天音桜:お引っ越し
引っ越し業者のトラックに便乗して実家を出て、車窓を流れる風景はもう見知らぬ街並みになっている。思えば遠くへ来たもんだ、と懐かしいフレーズが脳裏を過ぎっていく。
梅雨も明けきらない六月の事、私は住み慣れた実家を出て新天地へと向かっている。
……新天地は大袈裟か。
剣術道場を経営している両親が海外進出を決め、私自身は諸々の事情で日本に残ると決めた。年頃の娘一人を日本に残すにあたって、両親は最も信頼できる相手に私を預ける事にした。それがこのトラックの向かう先、両親の剣術の師匠のお宅だった。
「あのー、ちょっとお話しても良いですか?」
遠慮がちに声を掛けてきたのは、私の隣に座っている引っ越し業者のお姉さんで、渡瀬さんという。小柄&童顔なので年齢の見当が付けにくい。トラックを運転している男性――黒田さん――から「先輩」と呼ばれていたし、低く見積もっても二十歳前後くらいだろうか。
渡瀬さんは業者のロゴ入り作業着を着ていても、それらしく見えない。まあ、引っ越し業者に求められるのは腕力だけではないから、体格だけで「らしくない」なんて言ったら失礼にあたるだろうけど。
黒田さんの方はそれなりに鍛えた体付きをしていて、彼との対比で余計に頼りなさそうな印象を受けてしまうのか。
渡瀬さんがどれくらい小柄かというと。
「なんですか?」
と、右を向くと、彼女の頭上を素通りして黒田さんの横顔が見えてしまうくらい。
……いや、判ってる。これは私が女子の平均身長を少しだけ超過しているからだってことは。
「ん?」
私の視線を感じたのか、黒田さんがちらりとこちらを見る。
出会った視線はほとんど水平。
いや、女子の平均を少しだけ……のはずなんだけど……。
「お客さんは、あの天音流剣術道場の娘さんなんですよね?」
視線を下げると、渡瀬さんはこちらを見上げていた。首の角度がちょっと辛そうに見える。
とりあえず訊ねられた内容はその通りなので肯定しておく。
その天音流剣術道場から引っ越し荷物を搬出して、私も最初に「天音桜」と名乗っているのだから、これは単なる確認だったのだろう。
「そうすると、この引っ越し先なんですけど……」
渡瀬さんは手元のクリップボードに挟まれた書類に目を落とす。それは今回の引越しに関する契約書で、引っ越し元と引っ越し先が記入されている。
引っ越し先住所には家主の名前も書かれていて、そこには『シシル』とあった。
「このシシルさんという方、やっぱり『あの』シシルさんなんでしょうか?」
「ご存知なんですか?」
「はい、ちょっと興味があって、学生の頃には第二次世界大戦関連の資料を漁ったりしてましたから」
そういう渡瀬さんは少し恥ずかしそうにしている。
なんで? と思ったら、笑い含みに黒田さんが話に入ってきた。
「先輩、歴史オタクですもんね」
「オタクって言わないでよ!」
「でも大戦絡みってことは、第一世代の人ですか? だとしたら凄いですね」
「それどころじゃないよ! エルダーだよ、エルダー!」
「……マジですか?」
渡瀬さんは歴史オタクだったらしい。
そして黒田さん相手の砕けた口調が彼女の素なんだろう。私に対して丁寧な話し方なのは、私が引っ越しの依頼者だからか。
黒田さんは首を傾げている。運転中にそういう仕草をされると微妙に不安になるのだけど。
「シシル……聞いた事無いですけど?」
「結界長をしているような有名所とは違うから。でも縁の下の力持ちみたいな? 目立たないけど要所を押さえて活動していた、みたいな? 資料にも具体的な記述は無かったけど……」
「なんか地味ですね。っと、すみません」
黒田さんが謝罪してきたのは、これから私がお世話になる相手を「地味」と評してしまったからだ。が、私には黒田さんを責める資格は無い。実は私もシシルさんについては殆ど知らないからだ。
今回引っ越し先として紹介されるまで、私はうちの親が天音流剣術を創始したのかと思っていた。道場には初代総帥として父の写真が額入りで飾ってあるし、流派の名前が自分の家の名字だったし。
ところが蓋を開けてみれば、両親はシシルさんから剣術を学んだものの、シシルさん自身は特に流派名を名乗っていなかったそうで、そこで自分で天音流を名乗ったのだとか。
さらには黒田さん同様、私もシシルさんの名前は全く聞いた事が無かった。
第二次世界大戦は歴史の教科書にも載っていて、当時活躍した人達の名前も沢山出ている。でも、その中にシシルという名は無い。
渡瀬さんみたいに自分で興味を持って調べないと出てこない名前なのだ。
天音流剣術とシシルさんの関係を知っている渡瀬さん凄過ぎる。
「地味とか言っちゃだめでしょ。エルダーや第一世代の人達、目立ってなくてもそういう人達のお陰で今の世界があるんだから」
「そうですよね……」
黒田さんが神妙な面持ちで深く頷いていた。
や、だから運転中にそれは……。
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途中お昼休憩も挟んで、トラックは下宿先に到着した。
「これはまた、趣がありますね」
「文化財クラスじゃないですか? 手入れ大変そうだな」
渡瀬さん達がシシルさんの家を見て、そんな感想を漏らしていた。
文化財クラスは言い過ぎだとしても、確かに古い建物だった。
昭和の香りを漂わせる木造平屋建てで、周囲は新建材を使った二階建て三階建ての家ばかりだから、ここだけ時間の流れに取り残されているように見える。
古色蒼然、という言葉が良く似合う家だ。
「えっと、それじゃあまず家主さんにご挨拶させて下さい」
渡瀬さんに促されて、門柱に付いている呼び鈴のボタンを押す。家の中の方でピンポーンとレトロなチャイムの音がする。
ほどなくして「はーい」と声が聞こえて、玄関口に近付いてくる人の気配。
聞こえた声はまさしくシシルさんの声。
……さて、渡瀬さん達はどんな反応をするだろう?
ちょっと楽しみだった。
事前に挨拶に訪れた際、始めてシシルさんを見て、私は本当に吃驚してしまった。
あと何年かすると第二次世界大戦終結から五十周年になる。
大戦当時の資料に名前が載っているシシルさんは、だから結構な歳になるはず。
でも、とてもそうは見えない外見で、世の女性なら誰もが「こういうふうになら年をとってもいい。むしろこういうふうに年をとりたい」と羨むだろうこと間違いない。
実際の年齢がどれくらいなのか、聞きたいけれど聞けなかった。
両親からも「それは聞いちゃいけないことだ」と釘を刺されていたし。
からからと軽い音をたてて引き戸が開く。
「ようこそ桜ちゃん。歓迎するわよ」
現れたのは、少し色の抜けたような栗色の髪の一目で日本人じゃないと判る容姿の女性。にこにこと優しそうな笑みを浮かべている。
「今日からお世話になります、シシルさん」
両親の師匠筋となれば礼を失する事はできない。
深々とお辞儀を付けて挨拶している私の背後で、渡瀬さん達が「え゛!?」とか「嘘だろ!?」とか狼狽の声を上げていた。
二人の気持ちは本当に良く判る。
初対面の時には私も似たような反応をしてしまった。
なにしろ、
「ああ、そちらの二人は私の事を知っているみたいね」
と、笑みに困ったような色を混じらせているシシルさんは、十代半ばくらいの西欧風美少女にしか見えないのだから。
五十年前、第二次世界大戦、剣術の師匠。
どの単語もシシルさんの外見にはそぐわない。
日本人の基準で外国人の年齢を判断すると失敗する事が多い。それを加味して検討しても、知らない人がシシルさんを見れば十六か十七くらいと答えるだろう。
小柄で体の線も細い。
渡瀬さんよりは少し背が高いくらいで、私の場合は正面に立つと見下ろすような感じになってしまう。これは私の身長が女子の……って、それはもういい。
とにかく、有名ではないにしろ大戦の資料に名前を残したり、剣術の師匠としてうちの両親に稽古を付けたり、そういうイメージとは全く結び付かないのだ。
なんでも両親がここにいた当時からシシルさんはこの外見で、全く老けなかったそうだ。
父などは「あの人は人間じゃないから」などと言っていて、それは酷いと思ったりもしたのだが、こうして本人を前にすれば納得するしかない。
人間とは比べ物にならないほど長い時を生きる長命者。
そう。
まさに父の言った通り、シシルさんは人間ではないのだから。
伏せ設定の解放で新しい言葉がいくつか出てきました。
これらについては次話以降で詳しく触れていきます。




