ヒーロー
彼は馬鹿だ。
底抜けの馬鹿でお人好しである。
本日も晴天、彼は遅刻して来て何故かボロボロだった。
朝からなんなんだ、と言った視線がクラスメイトから注がれる中担任が「……何があった」と問う。
そしたら彼はいつもの人のいい笑顔で答えた。
横断歩道を渡れなくて困っているお年寄りを助けたら、今度は子供が車道に飛び出したので助けた、その際に滑り込みの要素で助けたため制服がボロボロになった、と。
意味がわからない。
何をどうしたらそうなるというのか。
と言うかそんなことがリアルにありえるのか。
「……とりあえず、席につけ」
担任もそれ以上の進言をせずに溜息。
私の右隣の席に座る彼の制服は土埃はついているし、ほつれや破れができていた。
顔や手にも怪我をしており席に着くなり、絆創膏などを貼りまくっている。
「アンタは馬鹿なの?そうやって誰かを助けてばかりいたら、いつか自分が死ぬんだからね」
横目で彼を睨みながら忠告してやれば、彼はキョトンと目を丸くして次の瞬間にクスクス笑い出した。
人が親切に…と思い拳を振り上げようとしたら、彼はいつもの笑顔を私に向ける。
「心配してくれてあんがと」
ピシリ、と動きが止まる。
「でも、誰かを助けずに後悔はしたくないだろ?」
拳を下ろしてハンカチとティッシュを彼の顔面に投げつける。
あぁ、彼は馬鹿正直すぎるんだ。
その真っ直ぐさは理不尽と不条理の世界を知らない子供のようだった。
放課後真っ直ぐ家に帰宅した私は、珍しく早く帰ってきていた兄の部屋を訪ねた。
彼と兄は友人という関係なので、彼の話をするのには打って付けなのだ。
彼の話と言っても主にあのお人好し加減についてなのだが。
「そりゃ、仕方ねーべ」
ケラケラと面白そうに笑う兄を見て一発殴りたくなった。
私は真面目に話しているというのに。
彼と兄は友人だが、私と彼は幼馴染みというやつだ。
小学生の頃は私の後ろに引っ付いてきた泣き虫で、私がいないと何もできなかったのに。
高校生にもなればその背丈は伸び、私の身長をゆうに越している。
中学生の頃から徐々にお人好しと馬鹿がひどくなっていったんだ。
全く何があったというのか。
深々と溜息を吐き出す私を見て兄は「男ってのはヒーローになりたがるもんなんだよ」と言う。
小学生じゃあるまいし、何がヒーローだ。
高校生にもなって、と言おうとしたがその言葉は扉が開く音で遮られる。
「お姉ちゃん、お散歩行こー」
小学生の妹が赤いポシェットを下げて外に行く準備をしていた。
これは強制じゃないか。
兄を見てみると「いってらっしゃい」と手を振った。
断る理由もなかったので妹の手を取り家を出る。
特に行く場所もないのでその辺をブラブラしてちょっと大きめの公園に入ってみる。
高校生にもなると公園なんてなかなか来ない。
遊具で遊ぶ妹をベンチに座りながら見守っていると、視界にとても不愉快なものが入り込んでしまう。
「あ、あの、離してください」
この辺にあるお嬢様学校に通っているらしい子達二名が、チャラチャラした軟派なのに絡まれている。
「ちょっと、離しなさいよ」
チャラ男のうちの一人の肩を掴み声をかける。
女の子達が涙目で私の方を見た。
大体なんで公園で声なんてかけてんのよ、目障りなのよ、なんてことを考えながら男を睨みつける。
肩を掴んだ方の男は私のことを品定めするみたいに見てくるし、もう一人の方はこちらに興味を移すし、最悪。
女の子達にとっとと行けと顎で指し示す。
「えー、行っちゃったじゃん」
「代わりに君がお茶してくれんのー?」
男の方から手を離せば、今度は抱き寄せてくる。
気持ち悪い、触るな。
肩に置かれた手を掴み捻りあげると男が情けない声を上げる。
みっともない。
「昼間っから嫌がってる女の子に声をかける奴となんて、誰がお茶してくれると思ってんのよ」
鼻で笑いながらそう言いのけると、突っ立っていた男の方が顔を赤くして殴りかかって来た。
避けようとして体を横にずらすと、私と男の間に人影が入り込んでくる。
バキッと鈍い音がして現れた人影が地面に倒れ込む。
「陽?!」
間に入ってきた人物はあの馬鹿でお人好しな幼馴染みだった。
手を捻りあげていた男を離し、彼に駆け寄り膝をつく。
口の中を切ったらしく血が出ている。
どうして間に入ってきたのかと怒鳴ろうとしたが、彼の目には私なんて映っていなかった。
真っ直ぐに男を睨みつけていた。
「葵は下がってて」
今まで見たことない彼に私は小さく頷き数歩下がる。
立ち上がった彼は強く拳を握り手近な方の男を殴った。
幼少期の葵ちゃん葵ちゃんと私の後ろについてきたあの子はもういないんだ。
『男ってのはヒーローになりたがるもんなんだよ』
兄の声が蘇る。
男子高校生一人に対して大学生くらいの男二人が殴り合いの喧嘩をしている、しかも公園で。
当然のごとく人が集まり出しザワザワと不協和音が出始める。
それに気づいた男達は舌打ちをして彼から手を離し、足早に公園から出て行く。
朝から汚していた制服をさらに汚した彼は、男達が去る後ろ姿を睨みつけその場に座り込む。
「ちょ、陽?!」
傷が痛むのかと思い駆け寄るとドサッ、と仰向けに倒れ込んだ彼と目が合う。
傷だらけの顔をした彼は目が合えばいつもの笑顔を見せる。
「葵ちゃんに怪我がなくて良かった」
ちゃん付けに戻って幼い笑顔を向けてくる。
馬鹿だ、正真正銘の大馬鹿だ、底抜けの馬鹿だ。
肺から全ての空気を吐き出すように深い深い溜息を吐く。
彼の顔に自分の顔を近づけるようにしてしゃがむと、不思議そうに目を丸める彼。
その鼻にチュッ、と短いキスを落とす。
真っ赤になった彼を見てやっぱりあまり昔と変わっていないような気がするな、なんて思う。
「お姉ちゃん、陽兄ちゃん、らぶらぶー」
うへへー、と笑う妹が私達二人の一部始終を見ていたらしい。
これには流石の私も顔を赤くするしかない。
人が集まり出していたのも忘れていた私達は、警察を呼ばれて補導なんてことになる前に公園を逃げ出した。
別に私達が悪いってわけじゃないが、外で殴り合いしてましたなんて学校に報告されたら停学かもしれない。
走り出す彼は私の手を掴み、妹を抱き上げる。
いつか痛い目を見ると思っていたが、馬鹿正直でお人好しできっと損をする性格であろう彼。
そんな君が好き。