終焉の先で (9/30 改稿)
――言うなれば、正念場って奴かね。
漆黒に塗りつぶされた空に浮かぶ鮮血色の月を見上げ、男は立ち上がる。全ての生命が死に絶えた灰色の砂漠の上で、力強く立ち上がる。
「バカな、なぜ立ち上がれる……!?」
重たく響く声は鮮血色の月から、聴けば誰もが畏怖し、絶望に震えるものだった。だが、そんな声の主が男の姿に対して驚愕していた。
驚くのも無理はない。自身が得た力は絶対的であり、それ以外の存在など塵にも等しい筈なのだ。そうでなければおかしいのだ。眼下に広がる大地とて、自身が力を吸い上げた為に灰色の砂漠と化した。
男の仲間達も既に鮮血色の月から受けた攻撃の前に為す術もなく倒れ――
「……ガイが起き上がるんなら、いつまでも寝てられないね」
「そうね。ここで倒れちゃ……何の為に生きてきたのか、解らないわよね」
「冥土を知る身として、ここはまだ天国じゃて……」
次々と息を吹き返すように立ち上がり始めていた。誰もがその瞳に強い意志を宿したまま。
「バカ、な……」
動揺に打ち振るえるのは必然。そこに在るべき現状は月が思い描く物とは全く違うのだから。
朽ち果てた剣を杖に立ち上がる少年。血に染まり震える足を必死に正せる女。砂にまみれながらも、皺の寄る瞳に力を宿す老婆。
鮮血色の月が滅亡必死と自負する一撃、事実として世界を滅ぼす力を以てして尚、男は……男の仲間達は、誰一人欠けることなく立ち上がってみせた。
――理解、できねぇか。
大気を振動させる月を見上げ、ガイと呼ばれた男は歪な笑みを口元に浮かべる。
「有り得ぬ……アリエヌ、アリエヌゥゥゥゥッ!!」
口を思わせる裂け目から、空を震わせる咆哮を響かせ、鮮血の月は落下していく。
ビリビリと音を立てて震える空気と、視界に広がっていくそれは鮮血色の絶望。
「次はないぞ。どうする」
先頭に立つ男の傍らで、漆黒色のプレートアーマーを身に覆う男は落ち着いた口調で尋ねる。全滅への予告を耳にしている筈なのに、満身創痍である筈なのに――
「なんとかなるだろ。要はただの体当たりだろ?」
ガイは、今も尚迫り来る絶望へ指を差してそう言ってのけた。
13名、彼をリーダーと認めた仲間全員はその言葉に一瞬だけ呆けて、そして声を上げて笑った。
「旦那、それは流石に馬鹿過ぎですぜ……」
「だが、それでこそ、だ」
小さな妖精が呆れ、竜が自慢げに笑む。男の仲間は人ばかりではなかった。あらゆる種族が男の下に集い、肩を並べていた。
「嗚呼……キミが死んだその時、その刹那を新たなる伝説の詩として語り継ごう!!」
「「その時はお前もシヌよ、クケケ」」
ウサギの着ぐるみが大仰に天を仰ぎ、両サイドで双子の少年少女が歪に笑い声を上げる。
「セリア、正直キミを連れてきて後悔している……だが――」
「この子に未来、見せてあげるんでしょ?」
苦悶の表情を浮かべる青年の口に指先を添え、セリアと呼ばれた女性は自身のお腹を愛でるように撫でる。
「ガイ、妊婦を何人も連れてるんだから無茶な真似は止してあげてね?」
「ちょっ、セリア!?」
先頭に立つ男にセリアはそう告げた言葉に、反射的に声を上げる女性がいた。
ガイと呼ばれた男の左側、そこが最早指定席である女性の思わぬ反応に誰もが固まった。星一つが迫っているにも関わらず、誰もがガイと女性を交互に見ていた。
「ナツキ、なんだかんだでヤる事やってんじゃ――」
一番最初に呟いたのは巨漢の男の肩に止まる少女で、次の瞬間弾かれるように地面へと吹き飛ばされていた。
「ナツキ、本当……なのか?」
「……そうよ」
唖然とするガイの視線に、顔面を発火現象でも起こしたように真っ赤にしてナツキは俯く……が、それも一瞬でガバッと顔を上げてガイを睨むように見上げた。怒りにも似た表情で、今にも泣きそうな顔で。
「だからアンタには、責任があるのよ!! 散々好き勝手連れまわして、馬鹿やって、喧嘩して、暴れて、苦労かけて、馬鹿やって!!」
ガイはその姿に、いつもキャンキャン吠える子犬を連想していた。なんやかんやで長い旅の始まりから、今に至るまで。
思えば、本当に長かった。
目に浮かぶ涙はどんな感情の発露か、しかし直ぐにそれは拭われた。
「よし、んじゃ責任取ってやる」
「ハンサムじゃないブサイク岩石筋肉男の癖に、カッコつけたがりで、毎回毎回付き合わされる私の、はっ? ちょっ……んむっ!?」
いつまでも喚くナツキの言葉が塞がれた。あまりにも突然で、強引な口づけで。
「そんじゃ、帰って結婚だな」
13名。ガイをリーダーとして集まった仲間達のナツキと数名以外、実にノリのいい仲間達の歓声が響いた。
「星降る夜のプロポーズ。シンプルだが詩的……嗚呼、良きかな!!」
「「現実は絶望的ダガナ、クケケ。ヨキカナ、ヨキカナ!!」」
双子の言葉通り、これ以上ない危機的状況だというのに、誰もが傷を負いながらも平常運転といった感じになっていた。
「さて、いい加減にやってしまうかの」
しかし、いつまでも終わりを見せない彼ら彼女らのやり取りに終止符を打ったのは老婆だった。
杖を左右に振りかざす、一度振るえば身の丈半の杖が身の丈に、二度振るえば身の丈の倍に、振りかざす度に杖はその長さを増していく。
「御老、先に行かせてもらう」
その様子を背後に感じながら、一歩前に踏み出したのは、漆黒色のプレートアーマーを身に纏う男だ。
「裏切りの代償だ。一番槍くらい務めてみせるさ」
「あぁ、行っておいで」
頬に走る傷を撫でながら、男は小さく、微かな笑みを浮かべ、老婆はもう見ることの叶わないと思った姿に涙を滲ませて笑い返す。男の笑みは自嘲だったが、それも悪くないと――
「『天響神殺ノ牙』、果たして星屑は殺せるか?」
――あぁ、悪くない気分だ。
掲げる双剣はヒビが走り今にも折れそうだが、主の問いかけに力強い暗黒を宿す。
殺気を孕む視線に広がる鮮血色は、見れば生物的な膜と脈打つ血管のようなモノが見える。即ち、この月は"生きていた"。
「刻め、その身に神をも殺す牙を……不活剣、秘奥……!!」
ゆらりと両の手を交差するように腰元に携えて、男は"空"を駆ける。そこに目には見えない道があるように、獣のような獰猛さで、駆ける。
「『死せる不死なる逆さ十字架』ッ!!」
暗黒より黒く静寂より静かに、抜き放たれた刃が鮮血色を無慈悲に裂き、黒の穢れに染めていく。
「ッ!? キカヌ……キカヌゾォォッ!! 我ハ、死ヲ超越シタノダ……フハ、フハハハハッ!!」
「クッ……!!」
体表を抉るような傷を負って尚、圧倒的質量の落下は止まらない。
「『万天繚乱』ッ!!」
「『アルテ=ソルブラスター』ッ!!」
「「『対極神魔砲(ツインズ=パラドックス)』ッ!!」」
「『空間滅破断』ッ!!」
「『ギガブレス=インフェルノ』!!」
迫り来る鮮血色に向けて放たれる光条と刃、次々と放たれるは必殺を思わせる一撃達。しかしそれを身に受けながら、滅亡と絶望の笑い声は止まない。
「コレガ極ミヘト至リシチカラ……ナントイウ歓喜!!ナントイウ狂喜!!ナントイウ愉悦!!」
「これは不味いの、真性のマゾヒストより質が悪いかの」
「呼びましたか? 御老」
苦い顔をする老婆にウサギの着ぐるみが振り返る。直後にパカンと小気味よく老婆の履いていた下駄が額を打つ。
「ガイ……」
ナツキの声に腕を組んで立ったままのガイは頷く。名を呼ぶだけであったのにも関わらず、そこに秘めた意志と言葉を汲むように、力強く頷く。
「行ってくるぜ。ナツキ」
ぽんと頭を叩いて、親指を立ててみせる。それはかつてから今に至るまでふたりの間で何度となく繰り返された仕草で。
「負けたりしたら、承知しないから……」
いつもと違うのは、送り出す言葉が震えていた事。
「勝つさ。必ずな」
いつものように繰り返された力強い笑み。向けられた背中の大きさも変わらない。
「行くぞ……っ!! 天上天下(ガイ=ブレイド)!! 唯我独尊(ガイ=メイル)!! 究極モード発動!!」
ガイの叫びに応えるべく、彼の武装が次々に姿を変えていく。全てを終わらせるために。
なのに、なぜだろう。彼女は思う。
「必ず帰ってくるのよ、馬鹿……」
溢れ出した感情が頬をとめどなく伝っていくのは。胸に不吉なざわめきを覚えるのは。
神帝歴2002年 アイゴケロス20。
その日、世界を破滅へと導く災厄が世界から姿を消した。
世界を救ったのはひとりの勇者と、彼の元に集った13人の仲間達だった。