ギニュー疑惑2
八月十日、海魔迎撃戦の会場となる海水浴場は予想通りの空き具合だった。
一般客の入場は制限されているし、迎撃戦参加者の全員が特権を行使する訳でもない。純粋に戦闘に参加したい、別に遊びたいとは思わないという参加者もいるからだ。
せっかくの特権なのだから有り難く使えば良いのにと思わなくもない。まあ全員が特権を利用してしまったらそれなりに混雑してしまってせっかくの特権が無意味になりかねないので、今の状況が丁度良いのだろう。
学園枠で参加した一昨年とは違い、今年の私達は一般公募枠だ。
参加決定後に地元自治体ホームページのフォームを利用して応募し、受付も昨日チェックインしたホテルで済ませてある。迎撃戦の受付をホテルで、というのは奇妙に聞こえるかもしれないが、これは海魔迎撃戦を含む海鎮祭がこの地方随一の重要イベントであり、ホテルを含む観光業界も協力体制を取っているからこそ実現している仕組みだ。
一年に一度、海水浴場の沖合に開く『穴』からやって来る“海魔”。
その海魔の害から街を守るという最重要な意味と共に、迎撃戦に参加するスキル使いや、そんなスキル使いの戦いを間近で見ようというギャラリーなど、集客という意味でも迎撃戦は重要なイベントとなっている。その為地元自治体は迎撃戦参加者を優遇する施策を行っていて、その一つが指定宿泊施設の割引制度となっており、観光業界もこれに協力している。『迎撃戦参加の受付を完了いたしました』と返ってきたメールには宿泊施設の一覧が添付されていて、希望のホテルを選んで返信しておけば部屋の予約をすると共にチェックイン時に迎撃戦受付も済ませられるようになる。期間中様々な場面で必要となる御馴染みのドックタグ型参加者証もホテルのフロントで受け取れるので手間が掛からない。その上宿泊料金も割引まであるのだから至れり尽くせりである。
今年は自分達でスケジュールを組めるから時間に余裕がある。
昨日、私と灯は軽トラで、沙織はバイクでと連れ立ってやって来た。軽トラの運転は保険の関係があるので自動的に私になり、二人定員の軽トラの助手席に座るのは誰かもほぼ自動的に決まっていた。灯の原付で長距離移動は酷なので。
自前の移動手段が使えたのは私の乗車が軽トラだったからだ。
普段、灯と沙織は装備品を背負ってバイク通学している。魔術使いのローブ姿に発動体の杖を背負った灯が原付を運転しているのはいささかシュールな画であるが、それ以上に大概なのが沙織だった。リザードマン素材のライダースーツにフルフェイスヘルメットは良いとして、背負っているのはあの大盾と大剣だ。違和感があるだけでなく、斜めに背負った大盾の面積は「それ風圧がヤバいんじゃないの」と心配になる。沙織曰く「なんとなかる」そうで、実際危なげなく運転して事故も起こしていないのだが、しかし学外ではそうもいかない。装備剥き出しでも許される学内とは違い、学外での装備品運搬は専用ケースへの収納が義務付けられているからだ。ケースで一回り大きくなってしまうとさすがにキツイとは沙織の言。普段の通学姿もどうしてあれで大丈夫なのかと不思議だったくらいなので、これを沙織の弱気とは思わない。キツイだけならともかく、交通量の多い一般道や高速道路を走行するのは危険も伴うので変な意地を張らない方が良いのは確かであるし。
とは言え、沙織の身長でもすっぽり全身を隠せるような大盾だ。とても普通の乗用車に積めるものではない。荷物の運搬はお手の物である軽トラがなかったら大荷物を抱えて電車やバスなど公共の交通機関を乗り継いでの移動になるところだった。
だからもっと感謝しても良いのに「野菜を運ぶ以外で役に立って良かったじゃない」などと宣う沙織にはもっと素直になって欲しい。
……それはともかく目の前には空き空きの海水浴場がある。
一般客の入場規制を行っている地元青年団のハッピを着た人に参加者証を提示して砂浜に下り、熱い砂を踏みながら営業中の海の家を目指していく。
「森上君達はまだ来てないみたいね」
「スケジュールからすればいても良い頃だけど……道路が混んでるのかな」
「そのうち来るでしょ。先に着替えちゃいましょ」
砂浜の道路沿いにある沢山の海の家は、しかし大半が閉まっている。迎撃戦中の休憩所兼救護所として夜間営業をするし、入場規制のために客が激減する昼間は休業しているところが多い。昼も営業しているのは運営本部近辺だけなので、その辺にいれば森上君達も自然とやって来ることだろう。
と、そう考えたのは正解だった。
海の家の更衣室で水着に着替え、荷物を預けて砂浜に出たところで、
「天音先輩! っす! ちゃんと来てくれたんっすね!」
……相変わらず胸に向けて挨拶する森上君に行き合った。
森上君だけではなく、去年の防衛戦で一緒だった三人組や水無瀬君、他宇美月学園からの参加者がぞろぞろと。
そこまでは良い。
「……あなた達、なんでここにいるの?」
東原君達までいるのは何故なのか。
「なんでとは心外だな! 俺達だって迎撃戦に参加するんだよ!」
「天音達が行くっていうから急遽な」
なんでも試合の日の闘技場で私達が迎撃戦に参加すると聞きつけてこっそり応募したそうだ。なんでこっそりなんだろうか。「天音達を驚かせようと思って」と言われても、別に東原君達がいたらどうという事もないのだし。
「天音……俺達なんかいてもいなくてもどっちでもいいと思っているな?」
「え? なんで判るの……って、顔に出てたのか」
「くっ! 形だけの否定もしないとは……お前、俺達に冷たすぎないか!?」
「そうかなあ……」
「まあまあ、天音先輩も東原先輩も。どうあれこうして合流できたんすから良いじゃないっすか」
「あれ? 東原君達がいる。なんで?」
森上君が取り成すように割って入ったその時、私の背後、海の家から出てきた沙織の声。「ぬお! 姫木までそんなふうに言うのか!?」と反射的に言った東原君だったけれど、
「あ、すみません、人違いでした」
突然他人行儀になっていた。
「はあ!? 何を言って……ああ、なるほどね。そういう事か。言っておくけど偽乳じゃないからね」
対して沙織の声は勝ち誇っている。
なんとなれば、
「ひ、姫木先輩! た、谷間があるじゃないっすか!!」
森上君の驚愕の叫びが全てを現している。
沙織の胸は最近急成長していて、浅いながらも谷間を形成するに至っているのだった。
「ふふん、私にもようやく成長期がきたってことよ」
「姫木先輩、おめでとうございます! おめでとうございます! 心からの祝福を贈るっすよ! 本当におめでとうございます!」
「……そこまで言われると逆に馬鹿にされているような気がする」
激しく万歳三唱などしている森上君に憮然となる沙織であるが、基本的には上機嫌だ。胸のサイズに関しては長年のコンプレックスであったらしく、それが解消した最近は私の胸に対する態度も和らいでいる。「もげろ」とも言わなくなったし、感謝されてすらいる。
古民家寮での同居を始め、私が外気功の訓練の為にサラシを巻かなくなり、同じく訓練のためにノーブラで過ごすようになった当初は親の仇でも見るような目で私の胸部を睨み付けていたものだが、その直後に沙織の胸が育ち始めたのだ。「桜と同じ食生活になったからかも」とか「目の前に見本があるから私の体が頑張り始めたに違いない」とか良く判らない事を言っていたけれど……。「それなら私のも育つべきじゃない!?」と灯が嘆いていたので、多分沙織の主張は見当違いだし、感謝される謂われも無いと思われる。
まあ、憎々し気にもげろもげろ言われるより格段にマシなので良しとしている。
「……いい加減にしなさい。さすがにそろそろ恥ずかしいから」
「いやだって谷間っすよ!? 姫木先輩の胸に谷間があるんすよ!?」
「だ・か・ら、恥ずかしいって言ってるでしょ! それに胸ばっかり見ないでよ!」
恐らく沙織の胸の成長を一番喜んだのは森上君だ。おっぱい好きの森上君にとって、大好きなおっぱいがまた一つ増えたのだから喜んで当然なのかもしれないが、胸を凝視したまま大騒ぎされては沙織も堪らない。業を煮やして実力行使に出ていた。
胸への視線を遮るようにがっちりとアイアンクロー気味に森上君の顔面を掴んで吊り上げる。
「あがががが……」
奇妙な声を上げてもがく森上君だったが、やがて体を弛緩させていた。
「ふん、これに懲りたら余り女子の胸をネタに騒がないようにね」
だらりとぶら下げた森上君を放り捨てる沙織。
……って、あれヤバいんじゃない?
と、心配したのも束の間、放り捨てられた森上君はしっかりと着地して「うー……姫木先輩は酷いっすよー。天音先輩はこころよく見せてくれるっすよ」とブツブツ言っている。
「ちょっと人を見せたがりみたいに言わないでよ! ていうか、森上君大丈夫なの!? 首、逝ってないの!?」
アイアンクローで宙吊りなんてしたら体重全てが首にかかり、下手をすれば脛骨が逝く。
「や、大丈夫っす。姫木先輩が『重量操作』使ってくれたっすから」
「そうでもしなきゃ片手で持ち上げられる訳ないじゃない」
「あ、そうか。でもいつの間に呪文を……」
「珠貴の一言呪文みたいなものよ。ん? 黒間先輩の障壁が近いかな。『重量操作』限定だけど、呪文を発声しなくても使えるようになったわ。一本伸ばしの強みね」
「おー……沙織、凄い」
「……そんな事より、森上君のあれはどうなの? 桜だってあんなふうに見られてるんでしょ? 良く我慢できるわね」
「まあ森上君はもとからこんなだし。それになんていうか……あんまり不快な感じはしないのよね。なんでだろ」
私達がそんな遣り取りをしている一方で、東原君達三人は円陣を組んでいた。「揺れてたな」「揺れてた」「ああ、確かに揺れていた」などと漏れ聞こえてくる内は良かったのだが、「しかし姫木だぞ」「この歳になって育つものなのか?」「盛ってる?」「盛ってるのか?」となるに及んで沙織のこめかみがヒクヒクとし始めた。
やがて意を決したように沙織の前に三人が整列し、代表して東原君が一歩前に出た。
「姫木、協議の結果として言うが……」
「偽乳じゃないってば! 確認の為に揉ませろなんて言ってもお断りだからね!」
「先回りしないでくれ。まったく、姫木も俺達に冷たいんだな」
「冷たいとか、そういうことじゃないでしょう……」
沙織が疲れたように溜め息を吐く。
「先輩方、姫木先輩の胸が大きくなったのは喜ぶべき事であって疑うべき事じゃないっすよ」
「む、森上……つまりお前の目から見てあれは本物なのだな?」
「保証するっす」
「ふむ……お前が保証するなら確かなのだろう。判った。おい」
「そうだな」
「了解した」
「「「姫木、おめでとう!」」」
「黙れ、馬鹿ども」
先ほどの森上君よろしく祝福を始めた東原君達を沙織が一睨みで黙らせた。胸をネタにイジラレて(彼らにイジっているつもりはないみたいだが)、そろそろ本気で怒りそうな気配。さすがにこれ以上はヤバいと思ったか、東原君達はすごすごと引き下がる。
「ねえ、終わった?」
「灯……そんなとこでなにしてるの?」
「だって胸やらおっぱいやら叫びながら騒いでるから……」
海の家の更衣スペースに半ば隠れるようにしている灯。「仲間だと思われたくなくて」とはどういうことなのか。
「いや、ほら見てみなよ。あっちのみんなも」
「え? あ……」
気付けば、森上君と一緒に来ていた宇美月学園勢が遠いところにいる。この場に残っているのは防衛戦に参加した前衛三人組と水無瀬君だけになっていた。三人組は「さすが森上、先輩たちと対等にやり合っている」と感心した風情。水無瀬君は真っ赤な顔をしていたたまれない感じ。……純情な水無瀬君には刺激の強いやり取りだったか。
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ようやく場が落ち着いた。
取り敢えず後から来た面子も水着に着替えようと数軒の海の家に散らばり始めた時。
唐突に男子の歓声と女子の嘆声が抑え目ながら湧き起り、
「今年も学生さんが来ているのですね」
「うん。元気が合って良いよね」
聞き覚えのある二人の声が聞こえた。
「え?」
振り返ればそこに焼きイカと焼きトウモロコシを手にしたライアとミアがいた。




