読者の疑問
ライアと乳牛の乳合わせ。
可か不可かで言えば、可だ。口の周りを反芻物や涎で汚しているのは駄目だけど、清潔にしている牛はあれで意外と可愛い。犬が後ろ足で立ち上がって飼い主に抱き着くような、あんな感じにすればいけるんじゃないだろうか。ライアの身長と筋力なら大きな乳牛にのしかかられても大丈夫。乳合わせだってイケる……あれ?
「あ、駄目だわ。やっぱりライアと乳牛じゃ乳合わせにならない」
「判ってくれたっすか先輩!?」
「うん。牛のお乳って後ろ足に近い方にあるもの。あれじゃあ立ち上がってもライアとは高さが合わないよ」
「……そうっすね。いや、これは乳牛なんかを引き合いに出した自分が間違ってたっす」
森上君はがっくりと項垂れた。これぞと思って口にした例えが間違ってると恥かしいものね。――「そうじゃないでしょうに……」――藤代さん、森上君に追い打ちするなんて酷い。
「とにかく、私の写真集なんて無理です。断っておいてください」
普通の写真集を出して全然売れなければ判っていてもショックだし、エロいヌード写真集なんて私の羞恥心が耐えられない。ああいう仕事は余程の自信と揺るぎない鋼の精神の持ち主にしか務まらないと思う。
「……まあ、素材の良し悪し以前に、取材の時の撮影ですらあんなにガチガチになっていた天音さんに写真集の撮影なんて無理だと私も思っていましたけどね。判りました、先方には私の方から断りを入れておきます」
「そうしてください」
「それでは改めてお話の方を」
ここまではお土産の羊羹でお茶をしながらの世間話のようなもの。
本題は『剣と魔術』編集部に寄せられた反響――いわゆる“読者の声”や質問などについてだ。
今のところ『剣と魔術』以外からの取材申し込みは届いていない。最初にできるだけ多くの情報を出してしまう作戦が功を奏しているのだと思う。それでも、出版社が記事を一本纏めるような切り口が無いだけで読者の側には細かな疑問や関心事はある。ところがと言うか当然ながらと言うか、私の個人的な連絡先は公開されていないから、『剣と魔術』編集部がそうした問い合わせの窓口になっている。今日藤代さんが来訪したのは何も羊羹とシュークリームを届ける為だけではなく、追加取材をして続報記事を纏める為なのだった。
藤代さんが作成してきたリストに沿って進行して答えを埋めていく。サクサクと進んだのは藤代さんの方で予め頓珍漢な質問やプライバシーに関わる話題を除外してくれていたからだ。が、「これが最後の質問になりますが……」と言いよどむ藤代さん。除外はできないけれど話題にするのは躊躇われる、そんな感じだ。
「その……天音さんの“魔族殺し”が純粋な戦闘力通りの結果ではなく、色々な要因が上手い具合に重なった結果だというのは概ね好意的に受け止められています。経緯よりも結果ということでしょう。魔族を倒したのは事実ですからその功績に疑いは無い。ですが……“じゃあ結局どれくらいの強さなんだ?”。これに要約される問い合わせがかなりの数で来ていまして……。気功スキルを早期に修得するメリットで天音さんを例に出したじゃないですか。魔術レベルが低くてもここまで強くなれましたみたいに。なのにどこまでなのかを判断する基準が曖昧なままなんです」
「ああ、単独の“魔族殺し”なら普通は単純に魔族以上ってなるっすけど、天音先輩の場合はそうはならないんすね」
「結界防衛戦の時の短期隊員の募集要件を満たしているとか、大学のランキング二位とかじゃ駄目なんですか? 一位の竹上先輩がKODで有名になっていますし」
藤代さんは森上君に「そうです」と頷き、私には「それでは駄目です」と首を横に振る。
現役のスキル使いや、そうでなくても藤代さんのように上級専門校生のレベルを知っている人なら見当を付けられるけれど、そうでない人にはピンとこないと言う。
第三次世界大戦当時、二号結界に戦力を集中させたため他の結界は深刻な人手不足に陥っていた。猫の手も借りたい状態の守備隊は正規隊員の採用基準に満たない専門校生や上級専門校生から短期隊員のバイトを募集したというのは当時から一般に知られた話。
そして、勝負は水物と言うし、私が“魔族殺し”なったように必ずしも強い方が勝つとは限らないのだが、普通は勝った方が強いと考える。今回の記事が無ければ未だに世間一般からは私は魔族よりも強いと思われていただろう。とは言え、常に弱い方が勝つ訳でもなく、順当にいけば強い方が勝つのだからランキング二位の私は一位の竹上先輩よりも弱い事になる。負けているのだからそれを否定するつもりは一切無い。
つまるところ一般読者に伝わっているのは純粋な力量では魔族より弱く、正規の守備隊採用基準を満たしておらず、有名になった竹上先輩よりも弱いという三点だけ。ネガティブ情報ばかりで、極端な話、ランキング最下位でも専門校に入学したばかりの一年生でも、はたまたスキル使いでも何でもない一般人でさえも、この三つの条件に当てはまってしまう。該当する範囲が広すぎて私の力がどれくらいなのかを判断するのは不可能なのだった。
藤代さんの言う通り、これが“○○より強い”だったら話は簡単だったのに。
「“魔族殺し”の名前が独り歩きをして過大な期待をされたくないという当初の目的は果たしてしますが……このままだと逆にかなりの過小評価をされかねません。天音さん、どうでしょうか、KODに出てみませんか? 戦っている姿を見せるのが一番判りやすくて確実ですよ? もちろん、過小評価なんて気にしない、それで構わないと仰るならこれ以上私から言うことはありません」
「……構わない、とは言えませんね。気功スキルの普及を訴えた手前、大したことないと思われるのは避けたいですし、第一私は勝手に過小評価されるのは嫌いです」
過大評価されるのは困る。
過小評価されるのは嫌だ。
正当な評価をして欲しいと思うのは我儘だろうか。
「でも出たいと言って出られるものじゃありません。出場資格はランキング一位にならないと貰えないんです。難しいですよ」
竹上先輩も乾先輩も仙導力と武宝具の導入で強くなっている。去年はリソースの関係でできなかった事も今年はできるようになっているだろう。私だって龍脈砲を加えて強くなっているから無理とまでは言わないが、それでも確実に勝てるとも言えず、こればかりはやってみないと判らない。
公に天音新流を名乗ってしまった私が天音流剣術道場の枠を使う訳にもいくまい。
「あ、それなら大丈夫ですよ。まだ一般告知はされてませんがKODの枠組みが少し変わりますので」
そうして藤代さんが教えてくれたのは今年から始まる新しいKODの話だった。
スキル振興を目的として開催されたKOD初回大会が上々の効果を示したため、日本政府と守備隊本部は更に力を入れる事を決定したそうだ。初回大会は専門校や上級専門校、第一世代の家系や道場団体などからの招待選手のみで行われた。これは大会の質を高くする役には立つものの、反面、参加者が限られて試合数が少なくなってしまう。しかし徒に参加枠を拡大して大会のレベルが下がれば本末転倒。そこで、予備大会を複数回行い、そこでの上位者にも秋の本大会への出場権が与えられるようになる。本大会の質を高いまま維持しつつ、年一回だけでなく通年して広報効果を得られるようになって一石二鳥、と。また、シングル戦だけでなくパーティー戦も追加したり、様々な戦闘フィールドを用意するなど多様化も図るそうだ。
予備大会は出場資格を設けない自由参加の大会になるからそちらに出れば良いと藤代さんは言うのだが。
すみません、出たいと言って出られるものじゃないとか格好つけましたが、正直に言うと出たくないです。
「……目立つのは苦手なんでしたっけ」
「はい」
「まあ、天音さんは目立たずにいる方が難しいでしょうから」
「そうなんですよ。背が伸び始めてからはどうしても周りから浮いてしまって……どこに行っても注目されてしまって……」
そしてみんなして「大きい」とか「でかい」とか言うのだ。
親しくなれば……と言うか見慣れてくれればそんな事もなくなるがKODは全国中継だ。親しくなれないし見慣れてもくれない沢山の人に見られてしまう。多分、その時間帯日本で発される「大きい」と「でかい」の単語数が急上昇することになるだろう。
「天音さんが注目されるのは身長のせいだけではないと思います」
「だとしても結局言われるのは同じ事です。あ、でも戦闘時はサラシ巻くからやっぱり身長……」
「あ、いえ、そういうつもりでもなかったのですが」
「良いんです。それに出たくないで出ずに済ませられる状況でもないですし」
私が参加に前向きになった途端、藤代さんの目がキラリと光ったような気がした。
……私の参戦をネタにしてまた記事を書くつもりなのだろう。
「それでしたら最初の予備大会が来月にありますから、早速それに」
「来月ですか? いえ……それには出られません」
「出られない、ですか? 出たくないではなく?」
「来月だとちょっと都合が悪いです」
「では再来月、七月では?」
「七月だと日程次第です。八月なら確実に大丈夫だと思いますが」
八月だと間が空きすぎますね、と藤代さんは渋い顔をしている。
それに私の「都合が悪い」を不審に思ってもいるようだ。
KODは仮想世界で開催されるから移動時間や交通宿泊費の心配はない。半日程度の時間さえ確保できれば良いし、その間には何度もログアウトして休憩できる。最低限試合の間だけログインできれば参加は可能だ。第一、開催日時も知らないのだから予定も何もないだろうと。まあ、当り前か。
「理由を訊いても良いですか?」
「七月の後半に試合を一つする予定がありまして。手の内を晒したくないんです」
試合とはもちろん珠貴との四戦目だ。珠貴は試合前の情報収集を怠らない。私がKODに参戦したなら必ずそれを見るだろう。いくら参加自由の予備大会だろうと出場者は腕に覚えのある人ばかりになる筈。勝つためには私も全力で行く必要があるだろうし、手の内を隠して余力を残したまま負けるのは私の矜持が許さない。
結論として、珠貴との試合を終えるまでKODには出られない。出るべきではない。
「あー、そりゃ確かに出られないっすね。三条先輩が見逃すはず無いっすよ」
事情を知っている森上君がそう言えば、藤代さんは「え!?」と凄い勢いで喰い付いた。
「三条さんというと、森上さんと一緒に“魔族殺し”になった魔術統合機構の三条珠貴さんですか?」
「そうっす」
「天音さんと三条珠貴さんが試合をする、と?」
「そうっすよ。これまで三戦して一勝一敗一引き分け、因縁の対決っす」
「ちょっと、その辺、詳しく、教えて頂けませんか」
……なんか、藤代さんの目が怖い。
そして森上君がこれまでの経緯を話すと、再び藤代さんの目が光った。ような気がする。
ただし、今度はキラリではなくギラリだ。
「“魔族殺し”と“魔族殺し”が四年越しの因縁に決着を付けるために戦う……これは、いける。いけますよ!」
もはや肉食獣が得物を狙うような目になっていた。




