衣菜。ブラコンなのは微笑ましいけどそろそろ兄離れしなさい」
…………。
なるほど、よく判った。よく、よく判った。
「兄さんが帰ってくるまで、家を出てく」
「待ちなさい灯衣菜。お隣さんに行くなら台所に唐揚げがあるから持って行きなさい」
「あいつらに宜しく言っといてくれ」
非常に理解のある家族のありがたさに、頭に血が上りそうだ。確かに他に行き場がないくらい定番な場所な訳だけど。
「二人とも。一つ言い忘れたけど……」
自分の部屋に戻り、半ば定型化し過ぎた為に用意のあるお泊まりセットを取り、玄関でお土産を受け取る。
ただ、生憎私とて、やられっぱなしではない。
玄関を出て数歩、見送る二人に振り返ってニッコリと微笑む。そんな私に二人も笑顔で応じて――
「しばらく二人っきりだと思うけど、私は妹より弟が欲しいから……頑張ってね!!」
「「…………」」
近所に聞こえる程度に張り上げられた声に、流石に二人も笑顔のまま固まっていた。そして多少の満足感を胸に、私はお隣さんへと足を運ぶのだった。
一分と掛からず到着したのは、一件の旅行代理店の裏口。『紀伊』と書かれた表札の掛かる玄関の前には、二人の姿があった。
「いらっしゃい灯衣菜。流石にアレは生々しいと思うわ」
「いや、あの二人にはちょうど良い薬だろうさ。お帰り灯衣菜ちゃん、ゆっくりしていくといい」
「こんばんは、セリアお義母さん。ただいま、修治お義父さん。話は届いたと思いますが、少しの間お世話になります。あ、これお土産といって良いか判らないけど……」
やはり、というか。あのやり取りが聞かれていたらしい。私が生まれる以前からの交流があり、お義父さんお義母さんと呼ぶほど親しい間柄であっても多少の恥ずかしさは拭えない。
誤魔化しながらも、ぺこりと頭を下げて唐揚げの入った包みを渡した。
「時々思うけど、あの二人の子供とは思えないくらい礼儀正しく育ってくれたよ……」
私の気苦労を知ってくれているのだろう。苦笑しながら感慨深げに頷く修治お義父さんを嬉しく思う。
「あはは……ところで、鈴音姉は……」
「部屋にいるわ。よければ行ってあげてくれないかしら……」
「もちろん、そのつもり」
少し前まで一緒にいた幼なじみの姉の今に、セリアお義母さんも困惑を隠せないようだった。
本当なら、この春休みの間に仲直りさせる計画だったというのに……世話の掛かる家族である。ある意味、私がしっかり者と言われるのも仕方ないくらいに。
「ちなみに、兄さんの事……何か聞いてる?」
「……悪いけど、あの二人が話すまで言うべきではないと思うんだ。すまないね」
「そこまで危ない場所じゃない事は保証するから、それだけは安心して頂戴」
不透明さは拭えないけど、家の親より納得出来る答えではある。
ただ、余計な不安を覚える言葉が私の頭に残った。
そこまで危ない場所じゃない。
旅行代理店である店先に並ぶパンフレットの中に、『野生の動物達に会いに行こう!! 未開の熱帯雨林ドキドキジャングルツアー』という物に対して、セリアお義母さんに尋ねた所、同じ答えが返ってきた事があるのだ。
――兄さん。本当に大丈夫かな。
そう思わずにはいられなくなる私だった。