四号結界防衛戦6
その画像は開戦前に撮影されたようで、『穴』を背後にして隊列を組んだ魔界の軍勢が映っている。単純に量――規模で比較するなら、私達がここ四号結界で当初対峙した魔物の軍勢よりも少なく、おおよそ四分の三くらいかと見受けられる。でも質――軍勢を構成する戦力は比較にならない程に違い過ぎた。
金属質の色合いを有する髪。
後方に本隊然として控えている一団は全て魔族だ。百や二百では効かないように見える。
そして魔物。
その殆どがリザードマンだった。硬い表皮は下手な防具以上に強靭であり、装備した剣と楯をきちんと使いこなす手練の剣士でもある。オーガやトロールなどの大型の魔物よりも手強い相手である。
ゴブリンなど雑魚に分類される魔物は一体たりとも存在せず、正に精鋭を集めた主力部隊なのだと一目で判る陣容だった。
あれに比べたら、この四号結界の戦闘などままごとにも等しいのではないか。
長時間の戦闘で疲弊した身でありながらそんな風にも思ってしまうほど、二号結界に現れた魔界の軍勢は洒落にならない戦力になっていた。そしてこちらと同様、あれで全てとは限らない。『穴』が健在である限り、増援はいつ現れるか判らないのだ。
「あっちが心配なのは判るが、こっちの守りを疎かにはできない。今は寝ておけ」
言われて、毛布に包まって硬い床に身を横たえた。
あんな画像を見てしまって、落ち着いて眠れるのだろうかと心配になったものの、やはり蓄積された疲労は大きかったようで、目を閉じたら意外にすんなりと……。
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そして、私は夢を見た。
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「桜ー、桜ー、起きてー」
ゆさゆさと体を揺さぶられて、目を覚ました。
目に飛び込んでくるのは「あ、起きたー」と顔を綻ばせている成美と、気だるげな雰囲気漂う待機室の光景だった。
「あ、あれ!? もしかして寝過ごした!? 私どれくらい寝てたの!?」
「寝過ごしてないよー。ちゃんと交代に間に合うから」
「……って事は一時間ちょいくらい? まだそれしか経ってないのか。もっと寝たのかと思った」
夢を見て時間の感覚がずれた経験は誰にもあると思う。
壮大でやたらと長編な夢を見て、ふと目が覚めると思ったほどには時間が経っていなくてもう一眠りする。そんな感じだ。
今まさにその状態で、眠りについてから一時間余りと言われて実感が全然湧いてこない。
「こっちは寝不足で頭痛いってのに羨ましい限りね。どれくらい寝たつもりだったのよ」
椅子に座ってぐったりしている珠貴が恨みがましく言ってきた。ポーション酔いで辛いらしい。
「どれくらいって……そうね、八年くらい」
「は? 八年? 何言ってるの? 馬鹿にしてるの?」
「違っ……夢の内容がそれくらいあって」
どんな夢だったのか、その内容は妙に鮮明に思い出せて、ダイジェストではあるけれど大凡八年間分くらいはあった。だからそう言っただけなのに、珠貴が意外な程にきつい調子で突っ込んで来たのだ。普段からボケかツッコミかで言えばツッコミっぽいところのある珠貴だったが、こんなに棘のある言い方ではなかった。
「あ……ごめん、ポーション酔いで抑えが……ううん、なんでもない。とにかくごめん」
珠貴は「感情のコントロール、コントロール」と呟きながら目を閉じてしまった。
一時間ちょっと寝たくらいではポーション酔いの症状が抜けきらないようで、その体がゆらゆらと揺れている。灯達Bチーム女子も似たようなもので、後衛も大変なのだと思わされた。ケロッとしている学園長や森上君の方が特別なのだろう。
特に学園長。後衛のローテーションから外れたような砲撃振りからして相当量の魔力回復ポーションを飲んでいるはずなのに、普段と全然変わらないように見えるのだから凄い。
身支度を整えつつつらつらとそんな事を考えていた。クリーニングに出した汚れ物はまだ戻ってきていないので予備の守備隊制服に着替え、胸甲を装備したところでむわっと鉄臭い臭いが鼻を突く。寝る前に簡単に拭った程度では汚れを完全に落とすのは無理だし、裏打ちの布部分は少し湿っている。せっかく清潔な服に着替えているのに汚れた防具を着けるのはなんだかなあという感じだが、これはもう諦めるしかない。この戦いが終わったら念入りに整備するとしよう。
「しかし、八年分の夢か。まるで邯鄲の枕だな」
そう言ったのは既に装備を整え終えた後城先生だった。『邯鄲の枕』は、今回の私の様に短い時間で長い期間の夢を見たという故事成語だ。有名だから私でも知っている。
でも故事成語でいくなら、夢に関するもう一つの有名所がある。
「それもそうなんですけど、どちらかと言うと胡蝶の夢って感じでした。こっちの私の夢を見た『あっちの私』を、またこっちの私が夢に見てるっていう」
みんなに一斉に首を傾げられた。
いや、自分で言っていても何が何やら判り難いのは自覚している。自覚しているが、実際にそういう夢だったし、あれ以上の説明はできない。言葉を重ねれば重ねる程に判り難さが増しそうなのだ。
面白いのは、これが以前に見た夢の続きだった点だ。一カ月くらい前、珠貴との試合を目前に控えて見たあの夢。酷い内容に精神的な絶不調に陥って、回復するために成美の協力を仰ぐに至ったあの夢だ。
幸いにして今回は悪くない内容で、目覚めてからも夢の中で得た達成感が色濃く残っていた程だ。ついでに言うと農業を学ぶのも悪くないと思えるような、そんな夢だった。
他にも色々と興味深い点のある夢だったが、いつまでも夢の話を引っ張れる程悠長な状況でも無かった。
交代の時間に少し余裕を持って、再び戦場へと向かう。
その道すがら、並んで歩く成美が「ねえねえ」と突いてきた。
「あのさー、昨日……っていうかさっき? シャワーの事なんだけど……」
「シャワーがどうかしたの?」
「私自分で浴びてたのかなー。全然記憶無いんだー。起きたらテーブルの上で寝てて、そんなところに登った憶えも無いし」
「テーブルに寝かせたのは私よ。成美がシャワー終わって寝入っちゃったから。まあシャワー中もふらふらしてるなとは思った。あれって寝ながら浴びてたのかな。無意識にやってたんだとしたら凄いわね」
シャワールームでの一件は秘密にすると決めている。
テーブルの上に寝かせたのは先生達にも見られているので下手に誤魔化そうとするとボロが出る可能性があるので、これは事実そのままを告げた。成美は「本当にー? 本当に私、自分でシャワー浴びてたのー?」と頻りに首を傾げている。そうだよ、と請け合うと、
「うーん、なら私も夢を見てたのかなー」
「へえ、どんな夢を見たの?」
「シャワー浴びながら桜とえっちぃことする夢。桜が凄い積極的でさー、あんなところやこんなところや……もう触れてないところはないってくらいに隅々まで指を這わせて……私なんてもう体に力が入らなくて立ってもいられないくらいにされちゃって……そこを桜が優しく抱きしめてくれて……」
内容が内容なので、さすがの成美も周囲に聞こえないように囁くような声だったのが幸いだ。
……それにしても、シャワーの一件は成美の脳内で物凄い変換をされていたようだ。
いやまあ、確かにあんなところやこんなところだけでなく、そんなところにまで触れたけれど。あれは魔物の血を洗い流す為だった。力が入らなくて立っていられなかったのも単に寝ぼけて弛緩していただけだし。けしてえっちぃ行いなどしていない。
「それは間違いなく夢ね。第一舞弥さんだっていたんだからさ、そんな事できるわけないでしょ」
逆に言えば、成美にエロ変換した記憶しかないのであれば、夢だと断じて否定するのも容易く、罪悪感も無い。もしも事実そのままの内容を語られて、それは夢だと言ってしまえば嘘を吐くことになるが、これなら本当に夢なのだから。
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二時間ずつの休憩を回す為に守備隊側の陣容は手薄になっており、それぞれに掛かる負担は増えている。私達の戦域は安定していることもあって当初よりも広めの分担が割り振られていた。
生活課支援のもと細かい休息を入れつつ戦い続け、そして夜が明けた。結界面の発光によって戦闘に支障こそ無かったけれど、夜戦は精神的に負荷が掛かっていたようだ。外からの光の方が強くなり、結界面の発光が目立たなくなると頭上には青空が広がっている。一晩続いた重苦しい閉塞感から解放され、守備隊陣営の意気が確かに上昇していた。
そうして、そろそろ戦闘開始から十二時間が経過しようという頃。
なんの前触れも無く『穴』が強く輝いた。
『予兆を観測!! 危険度A以上!! 繰り返す、危険度はA以上だ!! 十中八九魔族が出てくる!!』
オペレーターの報告を聞くまでもない。あの輝きはこれまでの発光現象とは明らかに違う。『魔族なら最低限これくらいは光る』という危険度Bの場合、複数の魔物が同時出現する場合もある。通過してくる個体の力の総和が輝度になるため、魔族が一体なのか魔物が沢山なのかは出てきてみないと判らない。対して、危険度Aとなると『魔物をどれだけ集めたってこんなには光らないだろう』というくらいの輝きとなる。今、まさに、そうなっているように。
『休息中のグループは即座に戦線復帰。各戦域で対魔族の特戦隊を編成する。以後個別に通信を受けた隊員は指定の場所に集合しろ』
全体通信に流れてきたのは桐生隊長の声だ。
結界に魔族が現れたら可及的速やかに討伐するのが原則だ。精鋭の守備隊員からなる特戦隊が魔族討伐に赴けるようにと、戦闘域の魔物密度を下げ続けていたのがこれまでの戦いだった。つまり、ここからが本番なのだ。
各所で人の流れが生まれたのは、個別通信で指名された隊員が集合するためだろう。正規隊員が上から順番に離脱するようなものなので残る方としては不安もあるが、休息を中断した人達が復帰すればどうにかなる筈だ。
そんなふうに守備隊側が迎撃準備を進めている中、危険度A以上と判定された発光現象は六回。
六人の魔族が、四号結界に現れたのだった。




